滞在3か月だったか、「京都ドイツ文化センター」の名称が今春「ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川」に変更になり、ドイツの芸術家の住まいとして提供し、滞在中に制作した作品を発表する場となった。
その第1回目の催しが先頃あったが、舞踊家であったので行かなかった。第2回目である今回の案内は3日にメールで届いた。上映会と演奏会というので、届いたメールを保存した。その上映が昨夜だった。開場5時半で6時から始まる。わが家からは1時間はかかるので、少し早い目に出かけた。四条河原町からでは早足で徒歩30分だが、50分前に駅に着いた。それで久しぶりに中古レコード店のHOTLINEに立ち寄って店長と話した。3か月ほど前に、河原町今出川交差点で偶然西川さんに声をかけられた。それでまた顔を覗かせようと思っていて、それがようやく昨夜になったが、西川さんはいなかった。ヴィラ鴨川に着いたのは5時20分であった。それでホールの隣に昔からある小部屋に入り、本を見た。そこは昔は何もなかったが、今は壁が天井まで本棚になっている。その光景がうらやましい。そのような頑丈な本棚を家の壁すべてにほしいが、いくらほどかかるのだろう。どうせ安い本ばかりで、しかも今からそんな立派な本棚を持っても、使うのはせいぜい10数年だ。それを思えば本を処分することを考えた方がいいかと思う。思うだけで、相変わらず買い、今日も買った。ヴィラ鴨川の本棚は日本語とドイツ語の本が半々といったところだ。パウル・クレーとジョン・ハートフィールドのドイツ語の画集を取り出して1ページずつ見た。クレーはよく知っているが、さすが分厚いドイツの画集は違う。初めて見る作品がちらほらあった。ハートフィールドは日本ではあまり紹介されない写真家で、コラージュの風刺で有名だ。そう言えば昔ロンドンに行った時、ハートフィールドの展覧会開催の告知を見た。取り出した画集はクレー以上に大型で分厚い。ヒトラーをおちょくった有名な作品が後半部に次々と現われ、その中の1枚に、満月の夜にナチの隊員や枯木にフクロウが留まった写真をコラージュした、悪夢のようなものがあった。四条河原町から寒い夜道を歩いた途中、鴨川の上に、満月にはほんの少し早い月が明るく上っているのを見たばかりであったので、なおさらその作品は脳裏に焼きついた。その時、係員が筆者を呼びに来て、ホールの中に入っていいですよと告げた。ホールの扉前に、赤と白のワインの瓶が数本、それに缶ビールが20本ほど、そして肉とチーズを載せたオープン・サンドウィッチの大きな皿がふたつほど用意されていた。一旦席に着き、催しの解説書をもらいにまたホールの扉前に行くと、すでに他の人がワインやサンドウィッチを小皿に乗せて食べ始めている。それで筆者も呼びに来てくれた係員に断って、ビールと食べ物をもらって席に戻った。入場無料で飲食つきだ。当夜作品を発表する芸術家がみなホールの内外にいて、来客と話をしている。知り合いばかりではなさそうだ。作家と知り合いになるにはまたとない機会なので、海外で作品を発表する気のある人はどんどん作家に声をかけて知り合いになればよい。当然ドイツ語と英語が飛び交う。また、そうした催しにわざわざやって来る人は、たいていは芸術に深い関心のある人で、外国語が堪能な場合が多い。そう言えば、6,7年前か、20代半ばのびっくりするようなドイツ美人に話しかけられ、あれこれ話した。住所と名前も書いてもらったが、彼女は筆者を倍ほどの年齢と気づいていたのだろうか。とても慣れ慣れしいので、関心を持たれたかと勘違いしてしまうではないか。それはいいとして、どういう内容の作品かを全く確認せず、映像と音楽の披露ということだけで出かけた。筆者より年配の人はおそらくひとりで、他は2,30代が目立った。場違いな雰囲気を味わいながら、ともかく6時を待った。ところが、見わたすと客は10数人ほどのさびしさだ。これでは作品を発表する人や関係者の数と変わらない。そのため、筆者は来てあげてよかったと思った。客の入りが少ないためか、6時には始まらなかった。10分ほど遅れたと思うが、上映会が始まってから暗闇の中、次々に席が埋まって行く。最終的には100人ほどになっていた。また、若い女性が目立ち、みな知的でファッショナブルで、こういう現代作家の作品にいかにも関心がありそうな雰囲気だ。そのため、人数は少なくても発表する作家は気分がよかったであろう。
