瞬時に何事も変化することを昨日味わった。社会保健事務所に自転車で行った帰り、その昔、筆者が京都に出て来て最初に住んだ家の前を通った。
その家が面する道は四条通りの南を東西に走る。江戸時代はそこが街道であった。それは、その道を歩けばわかる。いかにも田舎の旧家らしい大きな庭つきの家がいくつかある。筆者のその離れの2階に2年住んだが、その建物は同じ位置に新しく建て直されたようだ。そこに住んだ時の思い出はそれなりにいろいろあるが、あまり家のことやその家人について書くのはよくない。ひょっとすれば代が変わっているかもしれないが、家はそのままあるので、何かの拍子にこうして書いていることがその家人の知るところになるかもしれない。だが、少しだけ書いておくと、1階は物置で、2階に2部屋あった。建物の出入り口から入ると、板の10段ほどの階段が左右ふたてに分れて設置されていた。筆者は右手の階段を上がったところの部屋に住んでいたが、南向きで日当たりはよかった。左手の階段を上がった部屋には当時80歳近い職人気質の頑固そうな男性が住んでいた。電気代はふたつの部屋を合わせて請求が来るので、それを筆者が2分計算して老人から半額をもらって家主にわたしていた。その時だけ、つまり月に1回だけその老人と短い会話をした。老人は筆者が住んで1年ほどで娘さんが引き取って出て行った。それで、もともと静かであったその離れはさらに静かになった。そこを夜にステレオをガンガンかけて楽しんでいたが、庭が広く、隣家の窓までかなり距離があったので、苦情を聞いたことはない。それはいいとして、思い出がそれなりにあるその家の前を通りかかった時、首を右手上に向け、自分が住んでいた部屋を見上げながら、どう建物が変わったのかよく確認しようとした。その瞬間左手からやって来た大型の白い車と衝突した。一瞬のことでお互いブレーキをかけたが間に合わず、筆者の自転車のタイヤはまともに車の前面中央にぶつかってガチャンと音を立てた。ぶつかった衝撃で右手に電気がビーンと走った。自転車に乗ったまま、車のフロントガラスの内部を見ると、光が反射してどういう人が運転しているか見えない。それでともかく自転車を動かして車の脇につけた。それでようやく運転手が見えたが、30歳ほどの、まるで女優のような美人で、心配そうな顔をしていた。「大丈夫ですかー。」「え、どうもないですけど、車は傷がつかなかったですかね。」「車はどうでもいいですけど、本当に大丈夫ですか。」 こう言って別れた。右手のしびれはすぐに収まり、本当にどうもなかった。彼女にすれば前方不注意になるのだろうが、それは筆者も同じだ。いや、筆者の方が完全に前を見ていなかった。ぶつかった場所は、筆者が住んでいた建物の真正面だ。そこには見通しの悪い道で、しかも狭いこともあって、筆者が住んでいた頃はほとんど車が通らなかったか、通ってもかなり徐行した。彼女もそうしたのであろうが、よそ見をした自転車がやって来ることを予期していなかったのだろう。

何事もなかったかのようにまた走りながら、この一瞬のちょっとした隙が生死を分けるのだなと思った。そして、この出来事に何らかの教訓を汲み取るのであれば、「過去を懐かしむな」だと思った。確かにその道を通るのは便利だが、2年住んだだけの家の懐かしさに浸るより、もっと先のことを考えるべきだ。帰宅すると、昨日書いたように昔からの友人のMが亡くなっていたことを知らせるはがきが届いていた。そこで思ったのは、そのMも過去仲がよかっただけで、成人してからの思い出はほとんどないことだ。今日はそのはがきを送ってくれた愛知の姉に電話をして20分ほど話を聞いた。だいたい予想したとおりであるし、悲しい状態で死んだので、そのことは書かないでおこう。