差異がわかることを通と言うが、人間はみな同じ味覚や視覚、嗅覚を持っていながら、そこには差がある。そして、その差異は量的に測定して誰もが納得出来る形として明らかにはされない。
その試みはさまざまに行なわれているが、みな不完全なものだ。視力が悪い人はよい人に比べて眼鏡やコンタクト・レンズを用いているが、視力はよく目が見えることだけで測定出来るだろうか。色相や明度、そのほか、もっと微妙な何かにおいて人間は識別出来る能力があると思うが、そうした微妙なことを測定する装置はない。それは必要がないからだが、必要となったとしても、見える能力の神秘のすべてがわかると考えるのは大間違いだ。嗅覚、味覚も同じだ。そのため、自分の味覚や嗅覚が他人より実際に劣っているとしても、そのことが自覚出来ず、あまり気にする必要はない。これは神がそのように創ったのであって、誰もが他人と比べることなく自己に満足出来る幸福をかみしめることが出来る。ところが、人間は欲が深いから、つい他人に対しての優越感を抱きがちで、それは財力を費やす形でよく現われる。ところで、筆者は今これを110円で先日落札したおもちゃのような2個のスピーカーで聴いている。深夜になるとその音量で充分であり、また、目の前30センチのところから聞こえて来るので、スピーカーと自分の耳との間の空間が狭い宇宙のように思えて、これはこれでしみじみした、また面白い気分になってよい。昼間は大きなスピーカーで近所中響きわたる大音量で聴くが、嵐山駅のホームからでもその音が聞こえると家内は言う。そういう大音量は深夜はさすがに控える。また大音量は耳が疲れるし、階下のチャイムが鳴っても聞こえない。そういう不安を抱えながら大きな音で聴くことは、どこか不安で、純粋に音楽を楽しむとは言えない。深夜になると来客はないし、また階下で家内が寝ているので、音量をかなり絞って聴くことになる。そうなればパソコンにつないだ小さなものの方がよい。先日はその110円のスピーカーで聴いていると、聞こえるはずの音がないと書いたが、そのような粗末な音であっても、その粗末さを逆に面白がって聴く立場もある。1960年代半ば、ビートルズのシングル盤は、安物のプレーヤーで聴いていた。その頃の音は記憶に強い。ひどい音であっても、それはそれで経験であって、音楽の中身を楽しむことには差し障りがなかった。このことは、レコードやCDで音楽を楽しむとは、その作家の個性の世界を堪能するのか、聞こえて来る音質のリアリティを楽しむのかという、ふたつの立場があることを示している。1970年代、ある人とそんな話になった。そのある人は音楽は好きだが、それ以上にオーディオ装置に関心が強かった。そして、オーディオに興味が深まることと音楽そのものを深く聴き込むことは同じと言った。その意見に筆者は賛成しかねた。だが、オーディオ装置でレコードを聴くことは録音を楽しむことであって、生演奏を楽しむこととは全く違うから、レコードでさまざまな音楽を聴く楽しみが、オーディオ・ファンと同じようなものという思いは理解は出来る。簡単に言えば、双方とも人工物が好きで、そこに幻想を抱くことが楽しみなのだ。
筆者は全くオーディオ・ファンではない。メカニカルなものに関心がないではないが、経済的事情から、音楽に費やすお金はオーディオ装置よりもレコードやCDの購入に回す。そのため、CDデッキが壊れてもしばらくはそのままにして代わりのものを買わなかった。パソコンでCDを聴けばいいと思い当たって、早速110円でスピーカーを落札したが、新しくCDデッキを買ったのであるから、もうそのスピーカーで聴く必要はなくなったも同然であるのに、深夜にはちょうどいいので今後も使うだろう。つまり、スピーカーには必ずしも最良の音質といったものは求めていない。だが、よりいい音で聴きたいのは山々だ。さて、先週3階の仕事部屋を何日もかけて大掃除した。来客の予定があったからだ。9日だったろうか、わが家の近くに引っ越して来た若夫婦の奥さん(以下R)が1枚のチラシを持参した。それを自治会の掲示板に貼ってもいいかと言う。「演奏家のいない演奏会」と題して、浄土宗大本山のくろ谷、今戒光明寺の御影堂で11日に、先着300名に限る無料の演奏会があり、その案内だ。スピーカーで音楽を鳴らす演奏会で、そのスピーカーの性能を広く知ってもらおうという、会社の宣伝だ。自治会とは関係ないが、小さなチラシでもあり、また無料の演奏会で開催日が迫っているので、会長の立場で許可した。Rさんの知り合いがこの演奏会の主宰者の芦田憲夫さんだ。Rさんによると60歳くらいと言う。チラシ裏面は申し込み用紙となっている。FAXで送るのがいいようだが、電子メールでも可なので、そうした。するとすぐに芦田さんから返事があって、どこでこの催しを知ったかたと訊いて来た。Rさんの名前を出さず、自治会の人からと簡単に返答すると、事情を察して、Rさんと知り合いであることなどを伝えて来た。スピーカーにさほど関心はないが、Rさんによると、筒型のごく小さなスピーカーが1本でよく、不思議な音がすること、また価格は10万ほどであることがわかった。早速ネットで調べてどういうものか事情がわかった。だが、肝心の音を聴かねばどうしようもない。チラシには演奏会の曲目は書いておらず、メールへの返事に、駄目もとで、愛聴盤を持参するのでかけてもらえないかと書いた。すると、演奏会の前日にRさん宅に訪れ、その時にスピーカーを持参するので、聴いてもらえればいいと返事が来た。ところがCDデッキは壊れたままなので、そのことを書き送ると、アンプやCDデッキも持参するとの返事。何から何まで用意してもらうのは厚かましいし、また筆者のステレオにつないで音を聴かねば意味がない。それで早速CDデッキを購入した。その一方で、数年間の埃が溜まった部屋の大掃除に取りかかった。これが大変で、数日要した。そして、どうにか18日は人を招いてもいい状態に仕上げた。新しいCDデッキをつないで音を出したのが16日で、ぎりぎり滑り込みセーフといったところであった。さて、この調子でわが家での試聴およびくろ谷での演奏会の模様について書くのもいいが、長くなりそうなので、今日はここまでにしておく。