尻切れトンボの形になった昨日の投稿だが、だいたいのことは書き終えたので、今夜は金戒光明寺の御影堂で19日に行なわれた「演奏家のいない演奏会」について書く。
この題名、何となく「題名のない音楽会」を思い出させる。チラシの中央に、まれで戦艦大和の大砲にも見える波動スピーカーが大きく写っているので、CDをかける演奏会であることはすぐにわかる。Rさんによると、チラシ作りが遅れて、完成は10日ほど前のことだったようだ。どこに置かれたのか知らないが、19日は限定300人の半分以上は来ていた。Rさんは夫と2歳と0歳の子どもと一緒で、友人も引き連れて来た。だが、小さな子には退屈で、案の定すぐに泣き出した。そのため、外に出たRさんはほとんど半分ほどしか聴かなったのではないか。チラシには演奏曲目は書かれていない。あえてそうしているのだろう。曲目を見て、行かないでおこうとする人は少なくないだろう。筆者は演歌や歌謡曲以外はだいたい何でも聴くので、Rさんからチラシをもらった時に行くことを決めた。せっかくの申し出であるし、自治会の掲示板にチラシを貼るのに、自治会の会員が誰も行かないではRさんに申しわけない。ま、それは少しおおげさか。行ってみようと思った理由はもちろん興味があったからだが、そのひとつは黒谷で開催されることであった。この寺にはひとつ思い出がある。筆者はこの寺に行ったのは2回しかない。平安神宮の北にあって、市内では比較的古風なまま残っている地域で、言い換えればひっそりとしている。岡崎は美術館や図書館にはしょっちゅう行くが、平安神宮を越えて丸太町通りの北側の奥には足を延ばすことがほとんどない。2回とも境内を少しだけ歩いただけで、御影堂には入らず、また庭園も見ていない。最初に行ったのは20年ほど前で、息子と一緒であった。何が目的であったかは忘れた。次に行ったのは7年ほど前で、いわき市から急に京都にやって来たMさんで、市内のあちこちを回りたいというそのリストの中にこの寺があった。Mさんは戊辰戦争で亡くなった会津の人たちの墓を見たいと言ったので、それを見るのが目的で訪れた。今回は庭園もついでに見てもいいかと考えたが、19日は朝からひどい雨で、滋賀でのふたつの用事を済まして京都に戻ると、ゆっくり庭園を見ている時間はないかもしれないと予想した。実際そのとおりになった。浜大津から京阪の京滋に乗って蹴上で下車し、地上に出ると雨はすっかり上がって、西の空が夕焼け色に染まっていた。それでどんどん北に向かって歩いたが、思いのほか、距離がある。途中、観峰美術館の前で西を見ると見事な日没で、写真を1枚撮った。時計を見ながら、開演時間に間に合うかと焦って小走りしているのに、そういう余裕だけはある。先日書いたように、とにかくこの日は歩きに歩いたので、体から湯気が出ていたほどで、寒さを全く感じなかった。いつも筆者はそのように慌てながらぎりぎり目的地に到着する。開演の5時から2、3分前に寺の前に到着した。
山門が工事中で、それをぐるりと東に回って御影堂の正面に出た。遠目に芦田さんの姿がわかった。知り合いらしき人が何人か挨拶をしていた。御影堂正面の階段を上がる際、靴を脱いで用意されていたビニール袋に各自入れ、そして急遽用意された傘立てに傘を収めた。階段を上がった左手に受付があって、女性があいうえお順の名簿を見ながら来場者の名前をチェックしていた。筆者が名乗るとその女性は昨日はどうもと挨拶を返し、芦田さんの奥さんであることがわかった。内部に入る前に西の空を見ると、夕焼け空に小さく京都タワーが光っていたので、写真を撮った。すると、階段下にRさんがやって来ているのが見えた。写真にRさんらを写し込んだ。さて、内部に入ると、さすが立派な御堂だ。どこに座ってもよかったので、なるべく真正面に陣取った。正面に法然の肖像画がかけられ、その両脇は巨大な木製の蓮の花や葉の飾りが据え置かれ、それを囲む形で天井からはもっと大きな、そして非常に手の込んだ荘厳な飾り物が吊り下げられている。内部で写真撮影はやめてほしいという芦田さんの言葉にもかかわらず、演奏会終了後に堂々とケータイ電話で写真を撮っている中年男性がいた。こういう場所での聞き分けのないマナー無視人間はどこにでもいる。もう夜であるから、堂内は灯りが点いていた。