また、Mの死を早速同じ中学校の友人に電話で伝えたが、その彼は連絡網のように同じクラスの者に伝えると言い、そして筆者がMとは一番仲がよかったことや、死んでしまった者は仕方がないといった意味のことをつけ加えた。ドライなようだが、5,6年に一回あるかないかの同窓会でのみ、またほとんど話さない間柄では、そういう反応は正直かもしれない。姉さんの言葉に、筆者にはがきを送ったのは筆者の手紙が遺品に見つかったからとのことであった。昨日書いたように、Mにはそれなりに仲間がいたが、全員名前も住所もわからず、ただケータイ電話にたくさんの番号が残っているだけで、それを頼りに姉さんはMの死をどう知らせていいものやらと困った様子であった。簡単に言えば、手紙を送る間柄としてはほとんど筆者のみで、そのほかはケータイ仲間であったのだ。ケータイは連絡には便利だが、記録が残っていても住所や氏名まではわからない。かつてはよく話した間柄、あるいは結婚していた間柄であっても、死んだことを伝えられないまま、相手もやがて死んでしまうことは多々ある。生きている間はどうにかすれば会うことが出来ると言いながら、実際は会わないままで死に別れることは多い。今思い出したが、家内は1年に一、二度程度は、「誰か会っておきたい人はおれへんの?」と訊く。その質問の意図は訊かないことにしている。そして、「別におれへんけど」と関心がなさそうに答えておく。だが、この質問の真意は、筆者がいつも誰かに会いたいような眼差しをしていることを案に感じてのことかもしれない。死ぬまでに会っておきたい人が自分にあるのかどうか、それを改めて自問してみると、日によって感じ方が違うことに気づく。だが、だんだんと「会いたい」と思っていることが、「どうでもよい」に変化して来ているようだ。それは執着心がなくなって来たからだろう。年齢もあるかもしれない。猛烈にほしいといったものが少なくなって来て、しまいにはそれを手に入れてもあまり感動がない。物への執着が減少すると、人に対してもそうかもしれない。だが、本当にそうか。筆者は古い知り合いともうあまり会いたいとは思わない。会いたいとすれば、まだ会ったことのない気の合う人だ。これは過去を振り切るという思いでいるからかもしれない。

さて、今日は電話がたくさんかかって来たり、またかけたりしたので、何となく落ち着かないが、満月の夜だ。その写真を撮ることが出来ないリスクを回避するために、昨夜はデジカメを持ってムーギョとトモイチに行った。いつもより20分ほど早く家を出ると、空は一面うっすらとオレンジ色がかっている。ひどい曇り空だ。月はどこにも見えない。まだ時間が早いかと思って地平線の近くを見る。それでも月のわずかな明かりさえも透いて見えない。よほど厚い雲だ。あるいは月の出が遅いのか。松尾橋を6時半にわたった。その広い空からも月は見えない。がっかりしながらムーギョに行き、トモイチでも買い物を済ませて外に出た。月があるべき場所に見えるのは、相変わらず分厚い綿のような空全面の雲だ。重いカメラを使うことのないまま帰宅せねばならないことと、この調子では明日は雨で、やはり満月の写真は写せないことを思って、足取りは重かった。それでも、まだ月が昇っていないかもしれず、ゆっくり歩きながら帰れば、途中で地平線近くに見えるかもしれないとの淡い希望を抱いた。松尾橋の近くに差しかかった時、何か感じるものがあって、さっと振り向く。すると、地平ではなく、斜め45度の高さあたりに満月がぼんやりと見えた。雲がほんのわずか途切れたのだ。満月に筆者を呼び止めたようではないか。急いでカメラを持って蓋を開け、シャッターを押そうとすると、すっとまた雲に隠れた。しかも目で測ると雲が次に途切れるのは10分か20分ほどはかかりそうだ。諦めて歩き始め、松尾橋をわたり切ってすぐのたもとで、また振り返った。ふたたび月の輝きが見え始めた。