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●『武政健夫ガラス彫刻展』
を最近よく思う。何のことかと言えば、まずスピーカーだ。エムズシステムの波動スピーカーはココア色のロールケーキに見えるが、スピーカーの形が四角い箱型ばかりと思っていると、たまには変わった形のものがある。



●『武政健夫ガラス彫刻展』_d0053294_036331.jpg価格との相談もあるが、据え置いて美しい形のものがよい。そういうものを探していると、4、50年ほど前には日本の山水やパイオニアが木材の美しさを活かした家具調のものを作っていて、そのレトロ感溢れるものがほしくなった。これは当時広告で見て知っていたが、パイオニアでは床に置く筒型のものがあった。しかも周囲をネット代わりに斜め格子の木材で包んでいて、置物としてもなかなか風格がある。同様の筒状の形のみは、波動スピーカーのウーファーに採用されているが、左右一対で床に置くこのパイオニアのスピーカーがほしいと思い始めている。だが、スピーカーが壊れているのが普通で、外側のみを活かし、スピーカーは同じサイズのものを入れ替える必要がある。それはオーディオ店に頼めば出来るが、自作でも充分可能だろう。ただし、筆者は工作については器用でも、電気の知識がない。ネットで調べるとどうにかなるとして、そういう趣味も面白いかと思い始めている。パイオニアにこだわるわけではないが、最初に買ったステレオがそうで、その後もパイオニアを買い続けている。だが、スピーカーにいいデザインであったのは1960年代までで、その後は時代に応じて金属的になり、木材の使用は減り、今はほとんどない。そう思ってヨーロッパのメーカーを調べると、オーストリアやフィンランド、ドイツ、イギリスなど、形を見ただけでもその国らしいものを木材を使いながら作っていることに感心する。だが、価格もそれなりで、一対で普通は数十万円ほどは見積もる必要がある。そうなれば最初から諦めの境地だが、じっと見ていると吸い込まれるようなところがあって、高価でもほしいという欲求が高まって来る。だが、数十万で高価と思っているようでは、オーディオ・ファンとは言えない。昨夜びっくりしたのは、スピーカーをアンプとつなぐコードが2メートルほどで200万円ほどするものがあったことだ。全部金で出来ていてもそれほどはしないと思うが、上には上があるものだ。それで外国のスピーカーをあれこれ見ていると、アメリカのパラゴンと呼ばれるものを見つけた。さすが大国のアメリカを思わせるに足る恐竜的な大きさで、形も変わっている。1000台しか作られず、また1台数百万するので、最初から諦めるが、これを縮小して幅80センチや50センチほどのミニ・サイズを手作りする人が日本には何人かいて、そうしたものの中古なら10万円程度で買える。もちろんスピーカーは本家のJBLではないが、外形がオリジナルの縮小なので、インテリアには持って来いだ。幅80センチはさびしいので、150センチほどのものがほしいが、先に書いたように、自作スピーカーの趣味があれば作ってしまえるようだ。それはさておき、録音された音楽を家で楽しむにはスピーカーという塊が必要で、その部屋の何パーセントかを確実に占領するその塊に毎日接するのであるから、見ていて満足感を味わえる形や色がいいと思うのは自然であろう。人間は欲深いもので、スピーカーに音だけではなく、外観まで高級感を求める。今思い出したが、先頃終わった韓国ドラマ『イノセント・ラブ-純潔なあなた』で、主人公の妻が夫と別居して韓国の伝統的な餅を売る店を開き、その店内が写る場面がある。そこで2,3度その妻の背後に壁の棚に置いた真新しいミニ・コンポが見えたが、それが数万円程度の安物で、置かない方がましと思った。店で鳴らすには音量としては充分でも、店主の趣味が疑われる。
 塊は今日ならクリスマス・ケーキを思い出す。ケーキを喜んで食べる年齢もないので、今日は繁華街に出かけてケーキ屋の前を何軒は通ったが、買わなかった。ロールケーキに面白いものがあって、2500円程度と安かったが、家内とふたりでは多い。で、ようやく今日のブログの話題につなげようか。10月下旬の10日間、京都大丸で開催されたガラス彫刻作家の作品展で、その透明な輝きは今時の真冬に似合う。この作家の名前は初めて知った。ガラス彫刻という分野が日本では馴染みがうすく、17世紀以降のヨーロッパで盛んとなったものという。武政は高知県の出身で、オーストリアで学び、ニューヨークのステューベン・グラス社に勤務し、世界的に有名となって1989年に独立した。独立後の作品は60点ほどで、今回はその35点を展示した。20年で60点は、1年3点で、これは非常に貴重で高価となるが、筆者も1年にせいぜい3点ほどしかキモノを作れないので、この点はあまり驚かない。武政は歴代アメリカ大統領の贈り物として各国の元首やロイヤル・ファミリーに秘蔵されているという。これは武政の才能の秀逸さもあるが、ステューベン・グラス社が価値をつけての売り込みの力による。個人ではそういう国家レベルの営業は出来ず、いくらいい技術を持っていても、まず有名にはなれない。その意味で武政はとても幸運な作家だ。ヨーロッパで学んで技術を認められ、それによって有名な会社に入って制作することが可能となり、そうして名前を売った後に独立してそれなりに注文が舞い込み、今回の展覧会も開催出来るようになった。これは日本のどのような造形作家も理想とする形であろう。外国で認められると、日本でも認められるという図式が昔からある。その中でも日本でまだあまり知られていないこうしたガラス工芸は名を売る機会が多いだろう。また、ガラス彫刻は、ガラスの塊を回転する銅盤と研磨剤を使って少しずつ彫り込んで行くが、緻密さと繊細さを要するというその技術は、確かにそうであろうが、日本人の器用さをもってすればさほどではないと思える。その彫り込む深さは、サンドブラストによる平面ガラス上の彫り込みとさほど変わらず、ガラス板ではなく塊を使っている点が違うだけに見えた。平面に彫ると、それはどこまでも平面上の浅い浮き彫りに過ぎないが、氷の塊のような表面に彫ると、同じ浅いレリーフでも向こう側に透けて反射するなど、立体感の効果を一気に増す。また武政の作品はガラスの塊を一個だけではなく、数個を並列あるいは上から見て格子状に並べる。つまり組作品で、これは屏風の立体化を思えばよい。また、塊を直方体ではなくさまざまな形を採用して、各面に異なる絵を浮き彫りし、意外な透過や反射の効果を得ることをもくろんでいる。
●『武政健夫ガラス彫刻展』_d0053294_0363282.jpg

