儀式というほどでもないが、毎日こうして書きはじめる前に、最初の1字を今までに使用したことのないものを探すために、メモ帳に記録し続けているファイルを開いて検索する。

10回ほどでそれが探し当てられる場合は運がいい。今夜は20回ほど打ち込み、ようやくのこと、「儀」がまだ未使用であることがわかった。ついでにメモ帳に記録している冒頭の1字録を、ワード・ソフトを開いて貼りつけ、字数を確認した。今日は1049字目だ。まだ当分は文字がだぶらずに済みそうで、その退屈な作業もこうして書き始める儀式と思えばいい。なぜ、冒頭の1字に同じものを使わないかと言えば、目的があってのことではない。ただし、たとえば「儀」なら今日書く内容という一対一の対応が出来て、後々このブログの冒頭1字による索引を作る時に便利かとは思っている。たぶんそんなことはしないが、そういう先々のことを案外考えて行動してはいるつもりだ。また、この冒頭の1字だが、何でもいいというのではない。たとえば先ほど、なかなかその文字が見つからないので、「なかなか」という言葉を思い浮かべた。それを「仲々」と書く人のあることを思い出し、そのことを枕にして、今日はまだ使っていない「仲」を用いようかと思った。だが、筆者は必ず「なかなか」と書いて、「仲々」や「中々」を絶対に使わない。それで「仲々」を枕にすることを断念した。このように、はたからはわからないこだわりが筆者には多々ある。矢継ぎ早にこうして言葉を羅列してはいるが、使う言葉、漢字、言い回しなど、好みでないものは使わない。今思い出したのでついでに書いておく。自治会のような集まりであっても、改まった言葉遣いをするのは当然だが、政治家が使うような言葉を連発されると、少々鼻白む。たとえば、「やぶさかではありません」がある。これは吝嗇の「吝」の字を充て、「けちる」という意味だが、こういう言葉を得意気に使う人は苦手だ。もっと誰にでもわかりやすい言い方があり、それを使ってもその人の品位が落ちるわけでもない。筆者なら絶対に「やぶさかではありません」とは発言しない。このように、何でも自分のそれなりの基準と言おうか、こだわりを持っていれば、恐いものはない。つまり、隅から隅まで意識して行動しているということを自覚していればいい。ついでに書いておくと、先日このブログに年に1,2回というコメントの書き込みがあった。段落がないので読みづらいという感想だ。通りすがりの人の書き込みであるから、それはそれで第一印象として大事でもあるが、このブログを長い間読んでもらっている人も同じように思っているかどうかはわからないまでも、少なくとも筆者がこだわりでそうしていることは知っているはずだ。そのこだわりをコメント欄で説明するのが面倒で、そのままにしている。そして、その説明をここでやっておく。筆者のブログは、以前はワープロを使って書いていて、その画面いっぱいに収まる字数をだいたい1段落として書く癖がついた。ちょうどそのくらいの長さにまとまった文章が、自分の息の長さに合っていて、それを個性と思うことにした。もちろん、その文章には無理があって、途中で段落をいくつも設けた方が読みやすいのはわかっている。だが、その一方で欠点もあることに気づいた。それは、長文になればなるほど、段落数が多い場合、書く内容がだれて来る。筆者は一旦腰を据えてこうして文章を書き始めると、頭の中に書き終えるまでのおおよその内容と流れが見え、それが自然に次々に出て来る。それを全部吐き出さねば気持ち悪いのだが、そうして垂れ流す文章を他人に読んでもらうには、形としての強固なまとまりが必要だと思っている。それは段落数を極端に少なくして、数個でまとめるに限る。これは起承転結の言葉になぞらえていると言ってよく、こうして書いている現在の第一段落目はつまり「起」に相当する。この「起」を細かい段落に分けると読みやすいが、それは「起」だけで終わる場合の話だ。全体を起承転結に大きく分けた段落の中でさらに細かい段落に分けると、その小段落と、起承転結の大段落との間に区別がつかなくなるし、それは先に書いたように、だらけた印象を与える。また、コメントにあったように、「読みづらい」は、正直な感想として受けとめはするが、読みやすく感じてもらう、あるいは読みにくい文章も個性であるとわかってもらえるように、「常連」になってほしいと思う。だが、読みづらいと思って二度と訪問してもらえなくても、全くかまわない。
