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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●岐阜城と商店街、その4
げた題名のひとつが岐阜城であるから、予定していた計4回の岐阜行きの思い出の最終日は、それについて書かねばならない。



9日に行った姫路では、城を見上げるだけであったのが、岐阜城ではロープウェイで一気に頂上まで行った。家内はまさか城まで歩かされるのではないだろうなと思っていたようだが、炎天下を歩いた後、あの山を登るとなると、いくら健脚でも無茶な話だ。だが、信長の時代は誰しもそうしたのであるから、体力は平均的現代人よりはるかにあったのではないだろうか。ところで、昨夜の投稿の沸所道の地図を改めて見ると、町名が茶屋とか木挽となっている。考えて見れば、城の真下に位置し、戦国時代からその辺りは開けて大勢の人が闊歩したはずで、明治になってJRの駅が出来るまでは、むしろその道路沿いの町が岐阜を代表したのかもしれない。そういう歴史の蓄積が、何とも言えない心に響く雰囲気をかもしていて、筆者はそれに反応したのかもしれない。そんなことを言えば、京都市内中の道路がみな同じように歴史があることになるが、これは実際そうだ。中京の狭い道を歩くと、どこもみなそれなりに趣がある。ただし、筆者が住む嵐山は、以前書いたように、70年前は家が3件ほどしかなかったというから、京都にすればきわめて新しい町だ。かつては人が本来住まない、住めない沼や池が多く、そうでないところは田畑であった。そうなれば、筆者の住む町内は、田舎の新興住宅地と何ら変わらず、筆者がさほど愛着を覚えないのもそのせいかもしれない。京都に来たばかりの昔は、四条大宮辺りに住みたかったし、今もその思いは完全に消えていないが、たまにそこを歩くと、古い家並みがなくなり、歯が抜けたように大きな空き地が広がっている。そこに高層マンションが立ったりするのだが、そういう光景を見ていると、中京の景観も今やズタズタになり、魅力が減退している。それはさておき、バス道路からすぐ山が間近に見えるというのは、わが家と同じで、岐阜城界隈が気に入ったのはその共通性もあるかもしれない。だが、山上に城がぽつんとあるのはよい。昔の京都では伏見桃山がそうであった。伏見桃山城はまだ残っているが、近くにあった遊園地はなくなり、人が訪れることが出来るのかどうかは知らない。岐阜城も伏見桃山城と同じく鉄筋コンクリート製で、明治維新からは二代目の建物だ。山城を見て感心するのは、山の上によくぞまあという、その建築のための労力だが、木製の城であれば、山の上の樹木を使えばいいから、思ったほど困難ではないだろう。また、岐阜城は頂上に続く車道がないが、ロープウェイがあるので、建築資材の運搬は出来る。ただし、城が先かロープウェイが先か、それは知らない。ロープウェイが後とすれば、鉄筋コンクリート製の城は、信長時代よりも建設の労力が大きいかもしれない。
 岐阜城のロープウェイは大人が往復1100円だったと思うが、家内は文句を言いながらもこれは値打ちがあると言った。歩いて上り下りする体力の消費からすれば、わずか数分で済むのであるから、安いほどだ。頂上からの帰りがけに、下山するための道の入り口があって、老人や子どもは危険なので利用しないようにといった注意書きがあった。坂があまりに急で、獣道に見えたが、そこを利用する人があるのだろうか。ロープウェイは確か夜の10時半まで動いていると思うが、夏場は特に夜景を楽しむカップルが大勢やって来て、中にはその下山用の道の際でいちゃついたりする者もいるかもしれない。夜景は市内の灯りの多さに美しさが比例するが、岐阜城の北側は南側よりそれが少なく、大阪や神戸の夜景とは比べものにならないだろう。今思い出したので書いておくと、長崎市内の山にもロープウェイがあって、筆者は夕暮れ間近にそれを利用して上った。すぐに夕焼けになって、何枚か写生した後にまたロープウエィで下山したが、その際、たくさんの笑顔の若いカップルが上って来た。会社が終わってデートに来ていたのだろう。その山から見る長崎市内の夜景の印象がほとんどないのは、あまりたくさんの灯りが見えなかったためかもしれない。