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●『岡本太郎 地底の太陽展』その3
屋を暗くして映像を見せるか、あるいは暗闇で作品に触れさせるか、近年の展覧会のひとつの大きな特徴は、そのような多角的な見せ方の点にある。これは子どもにとってはお化け屋敷的な魅力に映る。大人であれば、映画を思い出し、その暗い空間で気持ちがほぐれる。



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また、たいていはそうした暗い部屋では椅子が用意されていて、老齢化に向かう日本をよく反映した心遣いだ。岡本太郎が太陽の塔の内部に作った地底の太陽を中心とする空間は、「地底」のコンセプトからして暗くするのは当然だが、そのことが見世物として歓迎され、心がわくわくする空間を形成することになったのは、図らずも40年前に現在の展覧会の流行を先取りして、さすがの岡本を思わせる。この展覧会は交通の便のよくない万博公園内で行なわれたにもかかわらず、筆者が訪れた時は満員で、岡本人気を改めて印象づけた。そして、万博時の、しかも太陽の塔内部の紹介のみであるにもかかわらず、これほど人気があったのは、画家であるから油絵ばかり並ぶ展覧会が普通という印象とは無縁の場所で岡本が認識されていることを示す。岡本を画家と分類すべきではなく、彼がよく使ったように、芸術家と呼ぶべきなのだ。芸術家は、絵によって思いを表現するのではなく、岡本がそうであるように、書でも立体でもインスタレーションでも同様に思いを表わすことが出来た。さて、「書」と書いた。岡本の絵は、晩年に向かうほどに「書」らしくなった。それは、岡本が筆と硯を使って不自由なく文字を書くことの出来た最後の世代に思わせる。その意味で岡本は確実に旧世代の芸術家だが、それが現在の若者に歓迎されるのは、書の命がまだ失われていないと見るべきか、あるいは単に岡本が芸術の真髄を表現し得たからなのか。岡本の書は、あまりに独特で、誰か先人の書を臨書して獲得したものではない。それは漢字が物をかたどったことで生まれて来た原点に戻って、その形に込められた古代人の魂に同化して表わそうとしたものだ。その意味で岡本が仮面に魅せられたのはわかるし、また仮面のように、人間の表情を純化した形態は、漢字と通ずるところがあることに思い至る。その漢字を岡本は、誰が見ても一瞬のうちに岡本とわかる筆跡で書いたが、その書は書でありながら絵画でもあり、その絵画性は、古代人に同化した岡本という個性を映し出していて、そこには太陽の塔と同様の思いが発散している。また、その岡本の個性というものは、書に限れば、それが紙の白と墨というきわめて単純な対照として作品化していることもあって、岡本のカラフルな絵画を見る以上に、精神性が直截的に感じられる。その書に見られる個性を、書家はきっとグロテスクなものとして否定するだろう。ところが、筆者には、石川九楊流の書以上に強烈で、しかも嘘がないように見える。そうした岡本の書は、近年流行している若手の前衛書道家による絵画的な書とも違って、いやらしさがない。有名になろうとか、うまく書いてやろうとか、そういうことを全く考えずに書いたためだ。では技巧がないかと言えばそうではない。それなりに岡本は練習したはずで、油絵の筆を持つ一方で書の筆を盛んに持った最後の世代であった。それゆえ、岡本の作品は、西洋と東洋の双方を持ち合せたもので、今後同様の芸術家はおそらく出ないであろう。コンピュータで文章を綴り、さっぱり毛筆の書で個性を表現出来なくなった現代の日本人は、抽象化は呼び声がいいが、内容に乏しいうすっぺらな作品しか生み得ないように思える。
