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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●波動スピーカー、その2
みのスピーカーでないことはその形から明らかだ。「波動スピーカー」という名称は、「演奏家のいない演奏会」のチラシには裏面の小さい文字で一度だけ使われている。



「もはやスピーカーではない。これがすでに楽器である。」というキャッチ・コピーの方が目立つが、もっとわかりすい製品名や愛称があればいい。このスピーカーを販売するのはエムズシステムという東京の会社で、ネットで調べると、スピーカー・メーカーで販売されている製品を2個使用し、それを円筒形につないで、その筒の左右からステレオの左右の音が出るようにしている。その意味で二次製品で、スピーカー専門メーカーとは厳密には言えない。筒状の胴体は紙が何重か貼られただけで、そのために重量はきわめて軽いとのことだ。丸くて軽いのであれば、先日筆者がスピーカーの角に額を強く打ちつけて血を流したようなことは起こらず、逆にスピーカーが筆者の頭で壊れる。それほどに大切に扱わねばならないとすれば、また愛着も湧くだろう。男性的なずっしりした箱型タイプとは違って、これは女性的と言ってよい。また、通常は飴色に塗られていて、クラシック音楽に使う弦楽器に馴染む雰囲気がある。芦田さんに、スピーカーの胴体を漆を使って蒔絵を施すなどして、室内に置いて楽しい美術品にしてはどうかと提案したが、もらった製品カタログを見ると、もう漆を塗った製品は販売されている。ただし、価格はちょうど倍の25万ほどする。ひとつずつ漆職人が手間をかけて塗るのであるから、それは妥当なのだろう。そこに蒔絵や螺鈿を施すと音質にどう影響するかわからないが、そうした特注品は、購入した人が漆職人に依頼すれば済む。また、この波動スピーカーを仕入れ、そういった工芸品的な加工を施した三次商品が生まれる可能性もある。音質には関係のないそうした外観はどうでもよいと考える向きもあるが、それを言えばファッションの流行も不要になる。姿形がよければ、音もいいように思えるのが人間で、美意識がもっとスピーカーの形状におよぶべきではないだろうか。その意味でこの波動スピーカーはどこにもない形で、その発想にまず感心する。だが、筆者が知らないだけで、円筒形のスピーカーはあったかもしれない。ハモンド・オルガンに接続するレスリー・スピーカーは箱型以外に筒型もあったような気がするが、レスリー・スピーカーは内部が回転して、音を四方に出す。指向性のないスピーカーの思想は、以前波動スピーカーにあったことになる。
●波動スピーカー、その2_d0053294_21423655.jpg

 波動スピーカーの胴体の直径は使用しているスピーカーより少し大きいだけで、その筒型は、音響を考えた結果生み出されたもののはずで、単なる造形的な美学から導いたものではない。だが、わずか2個の小さなスピーカーでどんな音楽でもよく聞こえるのか、誰しも疑問に思うだろう。筆者のステレオのスピーカーは大きな箱型で、その中に4種4個のスピーカーが納まっている。これは各スピーカーが高音から低音までを専門に担当する構成だ。つまり、1個のスピーカーで人間が聞くことの出来る音域を全部カヴァーすることには無理があるという考えに立っている。先日パソコン用に110円で買ったスピーカーは、直径5センチほどのものが片方で上下に2個並んでいて、左右で4個だ。電力数は不明だが、数ワットだろう。電力消費量の多いほどスピーカーから出る音が大きく、また音質もよいと思われている。そのことは昨日も書いたように、聴き比べるまでもない。スピーカーの大きさが音質のよさをある程度決めると思い込んでいるが、筆者は片方で4個のスピーカーが入る自分のステレオを最大音量で聴いたことはない。どんなに大きくしてもヴォリューム・レベルは全体の4分の1ほどだ。それでも50メートルほど離れても音が聞こえる。となれば、そんなに大きなスピーカーは不要ということになるが、これは車が最大時速200キロは軽く出すことが出来るのに、市道では60キロで走るのがせいぜいのところという状態に似て、めったに、あるいは永遠に使わない馬力の余裕のあることが、快適さの理由となると人間は思っているのだろう。最大時速70キロしか出ない車と、200キロが楽に出せる車が、ともに60キロで走った場合、前者は妙な音がしたり、乗り心地が悪かったりするはずで、やはり能力には余裕がほしいというのが人間だ。110円のスピーカーも最大音量で聴いたことがないが、ヴォリュームをそのように上げると、途端に音が割れる。このことから、昔から使っている筆者のステレオのスピーカーも最大音量を出すと、どこか異常を来たすかもしれない。余裕のある作りがなされていながら、日頃はその余裕の目いっぱいに稼動させることはまずないので、最大容量のレベルはうんと低下しているのではないだろうか。電化製品はそのようなものだと思う。能力が備わっていても、全く使わないでは劣化は早いだろう。
