茸頭という髪型が日本にビートルズが紹介された時の大きな特徴になって、ビートルズの音楽に惚れ込んだ者は誰しもそれを真似した。
筆者は中学生で坊主頭が校則であったので、茸のようなヘア・スタイルは憧れるだけであったが、そうしたことで免疫が出来たせいか、ザッパの音楽を好むようになった時、ザッパの髭を真似しようという気は全くなかった。ビートルズから教わったことは、真似ではなく、独創とは何かということであった。それは大きな影響であった。そのため、10代半ば以降、明らかに何か、誰かの模倣が感じ取れる対象は軽蔑するようになった。それはさておき、ビートルズのマッシュルーム・カットの頭を発明したのは、ビートルズがEMIからデビューする以前、1960年のハンブルクのクラブで演奏契約を結んでいた頃、毎夜最前列に陣取って演奏を鑑賞していた、写真家のアストリッド・キルヒャーという女性が発明したものと言われている。だが、本人は否定している。確かにアストリッドの影響は絶大なものがあったが、彼女がビートルズの面々の演奏に出会う前にボーイフレンドであったクラウス・フォアマンはそのような髪型であったし、ドイツでは珍しくなかったという。ビートルズはアメリカのロックンロールをクラブでカヴァー演奏していたが、当然その髪型はアメリカのロッカーと同じリーゼントであった。それがアストリッドと出会い、ビートルズはたちまち彼女のフランス流の芸術的センスに染まった。アストリッドは1938年生まれでジョン・レノンより2歳年長だ。ハンブルクは港町で、ビートルズの出身地のリヴァプールをどこか思わせもするが、芸術的にはヨーロッパの辺境に位置する。ハンブルクに住むアストリッドは、生活は裕福で、写真家を目指していたが、母と同じようにミシンで服を縫ったりすることも得意で、部屋を自分好みに飾るなど、奔放な青春を謳歌していた。思想的にはフランスの実存主義に染まり、芸術もドイツから最も近いフランスから学ぶしかなかったが、それはビートルズの4人にとって新鮮な驚きであったろう。アメリカのロックンロールの模倣バンドに終わらず、オリジナル曲をどんどん書くことによってビートルズは20世紀を代表する作曲家になったが、その端緒に、アストリッドとの出会いがかなり重要な意味を持った。たとえばアストリッドは黒を好み、黒のタートル・ネックのセーターをクラウスとともに着たり、あるいは自分の部屋に真っ黒に塗った木の枝を垂らしたりするなど、黒を自分のイメージ・カラーにしていた。それは今日取り上げる本の題名、すなわちビートルズが1964年に書いた曲の題名でもあるが、そこに象徴的に登場している。ビートルズは1966年の日本公演を含め、アストリッドに因んだこの曲をステージでよく演奏したが、当時それがアストリッドに因むものであることを知る人は稀ではなかったか。
アストリッドの髪型や服装の好みは、ビートルズの2枚目のアルバム『WITH THE BEATLES』のジャケット写真のマッシュルーム・カットや黒のタートル・ネックに現われているが、4人が50年代のリーゼントのヘア・スタイルで写っていれば、ビートルズは斬新なバンドとして認識されなかったに違いない。パッと見のイメージは重要だ。ビートルズの初期の髪型から服装まで、アストリッドは影響を及ぼした。また、アストリッドの芸術的センスをジョンは見抜き、それを受け入れたが、それはジョンが元来独創的なものを追い求め、またそれを手にする嗅覚があったことを示す。さて、一昨日朝8時半に四条河原町で妹の車を待った。20分ほど待つ間、筆者の目の前をギターを背負った20歳くらいのきれいな女性が合計で20人ほども通り過ぎた。多くて4人グループ、少ない場合はひとりだが、みな服装のセンスがよく、個性に溢れて見えた。文化の日であったので、学園祭にも出演するのかもしれない。あるいはどこかでロック・バンドのコンクールでもあったのだろうか。エレキ・ギターを弾き、自作曲を歌うそうした若い女性が全く珍しいものではなくなった昨今、ロックを不良の聴く音楽だと言う人はいなくなったが、その道を切り開いたのはビートルズだ。そして、そのビートルズが、本格的にレコード・デビューする以前にどれほど練習し、またどれほど多彩な才能を持ったメンバーであったかを認識しておく方がよい。その多彩な才能とは、ロックンロールの模倣だけで満足していたのではなかったということだ。まだ誰も聴いたことのない音楽を作って行くという意気込み、これが一昨日見た女性ロッカーたちにあるかどうか。