禍禍しさに溢れたジョン・ハートフィールドの作品、ナチに満月はよく似合う。昨夜書いたように、ヴィラ鴨川の係員は、開場したのでホールに入っていいと、筆者がハートフィールドの本を見ていた時に図書室に伝えに来てくれたが、恐いもの見たさで本から目を離す気になれず、全部見終えるまでホールに入らなかった。

ヴィラ鴨川は誰でも入れる。この図書室で本を読むことも出来るし、すぐ目の前、距離で10メートルもないところにカフェ・ミュラーがあるので、デートに使うのもいい。このハートフィールドの本の最初に、たぶん20代と思うが、真正面から撮影したジョンの顔写真が大きく載っていた。眉間に皺を寄せ、やや俯き加減で、厳しい表情だ。その次のページには縦横に区切った、年代を追った確か12枚のハートフィールドの肖像写真が隙間なく配置してあった。ジョンのさまざまな年代の顔をまず見せるという姿勢はよい。作品が勝負とはいえ、その作品を作るのは作家であり、頭を支えている顔の表情が作品を理解する手立てになるという考えは、筆者もよく納得出来る。男は顔ではないと言うが、男も女も顔だ。顔にすべての経験と考えが刻まれる。ところで、ジョンという名前はイギリス人かアメリカ人のように思われるが、もちろんドイツ人で、本名はヘルムート・ヘルツフェルトと言う。ヒトラーやナチ風刺を徹底して行なったので、イギリス人らしくカモフラージュするために改名した。この命知らずの勇気は日本では珍しい。芸術家がこのように命を張って自己主張すべき時代は、日本にも何度もあったが、権力者も被支配者もみな淡白と言おうか、ヒトラー対ハートフィールドのような凄みのある対決は生まれなかった。毒が強過ぎると、それに対抗する解毒剤もある。強烈な毒気が日本は少ない国なのだろう。そのため、ハートフィールド、あるいは同時代のダダの作家の作品を見ると、あまりに強烈過ぎて、しばらくはその映像に言葉が出ない。そのためもあって今日もまたこうして書いているかと言えば、それは違う。満月の夜であるから、たまたま思い出したのだ。また、ハートフィールドの先の20代の肖像写真は、当時はカメラが違ったのか人間の質が今は絶滅したのか、さほど男前でもないのに、忘れられないコクのある、厳しい顔をしている。ヒトラーを茶化すのに、日本のお笑い芸人のような締まりのない顔ではまず無理だということがわかる。それはいいとして、改めて、今日は満月だ。昨夜もそうだったが、朝から晩まで外出し、またカメラを持って出なかった。帰宅後ひと息ついて夜のニュースを見ていると、深夜に月食になると言う。それで11時45分頃に家の外に出て、空を見上げた。わずか3、4歩だが、真上に半分オレンジ色に輝いた月食が見えた。それで写真を何枚か撮った。その後10分ほどした頃が最も食われた状態になるようであったが、寒いので、もう見なかった。それに、今日撮る写真を本番と思っていたからだ。天気を心配したが、月食を伝えた後、天気予報が始まり、大阪は夜は星マークであったので、今日は雨の心配をせずに済んだ。昨夜月食の写真を撮ったのは、今日が雨の場合を考えてのことだ。