 一方、スピーカーは使い込んでからの方がいい音になると言う。これは本当だろうか。耳馴染むだけのことと思うが、そうでもない部分はあるだろう。筆者は自分のスピーカーの音をいいか悪いかを考えずに今まで聴いて来ているが、それはオーディオ・ファンではないからだ。とても好きな曲を聴くと、ステレオの響きがよいように思うだけのことで、嫌いな音楽を聴くと、その音を好まないだろう。長年の間に、耳が肥えた部分はあると自負はするが、それとは逆に老化によって退化した部分もあるはずで、耳がいいとか悪いの問題は、昨日書いたように、自分ではよくわからない。わからないままに、昔と同じように好きな音楽を聴いているが、これは自分のステレオで満足しているからだ。だが、たまたまにしろ、別の装置で聴いた馴染みの曲が全く別物と思えることはある。25年か30年ほど前のことで、場所もどこか忘れたが、何かのフェスティヴァルで、背丈ほどの巨大なスピーカーでビートルズのアルバム『ヘルプ!』を鳴らしている場面に遭遇したことがある。その時の印象は今でも鮮明だ。自分が聴き知っている曲にない細かな表情がそこにはふんだんにあった。貧しい装置で自分は聴いているなと思ったが、まさか背丈ほどのスピーカーを部屋に2個並べられるはずがない。よいものには切りがないと、わかり切ったことを思って、ただちによいスピーカーで音楽を聴くことを諦めた。ところが、そこが別れ道で、そうは思わない人がある。オーディオ・ファンはその音質のよさの果てを目指す。それほどに人間の耳は快楽を求める器官ということだ。美しいものをたくさん見たいと思うことと同じで、それを責めることは出来ない。金を多く費やすほどに上質のものが手に入るのは真実だろう。ところが、感動は単純で純粋のようでいて、かなり煩雑なものに取り囲まれている。そして、その煩雑さが多いほどに、感動が大きい場合がある。どういうことかと言えば、いい音を求めて装置に凝ることは、純粋な動機だ。だが、その装置を誰に見せたく思ったり、またその装置で聴く音楽に、音質はさておいて、思い出などがあれこれを詰まっているはずで、音をいいと感じることの周囲には、音質とは直接的に関係のない事柄が取り巻いている。そして、人間はそれに必ず左右される。また左右されることが生活であり、喜びと言ってよい。純粋という言葉を使ったが、それは何にも惑わされずに音質のみを追求するという建前とは別に、自分の生きて来た、また現在生きていることと切り離せないことにおいての良質の音の追求行為こそを本質と捉える立場もある。つまり、オーディオ・ファンは自分をロボットのような耳の精密な計器になりたいと考える一方で、雑多な事柄の集積の日常に浸らざるを得ないから、純粋の概念ははきわめて曖昧なものだ。そう思うので、オーディオ装置はそこそこでよく、ハードに費やすエネルギーを聴く音楽のソフトに向けたいし、今までそういう人生を歩んで来た。これは人類が知る最良の音質のステレオ・スピーカーを知らないことによる不幸な人生と言われるかもしれないが、何度も言うように、他人がどう聞こえているかは誰にもわからない。結局のところ、オーディオ・ファンもさまざま音楽をよく聴いて知る人も自己満足に過ぎない。
●波動スピーカー、その2_d0053294_2143217.jpg

 ステレオ装置は西洋で生まれた。写真もそうだ。写真は銅版画と暗箱の原理を元に生まれたが、立体写真は左右のレンズで2枚撮った写真を特別の道具を使って見ると、被写体が浮かび上がって見える。だが立体写真は一般化しなかった。同様に立体絵画は不便であるから、1枚の絵で立体的に見えるように透視図法が研究された。筆者が思うに、このルネサンス期に生まれた透視図法の考えはその後の西洋では決定的な思想となって、ステレオ装置の開発にもつながった。左右のスピーカーで音を立体的に浮かび上がらせるという考えはとても普遍的に思えるが、それは立体写真を見るのと同じく、幻惑的ではあるが、不便でもある。左右のスピーカーの中央に座って聴かねば、録音された本当の音が聞こえないというのは、ルネサンスの透視図法で描かれた絵画を鑑賞する態度と全く同じだ。