祈りの国、近江の仏像-古代から中世-、そして『日吉の神と祭』という、3つの展覧会が連携して、今秋の滋賀で開催中、またその予定だ。そのうちのひとつを、9月2日の招待日にMIHO MUSEUMでひとりで見て来た。
当日は台風で、帰りがけは暴風雨に遭い、ずぶ濡れになった。当日は誰かを誘って行く予定で、声をかけたが、みな断られた。その方がよかった。誰も外出しないような日で、誘った方は恐縮せねばならない。この雨のため、開会式はいつもとは違って、椅子の空席が目立った。いつもと違ったもうひとつのことは、電気自動車が10人乗りの新品が駆動していて、以前より素早く、たくさんの人を館の前に連れて行ってくれた。筆者のすぐ斜め右前に座った女性が、一瞬にして目を吸い寄せられる長身の理知的な色白の美人で、どこのアナウンサーか、さてまた秘書かと思った。式典の際、教祖の女性の隣に立っていたから、関係者の中でも重要人物なのであろう。こうして書いていて、まざまざとそのギリシア彫刻のような顔を思い出すことが出来るが、そういう欠点のない美女にはどういう男がついているのか、そんなことも考えてしまう。筆者には無縁中の無縁といった女性で、どこか別の惑星から来たように思えるほどだが、人間はつくづく面白い。美女の顔はいくつかの種類に分けられ、たとえば芸能人の誰それに似ているとよく表現するが、その女性は誰とも似ていなかった。確かに似た顔はあるが、雰囲気が違う。それは内面が違うからだ。つまり、形は整形でもすれば似たようなものを作り上げることは出来るが、魂が違えば、外見も全く違って見える。そのため、人間は無数の種類がある。当然一生の間にその無数には出会えないから、筆者は美女を見るとつい感動する。それは女の方もそうなのかどうか。男も女と同じで、いくら男前といっても、似た顔立ちはある。そこで差が出るのは、内面ということになるが、女の方からすれば、男の自信といったものを敏感に感ずるであろう。たいていの男はその自信を金の力と思っている。誰かから耳にしたことがあるが、大金持ちになると恐いものがなくなるらしい。そして、そういう人物が、たとえばホテルに宿泊して、ホテル側のミスに接した時、激怒して謝らせるといったことがある。そうした話を聞くと、下司な人間が金を持って恐いものがないと豪語することの醜さを思う。筆者の考える男の自信は、金とは関係がない。金で買えないものだ。そして、そういうことをよくわかる女がいい。だが、たいていの男は、境遇が激変して金がなくなると、途端にしょぼんとして、友人知人と連絡も断ってしまう。自信を喪失するのだが、この「自信」はあまり言葉としてはよくなく、「優しさ」と言い換えた方がいいかもしれない。その優しさは、どのようにして培われるか。それもまた金の余裕だと言う人があるが、そういう人には下司の意味もわからない。ともかく、先の美女は、教養豊かで、優しそうであったから、完璧と言うしかない気がしたが、そういう女性を前に、自分とは無縁と感じることは、筆者に劣等感があるためと思われかねない。確かにその面はあるが、そういう女性は仏像のように、拝み、鑑賞するものであり、美しさが聖なる雰囲気をたたえて、とにかく近寄り難い。
それはさておき、『祈りの国、近江の仏像』展は、滋賀県立近代美術館ですでに開催中で、2日にチケットももらって来たが、見に行かないだろう。息子が車を処分し、昔のように電車とバスを乗り継いで行かねばならないことが理由だ。だが、大津歴史博物館で開催される『日吉の神と祭』は行きたい。ところで、昨夜は「信心」と書いたが、これは「祈り」の方がぴんと来る。「信心」と聞くと、宗教を連想するが、「祈り」はさほどでもない。もっと個人に引き寄せたようなところがある。だが、筆者は何かについて強く祈ることがあるだろうか。そう自問してみる。それほどに、「祈り」何となく重い。それで、「願い」がふさわしいかと思うが、これは何か物ほしそうなところがあって、「祈り」には大きく引き離されたものを感じる。であるから、筆者にはその程度がふさわしいのだが、かといってこの「願い」が強くあるかと言えば、そうでもない。宝くじを買う人はそれが当たってほしいと願うはずで、たいていの人は「願い」はたくさんあり過ぎて、いちいち思い出すことも出来ないほどだ。そこでまた一昨日書いた映画『飢餓海峡』を思い出すと、主役の犬飼と娼婦の杉戸は、ともにどん底の貧しい出で、お金に振り回された人生であったが、杉戸は金をせっせと貯めることとは別に、犬飼に再会したいという望みを10年抱きつづけた。その望みは、会いたいという願いであり、また神仏に対しては、会わせてくださいという祈りだ。実際、杉戸は手を合わせて、自分が設えた小さな神棚のような場所に向かって拝む場面がある。一方、犬飼は極貧育ちであるにもかかわらず、守銭奴にはならずに、商売で儲けた金を寄附する人物となって行く。そこにはどういう望み、願い、祈りがあったのだろう。それはこの映画では描かれない。棚ぼた式に手に入れたかつての大金から始めた商売であることの後ろめたさがあって、懺悔の気持ちからそのような篤志家になったと考えるしかないようだが、それとは違って、もともと優しい男で、自分と同じように恵まれない境遇で育った者には同情的で、援助を惜しまなかったと考える方がよい。