愁という字は秋の心で、今時にぴったりだが、筆者の柄ではない。それで「津愁」と書いて、夢の中では「つしゅう」という発音で出て来た。これは「しんしゅう」と読むべきだが、そう気づいたのは夢から覚めて1日経ってからだ。
「しんしゅう」は「信州」を連想させるが、その地に関心はない。したがって、「津愁」は別の何かがきっかけになっているはずだが、思い当たるものがない。そのことが気持ち悪く、しきりにその言葉の由来を考えてみた。「露愁」という名前の画家が一時期売り出したことがあるが、それを近年思い出したことはない。そこで「津愁」は「津を愁う」で、「津」は「港」の意味であるから、どこか港町を思っていたことによる、夢の中での造語かと考えてみる。そこで思い出すのは東日本大震災で被害を受け東北の港町の数々だ。実際夢の中で筆者はまた東北方面に旅をした。昨日目覚める直前に見た夢について書いておこう。それはよく覚えていることのほかに、明日は早朝から出かねねばならず、今日は早いめに寝る必要があり、簡単に書いてしまえる内容でお茶を濁そうという魂胆だ。このカテゴリーは原則的には、当日見た夢をすぐに書くことにして来たが、今日は1日置いてからだ。そのことで記憶が曖昧になっている部分も多々あるが、記憶にある部分だけ心の整理のつもりで書いておく。こうして書くことは、他のカテゴリー同様、もやもやとしているものをそれ以上曖昧なままにさせない効果がある。これ以上悩まない、これ以上思い出さないようにするためには形を与えればよい。筆者のブログはその意味で、お祓いの行為に似ている。さて、一昨日の夢は、いつものように最初の方はほとんど覚えていない。はっきりと思い出せる部分から始める。こんな夢であった。
バスに乗っている。家内も一緒だ。明るい車内で、全体が山吹色をしている。運転手は若い男性で、30歳ほどか。細身の優しい感じの男前だ。バスは市バスのような雰囲気だが、車内はとても狭く、まるでタクシーのような感じがしている。街中をゆっくり走っているが、道は一車線の一方通行で狭い。注意深く運転せねば、すぐに歩道に乗り上げてしまいそうだ。のろのろ運転に筆者はかなり苛立っている。何しろ、その日は日帰りで自宅に戻る必要があるのに、まだまだ目的地は遠い。バスは急停車する。右手の歩道からはみ出た自転車が3,4台、車道を塞いでいるのだ。運転手はいつものことかと、別段慌てることもなく降りて行って、それを歩道に戻し始める。そんなことをしていると、まだまだ目的地まで先が長いのに、いったいいつになれば着くのか。筆者はまた怒り出す。運転手はなかなか自転車を歩道に戻すことが出来ない。それを見かねてついに筆者も下車し、それを手伝う。やがて若い男性がやって来て、無言で自分の自転車だと言わぬばかりに、そのうちの1台を手元に引き寄せ、早速それに乗ってその場を去ろうとする。その様子にかちんと来た筆者は、その男性に注意する。「歩道に停めるならまだしも、堂々とこの狭い一車線の自動車道路にはみ出た形で駐輪するとはいったい何事か。」 そういった調子で捲くし立てる。そうして怒りを発散すると、少しは落ち着き、またバスが走れるようになったので、車内に戻る。バスは動き始めるが、急に運転手交代もあって、少しの間、バスをターミナルに入れると言う。つまり、乗客全員はある建物の前で下ろされる。それは全く予定になかったことで、筆者は面食らうが、まだ昼間でもあって、時間はあると思い、ターミナルのある付近でしばらく観光でもしようと思う。ターミナルの建物は、イタリアにある教会のような感じだ。ファサードは将棋の駒のような形をしていて、しかも田舎の新しい建物らしく、いくつかの店が同居しているようだ。その街がどこは筆者にはさっぱりわからないが、かなり遠くまで来たのは確かだ。周囲の人の声によると、「福島市」らしい。そこは初めて訪れるが、筆者が行こうとしていた場所ではない。