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●満員バスの中での邂逅と新雪を踏みしめながらの散策
御不能である睡眠中の夢が、辻褄の合わないことは当然だ。その変な夢について記しても面白くないというのが、筆者が達した結論のようなもので、そのためにこのカテゴリーに書かなくなった。




今調べてみると、去年11月21日が最新の投稿だ。それからもたくさんの変な夢を見て、今でも思い出せる鮮烈なものがいくつかあるが、夢を見てすぐに書くのでなければ価値は減ずる。記憶しているとはいえ、細部からどんどん忘れるし、時には見た時とは違った形で反芻し、それを実際に見たものと思い込むこともある。夢について書かなくなった別の理由は、夢が記憶の整理作業であるらしく、目覚めた瞬間にきれいさっぱりに忘れていることが多く、またそれでいいのだが、そのそれでいいことを、あえて書くのであれば、本能が要求していることとは反対の行為となって、精神衛生上、あまりよくないのではないかと思ったことだ。この危険を避ける気分からして、筆者はかなりの凡人だ。非凡な芸術家なら、そこを踏み越えてどんどんその内部に入り、目覚めている時には決して感じ取ることの出来ない何かをそこで手に入れるのだろう。たとえば画家のゴヤはそのいい例だ。20世紀のシュルレアリストたちは、それをある意味ではかなりわざとらしく使うことで、大きな潮流を形成した。そのわざとらしさにシュルレアリストの内部から批判がなかったわけではない。筆者が夢について書くことに懐疑的になったのは、幾分かはそうした批判に同調している部分がある。ただし、あえて幾分と書いておくのは、全面的までとは言えないからだ。その曖昧なところがあることによって、今日はほぼ1年ぶりに、またこのカテゴリーに書くことにする。さて、つい30分ほど前、目覚めの直前に見た夢は、筆者にとってここに書いておくべき価値がまずあると考える。すぐに目覚めてすぐに階下に行き、顔を洗って、3階のパソコンに向かっている。目覚めた直後、夢を手紙として、紙に万年筆で書こうとまず思った。ところが、顔を洗いながら思い直し、このカテゴリーに投稿することに決めた。そして、こうしてパソコンで書いている文章を印刷し、それに手書きの文章を添えて、その人宛てに出すのもいいと考えている。ただし、全部書いてみるまでは、手紙として今日投函するかどうかわからない。その人に夢の内容を知ってもらいたいのでもないし、また意味を変に受け取られるかもしれない。そう考え始めると、たちまち出さないでおこうという気持ちに大きく傾くが、その一方で本当に珍しい夢であったので、知らせておきたいという気分にもなる。その手紙を出そうとしている相手は、さきほど見た夢には出て来なかった。ただし、夢に登場した若い女性は、その人の娘さんで、今は別に暮らしている。筆者が女性の夢を見るのはめったにないが、今朝のように生々しく登場したのはさらに珍しい。その意味でも書いておきたい。その夢について以下に書く。
 筆者は満員バスに乗っている。市バスではない。かといって全員が座る長距離バスでもない。そのバスが、通勤の時間帯のように満員で、筆者は身動きが出来ない。筆者はつり革にぶら下がっている。そのバスには友人2,3人と一緒にどこか寒い地方に旅行するために乗ったようだ。だが、満員のあまり、友人たちとは離れて立ち、同じ車中にいることはわかっているが、姿はほとんど見えない。そうこうしていると、バスは停留所に停まった。そこでまたたくさんの人が入って来た。もうこれ以上は入れないのに、それらの人々はうまく吸い込まれ、ふたたび同じ満員状態のままバスは動き出す。ふと見ると、筆者から4,5メートルほど先にMがいる。さきほどの停車で乗って来たようだ。Mも筆者に気づいたらしい。その顔は頬がリンゴのように赤く、外がかなり寒かったようであることがわかる。Mはダウンのスポーティな紺色に赤のラインが混じった半コートを着ている。Mの姿を見るのは、かれこれ25年ぶりになろうか。しかも夢の中ではそのようにはっきりと見た記憶がないので、とても意外な気がしている。Mはひとりで乗っているのではなく、老齢の男性や、また他の2,3人と一緒のようだ。Mは筆者に気づきながら、目くばせしたり、また驚きの様子を見せず、一緒に乗って来た相手に適当に話をしている。満員バスは地道を走っているらしく、かなり揺れるが、そのたびにMは意識して人を少しずつ押し分け、筆者の方へに接近する。そして、ついに2,3人を挟んでという位置に来た時、セロファンに包んだ小さな切手ほどの紙を、周囲の人に押されながら、どうにか腕を上方に上げて筆者に手わたそうとする。そして、周囲によく聞こえる声で、「これは覚醒剤を包んでいた紙ですが、中身は違います」と筆者に言う。「覚醒剤」と聞いて筆者はびっくりする。周囲の人もそのようで、この女性はいったい何者だと言わんばかりの顔でMを見る。Mはそれにはかまわず、筆者に何か伝えるためにその紙を手わたそうとしたのだが、筆者はそこに何か筆者に伝えたいことが書かれてはいないことを知っているので、それを受け取ることをしない。その瞬間、バスはまた停留所に停まる。そこではしばらくトイレ休憩があるようで、乗客はぞろぞろと車内から出て行く。かなり空いた頃、ようやく友人の顔も見えるが、バスの出入り口にいて筆者の方をいぶかしげに見ている。それを背中に察したMは、後ろの出入り口から出ようと筆者に言う。筆者は喜ぶ。そのようにMとふたりで歩くことは長年なかったことで、これからもあるとは思えないからだ。それに、夢でさえも一度もふたりが並んで親しく話をすることはなかった。バスの外に出ると、雪は降っていないが、辺り一面銀世界で、足元は新雪が布団のように広がっている。そこを音を立てながら、並んで歩き始める。Mは筆者の右側で、ふたりは後ろを見ずにまっすぐに歩く。周囲を見ると、筆者らの歩いているところは平原のようだが、左右は黒々とした森で、人影はない。Mは笑顔で幸福そう見えた。そのことを質問するまでもなく、Mは自分が周囲の人たちにとても大切にされ、生活に全く満足していると言う。筆者は時々Mの横顔を盗み見する。頬は相変わらず赤いままで、しかもふっくらとして昔のままの美しさと若さだ。
 バスから100メートルほど離れた場所に来ると、Mは急に帰宅せねばならないと言う。こうして筆者と会っていることは、罪の意識もあって、一緒に暮らしている人たちに悪いとも言う。そして、右手前方には、田舎の小さな駅舎の改札口が見える。そこから列車に乗ってMは帰りたいのだ。Mは用事があると言って出て来たが、筆者に会うために数時間も費やして遠方に来てしまった。そのため、会ってまだ2,3分というのに、早く帰らねばならない。筆者はせっかく偶然にこうして会えたので、もっと一緒にいたいと内心思うが、Mに迷惑はかけられない。また、Mはわずか2,3分でも筆者に会ってあげたのであるから、それだけでも筆者は感謝しなければならないという素振りを少し見せる。そう思っているらしいMなのだ。そこが昔とは大違いだが、それでもどうにか理由をつけて、わざわざ筆者に会いに来てくれた。それだけでも感謝せねばならない。Mはそわそわしながら、駅舎の方を向く。Mは黒くて古びた、そして大きいが中には何も入っていないランドセルを背負っている。そのような格好を不思議に思うと、Mはそれを察したのか、今度は筆者が履いている塗りの下駄を見ながら笑って言う。「わたしの両親はこんな寒い雪の中で、素足にそんなトイレ用の下駄を履きなさいとは教育しなかったよ。」 そう言うMの足元を見ると、Mも同じ下駄を履いているではないか。すぐにでも筆者と別れようとしているMに向かって、筆者は焦りながら、筆者のブログにぜひとも筆者だけがわかる形で何かコメントを書き込んでほしいと言う。Mは笑みを浮かべながら、聞こえないふりをする。そして、筆者はMがもう二度と筆者とは会わず、また意志の交流を望んでいないことを知っている。Mはまた、ともに暮らす人のところへ戻る必要があり、こうして時間を取られることから早く逃れたいという素振りを見せる。そこで目が覚めた。