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 話が変わる。さきほど1階のソファでくつろぎながら、眼前の衣桁にかけた自作のキモノを見ながら思った。コンピュータの技術が進歩して、今ではインク・ジェット・プリントによって本物と一見区別がつかないものが布にも印刷出来るため、筆者の作品も区別しにくいほどに複製出来るのであろう。それは夢のような話でありながら、そうして複製したものは、結局は複製に過ぎず、そうしたものを飾って楽しむことは美の感覚を摩滅させはしまいか。自作のキモノを前に愉悦を感じて顔がほころぶが、それは自分が費やした時間がどうのこうのという問題ではなく、そこに存在する物としての迫力を感じるからだ。こればかりは写真やまた同寸のインク・ジェットによるプリントでも再現出来ない。その1点にしかない、そして手づくりの現実感は何物にも変えがたい。これは口で説明することは無理で、作品の前にじっと座って感じる以外に方法はない。たとえばの話、TVで美人を見てドキドキするとする。その美人とふたり切りになって部屋で対峙すればそのドキドキ感はどれほど増すか、男なら誰でも想像するだけでドキドキするだろう。それと同じことで、1点もののエネルギーには圧倒的なものがある。それが複製技術が進歩するにしたがって、どんどん失われて行くと言ったのがベンヤミンだが、コンピュータ時代になってさらにそれが加速化し、今では1点ものより複製の方を本物と思いかねないことまで生じている。これは美がわからない時代に突入したことを示すだろう。一方で、物は美しい方がよく、またそうした物でなければ人々に歓迎されず、また売れないから、商品に美を盛ろうとされる。グッド・デザイン賞があるほどで、商品の美の歴史も当然それなりにあるが、それは芸術作品の1点ものとは同列には置けない。手元にある美しいデザインの商品が壊れたり、盗まれたりしても、同じものはいくらでも世の中にあるから、それをまた入手すればよい。その意味で筆者は工業製品がいくら美しいデザインをしていても、それを1点ものの芸術作品と同列にはみなしたくはない。つまり、工場製品に内在する美を意識する思いは必要でも、それだけでは駄目だと思う。だが、これは少数派であろう。大多数の人は芸術に関心はないし、ある人でも1点限りの芸術家の作品を頻繁に買って身の回りに飾ることは少ない。だが、筆者はどちらかと言えばそういう生活をしているので、筆者の書くことは、ごく少数の人にしか同意されないだろう。それが悲しいとも思わないし、また1点ものの芸術作品を買いたいとは思わない人を非難するつもりもない。ゴルフの好きな人は大半のお金をそれに注ぐし、女やギャンブル、美食、ファッションなど、人が夢中になるものは世の中にはたくさんある。芸術作品などはそういったものの中で、最も重視されない。大多数の人は誰が見ても価値があると思う工場製品のブランドものを身の回りに置きたがる。そのことで世界は回っていると大多数の人は思っているし、そのことでそれは正しいのだ。だが、それが正しくても、筆者は筆者の好きなものを好きと言うし、そうしたものに取り囲まれていたい。
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 話を戻して、岡本が万博のために作った地底の太陽は行方不明で、残る写真によってそれを復元したものが今回展示された。また、万博当時と全く同じというわけには行かないが、暗い部屋を作って、そこに似た雰囲気を再現した。それらの写真を今日は3枚紹介する。地底の太陽は設計図も残っていないようだが、あまり複雑な形をしておらず、写真からでも寸法はほぼ同じものが作ることが出来たようだ。ただし、複製と最初から知っているため、ありがたみに乏しい。これは複製という言葉に惑わされているからか。あるいは、岡本のこの作品は1点ものとはいえ、工場に発注して作らせたものであるはずで、岡本はそうしたことで自作のアウラが減じるとは思わなかったのだろう。岡本は万博以降、積極的にウィスキーのグラスや瓶のデザイン、あるいは仏像の掌の形をした大きなプラスティック製の椅子といったものを手がけ、工場製品や複製を否定しなかった。その点では、先に書いた旧世代の芸術家からはみ出ている。とはいえ、筆者の思いを書けば、複数存在する岡本のそうした作品は、岡本のデザインしたものというに過ぎず、ありがたみは乏しい。アウラが強烈に発散するものは、やはり1点ものに限る。だが、万博時の地底の太陽のあった空間が再現不可能であれば、それを模したもので代用するしかない。ただし、それは代用であって、本物ではない。そのため、地底の太陽の複製展示は、その部屋を見る以前の赤い壁紙を貼った部屋に展示されていた模型や当時の太陽の塔内部の写真と同列に考えるべきで、贋物と知りつつ、その一方で万博時を想像することで、その欠落感を埋める。