満月の夜はいつもより少し早い目にムーギョに買い物に向かうことにしている。まだ少しは青い空に月が浮かぶ景色を見たいからだ。今日は夕方5時半に家を出た。だが、冬至の頃であって、もうかなり暗い。満月が見える方角を何度も見ながら歩いたが、どこにもその姿がないではないか。早く家を出過ぎたかなと思い、また雲がその方向に大きく広がっているのが見えたので、ひょっとすればその向こうかとも思った。だが、満月の明るさからすれば、雲を透かして少しくらいは見えるはずだ。だがそれもない。そして、東の空がよく見渡せるいつもの大きな畑に指しかかっても見えないので、買い物をした帰りには見えるだろうと、ほとんど諦めた。松尾橋をわたっている時にも見えなかったが、ヴィラ鴨川に向かう際に月が見えた方角を思い出すと、前月より少し北寄りに昇るはずで、そっちの方角の目を向けた。それでもどこにも見えない。よほど遅い時間になって見えるのだろうと思い直し、満月のことを思わないようにした。そうして松尾橋をわり切ろうとした瞬間、前方の信号灯の向こう、瓦屋根のすぐ上、電線や家並みに囲まれたせせこましい隙間にぬっと顔を覗かせた。まるで、こっちを脅かそうと待ちかまえていたかのようだ。ようやく月の出といった感じだ。随分低く、それにオレンジがかった黄色だ。ちょうど信号を待つようになったので、早速写した。信号が青と赤に点り、その間の位置に浮かんで黄色の信号かと間違うような格好だ。待っている間に信号は赤と赤、青と青に変化した。それらの様子も撮ったが、先ほど加工しながら、最初に撮った青黄赤の3原色揃いが一番面白い。この写真は筆者が2日に一回はわたる松尾橋の上流側の歩道の東端だ。この向こう150メートルほどに松尾橋のバス停がある。そこはたいていの市バスの終点で、バスがぐるりと回る広さがある。橋をわたり切り、バスの待合所が見える場所に来た時にまた撮影した。それが3枚目の写真だが、待合所に若い男女が写っている。写真左下の黄色の旗のようなものは、そこから800メートルほど東に出来た葬儀場建設反対の印で、それが今もそのまま放置されている。また、ついでに書いておくと、写真右下隅に少し緑が地面に見える。これは白いスミレで、数か月前、ここに1本の雑草が生えて来たので、翌日スコップを持ってそれを掘り抜いた。この場所のスミレの咲きっぷりは見事で、バス・ターミナルと歩道に挟まれたほんのわずかな土で生きている。毎年このスミレの満開を見るのが楽しみだ。だが、こうして書くと、その花を踏んだり抜いたりする人が現われまいか心配だ。どうかそのままにしてやってほしい。

いつも満月を見るとはっとする。昨日書いたが、前知識がなければ実体がわからないことは多々ある。それはそれでひとつの作品鑑賞の態度であるが、そんな知識を要する作品を作るのは、作家の思い上がりと思わないでもない。かえって前知識がない状態で作品に接した方が感動は新鮮かつ強烈で、その普段にはない心の動きを味わうためには、作品の解説のようなものは最初に読まない方がいい。だが、そうした前知識があっても、作品鑑賞に邪魔にならないどころか、かえって楽しめる場合もあるだろう。たとえば、筆者は満月の日を、ネットで毎月確認している。大きな日めくりカレンダーでは太陽の満ち欠けの絵が沿えてある場合が多いが、筆者はほとんどカレンダーを見ないし、ネットで調べるとすぐにわかる。それはさておいて、予め満月の日を知っていると、たとえば昨夜のように、もしもの時を考えて前日に撮影しておくことが出来る。また、写真を撮るための心づもりのためにも便利だ。当日になった慌てなくて済む。また、今日は満月だと知っていると、いつもより少しは早い時間に家を出ることも出来る。そして、これが言いたいのだが、今夜は満月だと知っていても、その日に初めて満月に出会った時は、やはり驚く。そう考えると、前知識があった方がいいということだ。どっち道、感動するのであれば、心づもりがいろいろと出来る方がいいに決まっている。この満月の日であることを知っていても、その遭遇に驚くことは、彼女とデートの約束をしているのに、待って会うその最初の顔を見かける瞬間の驚きと似ている。そういう異性に対する感動を満月にかこつけるところ、満月をロマンティックな捉え方をしていることになるが、一方では西洋ではジョン・ハートフィールドの作品のように、満月の夜は不吉が似合うといった考えも人間には昔からある。これは満月には正反対の側面があることを物語るだろうが、ロマンは本来不吉なものに近い位置にあると思えば、納得出来ることだ。デートの待ち合せ場所に着いた時、10メートルほど向こうにこっちの姿に気づかない相手の姿を見ることは、満月との出会いに等しい感動を与えるとして、その感動は恐さも混じっている。あまりに美しいものは、それが崩れ去る思いがなおさら強くなって、感動と同時に恐怖も覚える。美には恐怖の要素も混じっている。美女を間近に見て、恐れおののいて一瞬後ずさりしたくなることが男にはあるのではないか。そんな美女に出会ったことがないと思う男も多いだろうが、想像の中でそういう美女を思い描くことは出来る。そして、満月を見ていると、そんな気分になる。最後の写真は6時20分頃だと思う。買い物を済ましてまた松尾橋を歩いていると、背後に満月の気配を感じた。すると、本当に真後ろに上っていた。橋をわたり切ってすぐのところで、橋の灯りの列に収まる位置を選んで1枚撮った。
先月も同じアイデアで撮ったが、清水寺の青いライトは今夜はもうなかった。紅葉の観光シーズンは終わったのだ。その代わり、嵐山花灯路が始まっていて、満月を右手に何度も見ながら家路に向かうと、法輪寺で催している音楽祭の演奏が少しずつ大きく聞こえて来た。若い女性が短調の曲を歌っている。それは満月らしくなかった。