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●「A NIGHT IN TUNISIA」
造メーカーの名前がどこにもないので、たぶんバッタもんだと思うが、ようやくパソコン用のスピーカーを買った。緑色に光るおもちゃ感覚が気に入った。



●「A NIGHT IN TUNISIA」_d0053294_23312676.jpg落札価格は110円。ヘドフォンの端子につないでいて、低音がさっぱり響かない。すぐに壊れて安物買いの銭失いになるかもしれないが、どうにか鳴っている。これで誕生日プレゼントとして送ってもらったCD-Rを聴くことが出来る。梅村さんに送ってもらったものは半分ほど聴いたところだ。それでここ数日はまたザッパの曲三昧だが、今日は月末なので思い出の曲を取り上げねばならない。何にしようとかと迷いながら、前述のスピーカーを入手するまでラジカセでさんざん聴いたアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの「チュニジアの夜」にする。トランペッターのディジー・ガレスピーの作曲で、その演奏もいいが、ディジーの曲は別に取り上げたいものがあるので、今日はドラマーのアート・ブレイキーのヴァージョンについて書く。とはいえ、このジャズの名曲について筆者が語ることの出来る知識や記憶といったものはない。何しろ、この曲が作曲されたのは1940年代で、筆者は生まれていなかった。アートのヴァージョンは、今CDのブックレットを見ると、1957年4月12日の演奏となっている。当時筆者は5歳だ。その年齢では思い出もあるし、その遠い記憶にこの曲を重ねると、なるほどと思える空気を想像で味わうことが出来る。それは、5歳の頃にラジオでこの曲が鳴っていたのを記憶するというのではない。それから数年経った小学生になってから見た映画に、こうしたジャズに影響を受けた曲が鳴っていたことをよく覚えていて、その思い出から逆算して、5歳頃の思い出にこの曲を重ねてみる。つまり、追体験で、同時代的に聴いたとの意味合いではない。この何年も遅れてその曲が発表された頃の空気を感じ取ることは、たとえば今の若者がビートルズを聴くのと同じだ。ビートルズの音楽に作曲された当時の空気が内蔵されていて、それを「やはり1960年代の音楽だなあ」と感じることは誰にでも出来る。だが、リアル・タイムで体験出来なかったからといって、それを惜しいと思う必要はない。リアル・タイムでの体験しか価値がないということになれば、バッハやベートーヴェンに限らず、もっと近代の音楽でも、今では誰も同時体験は出来ない。それどころか、クラシック音楽では、作曲家と演奏家があって、その双方の思いを聴き取るややこしさがある。その点、この「チュニジアの夜」は、ディジーがまだ健在の時に録音されたアートも演奏があって、時代の追体験にさほどずれがない。そのずれとは、たとえばベートーヴェンの曲を現在の演奏家が演奏すると、200年ほどの解釈のずれがあり、その開きは今後ますます大きくなって行くが、ディジーやアートの演奏は、そのまま1940、50年代の空気を保っているということだ。これはどちらがいいといった問題ではない。作曲と、それを解釈した演奏との年月の開きが大きくなって行くことは不可避であり、永遠に新しい解釈が際限なく可能なクラシック音楽は、時代ごとの人々の好みにあった形で作り代えられる柔軟性を持つ点で、奥が深く、面白い。それが古典の意味であり、「チュニジアの夜」も多くのミュージシャンのカヴァー演奏され、同じような長い年月を生き伸びて行くはずだが、作曲者本人の演奏をそのまま楽しめる点で、クラシック音楽を聴くようなもどかしさはない。これも書いておくと、作曲家の思いが演奏家や指揮者によっていささか違って聞こえることは、もどかしさである一方、さまざまな解釈の存在によって作曲家像が巨大化されて行くところがあって、作曲家にとってはありがたいことかもしれない。ただし、それは墓下の作曲家の思いを踏みにじっている部分もあるかもしれないという反省を常に忘れてはならない。話のついでに書いておくと、ストラヴィンスキーの音楽は作曲者自身の指揮による録音があり、それが最大の古典になるべきと思うが、現実はそうなっていない。ブーレーズの指揮のものはもっと音がよいし、ストラヴィンスキーと生前会ったことのあるブーレーズの指揮による録音は、ストラヴィンスキーが生きていたとしても、自身の指揮したものよりいいと言うかもしれない。
