室内楽曲集といった趣の今回の新譜で、全体にスローな演奏だ。楽器の音色は打楽器が目立ち、メロディは主にチンバロンが奏でるなど、今まで発表されたシンクラヴィア曲から大きく外れるものではない。
封入されている3つ折りの説明書には、自作曲を聴いているのだろうか、コーヒーとタバコでくつろぐザッパの写真がある。マイクロフォンがザッパの眼前にぶら下がっていて、自分の声を録音したのであろう。そうした声は今回のアルバムでも聴くことが出来るが、2曲目では女性の声が一瞬聞こえ、それは娘のムーンのものであることは解説に書かれている。この室内のザッパの写真は興味深い。かたわらの電気スタンドの笠は、薄い皮のようなものに描かれた西洋の花鳥画を5,6枚つないだもので、骨董ものに見え、趣味がよい。コーヒー・カップの花模様にも目が吸い寄せられる。向かって右手の壁には2台のカセット・デッキが壁に埋め込まれて時代を感じさせる。そう言えばザッパの顔もまだ若い。この写真がシンクラヴィア曲を作った最初期の1984年頃のものかどうかはともかく、感じられる雰囲気は、今回のアルバムの音にふさわしい。室内楽曲と最初に書いたが、ザッパは自宅で作曲に没頭する間、今回のアルバムから感じられるようなムードに浸り切っていたのだと想像すれば、ザッパの居住空間と、それに反応もする内面の双方がよりわかる気がする。それは生活に落ち着きながらも、何かを凝視している姿で、ツアーに出て演奏したロック曲とは隔たっている。その隔たりが、ザッパという作曲家を、通常よく知られているロック曲に限定させず、自分の周囲、そして内部のあらゆるものに反応して、音楽で表現せずにはいられなかったことを改めて感じさせる。それは、もはやロックや現代音楽といったジャンルを超えて自作曲を捉えていた姿でもあって、実際今回の室内楽曲集とでも言える5曲は、楽器をクラシック音楽で用いる伝統的なものに交換して演奏出来ることも出来るし、通常のツアー・バンドの音にもなぞらえることも可能だろう。となると、重要なものは楽器の音ではなく、メロディになるが、そのメロディが長調や短調ではっきりと区別出来ないところがあって、そこが昨夜書いた、日本のポップのようにべたべたしないゆえんでもある。ザッパのたとえばギター・ソロ曲がそのままシンクラヴィア曲に変換された例は、『ジャズ・フロム・ヘル』にすでにあったから、今回のアルバムの各曲から同様のギター・ソロあるいは弦楽のための室内楽曲を連想することは正しいだろう。そのように想像を逞しくすることで、なお楽しむことが出来るが、エレキ・ギターの音にあまりに馴染んだ耳からすれば、一聴しただけでは、このアルバムが他のザッパの演奏と密接につながっていることはわからない。解説ではトッド・イーヴガが、20分のタイトル曲について、バロックを過ぎた19世紀のクラシック曲を聴くようだと書いていて、これはたとえばベートーヴェンで、彼の渋い弦楽四重奏曲に思いを馳せているのは明らかだ。だが、ベートーヴェンのファンがこの曲を聴くと、その音色によって絶対にベートーヴェンとは無関係と思うはずで、その意味から、ザッパは古い頭のクラシック音楽ファンや、また自分の音楽を愛好してくれるファンからも遠い位置にある。そこが筆者にはいかにもザッパらしくて面白く、このアルバムの意義を思う。

さて、昨日書いたように、トッドは興味深いことを書いている。それは今までザッパ・ファンなら誰しも考えて来たことと言ってよいが、その点に関しては深く論じられたことがないように思う。まずトッドは、現在のザッパのテープ保管庫のマスターとなっているジョー・トラヴァースより以前の1989年にザッパのもとで働いた。この年月は微妙で、それ以前にザッパのシンクラヴィア曲の手助けをした人物がいたことを思い出す必要がある。トッドは今回の新譜については、作曲の経過を知らず、すでに音が完成して3年経っていた。そして、一方でジョーが、「ここに1986年に作曲された作品の完全な姿がある」と言うことに対して、トッドは異議を唱えるが、その理由は、本アルバムの2、3曲目が『文明、第3期』で発表される時には半分ほどに短縮されたから、本アルバムのヴァージョンを「完成作」と表現するならば、『文明、第3期』ヴァージョンは「不完全」ということになるかとの疑問だ。トッドは解説の前半で、ザッパは絶えず曲を磨き、スリムな形にし続けたので、2、3曲目ももっと年月を経たならば、ほんの一瞬の音に縮めたであろうと書く。だが、それは何とも言えない。20分として作った曲を、アルバムという額縁に収めるために短くせねばならないのは、昔から制約としてあった。だが、そういう商品としての制約に常に戦ったのがザッパで、そのためにもしばしばアルバムは2,3枚組になった。