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●『おもちゃ絵の軌跡-郷土玩具とおもちゃ絵-』
を言わねばならないのに、ついそのままになってしまうことが多々ある。今日は大西さんからCDが2枚届いた。そしてさきほどメールが届いたが、ザッパの71回目の誕生日であることを教えられた。そう言えばそうだったなと思い出す始末だ。



毎年12月中旬を過ぎると、慌しい思いでさて何から手をつけようかとうろたえる。それで思い出したのはまずお礼の言葉で、大西さんにはメールで返事を出さずにこの場を借りて感謝を伝えておく。どうもありがとう。先日のクリスマス・カードに今日のCD、何もお返しは出来ませんが、また来日された時にはお会いしましょう。で、CDはまだ聴いていない。正直なところ、CDデッキのトレイのCDを交換する気分の余裕もない。それで相変わらず『CARNEGIE HALL』のディスク4が入ったままで、それをリピートで聴いている。とにかく今はこのディスク4の音楽をBGMにするのが、一番作業がはかどる気がする。さて、今日は朝の時点では何について書くか決めていたが、また日づけが変わって30分経ってしまい、予定していた内容を書くには少ししんどい。それは明日に回すとして、別の話題について。その前に、つい今だが、パソコンの真横に積んである資料の束にひょんなことで昨夜書いた展覧会の3つ折りのパンフレットを見出した。やはり会場でもらって来ていたのだ。黒地の背景の細かい文字の文章は、予想に反してこれは学芸員が書いたこの展覧会についての説明だ。改行なしで、ぴたりと文字で埋めてある。こういう技巧を筆者は好む。文字も虫眼鏡なしでどうにか読める。とはいえ、全部読んでいない。それより出品作家の名前が全部わかるのがよい。それをここで列挙してもよいが、今日は別の展覧会について書くので、もう過去のこととして忘れよう。それに出品作家の名前はどれも筆者は知らず、列挙してもあまり意味がない。ともかく、ここ数日探していたものが出て来たのでほっとした。そういう探しものがあれこれあるが、見つからないものの方が多い。それだけ部屋が雑然とし、また本や資料があちこちに分散している。これを年末の大掃除でどうにかすべきかもしれないが、大掃除は先日波動スピーカーの芦田さんが来られる前にやったので、今年はもうする気がない。時間もない。
 今思い出したので書いておく。昨夜の投稿は連続2404日目であった。100単位の切りのいい日にはいつも太陽を背景にした数字のバナーを冒頭に掲げている。2400日目をてっきり忘れてしまった。それで今日はそのバナーを作って『CARNEGIE HALL』その1に載せた。年末の慌しさにうっかり度が高まっているようだ。さて、今日の昼下がり、年内の11日間に何を書い投稿するか、その内容を紙片に列挙した。大半を展覧会の感想で埋めることになるが、11日では足りず、来年に持ち越すことになりそうだ。列挙しながら何か忘れているような気がして落ち着かなかった。それで夕方6時半にムーギョに買い物に出かけ、その途中で忘れていたことを思い出した。それが今日の投稿内容だ。この展覧会は、わが家からは桂川の向こう、左岸にある嵯峨美術大学の図書館で開催されていた。10月9日から今月17日までで、前期と後期に分かれ、展示替えがあった。前期を見た後、後期もぜひ見ようと思いながら、その時間を持てなかった。忘れていたのではない。多忙過ぎて時間が見つけられなかった。近いのでいつでも行けるが、それがいけない。この展覧会を知ったのは、大山崎在住の郷土玩具の収集家からファクスでチラシの両面を送付してもらったことによる。それは会期が始まる2週間ほど前のことだ。その人と知り合ったのは10年近く前になるが、自宅にもお邪魔したことがある。久しぶりに会おうかと思い、ファクスのお礼に電話しようと思いながら、しなかった。初日に見に行くことが出来そうになかったからだ。その人はきっと初日に一番乗りするはずで、その時間帯を逃せば会うことはまず出来ない。そう判断した。それで、10月中旬に見たが、その感想を電話で伝えず、またこのブログにも書かず、ついに今日になった。その今日というのも、昼に予定していた内容を書いていれば、年内には書かなかった。そして、そうなればもう書くことはなかったかもしれない。それをこうして思い出したのは、最初に書いたように、大西さんへのお礼のメールや手紙を書いていないことを思い、その連想による。また、その郷土玩具収集家はネットを見ないので、筆者がこうして書くことを知らないままになるはずだが、年賀状でお礼を書いておこう。
