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●馬鹿馬鹿蝶な話
鹿蝶(うましかちょう)と聞くと、そんな言葉が花札にあったかなと一瞬戸惑う。もちろんこれは猪鹿蝶(いのしかちょう)のもじりだが、馬は花札には入っていなかった。



馬や牛は美からは遠いということでもないだろうが、労働に使われる存在で、四季の巡りを象徴するにはあまりふさわしくないのだろう。花札は行儀のいい大人がやるものではなく、まして子どもが知るなど、もってのほかという風潮がある。この花札を作っていたのが任天堂で、ほとんど現物を子どもの頃には見たことがなかった株札も作っていたと思う。もちろんトランプもだ。こうした大人の賭け事遊びの道具は、町中のタバコを置いている店にあった記憶がある。紙で作った、ぶら下げる看板と言えばいいのどうか、遠目にもそれが花札を売っていることがわかる広告が店先に飾ってあった。昭和30年代半ばは、遊びの少ない時代であったので、そういう花札はけっこう需要があったのではないだろうか。わが家にもあって、母親が遊び方を教えてくれた。妹ふたりと筆者、それに母親の4人で遊んだものだ。ただし、そういう遊びは世間では子どもがやってはいけないということを知りながらで、家の外ではそんな遊びをしていることを言った覚えはないように思う。世間で悪いと言われるのは、花札で賭けをするからだ。だが、マージャンやそれにゴルフも賭け事であるから、花札がイメージ的に悪いのは合点が行かない。紳士のスポーツと言いながら、賭けるゴルフの方がよほど下品だ。だが、お金を賭けないと面白くないし、真剣になれないと思われている。ゴルフの何とか王子も、結局いくら金も儲けたかであれほど評判になっていて、何だかつまらない。誰がいくら儲けようがどうでもいいではないか。儲けるのがそんなに偉いか。ところが、だいたいの世間はそう思っているし、またたいていの大人は努力も我慢も嫌いであるから、小金をすぐに大金にしようと思う。今日も街を歩いて年末ジャンボ宝くじに大勢の人が群がっていた。だが、その程度ではかわいい。それに知らぬところで寄附に貢献する。それはいいが、賭け事で身を滅ぼす者がいつの世でも多いのは周知の事実だ。筆者は全くその気はないが、いるところにはいる。先頃愛媛の有名な大企業の3代目が香港で数十億をギャンブルで失った。3代目が真面目に本業に精を出すと、4,5代と続くのであろうが、これがなかなかそうは行かない。だが、3代目をし込むのは父であり、祖父であるから、3代目が愚かであるだけでなく、祖父からその素質を受け継いだのだ。なるべくしてなったということだ。1億が普通の人の1万円ほどの感覚であったというが、確かにそうだろう。だが、それがどうしたというのだ。好きで身を滅ぼしているのであるから、それはそれで放っておいていいではないか。つける薬などあるわけがない。たとえ乞食になっても、数億を賭けている時のスリルが楽しいのだ。筆者はそういうスリルを知らないが、想像は出来る。近年はとんと見なくなったが、木枯らし紋次郎で有名になった俳優が、TVで言っていた。ギャンブル狂で、真横に素っ裸の美人が立っていても、賭けている時の高揚感からは目に入らないとのことであった。きっとそうなのだろう。女好きな男がいるように、賭け事の好きな男もいる。どっちもどっちだが、どっちがいいかと彼女や女房に訊くとよい。答えはさまざまだが、浮気されるより賭けの方がいいと言うのが多いだろう。だが、借金で首が回らなくなれば、橋下市長の父親のように、自殺しなければならないところまで追い込まれる。それでも女は浮気されるよりいいのだろうか。
●馬鹿馬鹿蝶な話_d0053294_2373720.jpg