昨日書いたように、日本の漫画がどれも独創的な様式がないように見えるとすれば、若者の作る音楽も推して知るべしではないだろうか。それはいいとして、今日は先月14日に京都国際マンガ・ミュージアムで見た展覧会『13人のドイツ・コミック作家展-オルタナティヴからMANGAまで』で知ったアルネ・ベルシュトルフ(Arne Bellstorf)が去年出版した伝記マンガ本『BABY‘S IN BLACK-THE STORY OF ASTRID KIRCHHERR & STUART SUTCLIFFE』を紹介する。このドイツ語版、つまりオリジナルの出版本を展覧会を見た後、その出入り口の片隅のテーブルに就いてしばし見た。厚さ3センチほどで、クラウス・フォアマンやアストリッドの吹き出しはドイツ語、ビートルズの連中は英語となっていて、ドイツ語がわからない人にとっては半分しか楽しめない。だが、絵を見るだけでもどういうことを話しているかはだいたいわかる。筆者は10分ほどざっと読んだ。そして、外の大雨の影響も受けたのか、思わず落涙した。それで早速アマゾンに注文して同じ本を買った。全部英語にした本も出るようだが、ドイツ人はドイツ語を話すし、しかもこの本では、ドイツ語を理解しないビートルズと、英語をあまり理解しないアストリッドとのやり取りが面白い。それを全部英語にしてしまうと、せっかくの物語の持ち味が失われる。いずれ日本語版も出るだろうが、英語の部分は簡単なので、1時間もあれば読破出来る。
その原書が今手元にあるが、昨夜英語の吹き出しだけは全部読んだ。ドイツ語も辞書片手に読めるが、今はその時間がないので、ところどころ読んだのみだ。それで思ったのは、ククムムで10分ほど読んだ時に全部理解出来たことで、本を買ったのは、手元にこの物語を置いておきたく思ったからに過ぎない。話を少し戻すと、作家のアルネ・ベルシュトルフは展覧会で紹介された13名のうち、最初にパネル展示されていたせいもあるかもしれないが、最も印象に強かった。これは最も筆者好みということだ。今日取り上げる本とは違う作品が紹介されていたが、それもよかった。この漫画家の特徴は、杉浦茂のようにキャラクターをごく簡単な線で様式化して描くことにあるにもかかわらず、表情が写実に迫って味がある。単純な線で描くほどに記号化して印象が強くなり得るが、その反対に、含蓄の度合いが減少する欠点がある。そのために単純な線でまとめたキャラクターはよく子ども向けになる。アルネの作品のもうひとつの特徴は、たとえて言えば昔のスティングのように、社会的な問題にアプローチしている点だ。このアルネがビートルズ誕生の裏にハンブルク時代があり、そこでドイツ人女性のアストリッドと、元ビートルズのベース奏者ステュアート・サトクリフとの間に芽生えたロマンスを題材にして漫画本を上梓した。ビートルズの誕生の陰にはハンブルク時代と、そこで出会ったアストリッドがいることを考えると、ドイツ人のアルネがこの本を出すことはまさに適役だ。だが、この本はアストリッドやクラウスに取材して、極力真実に近い内容を心がけたというものではないだろう。あくまでもアストリッドとステュの出会い、その暮らし、そしてそこにビートルズがどう関係したかに焦点を当て、実際に知られていることを全部盛っているのではない。だが、ハンブルクの街は取材したはずで、単純な線描ではあるが、その港街の湿っぽい雰囲気は登場人物のセリフの中にも出て来るし、町並みの描き方にはリアリティが感じられる。先にアルネの描き方は簡単な線によると書いたが、日本の漫画に比べると、コマ割りは真面目過ぎるし、またコマの視点もみな登場人物と同じ水平一辺倒で、全体に動きが少なく、セリフ主体の退屈な漫画に見える。だが、各コマをていねいに見ていくと、間の取り方が絶妙で、その間に詩情が溢れている。その詩情を思って落涙させられた。そして、動きが少ないように見えて、それはこの作品の悲劇に合わせた手法であって、アルネの才能が乏しいためでは決してない。