 年賀状の話になった。まだ買っていない。毎年120から30枚ほど買って切り絵の図案を赤色で印刷するが、パソコンのプリンターのインクを切らしているし、図案もさっぱり思い浮かばない。この調子では去年と同じくクリスマスが終わって29か9日頃にようやく腰を上げるだろう。その前にまずはがきとインクを入手せねばならない。年賀状を120枚出すのにたっぷり1日半は最低かかる。この時間と金の無駄を思うと、今年限りで出さないでおこうと毎年考える。それでも喪中はがきが届いたり、また郵便局行くと、あるいはポストを見ると、いやでも「年賀状」の文字を見る。それに釣られてしまう。また、年初めのめでたい雰囲気はいいもので、それが年賀状ひとつで表現出来るのであれば、まあいいかと思う。インターネットがこれだけ普及しても、年賀状は今後もなくならないのではないか。だが、年々正月気分は減じて、今年は大震災があったので、何となく年賀状で正月気分というのもはばかられる。昨日は従姉と話をすると、みな正月2日から仕事とのことで、さっぱり正月はゆっくり餅でも食べてこたつの中で過ごすという気分を味わえない。筆者は自由業で時間は全部自分のつごうでどうにでもなるが、正月はあまり好きではない。食事や運動の普段のリズムが狂うからだ。年始のあいさつにあちこち行って暴飲暴食の日々で、それがきっかけで体調不良を起こし、癌を誘発するのではないかと本当に思う。暴飲暴食をせねばいいだけのことだが、なかなかそういうわけにも行かない。つい酒が進んで5時間や8時間ほどは座りっ放しになる。ま、それはどうでもいいが、賀状のめでたい雰囲気は郷土玩具の色合いや形に通じる。それを思って今日はこの展覧会を取り上げるのがいいと考えたところもある。そうそう、また脱線するが、1階に伏見人形をたくさん並べている本棚がある。それが母や家内からは不評で、もういい加減どこかに収納するか、別の場所に移せと言われ続けている。筆者はそれを毎日見るのが好きで、1階が駄目なら3階と考えるが、3階はCD棚と本棚に占領されているので、とてもその場所がない。だが、ついに筆者も1階を模様変えする気になった。それには伏見人形の棚を撤去し、代わりに薄型TVをメインにした棚を設け、ついでに波動スピーカーも置いてステレオで音楽を楽しめる部屋にする。その完成図は頭の中では出来ているが、問題は伏見人形を取りあえず隣家に移すとして、それではもう筆者が毎日その楽しい色合いと形を見ることが出来なくなることだ。これが想像するだけでさびしい。筆者にはそれほど伏見人形、あるいは郷土玩具の懐かしい雰囲気は大切なのだ。だが、家全体を筆者がいいように使うのは許されない。今はそうしているが、考えてみれば家内が哀れだ。自分の落ち着く空間がどこにもないと昔からこぼしている。それはもっともで、とにかく家中に筆者の買った物があふれている。それは先の郷土玩具収集家も同じで、木造2階建ての2階の二間が足の踏み場のない、またすべての壁面が郷土玩具で埋まっている。おそらく万単位の数だ。収集家とはそういうもので、これは男のひとつの本性でもある。本人は悦に入っているが、周囲にはほとんどゴミに見える。また家人は価値を知らないから、本人が亡くなると処分に困る。その点、その収集家は、没後に収集家の知り合いに来てもらって、何か好きなものをひとつ持って行ってもらうと公言している。筆者も呼ばれるのかどうか、その時はどれをいただくかは言ってある。それはとても大きなもので、それを持ち返ると家内は悲鳴を上げるだろう。また気味悪がるだろう。それを無視して筆者が大切に傍らに置いて日々眺めるとして、その期間はせいぜい10年あればいい方だ。そして、筆者が亡くなれば、またそういうものに興味のある人の手にわたる。それでいい。そのようにして筆者も以前は誰が持っていたかわからない古い伏見人形に取り囲まれている。大切にする人の手元に順にわたって行き、その途中で割れたり、絵具が剥げたりするが、運がよければ100年や200年はこの世に存在する。
●『おもちゃ絵の軌跡-郷土玩具とおもちゃ絵-』_d0053294_2314017.jpg

 この展覧会は同大学の附属図書館が出来て10周年を記念してのものだ。もう10年になるかと思う。開館記念展も郷土玩具に因むものであった。それは郷土玩具収集家の浅見素石による同大学への寄贈品を紹介するもので、浅見は同大学が短期大学であった頃に寄贈し、学内で展示していたらしいが、大学に変わることに伴なって附属図書館を作り、そこで展示するようになった。それが2001年のことだが、浅見は2006年に他界し、翌年遺族は郷土玩具の関係図書と浅見が作成した版画などを寄贈し、この図書館の所蔵品の中核をなすことになった。今後別の何かまとまった寄贈があれば、それに関する展覧会も開催されるだろうが、目下のところ寄贈品は浅見のものが大半のはずで、この図書館では不定期に郷土玩具に関する展覧会が開催される。