全部で2時間ほどの催しと思っていたのに、全部終わったのは10時だ。真っ先に外に出て、競歩のような速度で河原町まで歩いた。月が頭の真上に来ていた。カメラを持って行かなかったので、その写真はない。4時間の催しの前半について今日は書く。2時間と思っていたのが倍になって、予定が少し狂ったが、せっかくの機会なので、後半が始まってすぐに帰った老夫婦を横目に見ながらも、最後まで見た。前半は上映会で、作品が3つ紹介された。作家は男女ふたりで、共同作品だ。男性はMaroan el Sani、女性はNina Fischerで、どちらも30代後半だろうか。解説書には年齢がない。簡単に紹介すると、ふたりはベルリンを拠点にしている。この点、昨夜書いたアンリ・サラと同じだ。ふたりはベルリン大学が授与する賞を初め、数々の賞を受けている。ドイツ・アカデミーからの奨学金を受けてローマに滞在したほか、東京、パリ、アムステルダム、京都の各地に滞在して作品を作って来た。日本では東京都写真美術館で1999年、山口情報芸術センターで2005年、広島現代美術館で2010年に個展を開催している。また、札幌市立大学で映画・メディア・アートの准教授を勤めた。ふたりの名前は女性を先に表記しているので、女性がより作品に多く関わっているのだろうか。そこはわからない。だが、質疑応答では女性の方がよくしゃべった。ドイツとしては、世界の舞台に出して今後の活躍がさらに期待される作家を選んでヴィラ鴨川に滞在させているはずで、作家自身の顔や声に触れられるこうした発表会はありがたい。フィッシャーとマロアンはたぶん3か月滞在したはずで、来週中にドイツに帰ると言っていた。離日記念としての発表会だ。だが、3か月の滞在中に撮った作品ではなく、以前の作品の紹介であったのは、発表が間に合わなかったのか、あるいは創作のいい刺激に巡り合えなかったのか、それはわからない。ともかくヴィラ鴨川はドイツの作家の宿代わりになっていて、最後に館長が語ったところによると、今後も同様の催しをするそうだ。そうなれば3か月ごとに昨夜と同様の機会があるかもしれない。これは楽しみが増えた。ここ4,5年はこの建物に行ったことがなかったので、それを挽回する活発な作品発表の場として、ヴィラ鴨川が機能する。新しい館長になって、新しい考えが出て来た。ヴィラ鴨川の開館に際して、3月はドイツの大統領がやって来たそうだが、それほどにドイツはここを重視している。筆者は門外漢もはなはだしいが、現在の芸術家の感覚を知るにはいい場所となりそうで、時間が許す限り出かけたい。
上映作品の最初は「Toute la memoire du monde/The world‘s knowledge」、8分弱の長さがある。最初にフランス語で書いてあるのは、撮影がフランスで行なわれたからだ。2005年にふたりがパリにいた時、たまたま国立図書館の旧館内部はすべての本が撤去された状態にあった。11階の円形の建物内部の全部の棚が空になっているのは、想像するだけでも凄みのある光景だ。本が全部詰まった状態は、1956年にフランスの映画で撮影されたことがあるらしい。日本の図書館は、書庫が別にあって、開架は比較的少ないが、このフランスの国立図書館旧館は11階の広大な壁面全部が本棚で、それらを順に見て回るだけでも数日かかるだろう。いや、それでは済まないかもしれない。本好きにとってはそれはたまらない光景で、蔵書は一般人が入ることの出来ない書庫に収めるのではなく、なるべく多く開架に並べるべきだ。この旧館がそうであったかどうか知らないが、常識的に考えて、おそらくそれに近いだろう。そして、11階分では並べ切れなくなって、新館を別に建て、そこに全部移動したと想像する。ともかく、フィッシャーとマロアンは、その空っぽの書棚をゆっくり移動して撮影した。