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●『INCLUSIVE DESIGN NOW 2011』
病というのがよくわからないが、増えているらしい。病気であるから何らかの治療を施すのだろうが、心の病気は本当に治ったかどうかは傍目にはわからないし、本人もそうではないだろうか。



となると、鬱病は治らないということになりそうだが、なったものであるなら元に戻るはずで、治らないはずがない。鬱病は昔はノイローゼと言ったのではないだろうか。あるいは違う病気かもしれない。もっと昔は精神衰弱とも言った気がするが、これも違うのだろうか。精神の病気がどういうものか、筆者にはよくわからないが、身長や体重にみな差があるように、精神にも差があって、比較的明るい人もあれば暗い人もいるし、それで全体のバランスを保っている。いや、別に全体のバランスなどどうでもいい話で、今の人間世界がいいバランスを保っているのかどうかはかなり疑わしい。みんながどこか精神がおかしいとしても、みんなであるから、誰もそれをおかしいとは思わないのかもしれない。つまり、全体のバランスはかなり悪い方に傾いて安定しているのかもしれない。その悪い方へというのもおかしな話で、何を基準にしているのだろう。アマゾンの森林がなくなり、二酸化炭素が増えているとうるさく言っても、ほとんどの人は実感がなく、仕方がないからこれでいいのだと思っている。そうなると、鬱病の人がむしろ正常で、平均的人間の批判として、そういう病気を人間の正常な本性が生み出したかもしれない。精神はみな差があるから、ごくわずかに鬱病を持っている人もあろうし、その度合いがどれほどになった時に、本物の鬱病と診断されるのだろうか。それはいいとして、今年の4月、自治連合会の会食で隣に座った人から聞いたが、鬱病の人は鬱の状態から脱しかけた時によく自殺するそうだ。原因は知らないが、それが鬱病の特徴でもあるらしい。つまり、死に深く関係する病気であるだけに、扱いは難しい。どこかをケガしたというのなら、自然に治癒もするが、精神の病はそれがない。先日またいやなニュースがあって、精神の病を思い出した。中学生が犬猫の首を切ることからやがて人を切りつける欲望を抱き、それを実行したニュースだ。サカキバラ以降、ほとぼりが冷めたと思っていたら、それは甘いようで、社会が変化していなのであるから、同様の事件が起こって当然だ。だが、それにしても人を切りつけたいという欲求は困る。それが精神病だとして、同じような病を内心抱えている人はもっとあるはずで、夜中にあまり歩かない方がよい。筆者はムーギョへの買い物の往復に、誰も歩いていない道をしばし歩く。そういう時に背後からブスリとやられると、目撃者なしで犯人はつかまらないだろう。ブスリとやられっ放しは癪であるから、こっちも防衛のための刃物を持って歩けばいいようなものだが、それをすると、職務質問でたちまち交番に連れて行かれる。そして、それで終わればよいが、ほかの殺傷事件の犯人にされてしまう。
 先日近鉄電車に乗った際、真向かいの席に50代後半のとても貧相な女性が、目をつぶりながら無言で終始のた打ち回っていたことを書いた。体の麻痺以上に、神経を病んでいるように見えたが、そういう人が増えているのだろうか。一昨日はバスの中で、筆者の前の座席の50代半ばとおぼしき女性が、終始両手をバレエのようにヒラヒラさせていた。かつてバレエでも習っていたのかなと一瞬思ったが、どうもそうではない。バレエではなく、何かのまじない、祈りのような仕草に近い。と思っていると、髪を両手ですすぐような格好もしていたので、何を思ってそうしているのかさっぱりわからない。そういう変な仕草を公衆の中でする人は、人に害を与えているのではないから、無視していればいいが、困るのはやはり危害を加える欲求だ。「きちがい」という言葉は今は使ってはならないらしいが、筆者が子どもの頃は「きちがいに刃物」という言葉をよく耳にし、それが恐かった。先の中学生が女性を刃物で襲った事件を知って、家内と話をしながら、「まさにきちがいに刃物やな」と言ったが、その「きちがい」がよくないと言う人は、何をかばってそう言っているのだろう。夜歩いている時に刃物でブスリとやられても、「あなたはきちがいではないです」などと、キリストのような優しさで相手を見つめるのだろうか。人権は確かに必要だが、暗闇で刃物を人にブスリとやることを楽しみにしている人間にどんな人権を認めるのだろう。江戸時代なら、さっさとそういう連中は切って捨てた。でなければ、いつまでも同じ被害に遭う人が増える一方だ。話が変わるが、生活保護を受ける人が急増していると言う。そして、生活保護費が、年金よりも高額という。毎月国民保険料を絞り出すようにして支払って来た人よりも、そんなものを全く払わず、どうにかなると思って暮らして来て生活保護にかかった人の方が、年収が高い。その事実は、どう考えてもおかしい。いつも書くように、真面目な人が損をする国で、真面目は馬鹿やアホと同義なのだ。こう書くと、生活保護を受けている人は仕方なしにそういう境遇になったのであって、不真面目ではないと反論する人があるが、それでも真面目に国民年金を支払って来た人より豊かな生活が出来るのであれば、誰も国民年金などかけない。特に筆者は数年のブランクがあって、年金は満額に届かないが、満額もらっても月7万に満たず、これは生活保護費の半分以下だ。だが、生活保護家庭が増えたと言っても、それは日本全体から見れば微々たる金額で、今はそれだけ日本は大国になっている。そういう大国になった時に、恵まれない人に手を差し伸べるという考えが育つ。
