ネットで韓国ドラマについてのホームページやブログを調べていると、ドラマの採点をよく星やハート・マークの数でつけたものがある。大抵みんな同じドラマに高い点数を与えているかと思うと、半分はそう言えるが、そうでない場合もある。
それで、実際はどうなのか自分でなるべく早く確認したいドラマがいくつかある。ところが残念なことに妹は筆者が観たいドラマに限って観たことはあっても興味を持てずに録画していないと言う。そのために、そうしたドラマはまた別の方法で入手して観なければならないが、ひとまずは別のドラマでも借りて来ることになる。この『屋根部屋のネコ』は韓国では若い世代に大変な人気があったようだ。日本の韓国ドラマ・ファンのホームページでもこのドラマに特別の高得点を与えているのは同じ世代だろう。妹は録画はしていたが、あまり好きなドラマではないようで、そのことからもはや若い世代ではないことがよくわかる。『火の鳥』を一気に観た後、風邪を引いてしばらくドラマを観る気力がなかったが、従姉が『パリの恋人』のテープを4本持って来てくれたので、返すべきテープが溜まるのはいやなので、早速『屋根部屋のネコ』を観始め、3日で全部観た。2003年の初夏から夏にかけての作品だ。全16話はちょうどいい長さで、うまくまとまっていたと思う。冬場に制作のドラマは心温まる内容が多いと以前に書いたが、夏に集中的に撮影したドラマを観るのは今回が初めてだ。緑が多く、日差しが強いので色はカラフルになり、画面を眺めているだけですがすがしくてよい。しかも学生をテーマにしているのでなおさらからりとして楽しい。ラヴ・コメディは今日観始めた『パリの恋人』も同じジャンルに入りそうだが、『屋根部屋のネコ』は海外ロケなどの贅沢をせず、ほとんど屋上に建増しされた借家と学校内の片隅の木陰、それにちょっとした会社の内部だけといった場所を繰り返し使用しながら面白い作品としており、なかなか見事だ。あまりお金をかけていないのは、自立して生きようとする貧乏な若人を主人公とするドラマである以上は当然で、それがへたをすればしみったれた印象の話になりがちなところを明るい内容に仕立て上げているのは、前途ある若者への讃歌と見ることが出来て、その点がこのドラマを後味のよい爽やかなものにすることに大いに成功している。
テーマは学生男女の同棲であり、こういった内容でドラマが作られるというのも珍しいし、古い価値感を持つ世代から批判が続出することも予想され、それを踏まえた脚本作りがなされているであろうことは容易に想像がつく。実際、主人公の若い女性の父親は厳格さの代名詞のような警察署長という役柄を当てられていて、その父親がどのような振る舞いをするかは、充分過ぎるほど月並みなもので、これはもうひとりの主人公の若い男の祖父や祖母もある程度似た行動をするので、旧世代と新世代が対立したドラマとして観ることも出来る。さて、主人公の女性ジョンウンは専門学校出で、もう3年も就職出来ておらず、ドラマでは2度も本人が語っていたように、美人ではなく、取り柄もない、ごく普通のどこにでもいる人物だ。父親は警察署長で、ドラマが始まってすぐに家族は春川に引っ越しをする。独立して自分の人生を切り開こうとしているジョンウンは、親に黙って新聞配達をしながら家を借りる資金を溜めている。ところがその200万ウォン近いお金を全部弟に持ち逃げされてしまう。弟も就職もせずにいて、やはり独立出来ればしたいと思っているのだが、姉のお金を持ち逃げして全部使ってしまうという設定は、かなり突飛で説得力がない。結局弟はソウルの街を歩いているところを姉に見つかり、そのまま警察にいる父親の前に突き出されてしまうが、時はすでに遅し、ジョンウンが貯金した独立資金は消えてしまう。そんなジョンウンは高校時代の女友だちヘリョンがいて、アメリカに留学したヘリョンからジョンウンは大学の学生証を借りて、図書館で毎日こつこつと勉強をしている。ところがヘリョンは留学を半年ほどで切り上げて帰って来る。このヘリョンは法科の学生で父親が法曹関係に顔が利く。もうひとりの主人公であるギョンミンはヘリョンが好きで、同じ大学の法科の学生だが、女遊びはするはギャンブルはするはの性格。彼はそこそこ金持ちでひとりっ子だが、両親は死んでおらず、しっかり者の祖父祖母の経済的庇護のもと、ひとり住まいをしている。ヘリョンはお高くとまった女性で、ギョンミンのアタックには全然なびかず、10歳ほど歳上の親の知り合いのドンジュンを慕っているが、全く相手にはしてもらえない。ジョンウンは屋上に建て増しされた部屋への入居を契約して一部のお金を払っていたのに、弟に使われてしまって本契約が出来ないでいるが、ジョンウンがヘリョンの友だちと知ったギョンミンは、ヘリョンにいい格好を示すためにジョンウンに残金を貸す。