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●難波高島屋の岡本太郎のタイル壁画
雑があまりにひどく、また横入りする車もあったりで、バス停が50メートル先なのに、15分ほどバスが動かなかった。10日ほど前の9日の万博公園東口でのことだ。



よほど運転手に「ここで降ろしてください」と言おうかと思ったちょうどその時、バスは少し動き始めて、のろのろとバス停の20メールほど手前まで進み、そこで乗客を降ろしてくれた。当日は日本晴れといった好天で、万博公園はどこも大変な人出であった。展覧会をひとりで見に行ったが、その感想を書くのに数日かかるだろう。そして、最初に見た展覧会では写真を10数枚撮って加工済みだが、それを一度の投稿に全部載せることは出来ないので、例外としてひとつの展覧会の感想を3回か4回に分けて投稿しなければならない。あるいは思い切って半分以上の写真を没にするか。まだそれを迷っているが、今日はその前夜祭的に、大阪難波高島屋の、確か7階にある岡本太郎のタイル壁画について書いておこう。この壁画を最近二度じっくり見た。高島屋がすっかり改装が終わったのは最近のことと思うが、そのリニューアル完成と同時に据えられたもののはずだ。この壁画は、昔の同百貨店の大食堂にあったものらしい。かつてのその姿を見ていないが、大食堂が閉鎖されてから資料室に保管されていたと見える。近年の岡本太郎人気にあやかるということでもないだろうが、高島屋としてはせっかく昔岡本に誂えで作らせた壁画を眠らせたままにしておくことはないと考えたはずだ。正面玄関を入ってすぐ右のエスカレーターを順に上り、7階で下りた時にそのすぐ左手にこれが据えてある。その付近はちょっとした休憩用の空間で、眼前にはレストランがいくつかある。その付近が昔は大食堂であったのだろう。難波の高島屋は10歳頃から何度も行っているが、貧乏であったので、大食堂で食べさせてもらった記憶はない。すぐ隣の南海電車に乗って20分ほどで泉大津の叔父の家に着いたので、そこで食べればいいと母は思ったのだろう。それはさておき、難波の高島屋は一昨日書いた展覧会『民都大阪の建築力』でも紹介があった。心斎橋のそごうや大丸も同じく歴史ある建築物として紹介されていたが、大阪の南部は心斎橋で結ばれる百貨店が文化に大きな影響を及ぼした。その一端が、岡本太郎が大食堂に作ったこのタイル壁画だ。
●難波高島屋の岡本太郎のタイル壁画_d0053294_051566.jpg

 写真を見てのとおり、昔流行した一辺15ミリ程度の正方形の色タイルで、岡本太郎はざくざくと画用紙にでも下絵を描き、それをタイル職人が方眼紙に写し取ったのではないだろうか。タイルは目地が必然的に現われるので、通常はその白い色をどうするかが問題だが、タイルと同じように色分けしてある。また近くで見ると、タイルも含めて絵具かペンキでかなり修復した跡が歴然としていて、大食堂から撤去する際に破損したことを思わせる。これはおそらく剥がす時に、保存するか廃棄するか、百貨店としては迷ったためもあるのではないか。大食堂がいつ閉鎖になったのかは知らないが、当時岡本太郎の人気はさほでもなく、もう充分に役目を果たしたということで、保存を決めたにしても、かなり手荒く倉庫に放り込まれていたように思う。それがにわかに注目を浴びたのは、岡本の没後、人気が高まったからだと思う。だいだい世間はそんなものだ。金毘羅の奥書院の若冲障壁画にしても、さっさと別の画家が描いたものに交換されてしまい、かろうじて『花丸図』だけが残った。今となっては、そのほかの部屋の若冲の障壁画も残しておけばよかったと大いに悔いているはずだが、後の祭りだ。このように、画家の作品は、よほど有名であっても、没後急速に軽んじられ、100年や200年経って再評価された時には多くが失われている。有名でもそうであれば、無名なら推して知るべしで、難波高島屋の岡本太郎の壁画は幸運にも残った例だ。立派で頑丈な金属の枠に嵌め込んであるので、移動は比較的簡単なようであるから、大きな岡本太郎展の際には貸し出されるのだろう。百貨店に入ると、ソファにくつろいで、この壁画を無料で心行くまで楽しめるのであるから、難波名物として今後はもっと人気が出る作品ではないだろうか。岡本太郎は今年生誕100年で、大阪京都で大展覧会があるかと思えば、どうもその気配はなく、岡本太郎の関西人気のほどを知る。関西はもともと東京の画家をさほど評価しないが、大阪万博で太陽の塔を作ってからは、岡本太郎は全国的に有名となり、大阪でもファンは多いだろう。にもかかわらず、大阪や京都で大きな展覧会が開かれないのは、まだ歴史的評価を定めるには早いと思っているようなふしが感じられる。晩年はTVによく出て、タレント的な活動をしていたこともあって、作品そのものを日本の絵画や彫刻の歴史の中でどう位置づけるか、まだ時間がかかるということなのだろうか。それでもNHKでは岡本太郎のドラマを作るなど、評価には積極的で、画壇的人気とは違って、大衆にもてはやされる画家として今後当分は記憶されるように思う。これは別の観点からは、玄人好みの画家ではないということにもなるが、岡本太郎の面白さや凄さは、そういう玄人の狭い見方を超越したようなところがあることだ。
●難波高島屋の岡本太郎のタイル壁画_d0053294_056139.jpg

by uuuzen | 2011-10-18 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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