 今日取り上げる展覧会は、鳥博士さんにチケットをもらって行って来た。会期の最終が近かったので、封書が届いて真っ先に見た。3日の土曜日にひとりで行った。実はこの展覧会のチラシを11月5日に同じ京大総合博物館に行った際にもらった。その5日に見た展覧会について先に書くべきだが、気が乗らないので、後になったこの展覧会を先に書く。なお、5日に行った際、この展覧会が開かれた場所は何も展示されておらず、まさかそこでこの展覧会があるとは思わなかった。それはともかく、その空間での展示は初めて見た。館内のオープン・スペースといった雰囲気の場所で、そこでこの展覧会を見るのは、内容によく似合っていた。さて、その内容だが、英語のタイトルで何のことやらわからない人が多いかもしれない。もっとわかりやすい言葉を使うのがいいが、名訳が浮かばなかったか。また、英語表記であるのは、この考えがイギリスがリードして出来たものであるからではないか。「INCLUSIVE」は「全部含んだ」という形容詞だ。ポール・マッカートニーの曲に「LET’EM IN」というのがあった。「誰でも入れてやりなさい」と、いかにも鷹揚なポールを思わせるが、「INCLUSIVE DESIGN」も簡単に言えばそういうものだ。これは社会から疎外されやすい障害者や高齢者、子どもなどのための生活上のデザインで、大量生産される規格品が使いにくい人のために、特別の使いやすいものを生み出そうとする工業デザインを思えばよい。この最も身近なものは、たとえば老眼鏡だ。だが、老眼は珍しくないので、老眼鏡は大量生産されている。もっと数が少ない不便な人のため、あるいはこんなものがあればより便利と思えるものをどんどん調べて発見し、試作品を作り実際に使うという試みが「INCLUSIVE DESIGN」だ。これはたとえば障害ひとつ取ってもさまざまであるから、かなり長い年月を経なければ「全員含む」ということにはならないだろう。だが、疎外者をなくそうという考えは立派なものであるし、また当然でもある。誰も自分が障害者になると思っていないが、何かのきっかけでそういう身になった時、一気に不便を感じる。そう思えば、人間は保険のような思いでこうしたデザインの思想を広く全世界に普及させておくべきだ。
 会場には本年度の完成したそういう製品、試作品などが10いくつかのコーナーに分けて展示してあった。決して見やすい並べ方ではなかったが、このデザインの意図はよくわかった。たとえば、病院でもらう薬の紙袋がある。視力のいい人はそこにかかれる文字を何とも思わないが、視力が弱く、また手がいささか不自由な人は、薬を間違ったり、あるいは取り出しにくい。それを考えて、文字も含めて通常の3倍の大きさに拡大した袋があった。ちょっとしたことだが、歓迎されるだろう。また、薬つながりで言えば、カプセルの薬を取り出すのに苦労する人のために新しい方式で確実で手に出来る工夫もあった。それは、手の不自由な人が案外多いことを示してもいる。脳梗塞で半身不随にならなくても手の自由が利きにくくなる人はいる。家内が割合そうなって来ていて、両手の指先がかなり曲がっている。そのため、瓶の蓋を開けるのに力が入らないことがあったりするが、そういう時に役立つ商品はTVショッピングで販売されている。そこで連想するのは、昔から発明が趣味な人は「INCLUSIVE DESIGN」をそれなりに手がけて来たことだ。ただし、それは半ば以上は特許を取って金儲けをしたいという思いによる。またそうした人は今でも何か便利な日常使用する道具を発明しようと思っているが、障害者が使うものは売れても数がしれている。そのため、特許を取ってどうのという考えには馴染まないだろう。それに、生活上きわめて不便な人を食い物にしているとの謗りも受けかねない。ただし、「INCLUSIVE DESIGN」で生み出された道具は、どこかの会社がそれなりに量産する必要があるから、特許や金儲けの考えとはまるっきり無縁であるということはない。今回展示された、オムロンが視覚障害者向けに作った体温計や、コクヨが作った改良型ソファなどは、れっきとした量産商品であって、また通常の大量生産品とは違ってあまり売れないものであろうから、価格も高めに設定されているのではないだろうか。それでもないよりはるかにましで、また企業がいわば多品種少量生産に積極的になるのは好ましい。また、「INCLUSIVE DESIGN」の商品を作って売っているということが、大きな宣伝になって会社のイメージ向上につながる。時代はそういうように、少しずつ、「全員を含む」ようになって来ているし、日本でもそれが紹介され、賛同者が増えているのは、世界をリードすべき国となっているからには当然のことだ。ただし、手足が不自由といった、肉体のハンディを持つ人向けのデザインはわかりやすくていいが、最初に書いた鬱病の人に役立つデザインといったものがあるのだろうか。電車の狭い座席で終始派手にのけぞっていた女性や、あるいはバスの車内でバレエもどきを止めない女性は、何も不便を感じていないのだろうか。そうそう、この展覧会を見た帰り、ムーギョに寄って買い物をし、夜の松尾橋をわたってバスが通る直線道路の歩道を歩いて帰った。筆者の前を20代のスーツ姿の男性が麻痺した片足をひきずって歩いていた。その動作がかなり大きく、歩くのに不自由している。と思った瞬間、何かにつまづいて前にどさっと前に倒れた。筆者は2メートルほど後ろにいたので、すぐさま「大丈夫ですか」と声をかけて体を起すのを手伝った。男性は自力で立ち上がりかけていたが、片手も麻痺していて苦心していた。振り向いたので筆者と目が合い、「どうもありがとう」と男性は笑顔で言った。自力で立ち上がれるのが仮にわかっていても、誰しもそこは咄嗟に手を差し伸べる。そういう思いが「INCLUSIVE DESIGN」の根底にある。
by uuuzen | 2011-12-13 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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