つまり、慈悲深い男で、そうであるからこそ、杉戸も思い続けた。一昨日書いたことを繰り返すが、極貧育ちの者の方が心が温かいという逆説を水上勉は言いたかったのだろう。だが、世間はそういう彼らを無慈悲に扱い、そして自滅に追い込む。それだけ世間が汚れているからだ。また、そうであるから、こういう映画、小説がもてはやされる。水上がこの小説で何を言い、そして望み、願い、祈りたかったのかと言えば、貧しい者にもう少し目を向けろということであったかもしれない。貧しい者が努力して大臣になったり、大金持ちになったりするので、世間というものは絶対的に貧しい者と金持ちが分かれているのではないが、いつの時代でも努力しても大臣や金持ちになれない人の方が圧倒的に多く、貧しい者はその境遇からなかなか抜けられない。そして、どん底の貧しさにある者は、労働を重ね、休む間にも不自由するから、小説を読む気分的余裕もなく、水上の小説を知らないというのが普通だろう。となれば、水上は、貧しい人に読ませるために書いたのではなく、余裕のある人に貧しい者の哀れな境遇を改めて伝え、そうした人々に一種の覚醒を促したかったと考えることも出来る。単なる娯楽的で消費されてそれでおしまいというのでよかったのではなく、であるから内田吐夢が映画化もして、その映画が日本を代表するものになった。やはり、そこには、水上の望み、願い、祈りがあったのだ。梅原猛は、小説は意義に乏しいといったことを言った。その言わんとするところはわかるが、水上の小説は、さすが寺で修行した年月があっただけに、祈りの思いに満ちたもので、それはどこか仏像を見るような眼差しに通じている。そう読み解けば、梅原の意見のような考えは読みが浅いことになる。
筆者は仏教美術はさほど関心がないので、今回の展覧会についてもあまり書くことがない。もらって来た図録を今引っ張り出すと、厚さ35ミリほどあり、全部パラパラと開くことさえ億劫になる。3館分の展示品を1冊にまとめたのでこの厚さになったが、3分冊にするより便利でいい。MIHO MUSEUMでの本展は図録の最初に割り当てられている。立体の仏像をこうした図録で見ると、視点が固定されていることも手伝って、印象が随分異なる。だが、それを言えば、本来置かれている寺とは違って、美術館ではまた違うはずだ。その意味で仏像の魅力は奥が深い。見る場所、そして見る時期によって表情が異なる。そのことはひとまず置いて、率直に全体的な感想を言えば、超一級品をまとめて見たというのとは違って、やはりローカル色が露で、その分ありがたみが少なかった。それを先の美女に絡めて言えば、びっくりさせられるような美女揃いではないが、まあまあ愛嬌もあって、そこそこ好感が持てる女性ばかりということだ。だが、仏画や経文、仏具も展示し、また仏像はガンダーラ仏から金銅の誕生仏、木製の阿弥陀如来像など、材質も像の種類も多様に選ばれていて、古代から中世に至る仏教美術が概観出来る。特に仏像を好む人は、近江独特の香りを感得するはずで、その意味ではまたとない機会だ。筆者が感心したのは、石山寺にある木彫りの「維摩居士坐像」で、ずんぐりした様子は面白味と独特の迫力がある。それは彫りの鋭さによるが、顎に生やした髭が胸元の襟に覆い被さっている状態は特に見事だ。髭は線彫りせず、塊として暗示的に表現しているが、その省略の彫りが実際の髭の柔らかい質感を見事に伝え、笑みを浮かべるその顔とともに、忘れ難い印象を残す。平安時代の作だが、驚くべき才能があったものだ。木が乾燥してか、中央から少し右寄りに、縦方向に大きな割れが生じている。これがどうにか修復されないものか。だが、無理にその割れを閉じると、今度は別の箇所に歪が生じるのだろう。次にしげしげと見たのは、栗東市の善勝寺にある「千手観音立像」だ。これは図録ではよさがほとんど伝わらない。ちょうど人間の身長と同じほどの高さだが、蓮弁を三重にした丸い台座に乗っているので、顔の表情は下から見上げて鑑賞することになる。これも平安時代の作だ。顔、胴、手足のバランスは人間のように均整が取れていて、また顔がふくよかで、何とも言えない優しい色気が漂っている。こういう仏像を見て美女を思い浮かべるのは冒涜だろうか。そうとは思えない。輝くような美女は、それをどうのこうのしたいというのではなく、ただ呆然と眺めているだけで満足する。立派な仏像もそれと同じで、いいものを見たなという思いが長く残る。だが、美女の美はほとんど一瞬に消え去る。だが、美女は無数に湧いて来るから、やはり人間は面白い。「千手観音立像」で筆者が注目させられたのは、真横ややや後方からよく見える千手だ。これが1本ずつえらくていねいに彫ってあった。とても小さな5本指の手が、その数倍大きな同様の手の間にたくさん詰め込まれ、本当に左右合わせて千本あるのではないだろうか。その繊細な細工に感心した。また、わざわざ「古色」と表示され、煤で黒くなった様子も見所なのだろう。こうした仏像が千年以上もの間、滋賀の地方の寺に保存されて来たことは奇蹟のように思える。湖北の余呉や木之本には、国宝を初め有名な十一面観音像がたくさんあり、それは水上勉の故郷に近いこともあって、彼の小説に登場するが、今回はそれらは借りて来なかった。つまり、それほど滋賀はまだまだ見るべき仏像があるということだ。