さて、1か月ほど前、近所に1軒だけあるスーパーに出かけると、そこで今日採り上げる曲が鳴っていた。そのスーパーは競争相手のスーパーがすぐ近くに2軒あったのがなくなってからは、ほとんど独占企業の格好になったが、その店だけになってから、遠方のムーギョ・モンガに歩いて行くことにした。その結果、それが運動になって、すこぶる健康を保っている。便利さは健康の敵ということだ。それはいいとして、その近くのスーパーではスティングの曲が鳴っていたためしはなかったと思うが、あまり行かないので、実際のところはわからない。ほとんどの客が高齢者なので、こうした洋楽がBGMで鳴っているのはどこか奇異なところもあるが、誰ひとりとして違和感を抱いているようには見えない。この曲が静かであるからだが、考えてみれば、この曲が発表されてもう26年になるから、当時50歳の人は今では老人もいいところだ。つまり、懐メロとして聴いている人もあるだろう。そう思うと、この曲が小さなスーパーで鳴り響いているのは何ともわびしく、秋風が身に染みる。そう思ったので、今月はこの曲について書こうと、その時に決めた。ところで、筆者はまだ新しいCDデッキを購入しておらず、相変わらずラジカセで聴いている。大きなステレオで聴くのと違っていいところは、スピーカーが眼前にあって、部屋中を響かせなくていいことだ。大音量のいい音質で聴きたいのは山々だが、手元に近い場所で聴くのも捨て難く思うようになった。また、このラジカセは調子が悪かったが、CD-R以外はまともに鳴るようになった。そして、一昨日まではビーフハートの音楽ばかり終日聴いていたのが、昨日は今日のブログのために、久しぶりにスティングのCD『…NOTHIG LIKE THE SUN』を棚から引っ張り出した。もう20年ほどは聴いていなかったはずで、あまり記憶にない曲があることに驚いた。当時は盛んに聴いても、長年の間に印象に強く残って行くのはごくわずかということだ。そして、このアルバムの中で名曲と思えるのは、今日の曲以外に、数か月前に言及した「LITTLE WING」くらいなもので、そこにもう1曲足すならば、「FRAGILE」か。残りの曲は歴史の荒波を越えて行くことは難しいだろう。そして、この3曲のうち、「LITTLE WING」はジミ・ヘンドリクスの曲であるから、スティングの才能が今後ジミヘン並みに評価され続けるかどうかだ。そして、そのスティングがイギリス人であることを自覚し、「ニューヨークのイギリス人」と題する曲を書いて歌うのは、やはりこの曲が飛び抜けている理由にもなっていると思える。イギリスとアメリカでは言葉が通じるので何ら問題ないように思うが、案外そうでもないようで、イギリス人はアメリカでは異国人を自覚する。言葉が通じるとはいえ、すぐにイギリス人であることがわかる発音であるし、また風習もかなり違うとなれば、こうした曲がわざわざ書かれる理由にもなる。その異質感は、狭い日本の中でも多少はあるだろう。何々県人気質とか、言葉の訛りの違いがよく話題にのぼるし、青森と鹿児島では、ロンドンとニューヨークか、それ以上の差があるかもしれない。
昨日からこのアルバムを何度も聴きながら思ったのは、80年代半ばから90年に至る頃までの筆者の個人的な思い出とは別に、窓から入る心地よい秋風に見事に合うことだ。そして、アルバム全体に孤独感が支配していて、それはどういうところに由来するかと思った。同じことは昔も考えたが、当時のスティングはかなわぬ恋に悩んでいたのではないかということだ。スティングのように有名で格好よく、また才能に溢れる男であってもどうにもならない女心はあったはずで、そういう決定的な満たされない思いがなければ、これほどのアルバムは作れまい。彼が歌う「LITTLE WING」は、伴奏をギル・エヴァンスのオーケストラが担当するせいもあるが、筆者はいつもこれを涙なくして聴くことが出来ない。この名曲をこれほど見事に演奏し、また歌うヴァージョンは今後も出ないのはないか。それはスティングがジミを敬愛したと言うことよりも、この曲の歌詞を含め、全面的に賛同する思いがあったからで、それは先に書いたように、内に秘めた愛と言うか、かつては成就したかもしれないが、今は別れてしまった女性を慕う思いによるのではないか。それは全く筆者の的外れな考えかもしれないが、それほどにこのアルバムには、全体に秋風に似合う人恋しさが漂っている。スティングのアルバムは全部持っていると思うが、最新盤はドイチェ・グラモフォンというクラシック音楽専門のレコード会社から出た『SONGS FROM THE LABYRINTH』で、ほぼ全曲がジョン・ダウンランドのもので、スティングは恋愛を謳い上げるイギリスの世俗音楽の巨匠の後塵を拝する思いなのだろう。その姿はいかにもイギリス人らしく、「ニューヨークのイギリス人」と題して作曲するだけはある。そのスティングの曲は、ポリス解散から自然と聴くようになったが、ギル・エヴァンスも誉めていたように、独特の美しいメロディを持ち、10や20ほどは今後も長らく聴き継がれ、また演奏されるだろう。だが、近年は作曲の霊感が著しく減退したのか、かつてのような大ヒット曲を書くことが出来なくなった。これがさびしい。過去の気に入った曲を何度もアレンジし直して演奏す気持ちはわからないではないが、あまり後ろを見ずに、前を向き続けて新曲をどんどん書いてほしい。そういう才能が筆者の周囲に見当たらないのが全くさびしい。それでということでもないが、自分でこうして毎日長文を書いている。それはさておき、この曲をスーパーで聴いて以降、何度か市バスに乗った。そのたびに車内でこの曲を思い浮かべながら、スティングの曲そのままではなく、アレンジを勝手に変えている。