いつもより20分ほど早く家を出ているので、その場所で20分ほど待って、満足の行く満月を見てやろうと考えた。くっきりではないが、満月が雲の隙間から見えた。場所を2,3メートル移動して2枚撮った。その2枚を今日は先に掲げる。2枚とも気に入っている。満月とともに何を写すかでいつも悩むが、ちょうど松尾橋がいい舞台装置になった。横断歩道の標識の男は、月に背を向けて歩いている。これはさきほどまでの筆者の姿だ。あるいは、月まで歩いては駄目だよという警告か、月まで行って帰って来た男か。それとももっと別の何かを暗示もしているように思えるが、そのことについては書かない。ともかく、瞬時に決めて撮ったこの最初の1枚は気に入っている。2枚目は松尾橋の上流側のみに設置されている水銀灯で、その列の延長上に満月が位置する角度を狙った。また、中央右寄り下に上方に向かう淡い青の光の筋が見えるが、これは春と秋の行楽の季節に照らされる清水寺境内のライトだ。この2枚目も瞬時に決めたもので、即興だ。ここでこういう角度で撮ってやろうとは考えない。行き当たりばったり、その場その場で対処する。筆者には案外そういう大雑把なところがある。それでいてリスクを考えているので、瞬時瞬時にふさわしい対応をしているのかもしれない。自転車のブレーキが間に合わずに車に衝突したが、もっと運が悪ければはね飛ばされているか、轢かれていたであろう。まだ瞬時の判断がどうにかまともに行なえるようだ。

昨夜の2枚は今日が雨で満月が見られない場合に掲げようと思っていた。予想どおり、今朝から雨で、夜になっても月は拝めないと予想したが、それに反して7時頃から晴れ始めた。昨日はたくさんの買い物をしたし、また今日は夜まで雨と思っていたので、ムーギョへの買い物は行かないで済まそうと半ば決めていた。そして、夕方に大阪の友人から電話があって、30分ほど話をしたので、なおさら買い物に出る気分が削がれた。そうこうしている間に8時になり、家内が帰宅した。それは筆者がいつもムーギョで買い物を済ませて帰って来る時間であり、もう出かけるつもりは全くない。だが、満月の夜であるから、このブログ用にその写真を撮らねばならない。外を見ると、曇り空と思っていたのが、いつの間にかよく晴れている。家から40歩ほど出ると、眩しいほどのはっきりとした満月が見えた。、大慌ててでカメラを取りに戻り、同じ場所に行って3枚撮った。2枚は没にするが、それは縦長のジェット機雲に満月がちょうど重なる光景で、雲がよく照って満月とわかりにくい。ただし、満月の右手に金星が見え、それが絶好の角度で写り込んだ。食事を済ませ、9時過ぎにまた外に出て確認すると、相変わらずくっきり鮮やかだ。それで1枚撮った。それが今日掲げる4枚目だ。月の下に小さく写るのは金星だろう。1時間経って月がそのような位置関係になるまで移動したのだ。また、蛇足ながら書いておくと、筆者の安物のデジカメでは、月が明るいほど、月の近くに同じ大きさほどの丸い明かりが写り込む。内部で反射しているのだ。それをそのまま見せてもいいが、一眼レフのカメラではそのように写らないと思うし、またいかにもカメラを感じさせるその反射の光はいやなので、画像加工ソフトで消している。ところが、この作業は思ったほど簡単ではい。たいていはきれいに消すことが出来ず、むらになる。そういう苦労をしながら写真を掲げているが、自分ではそれだけの価値があると思っている。筆者の生活の移動範囲はとても狭いので、満月の写真は毎月同じような場所でのものとなる。旅行好きであれば、毎月違う場所の満月写真を載せることは簡単だろう。筆者もそうありたいが、満月以外に写り込むものはおかずのようなもので、主役は満月だ。それが写ってさえすれば、まずはいいではないか。ともかく、今月も雨に祟られることはなく、無事撮影出来た。満月満足満腹……萬福寺の満月もいいだろうな。