それだけでは面白くないと考え、もちろん音楽つきで、しかもプロの男女の俳優を6人ほど出演させ、それぞれ個別にふたりの作家はその姿を撮った。それは、役者に時計を見させずに1時間、椅子に座り続けさせ、1時間経ったと思った時にそこを去るように伝えた。すると、たいていは30分ほどで立ち去ったそうだが、退屈のあまり、演技らしき行為を必ずした。その様子をひとり当たり10数秒ずつ使った。また、本来はふたつの画面で見る作品だが、ホールはスクリーンが一面だけなので、そこにふたつの映像が横並びで映じられた。その分、迫力が減じた。映像をふたつ並べたのは、同じ場所をわずかにずらして撮影したからでもあるが、人物が見えるのはどちらか片方であった。そこにも不在と実在を示す意図がある。未来都市をテーマにした映画の一場面を見ているような印象の作品であることは誰しも想像出来るだろう。ピラネージの版画を思い出す人も多いと思うが、当然作家はそうしたことを狙っているはずだ。ふたりはドイツが統一した後、旧東ドイツに同じような一種廃墟となった建物を割合に見たらしい。その時の経験がこうした作品を撮る理由なっている。解説書には、空っぽの図書館は知識への道が失われたことを示すとある。確かにそう見るのが作家の思いに同化してまともなのだろうが、以前そこに本があったと知ることは、この作品のみを見る限りではわからない。筆者は逆に、図書館が出来たばかりで、これから本が並べられる光景を思い浮かべた。そういう見方も正しいのかもしれない。だが、そうなれば、わざわざ使った役者の意味はどこにあるか。解説によれば、閲覧室に座る若者は、ただ時が過ぎるの待っているだけで、それは知識を取り上げられたからとある。つまり、読むべき本がないので、適当な動作をしてそこにただ座っている。それは抵抗の姿でもあると作家は言う。そうした読み取りを、この8分の映像で気づくのは、誰でも可能ではないだろう。筆者なら、役者に指示した1時間の長さにした。それはきわめて退屈なものとなるはずで、その退屈に気づいた時に、それが本のない図書館であるためということに気づくのではないか。その方が鑑賞者にはわかりやすいと思うが、8分という時間であるからこそ、この作品が昨夜のアンリ・サラの作品のように、美術館にやって来る忙しい人々には打ってつけなのだ。
2番目の作品は「Sayonara Hashima」で、約30分。これは長崎の有名な軍艦島を取材したものだ。先の作品とは無人状態で通ずる。軍艦島は筆者の世代ならよく知っているが、今の10代は「バトル・ロワイヤル」という、かなり教育界から批判された、子どもたちが殺し合いをする映画の舞台となったことで知る。フィッシャーとマロアンはそのことに目を向け、軍艦島に住んでそこを引き上げた男性のインタヴューの声と、女子高生の「バトル・ロワイヤル」の感想を交互に流し、映像は軍艦島の周囲を遠くから眺めるもの、島の内部を歩いて撮ったもの、そして高校生による軍艦島に因む人文字を上空から撮影した音つきのものという、3つを用いている。この作品もスクリーンがふたつ必要らしいが、昨夜はひとつのスクリーン用に編集したヴァージョンが上映された。先の作品のように、ふたつの画面を隣合わせにしたものではなく、画面はひとつで、そこに左右の画面を交互に切り替えて編集したようだ。この作品を撮るきっかけは、先のインタヴューされた人から、1974年に島の炭坑が閉山になって最後に引き上げる際に撮った1枚の写真を見せられたからだ。それは、住民が「サヨナラ ハジマ」と人文字を描いた様子を、島から最も高いところから撮ったもので、作家はその様子を再現したいと思ったそうだ。そして、それを軍艦島ではやらずに、札幌の高校生にさせた。また、人文字は「サヨナラ ハジマ」だけではなく、最初の「岩」を初め、6つほどあったと思うが、地面に予め引いた色の線にしたがって、号令をかける女子高生の声で100人ほどが一斉に所定の位置に動いてぴたりと人文字を決めた。単なるドキュメンタリーではなく、演技の部分を併せ持つ点は先に作品と共通する。軍艦島はユネスコの世界遺産に登録する運動が進行中だが、ふたりの作家は、この島のゴーストタウン状態は、世界の人々に同じ感情を与える存在であると思っている。また、筆者のような年代と高校生とでは、この島に対する思いが全く異なるが、そのことはこの島の物理的風化をより促進するようなところがある。解説はこの世代間の認識の差を、歴史とフィクションが混ざった状態と書く。だが、歴史遺産になれば、歴史として大きな価値を帯び、「バトル・ロワイヤル」の記憶は今後は減少するだろう。