地底の太陽は、照明でうまくごまかしていたが、金属特有の光沢がなくて安っぽい。これは予算不足もあったのだろうが、板か紙製ではないだろうか。それに天井から下げられた仮面は、万博時そのままではなく、数も少ない。一部に岡本の作った仮面があった。ブラック・ライトが当たって面白い色合いをしていたが、これらは当時のものだろう。残念なのは、当時は床の上にモアイ像など、多くのものが据えられたのに、今回は部屋のふたつの片隅に大仏の掌型の椅子が置かれただけだ。これは奈良の商店街に昔から店頭に置かれていて、「触らないで下さい」と書いてあるが、今回は監視の係員用かと思って遠慮しながらも、観客が順に座っていたので、筆者も座った。ほかの人も感想を漏らしていたように、思った以上に体がすっぽり入って心地よい。この椅子とは違って岡本は、「座ることを拒否する椅子」と題する座り心地の悪いプラスティック製の椅子を販売したから、椅子に対する本当の思いはどちらであったのだろう。きっとどちらでもあると言うに決まっている。この黒のカーテンで仕切られた部屋には、小さな音量でシンセサイザーらしき音楽が流れていた。それが当時流された音なのかどうか、会場には説明がなかった。本来展覧会をするにふさわしくない空間で、この展覧会が開かれたのは、岡本が万博用に作った作品であるからで、他館に巡回するほどのこともないだろう。ただし、客を集めたい百貨店ではこの展覧会を開催したがるはずで、地底の太陽の発見を本当に願うのであれば、日本全国を長期間にわたって巡回すべきと思う。
●『岡本太郎 地底の太陽展』その3_d0053294_23343189.jpg さて、この展覧会は若者に人気があったが、その理由のひとつは、関西では初めて岡本太郎の有名な立体作品を小さな模型に復元したものが、丸いプラスティック・ケースに収められて1個400円で出口の売店で販売されたことによる。子どもがよく買う、ガチャガチャと呼ぶ商品だ。まだ販売されているなら、ひとつ買うつもりであったが、予定していた個数は早々と完売したそうだ。ひとつずつ手で彩色せねばならず、量産が難しいのだろう。1日400か500個限定であったそうだが、ひとりで何個も買う人が多く、数を制限したようだ。目当てのものがなかなか出ずに、同じものを何個を買ってしまった人が、早速ネット・オークションで売っているが、それもすぐに売れて行く。全部で7種あって、それらをセットにして円柱形の透明ケースに収めて展示されていたので、その写真を撮って来た。光の具合で2,3個が見えにくく写っている。筆者がほしいと思ったのは、飛行船らしき形をしたものだ。これは初めて見る。そのほかは、手前に黄色と赤の2個がセットになった「座ることを拒否する椅子」や、太陽の塔の顔などがある。その太陽の塔の顔の右手前は、ブロンズ色の丸い笑顔の仮面を両手で支える作品で、これは西宮市大谷記念美術館の庭に昔から設置されている。同じものが全国にはたくさんあるのだろう。肝心の太陽の塔がないが、これはみんぱくの土産コーナーで昔から販売されている。3000円ほどしたと思うが、大小ある。太陽の塔の内部の生命の樹木が模型で作られたのであるから、岡本の立体作品がこのように安価で量産されて売られることは自然だ。岡本が生きていても否定しなかったろう。何でも模型にしてしまわないと気が済まない日本人の習性は、江戸以前から変わらない。絵も書もうまいという才能は今後は求められないが、この模型という概念を芸術に応用して、江戸以前からの精神を現代に蘇らせる作家は出て来るだろうし、実際それはたとえば村上隆に例がある。旧いものが絶えても、それを悲しまず、新しく手にしたことでやって行けばいい。だが、筆者のような旧い人間は、旧い時代のものに目が行き、それらに取り囲まれていたい。それは旧いものの中から何か新しいものを見つけようという思いがあるからで、筆者なりに現在を見つめてはいる。
●『岡本太郎 地底の太陽展』その3_d0053294_23344531.jpg

by uuuzen | 2011-10-22 23:35 | ●展覧会SOON評SO ON
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