 筆者の中学時代の友人Yは、高校に入った途端に同じ年齢の女子を妊娠させていまい、いわば仕方なしに結婚、子どもはその友人の母が引き取って育てた。よくある話か。夫婦生活は出来ず、双方の親の同意によってそのまま別れたようだが、Yは高校を卒業して真面目に働き、再婚した。相手も子連れで、ふたりでうどん屋を経営している。そして、相手の連れ子が抜群に頭がよく、遺伝子工学で博士号を取ったはずで、同じような学者肌の相手を見つけて結婚した。その娘はYを父親として尊敬しているが、それはYがとにかくよく働くからだ。Yは妻のうどん屋を手伝いながら、夜も働き詰めで、1日に3か所で働いていると言っていた。なぜそんなに働くのかと訊くと、「大山みたいに頭のいいもんとは違って、おれらみたいなアホはとにかく肉体労働でも何でも、休み暇なく働くべきなんや」という返事で、お金を溜めるのがどうのこうのではなく、とにかく体を動かすことが自分の役目と思っている。「昔は大山みたいな奴は最初から勉強出来て、おれらとは違うと思ってたけど、そやないんやな。大山は大山で、おれらの知らんところでどれだけ頑張っているかいうことをこの年になってわかって来たんや。それはな、おれの娘がな、本当に一日中机にしがみついて一生懸命勉強している姿を見てわかったんや。おれには絶対にそんな真似は出来へん。せやから、おれはとにかく1日中働くんや。そういう娘がおれをものすごく誉めてくれるんや。」 Yはまたこんなことも言っていた。それほどに働くYであるから、ちょっとくらいの風邪で学校を休むと言う娘を許さなかった。「37度や8度くらいで病気言うたらあかん。そんなもん、ぱっと起きて学校行ったらすぐに治る」 実際にそうしたところ、娘は本当に治ったが、Yのそういう態度は筆者の母も同じであった。筆者は小中の9年間、一度も学校を休んだり遅刻したことがない。さて、そのYの言葉の中に痛烈なのがある。これは筆者の考えとよく似ている。つまり、偉そうにしている奴はいつか必ずしっぺ返しが来るということだ。先頃のギャンブルで数十億すったという3代目の話など、全くYの考えそのもので、なるべくしてそうなったのであって、何の不思議もない。高校1年生で子どもを作ってしまうような男は駄目人間というのが世間一般の考えだろう。だが、Yほど真面目で、まともで、正直な男はいない。そうそうこんな話もあった。Yは一時クレープ屋で働いていたことがある。そこにやって来る客は中学生か高校生の女の子が中心だ。昔ではあまり考えられないが、そういう女の子は股を開いて地べたに座るのが平気で、Yからはまともにパンティの中央が見えてしまう。それを見たYは注意する。「あのな、女の子はもっとちゃんと座って、そんな大事なところ見せたらあかんのやで」 素直に女の子が聞くのかどうかだが、たぶん聞くだろう。男から指摘されていかに自分がはしたない真似をしているかを自覚する。それほどに無垢と言えばいいのか、鈍感と言えばいいのか、家庭での躾が滅びていることがわかる。また、そんな女子の股間を見たいと男が思うと若い女たちが錯覚しているのだとすれば、よほどどうかしている。それはそうと、Yが生ませた最初の子どもはいい年齢になっているが、会ったことはない。結婚せずに店を経営しているそうだが、とても真面目でおとなしく、Yの言うことをよく聞くらしい。ついでに思い出した。Yは大阪の玉造でうどん屋をしているが、今日は大阪に出てJR環状線に乗った。ちょうど玉造に着く直前、吊り皮にぶら下がっていた背後で70代半ばのおばあさんふたりのうちひとりが、隣に座っていた30代半ばの男性に声をかけた。その声につられて後ろを向くと、小柄なおばあさんは立ち上がったかと思うと、自分の倍ほどもある背の高いその男性の体を支えようとする。男性は右足を骨折していて包帯を巻いているのが見えた。松葉杖をついて立ち上がるのに不自由したのだ。「ああ、お兄ちゃん、気づかんですんまへんなあ。大丈夫でっか。」「ええ、どうもありがとう。こっちこそすんません。」「大事にしてや。焦っても治らへんしな。日にちが経たんとな。はははは。」 人情味のあるおばあさんだ。男性が立ち上がる際に真っ先に手を貸しながら、気づかなかったことを詫びているのだ。大阪の典型的なおばあさんで、京都ではまずこんな風に手助けし、笑いで落ちをつける人はいない。常識のない若者がいる一方で、こういう常識の塊みたいな老人が健在であることが頼もしい。そして、そういう人に限って、Yのように働きもんで、しかも決して豊かな生活をしているのではない。