途中で下ろされたので、仕方なしにその街中にいるのであって、早く目的地に行きたいと焦っている。建物は灰色で、板を縦方向にたくさん貼りつめた、いわば安普請だが、教会のように丸い薔薇窓がついていて、それなりに洒落ていて、街中ではひとつの目立つシンボルらしい。縦書きでその施設の名前が書かれた札が架かっていたが、片仮名混じりのユニークなものだが、覚えていない。予定にはない場所で下ろされ、その記念というほどでもないが、写すものがないので、ともかくその建物を撮ろうとするが、地上にはたくさんの人がいて、全体がきれいに収まらない。それでもどうにか雰囲気だけは把握出来る角度を見つけて、斜め前から1枚撮る。首を左に移すと、たくさんの人に混じって、若い女性が50センチほどのストゥールに立っているのか、飛び抜けて見えている。そして、こっちをしきりに意識している。筆者好みの美人で、筆者に関心がありそうだ。そう自惚れて声をかけたいと思う。すると、相手もそれを察したのか、大勢の人に紛れながら、筆者に接近して来る。近くで見ると、思ったほど美人ではなく、また全くの別の顔に変わってがっかりするが、仕方がない。そこで筆者は質問する。
「今日はバス・ツアーをしているのですが、運転手にこんな街で途中下車させられました。それに添乗員の女性の姿も見えなくなりました。パンフレットによると、最終の目的地は「津愁」というところなのですが、そこはどんな場所で、どんな見物がありますか。」 女性は地面に横たわりながら、筆者に媚びを振り撒くが、見れば見るほど顔のあばたなどが気になって、声をかけねばよかったと思う。だが、その女性は笑顔で筆者の知らないことをいろいろと教えてくれる。「「露愁」へ行かれるのですか。「津」に「愁」ですね? そこまではまだまだ遠いですよ。そこはとても神秘的な場所で、たくさんの松の古木が列を成して立っています。その数は1000本以上もあるでしょう。鬱蒼とした森です。その場所の一番の見物は、その見事な松の森もそうですが、そこを過ぎたところにある崖がいいです。そこからは海を隔てて遠くに北海道が見えます。「津愁」は青森の果ての場所です。」女性の言葉を聞いて、その「津愁」の様子をイメージしながら、そこを見て来た気分になる。しかも福島市からそこへ行くにはバスではほとんど1日かかるだろう。日帰り旅行というのに、とてもそんなところに行っている時間はない。だが、バスは車庫に入ってしまったのか、1台も目につかず、また同じバスに乗っていた他の乗客は散り散りになって、ひとりも周りにはいない。ターミナルの建物の前方を見ると、左手に昭和30年代の古い木造の建物の大きな門、しかもそれがほとんど壊れた状態で目に入る。それがとても懐かしく、福島市にたまたま連れて来られた記念にその写真を撮っておくのもいいかと思い、また1枚撮る。そして、家内に向かってどうして家に戻ればいいかと話しながら、待っていても埒が明かないようなので、ともかく違うところを歩くことにする。田舎の都会といった雰囲気で、日曜日なのか、たくさんの人が行楽に繰り出している。街はどこでも大差ないと思いながら、ふと見ると、まるで嵐山とそっくりな場所が眼前に広がる。左手に渡月橋のような木造の橋が架かっていて、河川敷きにも大勢の人が遊んでいる。家内はよく知っている場所のように思い、急に喜んで前方に向かって走る。そして、たちまちその景色の中の大勢のひとりに同化する。一瞬で200メートルほど走ったという感じだ。家内は赤い服装なので、豆粒のように遠くに行ってもよく見える。その前粒が、遠くで時計とは反対回りに走り、2,3秒のうちにまた筆者のすぐ近くに戻って来るが、その2,3秒の光景を、筆者はコマ撮りのフィルムを見る感じだなと思いながら見つめている。家内は渡月橋にそっくりな橋を、まるで瞬間移動同然に走ってこっちに戻って来たが、見知らぬ街に連れて来られながら、懐かしい光景にわれを忘れたのだろう。