 それと似たことを筆者はこの「チュニジアの夜」の演奏に思う。ディジーの演奏もいいが、より好きなのはアートのものだ。ここでは本家の演奏を食ってしまうほどの迫力がある。ディジーがそうした解釈をどう思ったのかは知らないが、自作曲がさまざまな色合いで他者に演奏されることは喜んだのではないだろうか。ジャズとは元来そういう音楽だ。即興が命というところが大きく、演奏者によって雰囲気ががらりと変わる。40年代のディジーの演奏を、50年代半ばのアートが、よりエネルギッシュに演奏したのは、当時のジャズの流れが影響した。今手元にディジーとチャーリー・パーカーが演奏したヴァージョンがあるが、このふたりはビ・バップの天才と言われる。それに対して、アートの演奏はパーカー没後に勃興するハード・バップに分類される。その特徴は、聴き比べると即座にわかる。まずメロディを吹く管楽器の演奏が著しく速い。ほとんどそれは人間技としては技術の限界と言ってよい。これはロックに対してハード・ロックという言葉があることを思えばいい。つまり、簡単に言えば、きわめて技術的でしかも激しい。これを野生的と言い換えてもいいだろう。また、アートの「チュニジアの夜」は、最初と最後にドラム・ソロがあるが、そこに数種の打楽器の音色が被さる。これは多重録音ではなく、他のメーバーが演奏している。そのドラム・ソロが終わったところで、トランペットやアルトやテナーのサックス奏者がそれぞれの楽器に持ち替える。筆者がアートの演奏を好むのは、その全体的に重厚な音色もあるが、この最初と最後のドラムを好むからだ。ドラマーのアートは、自分の華やかな場面を最初に持って来たわけだが、それは実際この曲のメロディの部分以上に楽しい。打楽器の音色はラテン音楽を聴いている気分にさせ、これがハード・バップの特徴でもあった。日本でもマンボやルンバが流行したことは、それこそ筆者は同時体験的に記憶する。50年代はアメリカのジャズだけではなく、世界的にアフロ・キューバンの音楽はもてはやされたのではないだろうか。そうした曲で最もよく知られるのはハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」だろうが、これはすぐに日本人がカヴァーして歌ったし、子どもの筆者でも耳にタコが出来るほど当時ラジオでよく聴いた。そういう曲がアメリカで大ヒットする背景には、アートの演奏する「チュニジアの夜」の前奏部があったと思える。ジャズは、ブルース以外に他国の音楽の要素を取り入れた。特にアメリカから距離の近い中南米のそれだ。また、「バナナ・ボート」の一種の衝撃は、たとえばポリスがライヴで演奏した、確か「ロクサーヌ」の中間部で、スティングが「バナナ・ボート」を突如歌い出すことに見られた。アメリカではラテン音楽の影響は絶えずあって、それがジャズやロックに巧みに取り入れられ続けて来ている。また、そうしたラテン音楽は、「バナナ・ボート」もそうだが、ブルースと同じく、労働歌や民謡といった素朴なものを基調にしており、ジャズと融合することは必然であった。
 アートのドラムのセットは、テリー・ボージオの恐ろしく数の多いものに比べて、太鼓もシンバルもえらく少ない。ビートルズのリンゴのセットと同じで、基本的なものだけだろう。そのような少ない数でどういう音が出せるかとなると、ボージオの演奏に耳慣れた人からすればかなり物足りないかもしれない。だが、音楽を聴く楽しみは、結局演奏者の人柄に尽きる。筆者はアートの演奏を聴いていると、心が温まる。実にいい顔をしており、音楽、ドラムスに本当に満ち足りた表情だ。無口で睨みを利かし、格好をつけるというのでもなく、また軽薄というのは全く当たっていない。親しみやすさと言おうか、会って話が出来るのであれば、マイルス・デイヴィスなどよりもはるかに筆者はアートを選ぶ。そういうアートはたくさんのジャズ・メンを育てたが、それは人柄というものだろう。気難しい人物であればそうはならず、また軽過ぎても人は集まらなかった。日本ではアートの人気は大変なものがあったそうだが、初来日は1961年という。一方、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」は1957年の映画で、その主題歌も大ヒットしたが、その記憶は鮮烈にあるが、裕次郎がドラムスを叩いて歌うというその歌は、かなりアート・ブレイキーの衝撃が影響しているのではないだろうか。