それは、最初に表われて始終鳴り響くピチカートのリズムを全部省いたうえでベースの音のみを大きくし、しかもその各音をもっと長く伸ばす。つまり、ベースとヴォーカルのみでいい。筆者の思いの中ではそれがこの曲の理想形だ。そういうヴァージョンは、オリジナルのマスター・テープがあれば作ることが可能だが、なくても筆者の脳裏に浮かんでいるからいい。なぜそういう形がいいのか。もともとこの曲のベース・ラインは味わい深いが、それはポリス時代からスティングはベースを担当し、またこの曲でも演奏しているからで、つまりは余分なものを全部取り去った形が、ベースとヴォーカルであって、筆者がそれを最良のヴァージョンとして思い浮かべているのであれば、それはスティングを誉めこそすれ、貶めていることにはならないだろう。とはいえ、今ちょうどラジカセから鳴り始めたこの曲は、それはそれで多彩な音色がいい。ところがその多彩さは20数年経って思い出すと、ベースとヴォーカルだけになっていた。
歌詞について書いておこう。アルバムのブックレットにスティングがこの曲を捧げた友人について書いている。彼は70年代初期にマンハッタンのバウリに小さなアパートを借りて移住した。そして夕食をスティングとともにしながら、移民許可証を待ち望んでいることを話したが、「国外追放されずに罪を引き受けられるように」と言うので、スティングは心配して「どんな罪?」と聞き返すと、「魅力的なもので暴力的ではない、多少は格好についてのもの。罪はこの頃は全くと言っていいほど魅力ではないからね」と答えた。これはちょっとわかりにくいが、その友人は移民申請をして、アメリカに住む資格がないと宣告されないことは、『お前は魅力があるから住んでよろしい』という「罪」を引き受けることと言いたいのだ。アメリカが移民を受け入れる際、自国の利益になる人間を許可するのは当然で、それは何か魅力を持った人間ということだ。そしてその魅力はまずは外見で判断されるから、移民許可を得ることは「格好いい」ことのお墨つきをもらったも同然と、友人は言ったのだ。そして、友人の最後の言葉の「今日この頃は、罪は魅力的なことが稀になった」は含蓄がある。70年代初頭とは違って、80年代半ば以降はアメリカは経済的に没落が激しく、殺伐とした時期を迎えていた。それを反映して、罪はもっぱらえぐい事件に関してのものばかりとなった。そういう時代の変化を友人は短い言葉の中に要約している。そして、スティングも無駄のない言葉でそれを解説に書いているが、英語をそのまま感じ取らない限りは、その意味内容の面白さはストレートに理解出来ない。さて、その解説を踏まえて歌詞を次に見ると、筆者がベースとヴォーカルのみでいいという部分の1番目のヴァースには、ニューヨークの五番街をステッキを持って歩くイギリス人の思いが描写される。これはさほど重要ではない。2番目が問題だ。そこにはイギリスの古語「Manners maketh man」が出て来て、イギリス人がアメリカに乗り込んだ時の自負と言うか、誇りを歌う。「Manners maketh man」は、「マナーが人を作る」で、いかにもイギリスらしく礼節の重要性を言う。逆に見れば、アメリカは粗野な国と言っていることになるが、本当の粗野な人はスティングのこの歌詞を理解しない。この2番目の歌詞を直訳すると、「誰かが言ったように、もし「マナーが人を作る」なら、彼はその日は英雄だ。無視や笑いに出会い、何と言われようとも、自分自身であれ。」となる。これはイギリス訛りがニューヨーカーに通じず、時に笑いの的になっても、礼儀を持っていれば英雄のように立派に見えるということだ。次に曲はサビに入るが、これは一度だけ歌われる。「謙遜や礼儀は悪評につながる。結局あなたはひとりぽっちで終わる。優しさ、真面目は社会では稀だ。夜のローソクは太陽よりも明るい。」これは真実の描写ではあるが、反語的に書いている。ひとりぽっちであってもいいではないかとスティングは考えているわけで、そのきっぱりとした孤独感がこのアルバム全体に染みている。サビの次に大きな音の短いドラム・ソロが入って3番目のヴァースに入る。「男を作る戦いの道具以上のものを取れ。銃の許可証以上のものを取れ。敵に立ち向かえ。だが、出来るならば避けよ。紳士は歩くもので、決して走らない。」ここで「gentleman」という、いかにもイギリスらしい言葉が出て来る。筆者はそうではないが、たとえば市バスに乗っている時にこの曲を思い浮かべながら、それなりに身なりや行動に気をつけ、バスを降りた後は、よく知る場所であっても、知らない町を歩くような、つまり儀式めいた気分に浸ろうとする。そう言えば、一昨日の自治連合会の会議で、筆者の真正面、5メートル先に座る副会長の婦人が、「さっき松尾橋を歩いているのを見ましたよ。とてもきれいな姿勢でしたね。」と言った。あまりにそれが唐突で、しかも2,3度同じことを大声で周囲の人にも言うので、「照れますよ」と返事した。筆者はとかく目立つようで、紳士を真摯に思って行動せねばならない。