だが、そのように絵画を鑑賞する人がどれほどあろうか。自分ひとりがそうした名画の前に陣取って見つめ続けるなど、まず許されることではないから、透視図法で描かれた絵は、それはそういう方式で描かれたものと頭で割り切って、つまりわかった気になって、平気で斜め横からあるいは画集の小さな図版を眺めたりすることで満足する。ステレオも同じところがある。ここで思い出すのは、またビートルズだが、筆者が60年代半ばにビートルズを聴き始めた頃、それはシングル盤で、中にはモノラル録音があった。それをステレオで聴いても左右のスピーカーから出る音は同じであり、立体的な聴覚の場は生まれない。それでも感動があったのは、音楽そのものの力の大きさだ。それを左右が分離し、奥行きも深いステレオとして聴いて、さてどれだけ感動が増えるかとなると疑問に思う。このことも筆者がオーディオ・ファンにならず、さまざまな音楽を聴く方向に向かわせた本質だろう。モノラル録音を聴くのであれば、スピーカーはひとつで充分だ。立体的な音像を楽しむというのではなく、ただ拡声器から音が流れているという事実を確認しながら、その音楽を楽しむ。ジューク・ボックスも同じことで、それは大きな箱ではあったが、ステレオ録音を楽しむものではなく、もっぱら流行歌をかけてそれで踊ったり歌ったりした。そんな音楽体験を知っている身からすれば、オーディオ・ファンも歴史が浅いはずで、せいぜいこの半世紀ほどだ。そして、その半世紀でアナログ録音からデジタルへの移行があって、オーディオの世界はさらに複雑になった。これはオーディオ・ファンにとっては楽しみが増加したことでもあって、やはりアナログがいいとか、デジタルはそれ特有のよさもあるとか、そうして飛び交う意見は誰しも知るとおりだ。
 日本はオーディ装置の開発にかけては、カメラの技術と同様、世界に類を見ない進歩があった。だが、ステレオを考え出した西洋の思想をそのまま受け継いで、まったく新たな思想のもとで音響を追求するという態度には欠けている。だが、商品はそうであっても、研究分野では違うのだろう。そのひとつの成果とでも呼んでいいものが波動スピーカーではないだろうか。スピーカーは常にふたつが左右に置かれるという発想をまず覆しているのが小気味よい。だが、これは透視図法を生み得ず、またその思想を正確に理解し、愛情の眼差しで見つめ続けることの出来なかった日本を象徴もしている。顔が立体的な西洋人と違って、モンゴロイドの日本人は平板だ。福笑いの遊びが出来たのは、顔が平板であるからで、彫りの深い西洋では平らな紙に顔のパーツを並べて遊ぶという発想がまずなかった。この平板さに拘束された本質性は、あらゆるところに及んでいるだろう。それがスピーカーを2個は使うが、つないでしまってひとつの形に収めるという考えを導いたような気がする。何でも簡略化、またコンパクトにするのが得意な日本人で、トランジスタの発明の延長上に波動スピーカーがある気がする。その日本独特の美意識の産物が少しずつにしろ、日本で広まって行くのはごくあたりまえとも思えるほどで、解決すべき問題があるとすれば、結局のところ、スピーカーの使命である音の鳴り方がどうかということに尽きる。ところが、この問題がやっかいであるのは前述したとおりで、絶対的に優れた音質となれば、無限に金を注ぐしかないはずで、10万ほどの価格の商品となれば、それに見合う価値があるかどうかの問題に擦り変わる。価格の割には、また大きさの割には音はよいといった評価がまず妥当なところだが、その価格というのも微妙な問題で、たとえば10万以下のBOSEのWAVE RADIOで音楽を聴く人にすれば高価過ぎるということになるが、もっと高価なスピーカーがざらにあるオーディオ・ファンの世界ではある意味では取るに足らない価格だ。それに、普通の箱型のスピーカーとは違うという洒落た部分に魅せられる人は多いだろう。パソコンでもアップル社のものはそうした外観のデザイン性で人気を得て来たから、性能のみを取り上げて判断する人は少ない。これはオーディオ・ファンからすれば大していい商品ではないということになるだろうが、そこには、外観がいいものは中身が伴なっていないといった、かなりの偏見が混じっている。人間でもそうで、本当に実力のある奴はちゃらちゃらした格好や素振りはしないと思われている。さて、今日で終えるつもりが、また明日に持ち越すことになった。
by uuuzen | 2011-11-22 21:43 | ●新・嵐山だより
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