京都府立総合資料館にも膨大な伏見人形を初めとした郷土玩具が所蔵されるが、それ専用の展示室がない。ネット・オークションでも簡単に買える郷土玩具であるので、美術品としての価値はほとんどなく、こうした展覧会を開いても、学生はほとんど興味を示さない。この図書館にいつ行っても、中にいるのは筆者のみで、それほどに郷土玩具愛好家は少ない。また、愛好家は自分でたくさん持っているので、わざわざこうした場所に足を運ばないのだろう。今回の展覧会の中心は郷土玩具を描いた版本で、郷土玩具そのままの色刷りで、版画ファンにも関心が持たれやすい。立体の郷土玩具が手元にあればそれをわざわざ手間暇かけて版画に起す必要はないように思うが、それは間違っている。郷土玩具ははかないもので、年々少しずつ形や色は変わるし、また廃絶するものも多い。そこで、郷土玩具を描いた版本が当時の郷土玩具を知る貴重な資料にもなる。そういう版本は浮世絵師が手がけて江戸時代からあったが、盛んになるのは明治大正で、『うなゐの友』が最も有名だ。これはたまにネット・オークションに出るが、かなり高価で落札される。それほどに美しい色合いで、郷土玩具愛好家にはこたえられないものとなっている。少し脱線するが、この『うなゐの友』は加賀友禅作家の由水十久が若い頃に京都に修業に出ていた頃、師の本棚に見つけてその世界に魅せられた。由水は晩年の1980年頃、『うなゐ』と題した作品集を出すが、それは直接には郷土玩具とは関係せず、童子の遊びを主題にしている。
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 『うなゐの友』が何冊出たのか、チラシには書かれていないが、明治大正と長年にわたって刊行された。それほど郷土玩具の種類が多かったということだ。この版本は見開き両葉で7,8種の玩具を描いている。絵は清水晴嵐が全部を担当せず、途中で変わったように思うが、これはうろ覚えだ。『うなゐの友』の次に大阪の川崎巨泉が『人魚』という郷土玩具雑誌を刊行する。この巨泉の果たした役割は大きい。伏見人形に関心のある者ならば一度は耳にしたことのある名前で、この人物がおもちゃ絵の新しい世界を拓いた。『うなゐの友』に倣いながら、もっと凝った画面を作り上げ、また網羅する郷土玩具も多かった。チラシには、「巨泉が活躍した1920、30年代の大阪は、趣味人たちの情熱とパワーが溢れた時代だったとも言えるでしょう」とある。だが、当時は大阪は大大阪と自称して都市化を誇り、その陰になった感のある郷土玩具は本当に趣味人だけのものであったのではないだろうか。大阪歴史博物館は、大阪の近現代の展覧会をさまざまに企画するが、郷土玩具や巨泉を中心に取り上げることは今までになかったはずで、今後も望めないのではないか。大阪にも有名は郷土玩具は数多くあり、それらを一度まとめて取り上げておくべきと思うが、今は巨泉のような目立つ存在が愛好家にはいないと思える。それはさておき、1930年代の創作版画運動では、郷土玩具を主題にする版画を取り上げることがあって、創作版画集『版芸術』は郷土版画特集を組み、また別の3誌は郷土玩具版画集を発行する。これは、当時の郷土玩具ブームの反映もあるが、『うなゐの友』や巨泉の仕事が創作版画にバトンタッチしたと言ってよく、郷土玩具の色鮮やかさや形の面白さが、創作版画(これは木版画)の画題には持って来いで、また郷土玩具の量産性が版画の量産性とつながってもいたからであろう。そして、この創作版画での郷土玩具ブームは、その後の年賀状における個人の木版画につながっている。ただし、『うなゐの友』や巨泉の作品、創作版画は、個人が年賀状に色刷りする木版画とははるかにレベルが違って、とにかく美しい。チラシには浅見素石の『おもちゃいろはかるた』と『かくれた郷玩』の木版画の図版が裏表に印刷されるが、それは写実風だが、微妙にデフォルメしていて、ちょうど巨泉の仕事と創作版画の中間的なものを思わせる。浅見の後を継ぐおもちゃ絵の才能があるのかどうか。郷土玩具の好きな人なら、たいていは自分でそうした絵を描くか、あるいは版画を作ってみるかするだろうが、筆者は郷土玩具をそのまま絵に再現したいとは思わない。それより、自分で新たな郷土玩具を生む方がよい。今はそんな時代ではもうないが。浅見の寄贈は自分が最後の収集家であり作家であることを知ってのものであったかもしれない。
by uuuzen | 2011-12-21 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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