その後ギョンミンはサラ金の取り立てに追われて、住み場所を変える必要が生じ、ついにジョンウンの屋根部屋に転がり込む。そしてある夜、ひょんななり行きからふたりは男女の関係になるが、ギョンミンはヘリョンが好きであるので、何事もなかったかのように屋根部屋を去る。ところが、また屋根部屋に戻る羽目になり、これを何度も繰り返してドラマが進行する。その間にジョンミンは密かにギョンミンに愛情を寄せるが、ジョンミンをアルバイトに雇った室長のドンジュンは次第にジョンミンの女性としての細やかさに心が動き、ついにプロポーズをするまでに至る。一方、ギョンミンもようやく自分が本当に好きなのはジョンミンであることに気がつく。主要な登場人物は『火の鳥』同様、男女ふたりずつで、ひとりの女性をふたりの男が奪い合いをし、残るひとりの女性が憎まれ役というのも同じだ。
それでも決定的にいつもの韓国ドラマと違う点がある。それは誰も痛めつけられて悲しんだり、事故に遇ったり、また自殺したり死んだりしないことだ。そのため、物語はどこにでもよくあるような話で、全く平凡とさえ言える。実際このドラマの脚本は事実を元にしたインターネット小説をベースにしているというが、若い男女の学生が住居に困って、恋愛感情は取りあえず抜きで同居するということも、広いソウルの街ならばきっと現実にあるはずで、その充分あり得る設定に好感が持てる。それで、ドラマを見ながら、結末はもう誰しも予想出来てしまうが、その結末がどのように作られて行くのかが楽しみで毎回観ることになる。ある程度韓国ドラマを観ていると、結末の変化球的な作り方も想像のうちに持てることになる。そうしたいくつか予想出来る結末のどれがこのドラマを最も楽しい思い出にするものとして効果的かと、まるで脚本家になった気分で最後の1、2話は観た。『冬のソナタ』や『火の鳥』と共通して、一夏の出来事として完結はせず、そのまた数年後の再会という形で物語は締めくくられていたが、ま、それも想像したうちにはあった内容であり、意外性はさほどなく、それがまた結果的にはよかった。このドラマの主人公は体が大きく、男前で目立つ遊び人のギョンミンで、それを演じるキム・レウォンは表情も豊かで確かに才能の豊かを伝えた。場面ごとに変わったデザインのシャツを着こなし、いかにも金持ちのぼんぼん育ちを演出していたが、それに比べて、美人でもなく、スタイルもあまり冴えないジョンウンは、着ているものもジャージか安物ばかりで、その点ギョンミンとの差があまりに歴然としていておかしかった。ギョンミンは遊び人ではあっても、勉強もどうにか真面目にやり続けて、最後は司法試験に合格して検事になる。これはジョンウンのおかげといった紋切り型の描き方がなされておらず、ジョンウンは仮に出会わなくてもギョンミンは独力で合格したはずであるような印象で描かれていて、この点もからりとしていてよかった。つまり、ギョンミンはジョンウンの献身的な身の回りの世話があってこそ司法試験に受かったなどという描き方をすれば、何だか湿っぽくなるし、別のドラマになっていただろう。元々ギョンミンは優秀であり、そんな人物が美人にしか興味がないのに、いつの間にかジョンウンに惚れていることに気がつくという点を中心にしているだけで充分にこのドラマは内容が持っている。
では、ギョンミンのサクセス・ストーリーばかりが目立って、ほとんどジョンウンの変化はどうでもいい添え物の物語かと言えば、これが案外そうではない。ジョンウンは就職して親元から独立し、自分の人生を切り開くことに並々ならぬ気持ちを抱いており、それが少しずつではあるにせよ次第に実って、最後は海外研修勤務を手にするまで上りつめる。この描き方にはかなり好感が持てた。ジョンウンは乏しい自分のアルバイト賃金の中から英会話学校に通ってもいたが、そうした地道な努力が結局はいざと言う時に役に立つのが人生の真実であり、ジョンウンの母が「にぶい男でもつかまえてさっさと結婚でもしなさい」と言うようには生きなかったところがなかなか立派だ。そのため、このドラマの本当の主人公は目立つギョンミンではなく、地味なジョンウンであると言ってよい。金持ちで大学の法科に学べるほどのギョンミンが司法試験に受かってもそれはかなりあたりまえのことで、3年も就職出来ず、それでいて一切両親に頼らず、自分の働きだけで住んで食べて、正社員になることを目指すジョンウンは、なかなか健気であり、浮気性のギョンミンなどとは結婚しない方が本当はずっとよいように思う。ギョンミンのことを祖父は情に厚い子だと言っていたが、気前がよいし確かにそうだろうが、このドラマを現実と考えた場合、ギョンミンがジョンウンと結婚しても相変わらず女遊びはやまず、ジョンウンは毎日陰で泣く日々を暮らすはずで、やはり釣合いの取れない結婚に思える。