展示場で用いられるようなスポット・ライト風のもので、照射角度が変えられる。ぐるりと四方を眺めながらその数を数えると、30個前後であった。それでは少ないようでいてちょうどよい。あまり明る過ぎると荘重さに欠ける。その灯りを見ながら思ったのは、明治以前だ。当時はロウソクや油を燃やしてで照らしたが、そういう揺らぎのある明るさを現代人は忘れて久しい。だが、不思議なもので、堂内では心の方がそういう揺らぎを求めて揺らぐ。そして、30個ほどの灯りもあまり気にならない。それら天井に近い高い位置に、江戸時代はロウソクが灯されたとは思えないが、当時のロウソクで火事を起してしまう危険を想像すれば、今はなるべく堂内の隅々まで明るくしておくように気持ちが動いても当然で、何から何まで江戸時代やそれ以前の状態がいいとは限らない。すでに電気を知った人間であって、こうした寺にそれが用いられるのは仕方がないと同時に必然でもある。だが、せっかく古い時代を模した木造建築であるから、なるべく電気の派手な面は取り入れたくはないはずで、またこの御堂に入る人もそう思うだろう。そんなことを考えながら、ライトのほかに何か電気製品があるかと見わたすと、ない。その唯一の、そして最も目立つ場所に置かれているのが、波動スピーカーで、法然の肖像画の真正面にあって全く違和感がない。寸法が小さくて、果物などの供物に見えるからだ。この目立たないたたずまいがいい。これがステレオの普通の箱型スピーカーならば、一気に現代に引き戻されて興醒めする。波動スピーカーの導入以前はどこにそういうスピーカーを設置していたのか。法然像の真正面下、つまり堂の中央は無理であるから、堂内の天井近い片隅にあったのだろう。そして、そういう設置では声や音が堂内の隅々にまでは届かなかった。波動スピーカーの特性はこの御影堂にはまさにぴったりで、堂内の中心に置かれながら存在感に気づかず、そしてどこからともなく音が聞こえて来るという演出が出来る。
演奏会が始まる前、すでに小さな音量で音楽が鳴っていた。曲名は知らないが、御堂の雰囲気によく似合っていた。ちょうどお香の匂いが漂って来るような感じで、これが演奏会への期待感を高めた。さて、話を戻すと、18日は筆者が好きな曲を自宅で鳴らしてもらうことが出来たが、筆者の部屋の数百倍の容量がある御堂内部で、同じスピーカーひとつで演奏会とは、いったいそんなことが可能なのかと心配した。家庭用スピーカーとして文句はなくても、コンサート会場のような広さの御堂であるから、来場者は失望感を味わうのではないかと懸念した。だが、寺院であるから、まさかロック・コンサートのような大音量は最初から考慮されていないはずで、アンプによって不必要なまでに巨大増幅された音量ではなく、目を閉じて聴くと、眼前にアコースティックな楽器を奏でる人がいるかのような思いに浸ることが出来るような音量に違いないと思った。実際そうであった。それは小さな音で物足りないと言うのではなく、人間が等身大で演奏して音を出しているという感じだ。となると、大オーケストラの曲ではなく、ピアノやチェロのソロといった静かなものが中心になる。ところが、そんな曲ばかりではこのスピーカーの能力が疑われるから、オーケストラものも外せない。そのようにして、レパートリーは比較的豊かであった。ただし、辛口で言えば、1曲ごとに曲目の背景などを説明するエムズ・システムの社員である司会者の話は、半分か3分の1程度に減らしてほしい。その分、もっと多くの音楽をかけるのがよい。話が落語のように面白ければいいが、関西人にとってはほとんど興に乗れるものではなかった。話下手ではないが、関西人の心は捉えられないだろう。その司会者によると、すでに同じような演奏会を300回近く行なっているそうだが、そのような回数を重ねる中で、演奏曲目と、その間の話が自然と決まって来たのであろうが、全く違うレパートリーで最低でも3,4は用意しておかねば、リピーターは望めない。その点、最初の芦田さんい続いて挨拶をしたこの寺の住持かどうか、ともかく上層部の僧らしき人物は、10分という約束で話し始めたのに、5分ほどで切り上げ、端的に御影堂の歴史、そして波動スピーカーを導入した経緯をうまく話した。その人柄がまるで人のよい大阪商人といった感じで、木村蒹葭堂を連想した。さすが人前で法話をするのに慣れている。そういう人間的魅力は僧には必要だ。また、その僧によると、御影堂ではコンサートが開催されることがあるそうで、その経験から今回の催しも実施の許可が出たのだろう。