「嵐を呼ぶ男」から4年後の来日ではあったが、アメリカのミュージシャンの来日は60年代から活発化したのではなかったかと思う。ちなみにハリー・ベラフォンテは1960年7月に初来日している。ついでに調べると、マリリン・モンローは1954年に来ている。外国の大物ミュージシャンの来日で最も早かったのは誰だろう。今調べると、昭和27年(1952)にジーン・クルーパーのトリオが来ている。ジーン・クルーパーのドラミングは「嵐を呼ぶ男」と形容するふさわしい激しさがあって、アートの人気沸騰の以前にジーンが日本で果たした役割は大きかったに違いない。また、白人中心のスイング・ジャズとは違って、その後のモダン・ジャズは黒人が幅を利かし、ハード・バップとなればそれがより顕著になって、そこが日本におけるジャズ・ファンの間でも世代間で人気が違ったと想像するが、裕次郎主演の映画となると、アートよりもジーンのイメージに近い。それはともかく、戦後の日本にはまたジャズが盛んに入って来て、それはビートルズが登場する1960年代前半まで大人の音楽としてもてはやされたが、筆者はビートルズを同時代的に聴きはしたが、ジャズには関心がなかった。それがこうしてそれなりに古いジャズを楽しむようになったのは、ビートルズ登場以前の筆者の子ども時代のことをよく思い出す年齢になったせいもあるかもしれない。それに、作者の風貌や作品から、その人の心を読み解こうという年齢にもなったからだろう。その意味において、アートはとても人がよく、それが作品に現われている気がする。
 「チュニジアの夜」という題名は異国情緒満点で、アラビアの書物の「千夜一夜物語」を連想してしまうが、これはチュニジアがアラビア人の国であるからだ。また、この国はアフリカにありながら、地中海に面して、古代はローマ帝国にも入っていたが、ディジーがこの曲を書いたのは、チュニジアに行ったからかどうかは知らない。だが、目のつけどころはさすがと言うべきで、この題名に他のミュージシャンが触発されたことは多々あるのではないだろうか。その中にはザッパも加えていいが、それはザッパが地中海人を祖先に持つところからはなお決定的なところがある。また、アラブというところからは、ジャズが世界のさまざまなものに目を向けて行く様子が現われてもいるように思える。メロディを拾って音を確かめていないが、この曲にアラブの音楽っぽい部分はない。だが、それでいてきわめて特徴的で、そこにディジーの稀な才能を見る。またザッパのことを書いておくと、この曲のメロディのイントロは、「A POUND FOR A BROWN」を思い出させる。ザッパがこの曲を知らなかったはずはなく、名曲はひととおり頭に叩き込んだうえで、自作曲を書いた。その影響はよくわかるレベルからそうでないものまでさまざまだが、最初にドラムスを学んだザッパの頭に、ジャズ・メンのどんなドラマーが理想像としてあったのかを思えば、この曲の前奏と後奏の、ドラムスに多くの打楽器が被さる華やかな様子は、まさにザッパ的味わいと言ってよく、筆者がこの曲を好むのはそういうところもあるかもしれない。最初に掲げたCDのジャケットは、アートが最初に録音してアルバムに収録した『チュニジアの夜』に、6日前の4月2日の録音の2曲を加えたアルバムで、ジャケットは新たに描き起されたものだ。LPで最初に出た『チュニジアの夜』はアラビアらしい風景と人物がイラストされたジャケットで、1960年にリー・モーガンのトランペットやウェイン・ショーターのテナーをフィーチャーして録音した同名のアルバムでは文字だけのジャケットとなった。まだそのLPを聴いていないが、ウェイン・ショーターはその後ジョニ・ミッチェルのアルバムには欠かせない人物となり、またその独特としか言いようのない演奏は不思議な魅力を持っているので興味がある。また、その60年の演奏でもアートは同じように激しいドラムを叩いているようで、それを57年4月の演奏と聴き比べてからここに書くべきであったかもしれない。結語として、アートの「チュニジアの夜」を聴いていると、活力が湧く。落ち込んでいる時に聴くとよいが、元気な時にはなおよい。
●「A NIGHT IN TUNISIA」_d0053294_23314845.jpg

by uuuzen | 2011-10-31 23:32 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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