そうしたジョンウンを立派でかわいい女として認める室長ドンジュンは、ギョンミンのようなまだ就職もしていない半人前ではないから、そうした人物からそれなりに評価されるジョンウンは大人として女として自信を深めて行ったことになる。ジョンウンを本当のそうした立派な女にしたのはギョンミンではなく、ドンジュンであり、ギョンミンは結局はこのドラマのタイトルが示しているように、ジョンウンの飼い猫にしか過ぎないような存在に終始したと言える。ドンジュン役の男優は本業が歌手と言うが、ここでも歌手を起用して意外性を狙ったわけだが、それは他のドラマ同様、充分に成功して不思議で独特な味をもたらしている。全体的に学生が喜んで観るドラマとして仕立て上げられてはいるが、このドラマでも主役はやはり社会人であり、その立場に立って作られていると言ってよい。これはかなり重要なことだ。大学生と、そうではない一般の大人がこのドラマを観る時、微妙に着目する点が異なるが、学生が学生の本文を忘れてはならないという大前提から作られているのは明白で、その文句を言わせない単刀直入ぶりの単純さはかえってすがすがしい。学生が親がかりになっている分、まだ世間のことをあまり知らない未熟者と思われてもそれは仕方がないが、ジョンウンはそうしたことを口に出さずにただギョンミンが勉強しやすいようにと環境を整えてやろうとする。本当に見上げた女性と言ってよいが、それよりもこのドラマにおいて見受けられる学ぶ人に対する温かい眼差しがよい。それはまだ学ぶということに懐疑的になっていない韓国を示すだろうし、それはすでに日本にはないものかもしれないと思うからだ。
主要登場人物4人の中で誰が一番大人かを考えた時、ドンジュン、ジョンウン、ギョンミン、ヘリョンと続くはずで、ギョンミンがジョンウンに魅せられたとしたら、それはかわいい女性のそれと言うより、ドラマでも巧みにそこは設定してあったように、自分の母親の影を見るからだ。つまり、ギョンミンは母親の愛に飢えているわけで、そこを考えるとギョンミンの行動のすべてがよくわかる。その意味でもこのドラマの脚本はうまく書かれている。ギョンミンには祖父祖母の住む大きな実家に自分の部屋があるのに、そこにはろくに寄りつかず、クーラーもなく、貧しい食べ物しかないような不便な屋根部屋に何度も舞い戻って来るのは、何よりも明るい健気なジョンウンに元にいることで安心出来るからであって、そういうギョンミンをジョンウンは「ネコを一匹飼っています」と室長に笑顔で言うところ、ジョンウンもまた愛情に飢えるギョンミンのことをよく知っていたことになって、そうしたことをいちいち言葉で説明せずに、ただただ騒々しい日常生活の描写の奥にあるものを視聴者に感じさせる点は素晴らしい演出と言ってよい。ヘリョンは登場頻度が多い割りには本質があまり明確には描かれておらず、その意味でどこにでもいる平凡なお嬢さんと思えばいいのだろうが、このヘリョンがもっと暗躍すれば『火の鳥』のミランのように陰湿になり過ぎて、このドラマは雰囲気がぶち壊された。したがって、ヘリョンの曖昧さはそれでちょうどいい。脇役としてジョンウンの弟、両親、それにギョンミンの祖父祖母がかなり活躍し、これらも見物となっている。ジョンウンの父の警察署長は『真実』に登場したお抱え運転手役である父、またギョンミンの祖父は『ラストダンスは私と一緒に』に登場した会長だが、両人ともこのドラマでの演技の方が格段に光っていた。肝心のキム・レウォンの演技は『雪だるま』でも印象的であったが、このドラマでは『雪だるま』にはなかったコミカルな魅力が満開で、女性ファン急増は当然過ぎるだろう。ドラマの最初の方で、ギョンミンの友人のひとりにペ・ヨンジュンという名前で紹介された青年がいたが、コメディであるので、わざとそんな名前を脚本家が選んだのかもしれないが、本物のペ・ヨンジュンがギョンミン役をすることはまず不可能に思えるから、やはり韓国ドラマはそれなりに役柄にぴたりと合った俳優を選んでいるとつくつぐ思う。ドラマの冒頭、ヘリョンが帰国したという報せを受け取る前にギョンミンはある女性に会って指輪をプレゼントしているシーンがある。その女性はそのシーンのみに登場したが、『その日射は私に…』にヒロインの友人として登場したかわいい女性だ。ヘリョンの代わりにもっと登場してほしかったが、ドラマに抜擢されて頻繁に登場するのは大変なことのようで、美人だけでは駄目だ。それは人生でも同じで、そのことをこのドラマはよく教えてくれている。