 根本はスリガラス上の文様表現だが、それでは絵画のように平面的な作品とみなされる。そこでガラスの塊を使って、またその透過や反射の効果を得て、絵画的な表現ではあるが、ガラスの立体の助けによって彫刻に分類されている。だが、筆者には絵画とされるべき作品に思える。それは彫りが深くても1センチまでと浅いことと、やはり武政の日本的な平面的感覚による。そして、その平面性がかえって欧米では特殊な才能とみなされたのではないだろうか。また、浮世絵や中国の唐子、あるいは伝統的な花鳥画など、画題がアジアらしく、そこが歓迎された理由でもあるだろう。下絵の線描きも何点か展示されていたが、それは予想どおり、とても単純で、図案家として見た場合、並みの才能と言ってよい。それがそう見えないのは、ガラスに浮き彫りされるからだ。緻密繊細な技術に見所があるというのでは、図案をもっとうまい人に描かせ、それを無名の職人に彫らせた方がいいものが出来るのではないか。つまり、制作時間がかかり過ぎるこうした工芸作品は、作家は図案に費やす時間を充分に割くことが出来ず、つい月並みなものを描きがちだ。図案が他の追従を許さないほど独特でまた完成度が高く、しかも作品の全体的な仕上がりも驚異的であるのでなければ、長い歴史の間に埋もれるだろう。その意味で、武政の作品は図案に独創性がきわめて乏しく、それが塊のガラスの表面に動かし難く表現されているため、正直なところ、そのアンバランスに一種の悲しみを思ったほどだ。そして、一方で思い浮かべたのは、自然が作り上げた年輪の美しさ、あるいはメノウの色合いや模様で、そうしたものを見ている方がよほど心が落ち着く。この思いは、造形作家は隅から隅まで計算し尽くし、膨大な時間を費やしても、それが美となるとは限らないことを常に自戒すべきということだが、そのことは日本の美意識の強い人は昔からよく知っていて、偶然が支配した釉薬の垂れなどを愛好した。武政は知らないはずはないと思うが、人知を超えたところに最高の美を置くという意識を忘れてはならい。だが、ガラスの塊のどこにも一切曇りがなく、また淡い影のように見える浅浮き彫りの絵は、そのガラス内部に凍結して見え、そのいかにもはかない様子が、唐子や花鳥など、どれも移ろい行く画題であることと相まって、日本の美意識にかなうと見る人も多いだろう。実際会場ではため息混じりに見ている女性が多かった。それはおそらく宝石の美に通ずると思ったからではないか。確かにそういう面があり、カメオを連想させる。展示は、会場を真っ暗にし、そこに四方をガラスで囲ったケースを林立させて上からスポット・ライトを浴びせていた。個人が自宅の部屋に飾る時には始終そうすることは出来ないし、また間近に寄らねば細部は見えず、置物としては目立たないと思うが、わずかしか制作されないものということで、いくらお金を出してもほしいという人はあるだろう。筆者は何も彫らないガラスの塊か水晶の柱でも充分と思うが、そこにわずかにでも絵が彫られると、一気に価値が高騰する。絵と同じなのだ。だが、絵を見るなら、普通の光と壁にかける状態で見て楽しむ方がよいし、また絵だけに生涯を賭けた人物のものの方がいい。工芸作家はどうしても中途半端な存在になりがちで、それもあって、美術より低いものと見られる。ただし、海外ではそうとは言えないかもしれず、武政のように海外で評価されて帰国した作家にもっと関心が集まれば、日本の不遇の工芸作家にももう少し人々の目が注がれるのではないか。
●『武政健夫ガラス彫刻展』_d0053294_0364899.jpg

by uuuzen | 2011-12-25 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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