近くに戻って来た家内を見ると、赤ではなく、縦縞の洒落た服を着ている。そして顔を急にしかめるが、次の瞬間20歳の若さに戻っている。それを見ながら、なかなか美人ではないかと思う。だが、現実にすぐに戻って、その場所からどのようにして自宅に早く戻ることが出来るかの心配をしている。「津愁」という場所が本当の目的地であったのに、そこに到達出来ず、しかも見知らぬ街で放り出されて途方に暮れているのだ。何よりも大事なのは、どういう方法にしろ自宅に今日中に戻ることだが、それには先立つものが必要で、お金を引き出すために郵便局を探す必要がある。だが、仮に探し当てられたとして、預金が残っているだろうか。そこで目が覚めた。
※
上記の前後途中に別の場面があったが、明確に思い出せない。その思い出せない部分を省いたことによって、奇妙さは一気に減退した。少しだけ書いておくと、タバコのような小さな箱を所持していて、その中を見ると、黄色い液体が入った小さなカプセルが並んでいる。それは何かの薬品で、バスの中に持ち込んでは具合が悪いものだが、それを他の乗客に悟られないかと内心ドキドキしている。それはいいとして、「東北」、「見知らぬ街への旅」、「途方に暮れる」は、何年も前からの夢のパターンで、それがまた出て来たのは珍しくない。上記の夢の各部分はみな思い当たるふしがあるので、意外なことはほとんどない。それをひとつずつ書いてもいいが、神秘さが失われるので、筆者が知るだけでよい。また、「津愁」というのも港町と思えば、地震に関係した夢だと納得が行くし、来年はバスか電車か、ともかく一度東北に行ってみたいと思っていることが夢に出て来たようだ。それにしても夢の中でもお金の心配をしていることは筆者らしい。9月に年金がもらえる通知が来たが、それをろくに見ないで書類をそのままにしていた。そのことを家内が仕事場で言うと、もらえるものももらえないので、早々に社会保健事務署に行くように言われたそうだ。それで昨日はほとんどいやいやながら、その書類を引っ張り出して改めて眺めた。若い頃に厚生年金に何年か入っていたので、その分が60歳から65歳まで国民年金とは別にもらえるようだ。年間18万円ほどで、雀の涙だ。それをもらうためには家族の住民票その他書類をまとめる必要がある。その面倒を思うとうんざりする。もらえるものはもらうのが筋だが、筆者はそういうお金でもあまり執着心が湧かない。家内が聞いて来なければそのまま放っておいたであろう。そういう性質であるので、いつも金欠なのだ。家内は数年前、勤務している大学の職員で、年金生活に入ることを何年も前から楽しみにしていた男性をよく知っていた。その人は指折りその日が来るのを楽しみにしながら、結局1回も年金を受け取ることなく、急死した。人生とはそのようなものだ。長年期待しても一歩手前でかなえられないことがある。期待などしない方がいいのだ。年金はありがたいのだろうが、ないものと思って、筆者は60歳になった今年からどうにか金儲けしたいなと思っている。ほとんどそれは冗談だが、そのように思ってそのことをある人に言うと、ようやくまともな人間になったなと喜ばれた。それに、年金生活者となると、全くの老人めいて、もう将来がない気分になる。その一方で、年金が50万もある人に驚くが、今こうしている瞬間は金があろうがなかろうが、充実感があり、それだけが大切な気がしている。現実は夢のようにはかなく、また夢のようにあらゆる状態は留まることがない。見た夢をよく記憶するのは目覚める手前のもので、それは夢と現実が半々の状態と言ってよい。つまり、「夢うつつ」ということだ。現実が夢のようなものであるとすれば、お金がたくさんあればいい夢でも見るかと言えばその保証はないから、現実は金には左右されない部分が大きいということになりはしまいか。