芦田さんからメールで前もって教えられた曲目を以下に掲げる。1「誰も寝てはならぬ/ポール・ボッツ(オペラ・ヴォーカル)」、2「源氏物語/富田勲(現代オーケストラ)」、3バッハ ピアノコンチェルト/ラファエル・アンベール(クラシック・サックス)」、4「バッハ 無伴奏チェロ/ミッシャ・マイスキー(クラシック・チェロ)」、5「ユー・レイズ・ミー・アップ/シークレット・ガーデン(クロスオーヴァー・ヴォーカル)」、7「ケルンコンサート/キース・ジャレット(ジャズ・ピアノ)」、8「ふるさと/スーザン・オズボーン(ヴォーカル)」、9「哀しみのビートルズ(チェロ)」、10「礼讃/七聲会(声明)」、11「クジラのお母さんの子守唄/クジラとサックス」。だいたいこの順であったが、長い曲は途中で絞られた。また、9はなかった。11もそう思うが、記憶にない。10は4曲目あたりに移動、代わりに2は後半に変更された。これら曲の中で、最も大規模なオーケストレーションを聴かせるものは2であった。目を閉じて聴いたが、左右の音の分離と奥行き感が素晴らしかった。小さな音の位置が手に取るように距離感が鮮明で、録音がそもそも素晴らしいのだろうが、それを再現するスピーカーの能力もいいからだ。演奏会が終わって最前列に行ったところ、ロール・ケーキ状の2個(ひとつはこの寺が購入して設置しているもの、もうひとつは今回の演奏会用)の波動スピーカーとは別に、もう少し手前にその3,4倍の長さのある黒い筒が横たえられていた。芦田さんに訊くと、それは200万円ほどする試作品で、それでかけたのが富田勲の2ということであった。そのことは会場に来ている人に明らかにされなかった。音域が極端に広いような曲では、10万円程度の波動スピーカーではこの巨大な御堂では役不足なのだろう。それは無理もない。だが、同じ曲をそれら2種のスピーカーで聴き比べを披露するのもいいのではないか。おそらくブルックナーの交響曲といった、重厚な交響曲をその200万円のスピーカーで聴くとずしりと胸に響くだろう。今後はそういう演奏会が企画されるかもしれない。今回ならではの曲は10で、これを外せば印象のうすいものになった。司会者によってこの寺の僧がひとり紹介され、静かに登場した。その僧は声明のCDを3枚ほど出している。そのCDをかけたのだと思うが、それに合わせて実際に詠じた(「吟じた」と書くべきかもしれない)。その響きが実に自然で、どれが生の声で、どれが録音かわからなかった。リードを取ったのが生で、それに協調する形で複数の声が響いたのが録音のはずだが、最初リードとしてのひとりの声から始まり、途中で集団の声が加わったので、ひとりの歌い始め、そしてCDのかけ始めのタイミングは難しかったのではないだろうか。それがちぐはぐにならず、ぴたりと合っていたのは驚きで、それほどに詠い慣れているのだろう。また、こうした堂内ではやはり声明が最も似合う。そういう感動を覚えることが出来ただけでも演奏会に行った甲斐があった。昨日の朝、芦田さんからメールが届きながら、あまりに多忙なこともあってまだ返事を書いていないが、今回の演奏会の後、何人かが購入を決めたようだ。こういう演奏会にわざわざ出かけること自体、音楽やオーディオに関心の強いから、感動すれば購入するという方向に意識が動く。筆者は大きなスピーカーが邪魔なので、場所をほとんど取らないことは大きな魅力だ。今すぐということはないが、夢としては隣家を改装し、人をいつ呼んでもいいようなくつろぎの空間にした時にはそこに導入したい。それがいつになるかは全くの未定だ。改装費用が数百から1000万ほどは必要なようで、それをどこから捻出するか。その費用に比べると波動スピーカーはただのように安い。いつも暗闇を手探りで歩いているようなもので、思い描く夢は実現があまりに遅い。だが、昨日書いたように、待つ時間が長い方が感動は大きい。おいしいコーヒーでロール・ケーキを食べながら波動スピーカーで好きな曲を聴く日が来るかな。