ザッパなら、20分の曲を鈴のリンの一音レベルまでに短縮出来たし、またしたであろうとすると、ザッパの全音楽はそれこそ全部聴くのに1分かからない。それはそれでひとつの真実であるという見方も出来るが、20分という長さを持った曲は、それが必要であったからで、その長い音のつながりの中に漂うムードを味わうのが、ザッパの思いに同化することだ。それを後年になって半分に短縮したから、もっと後年には単なる一音にまで煮詰めであろうと考えるのは、20分の長さをあまりに饒舌であると、作品を否定的に見過ぎる。筆者がトッドの意見に反対したいのはその点だ。確かに2、3曲目は『文明、第3期』に収められるに当たって、半分の長さになったが、それは余分なものを削ぎ落としたためとばかり思うのは正しくない。CDの収録時間に合わせる必要上、そうしただけのことで、1986年にLPとして出そうとしていた今回の形も捨て難く思っていた可能性は充分にある。それは他のアルバムを見ればよくわかる。つまり、LPでは収録し切れなかった音を、CD化ではしばしば生かしたから、ザッパにとってLPやCDは、自作の完成ではなく、単なる発表上の一手段に過ぎなかったと考えるべきで、ザッパをあまりアルバム主義で捉えるのはよくない。だが、トッドのジョーに対する異議もわからないではない。「ここに1986年に作曲された作品の完全な姿がある」と言ってしまうと、今回のアルバムに収録される最初の3曲は、別に存在するはずのそれらとは異なる製作途上のヴァージョンを否定することにつながる。トッドはそれを危惧している。ザッパは日記をつけるように、シンクラヴィア曲は絶えずテープに落としながら作り続けた。そのため、アルバム・ヴァージョンとは異なるものがおそらく多数存在する。本作の最初の3曲は、そうした完成途上の作であって、「完全な姿」ではないと言いたいのだ。つまり、ザッパの曲はアルバムで発表した時点で、ひとつの完成作とみなすべきであって、それ以外のヴァージョンは一応は過渡期の形として考えたいとする立場だ。だが、これはザッパ本人に訊ねてみないことにはわからない問題であることは、たとえば先に書いたように、LPのCD化に際しての曲の長さの復活からもわかる。
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●2003年10月24日(金)その1
昨夜濃い紫色を引き染めした生地が乾いたので、それを蒸しの工程に出して染料を定着させる必要がある。昼前には近所の歯医者で治療する必要もあり、電車に乗って30分の工場まで持参する時間がない。それで息子に頼んだ。今朝はBMGから12月発売の『グレッガリー』の最終のジャケ画像とライナーが届いた。驚くことに、ジャケは意味深長な変更があり、しかもライナーは以前届いて訳したものとは全く違う。今月になってゲイルが執筆したのだ。これを今夜は訳してしまおう。それにしてもライナーは3回届き、全部内容が違った。すぐに作業に取りかかるのはいいが、後でこうした大幅な変更があると、訳した数日間の作業が無駄になる。しかも今回は対訳はどうもノー・ギャラのようであるので、ボランティア精神がないととてもやれない。9月末に25枚の解説とは別におよそ50枚の訳文を送信したが、それらがみな没になると思うとやり切れない。話は変わる。昨日は大阪天王寺に出て応挙展を観た。梅田の人込みの中を歩いている時、向こうからやって来るおばさんの荷物のどこかにジャケットがひっかかってブチッと音がなった。破れたかなと思うとそうではなくてほっとしたのだが、夜になって帰宅の電車内でボタンがひとつ取れていることに気がついた。4つボタンの黄色のジャケットで、これをザッパに会いに行く直前に百貨店で4、5万出して買った。綿のどおってことないジャケットだが、いかにもイタリア製で色がよい。とても気に入っているのに、ついに予期せぬことでボタンをひとつ失った。おばさんがしっかり前を見て歩いてくれていたらこんなことにならずに済んだし、あのブチッ音の後、すぐに気がつけば人込みの中でボタンを探すことも出来た。残念。ブランド・マーク入りの特性ボタンなので同じものは手に入らない。しかし、考えた。事故とはこういうようにふいにやって来るものだろうと。10年も前に買った古いジャケットのボタンひとつでよかった。これがもっとひどいと、空から降って来た飛び下り自殺者の下敷きになることもある。どういう遭遇があるかわからないのが人生だ。そう思えば、ヴァレーズのこのアルバムをネット・オークションで買えたのもいい意味での事故だ。長年関西TVのライブラリィで眠っていたLPがどこでどういう縁か手元にやって来たのであるから、人生は面白い。それは無数の出会いから出来ている。関西TVは開局が1958年で、このLPが発売されて8年後だ。