誂えなので似合うのはあたりまえと言っていいが、今日はようやく長い間かかって作った若冲の「薔薇小禽図」に倣った友禅訪問着を着用してもらっての写真館での撮影があって、その様子に立ち会った。

昨日の大雨でどうなることかと案じたが、今日はいい天気でほっとした。写真館の主はキモノの作者が筆者ということがわかった時、サービスとして、キモノの着用者と筆者が並んだ立った写真を撮影してくれた。5枚ほど撮ってもらって、写真館のパソコンで一番いいと思うものを1枚選んだ。筆者の寝不足の疲れた冴えない顔はどれも見るに耐えなかったが、その現実を直視せねばならない。着用者ひとりが映る写真は前と後ろ姿の2カットで、12月10日に出来上がる。その写真館の前はよく通りがかる。一昨日も通ったばかりだ。だが、中に入ったのは今日が初めてであった。70代と思しき主は芸術家肌の人で、こだわりがあって好ましかった。写真館の中で自由に撮影してもいいと言われたが、写真館に出かける前、着付けの人に着せてもらった直後に、家の中で筆者のデジカメで撮ったので、1回しかシャッターを押さなかった。その写真はここには載せないでおく。写真館ではなく、着用者の家で撮った写真の中から、今日は二、三枚掲げておく。写真館では1枚撮るにも、しっかりライティングをし、またキモノの皺などを直すなど手間をかなりかけるが、筆者が撮ったのはさっと撮ったスナップだ。そのため、どれも満足出来るものではない。それでも仕立てる前からこのブログで紹介して来たキモノであり、実際に着た場合にどう見えるかを報告しておく方がけじめとしていい。キモノや襦袢はもちろんのこと、帯、帯締め、帯揚げ、帯留め、髪飾りなど、すべて筆者が見立てて作った、あるいや調達したもので、まずは満足出来るものとなった。衣桁にかけた状態の写真も2,3週間前に当然撮ったが、それはいずれ公開することもあると思うので、今日は載せない。写真の女性は30歳で、子どもがふたりいる。筆者より数センチ背が高い。実質的な製作日数は1年ほどになるが、今日は従兄からは、いくら手間を要しても、世間的な価値はゼロであり、誰かほしいと言う人があって価格がつくと言われた。そう言われると反論する気もない。実際そのとおりだ。筆者が丸1年費やして実製作しようが、手間賃はゼロということだ。だが、材料費や仕立て代だけでもかなりかかっているから、せめてそれだけの価値は認めてもらいたい。仮に国宝が目の前にあっても、価値がわからない人にはそれはゴミだ。本物の国宝を道端に転がしておいても、たぶん1万人のうち、ひとり以外は誰もそのことに気づかず、ゴミとして処分される。これは絶対にそうだ。国宝でそうであろうから、そうでないものは推して知るべしだ。だが今日は気分がよかった。着用者本人を初め、誰もがこの訪問着を着た姿に息を飲んでしばし言葉がなかった。キモノは着て似合ってこそ意味がある。予め着用者がわかっていた今回は、原寸大の下絵を体に当てながら細部を調整したので、筆者の思うとおりに出来上がったのは当然だが、そこには仕立て屋さんの才能も貢献している。筆者が生きている間にこうした総絵羽のキモノをもう何点作ることが出来るだろうか。

顔を見せてはそっちに目が行くが、胸元の柄を示すためには必要だ。また、着用者の許可を得て掲げる。

ついでに上前身頃を見せる。そして横向きも。帯は龍村のもの。帯留めは筆者がキモノの図案を元に下絵を描き、長崎に発注して彫らせた。キモノには一羽の小禽を着用した時に見えない位置に染めている。それが帯留めに現われる形にした。