夢にしてはあまり変な内容ではない。これは大半を目覚めた瞬間に忘れたためでもあるだろう。満員バスの場面の前に、別の場面があったはずだが、こうして書いている今は思い出せない。また、Mが出て来たのは上記の箇所だけのはずで、それが珍しいので書く気になった。Mの夢は今までに何度となく見た。だが、いつもそれは筆者がMの姿を追っているにもかかわらず、実際には手がかりがなく、姿をまともに見たことはない。いつも後ろ姿か、あるいは気配を感じるだけで、筆者は見知らぬ町で途方に暮れる。今朝のように、夢の中でMと言葉を交わしたことはほとんど初めてのことだ。なぜ、言葉を交わす夢を見たのか。思い当たるふしがない。そのように出会いたいという願望が夢となったのか。それもあろうが、Mと会うことは、Mの住むのが遠方であり、またMにその意志がないことははっきりしているので、筆者は会えるとは全く思っていない。であるから夢に見たか。今までに夢にはっきりと姿が見えたことがなかったのに、今朝はそれが実現した。そのことに、嬉しさと言うより戸惑いがある。もう生涯会わないのであるから、夢に生々しい姿が現れることは、「悲しみ」の一語で形容出来る。現在のMは今朝の夢に出て来たように若くはない。最後に見たのは四半世紀前のことだ。そう考えると、Mが筆者に会ってもすぐに帰らねばならないと言い始める理由もわかる気がする。ただし、夢ではMは昔のままだ。それは当然で、昔の姿しか筆者は知らない。今朝の夢を見たことで、今後Mは同じように筆者と語る形で夢に現われるかもしれない。そのことが、今までのMらしき女性が姿をほとんど見せない形で出て来た夢とどう違うかと言えば、同じ夢であるのでどっちでもいいようなものだが、夢の中だけでも、またほんのわずかな時間だけでもMと会えたことは、やはり心が躍る。ただし、夢は現実ではなく、最初から悲しいものであることは自覚している。とはいえ、こうして書いている現実もまた、悲しみと喜びが混ざっている。今朝の夢を見た理由を考えると、ここ数か月の間に、筆者のMに対する思いがある場所に落ち着いたからだと思う。その落ち着きとは、今までとは違って、「出来れば会ってみたい」ではなく、「会わなくても我慢出来る」に変わったことだ。これは覚悟したと言えばよいか、そのように決心したことで、かえってMのことを大切に思うようになった。そのため、Mは夢の中で明確に声を発し、姿を見せるようになった。それにしても、会ってすぐに帰らねばならないと言うMは、どんな形で筆者を夢に見るのだろう。あるいは全く見ないか。それを訊く術はない。Mがこのブログを読むことはまずないが、読んだところで、それは筆者にはわからない。そのためにこうして書くことが出来る。
●満員バスの中での邂逅と新雪を踏みしめながらの散策_d0053294_19225322.jpg

by uuuzen | 2011-10-27 21:55 | ●【夢千夜(むちや)日記】
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