ザッパが買ったのは14歳の1955年。この当時はまだLPは珍しい時代であるし、しかも現代音楽のわけのわからない音楽ともなると、発売してすぐに羽が生えたように売れて行くはずがない。これは今もさして状態は変化ないだろう。発売して数年は初版の在庫がそのままにあったはずだ。EMSレコードなる会社が今もあるのかどうか、401のレコード番号を持つ本作以外にどういうアルバムを出していたのか、興味はあるがまだ調べてはいない。東京Uさんによると、このアルバムの音は別の録音と一緒なってその後発売されているらしく、ひょっとすればレコード会社はなくなったが、録音テープの権利は別の会社が所有しているのだろう。表ジャケットのヴァレーズの肖像権は誰が所有しているのだろう。アメリカのOさんのアルバムではヴァレーズの別の写真が用いられているから、ひょっとすればある段階でEMSは初版の肖像写真の使用権利を失ったのかもしれない。裏面ジャケに記されているように、の写真は『ルック』誌に権利がある。少年ザッパが読んだ雑誌で、その記事の中に使用されていた写真は同じフォト・セッションの別角度の肖像で、本作のように迫力はなく、もっと優しい表情をしたヴァレーズが写っている。もしその写真がアルバムに使用されていたとしたらザッパはヴァレーズをマッド・サイエンティストとは感じなくて、その後のザッパの音楽もあるいはいささか違う方向に進んだ可能性も考えてしまう。それほどに肖像写真は重要なものではないだろうか。このアルバムをジャケットまで含めてオリジナルのままどこかの会社がCD化してくれるのであれば言うことなしだが、たいして売れもしない作業に誰が注目するだろうか。さて、ザッパが買った年度に少し遅れて日本で開局した民間TV局が何かの資料になるかと考えて購入したことを改めて思い浮かべ、そしてそこに当時小学2、3年生であった自らの少年時代の空気の思い出を重ね合わせると、何とも言えない気分になる。それは骨董趣味に通ずる懐かしさだが、自分がここにいてLPを手にしているという縁の実感の不思議さの方が大きい。その意味で、入手したLPが自分が育った大阪にある関西TV局所蔵のものであってよかった気がしている。ついでだからもう少し脱線しておこう。昨夜入札した日本画の掛軸は冨田溪仙のもので二重箱入りの6号サイズの画面、棟方志功が箱書きを書いている堂々たるもので、一見してほしくなった。題材は秋の木立の中の高野丹生明神の社殿を俯瞰的に描いている。横山大観から百年にひとりしか出ない画家と評された溪仙は京都嵐山に住んだ。それで特に愛着がある。数日前から25万まで出そうと決めていた。入札中、ほとんど買えたと思ったのに、終了1秒前の土壇場で新たに入札に加わった人物があって、25万を越えた。それで諦めた。30万出してもよかったが、終了が更新された残り時間の5分間にその入札者の落札経歴を調べると、つい最近だけでも棟方志功の絵を50万ほどで落札しており、とても金持ちであるのが想像できた。このような人物を相手に戦うわけには行かない。こっちが30万を入札してもそれを上回る金額を入れて来るのは確実だからだ。その掛軸はおそらく市場では最低でも300万はするものであるから、本当にほしければ100万でも安いが、実収入ではそれほどにしかならない身分としては天文学的な金額に等しい。25万でもだいたい身分を越えた無茶な買い物だが、昔から気になっている溪仙の驚くべき逸品を前にすれば何を犠牲にしてもほしかった。妻に正直に言うと30万くらいなら買えばと言ってくれたが、結局落札できなかった。せっかく画像だけは出会えたのに、それ以上の深い縁がなかったということだが、それにしてもつくづく惜しい。ヴァレーズのこのアルバムならば、世界中を探せばまだまだどうにか入手できるはずだが、こうした絵は同じものがほかにないので、機会を逃せばもう二度と巡り会えない。その掛軸はと俳人でもある有名な企業人が所蔵していたもので、志功の迫力ある箱書きもその人と、そして溪仙に向けての漢詩を綴ったものだ。溪仙は玄人好みの画家であるし、しかもたった数日間のネット・オークションの場でその出品を見つけ、しかも何十万か出せる人という三拍子の揃った人は日本中にそうはおらず、入札は10数人だった。結局1000円の差で次点となって入手できなかったのだが、これも先のボタンが取れた事故みたいなものと諦めるしかない。しかし表具代と二重箱代だけでも30万はするので、25万ほどの落札はまるでただみたいなものなのだ、と相変わらず未練がましい。知識と興味と眼力があって、そこそこの財力がある人はいくらでもいい作品が入手できるのがネット・オークションだが、このような逸品を出品する、しかも本物を保証する良心的な業者はどちらかと言えば少ない。