●馬鹿馬鹿蝶な話_d0053294_2383350.jpg

 今日は昨日掲げなっかた清水寺の青い光の写真を載せるつもりで書き始めた。だが、1枚だけでは少ないので、溜まっている写真の中から、何か消化出来るものを思い、ヤフー・フォトを見た。すると、「馬鹿」を撮った写真を見つけた。この馬と鹿の小さな木彫りは、奈良の春日大社と京都の上賀茂神社で買ったおみくじについていた。どっちが主役かわからないが、普通のおみくじなら100円だが、木彫りつきだと500円する。筆者はこういうちょっとしたものが好きだ。以前にも書いたことがあるが、音楽家のラヴェルもそうであった。ちゃちな、ごくつまらない人形の置物が好きで、家にはたくさんあったそうだ。それはラヴェルが孤独であったことと、茶目っ気があり、また心優しかったからだ。筆者がラヴェルの曲が大好きなのは、ラヴェルと性質が似通っているからかもしれない。この馬と鹿の置き物を、玄関を入ってすぐの下駄箱の飾りスペースに並べている。ほかにたくさん似たものを持っているが、今はこれが主役になっている。馬と鹿がそれぞれ二頭で、「馬鹿馬鹿」だ。「馬鹿馬鹿」などと発音すると、男女のいちゃつきを連想してしまう。それも面白いではないか。「馬鹿馬鹿」と言って甘えた声を出す女など大嫌いと家内は言うが、筆者はそうでもない。いやいや、「馬鹿馬鹿」ではなく、筆者の並べ方なら、「馬馬鹿鹿」で、まるでかくかくしかじかの「婆母(ばばかか)」になるではないか。それはさておき、春日大社の鹿は当然として、これと同じ木彫りのおみくじを、京都大原野神社でも売っているのを5年ほど前に知った。その時買ってもよかったが、すでにふたつ持っていたので、3頭になればそれに合わせて馬もまた買わねばならない。そして3頭ずつでは並べ方に困る、そう思ってやめた。「馬鹿馬鹿」と並んでいるこの飾り物を、どうにかして蝶を加えて、「馬鹿馬鹿蝶」にしたいが、蝶を神様に祀る神社があるだろうか。そんな馬鹿なことを考えながら、花札に話を戻す。筆者は子どもの頃によく知ったこの花札のデザインに大きく感化されているところがあるのではないかと思っている。実際そのデザインは素晴らしい。花札は日韓併合時代に韓国にもたらされ、韓国では今でも盛んだ。それは韓国ドラマを見ていればわかる。その花札好きを見て、韓国人のギャンブル好きを証明するという意見もあるが、それは考え過ぎだろう。花札に代わる札遊びが韓国ではなかったのか、あるいはあったために、容易に根付いたのか、そこは知らないが、花札が日本のものであることを知らない韓国人が大多数を占めている。それほどに違和感のない四季や自然がそこに描かれ、日韓で気候は大差ないということだ。トランプはチェスと同じで、王や王様など、戦争のイメージがある。それに比べて花札は和歌の世界だ。それが庶民の美意識までに浸透していたことは見上げたものではないか。「あおによし」といった言葉を子どもの頃に花札で覚え、それがどういう意味であるかをもう少し大きくなってから知ると、ああなるほどと、その美の世界に改めて共感する。花札が博打とだけに結びつけられるのは、花札にすれば心外ではないか。任天堂は、基礎にその花札があり、天に運を任せて今はゲーム大国を築いた。そういう電子のゲームの中に、花札のような風流を如実に伝えるものがあるのかどうか。任天堂のひとつの義務として、そこらあたりは考えてほしいものだ。京都を代表する大企業であり、花札に盛られた美の精神を忘れてもらっては困る。「並べられ 迷惑顔の 馬と鹿」あるいは、「並べられ 似たり顔の 婆と母」
by uuuzen | 2011-11-29 23:08 | ●新・嵐山だより
●嵐山駅前の変化、その170(... >> << ●「BLUE POWDER」

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