たとえば、ビートルズが演奏していたカイザーケラーというダンス・クラブに、クラウスとアストリッドがビートルズの演奏を見に行く場面が最初の方にある。ビートルズの前に別のアメリカのロックンロール・バンドが「ロール・オーヴァー・ベートヴェン」を演奏しているが、その最中にフロアで踊るドイツ娘たちが、実に巧みに描かれている。背を向けてスカートを翻す女性の身振りは、単純な線ながら、惚れ惚れする色気があり、アルネの卓抜な表現力を見せつける。次の見開きでは、ジョンが「ディジー・ミス・リジィー」をステージを歌う間、タバコを手にしたアストリッドがサングラスをかけて背を向けてベースを演奏しているステュを見上げる場面を描く。ステュの頼りなさそうな顔と、その下のコマに描かれるアストリッドの顔は、大きく引き伸ばして額に入れておきたいほど、アストリッドの一目惚れの様子がありありとこちらに伝わり、切なくなる。こうして出会ったふたりは、お互い接近し、それまでボーイフレンドであったクラウスはアストリッドから身を引く。そして、ステュに代わってビートルズからベースを教わり、ステュの脱退後はその後釜としてジョンにビートルズへの参加を乞うが、ジョンはベース担当をポールに決めた後で、クラウスはビートルズのメンバーになることはなかった。だが、クラウスは後々までビートルズとは仲がよく、1966年の『リヴォルヴァー』のジャケットを描いたり、また『アンソロジー』のジャケット・デザインも引き受けたが、そのように絵も描けるし、音楽も出来るという才能が、ビートルズの最初期に身近にいたことはビートルズにとって幸運であった。ちなみに、クラウスにとって最も印象深いビートルズのメンバーはステュということになるが、クラウスは『アンソロジー』の第1,3集のジャケットの左上隅に全く同じステュの肖像を小さく描き込んでいる。これはとても象徴的だ。そのステュの顔は、アストリッドが撮影した有名なビートルズの写真で、その写真を撮影する場面がアルネのこの漫画にも登場する。ジョンは当初ステュがビートルズを脱退してアストリッドとともにハンブルクに残り、絵の道に進むことを快く思わなかったようだ。結局それを受け入れるが、ジョンがステュのベースの演奏が上手ではないにもかかわらず、才能を高く買ったのは、心のよりどころとして必要であったのだろう。ジョンとステュは同年生まれだが、ステュの方が数か月生まれは早い。
また、ステュはアラン・ドロンに似た上品な顔立ちで、男前度から言えばビートルズでは一番であった。そのステュがビートルズに残ったならば、どのようなグループになったか、非常に興味深いが、ステュの去った後、ポールがジョンに気に入られようとし、そして才能を発揮してふたりで曲作りをするようになったところ、ジョンにとってステュの代わりをポールがしたと言える。それでもジョンは心が飢えていて、それが満たされるのはヨーコ・オノに出会ってからだ。ジョンはヨーコに出会ったことで、ようやくステュの代わりとなる芸術的才能を身近に感じることが出来た。こう考えると、ステュのジョンに対しての位置とその大きさがわかるような気がする。そして、それはビートルズの作品の背景を考えるうえでも重要なことを示唆すると思える。こうしてだらだらと書いていて、ビートルズの話とこの漫画本の話のどちらに比重をかけようか迷うが、もう少し漫画本について書いておこう。ステュは絵画の製作に勤しむにしたがって体力を落とし、急死してしまうが、最後は余韻を大きく残す形で突如終わる。ステュの死が突然であったので、それはそうするしかなかったということだが、アストリッドの悲痛な叫びは一切描かない。もちろんビートルズの4人が受けた衝撃も描かない。それはこの本を読み終えた後、読者の想像に委ねられる。そして、その大きな悲しみを思うと、また落涙する。そして、あのように生き生きとしたバンドとして日本にも紹介されたビートルズが、その直前にこのような大きな悲しみを経験していたことを再確認し、そしてジョンもジョージももはやこの世にいないことを思うと、筆者はまた涙を落とす。あまりにも若くして死んだステュのことを、その才能が惜しいといったように嘆いても仕方がないが、そのステュの無念さを晴らす意味でもジョンとポール、そしてジョージは頑張った。いや、ポールは今でも頑張っている。アストリッドは健在だが、あまりに若くしてビートルズの写真で有名になり、また女性写真家という存在は60年代初期ではまだ認められず、早々と写真家を断念した。そして、ビートルズの写真の版権を占有しなかったこともあって、経済的に報われることがなかった。ステュの死後、二度結婚したが、子どもを生まなかった。ステュの画家としての成功を目前にしながら、それを懸命に支えたアストリッドは、ステュのことをどのように思っているのだろう。そして、この本を見て、どう思うのだろう。アストリッドとステュがとてもお似合いのふたりに描かれていて、それを見るだけでも心が温まる。それにしてもアストリッドはよほどヘヴィ・スモーカーだったのか、いつもタバコをくゆらす姿に描かれている。60年代初頭はそういう時代であったのだろう。