3番目の作品は「NARITA FIELD TRIP」で、30分の作品だ。ここには男女の高校生ふたりが、ドラマのように登場する。ごく自然な演技だが、それが出来る人物を札幌の教え子から選んだ。ふたりは、成田空港の真横の貸し畑にやって来る。だが、垣根のすぐ向こうにジェット旅客機の尾翼が見えたり、頭上を飛行機が次々と飛んで行く様子に耳を塞ぐなど、思わぬ事態に困惑する。そして、成田空港建設反対を当初から唱えていた人たちと面会し、またその砦に上り、あるいはかつてそうであった場所に行き、さらには、学生の滑走路拡張反対のデモを見物したりする。ヤフーやグーグルの地図で成田空港を見るとよくわかるはずだが、反対している人々が土地をわたさないため、飛行場はあちこち歪になっている。それをまっすぐにしたいのが空港会社だが、今でも反対者がある。だが、その規模はかつてよりはるかに縮小している。それはデモを見てもわかる。機動隊が出て来るが、闘争は生じずに淡々とデモ隊は叫びながら通り過ぎる。作家はそういう様子をふたりの仲のよい高校生の視点から描く。そこには空港反対者の立場に立つという思いはない。そういうためにこの作品を撮ったのではなく、ある状態を知るには、知識が必要であることを示したかったそうだ。その知識を、ふたりの高校生は、畑から出て、自転車に乗って空港の周囲の道を巡ることで少しずつ知って行く。男子がカメラを女子に手わたし、自分の姿を撮ってくれと言う場面がある。ところが男子はじっと立ち止まったままで、女子は不思議そうに問う。すると男子はヒッチコックの映画の題名「北北西に進路を取れ」を叫び、その後は雑草の生えた平地のあちこにダイヴィングをする。その様子を理解出来ない女子は、笑いながらも男子の姿を次々のシャッターを切るが、この仲のよい男女の遊びは、作家が意味を持たせて撮ったものだ。その意味は、「北北西に進路を取れ」という映画を知らなければ、男子のジョークはわからないということで、このことは成田闘争の歴史を知らねば、成田空港がなぜ今も当初の計画どおりに工事が進んでいないことがわからないことのアナロジーになっていると言う。この結語は、最初の作品や2番目の作品にも言える。作品の背後にある歴史を知ることで、作品の理解が進むということだ。だが、これは映像作品としては力が弱いことを示しはしないか。昨夜書いたアンリ・サラの作品も、自伝的な事柄や政治状況など知らねば、本当の理解には至らないのだろうが、前知識なしで見た時の迫力がまずある。その点で言えば、ヴィラ鴨川のホールのスクリーンは小さいので、作家の思惑どおりに鑑賞者に感動を与えたかどうかは疑問だ。アンリと同じ条件で上映したならば、迫力は全然違ったと思える。それはともかく、ドキュメンタリー映像に雇った俳優の演技を加味する点は、アンリのドキュメンタリー的要素のなさと比べると、表現の方向性が異なり、改めて映像作家の多様性がわかって面白い。日本でも同様の活動をしている作家がいるのだろうか。筆者が思ったのは、また経済的なことだ。映像作家は作品をどこかに買ってもらわねばならない。それはフィルムを売ることもあろうし、上映の回数に応じて支払いを受けるということもあるだろう。どっちにしても、作品を買ってくれる機関が必要だ。商業映画とは違って、こうした美術館を当てにした映像は、どれほど買い手があるのだろうか。どの美術館も人集めには苦労していて、映像はその意味で便利であるから、大きな目で見れば、観客がたくさん入って収入が多いことを望む美術館の思惑次第で映像作家の多寡が決まる気がする。あるいは映像作家が多くなって来たので、美術館がそういう作品をよく見せるようになったか。そのどちらでもあるだろう。