だが、カップルはそんなことより、とにかく下界を離れてふたりになれることが嬉しいのであって、ほとんど景色を見ていない。話を戻して、6年前の8月に岐阜城を訪れた時、お盆直後であったせいもあるのか、山頂にはさほど多くの人はおらず、ロープウエィに同乗したのは上り下りとも数人であった。帰りで強く記憶するのは、4,5人の50代の男性グループと乗り合わせたことだ。そしてそのうちのひとりが、筆者の父親にそっくりで、とても驚いた。あまりに似ているので、知らない親類かと思ったほどだが、筆者がそのような表情をするので、その人も筆者を何度も目を丸くして見返していた。父親似と言っても、その人の年齢は筆者より5,6歳上で、父親の若い頃を思わせた。そして、父親の50代は筆者は知らないから、父親に似ていると感じたことは本当はおかしな話だ。だが、稀に見る人相で、なおさら目立った。向こうもそう思っていたかもしれない。『この人とは二度と会えない』と思い、実際そのとおりなのだが、記憶に強く残ることで、またこうして書くことで、その人が蘇り、出会うことが出来る。一度しか見たことがないが、強い印象をもたらした人を筆者は何人も知っている。そういう人もまた、昨日の造語から言えば、沸所や沸地になぞらえて、沸人と表わすべきかもしれない。さて、6年前とは違って、今回のロープウェイは上りも下りも満員であった。姫路の美術館でもそうであったが、外国語を話す観光客もいた。日本の地方都市も、観光目的で外国人が訪れる時代になっていると言えそうだ。岐阜城は姫路城に比べものにならないほどの小ささだが、山上にあることがよい。そしてその山が繁華街からもさほど遠くなく、下を見れば長良川が流れていて、そこでは鵜飼の鑑賞が出来るという、比較的コンパクトに見所が集まっているのが、観光都市としては魅力的だ。
●岐阜城と商店街、その4_d0053294_1105396.jpg

 岐阜行きの目的のひとつは、岐阜城にもう一度行くことでもあった。その大きな理由は、先日書いたように、今後の投稿でぜひ確認しておきたかったことがあったからだ。それは幸い、6年前のまま(おそらくそう思う)で、今回は写真も撮って来た。それについては半年から1年ほど先に投稿する。その目的とは別に、今回は6年前と同じように、はがき大のスケッチブックと、色鉛筆が入った筆箱を持参した。6年前と同じ角度で、城から下界をスケッチするためだ。前回は人が少なかったので、のんびりと描くことが出来たが、今回は大勢の人が次々と天守閣の3階の回廊を回るので、落ち着けなかった。また、同じ場所に陣取って長く描き続けるのは迷惑がかかる。筆者が描いている場所のすぐ左手で、家内が「蝶々が飛んでる」と言った。指し示した場所を見ると、鬼瓦と呼ぶべきではないかもしれないが、切り妻屋根の中央に、先端が丸い突起状の瓦があって、そこに揚派蝶が一匹まとわりついて飛んでいた。その写真を撮ればかなり珍しいものになったが、描いている最中で、カメラを取り出す暇がなかった。揚葉と書いたが、どうもギフチョウであった気がする。ならば、なおさら写真を撮っておくべきであった。山に登らない筆者は、蝶は下界のものと思っているが、その蝶はおそらく近くの山林で羽化したもので、城の瓦にまで飛んで来るのは珍しいことではないのだろう。手を延ばすとすぐに捕らえられるところを、ヘリコプターのように同じ場所に留まって羽ばたいていた。やがてそこから離れてしまったが、そのちょっとした出来事でも家内は手持ち無沙汰にならずに済んだであろう。さて、完成した写生は、6年前は岐阜駅前の中央郵便局で岐阜城をデザインしたふるさと切手を買って風景印を押してもらった。今回もそうしたかったが、周辺の郵便局は休みであるし、中央郵便局まで行く気力がなかった。それで、城に備えつけのスタンプを押した。そのスケッチの画像を掲げてもよいが、全く同じ角度で写真も撮ったので、代わりにそれを載せる。6年前の写生と比べてわかることは、長良川の中州がとても大きくなっていることだ。これは定期的に浚渫するのだろうか。この写真は城から北東を向いたもので、ずっと奥に飛騨高山が位置している。6年前にはわたらなかった長良川を下山後に見るつもりでいたのが、これも家内がしんどいと言うので断念した。天守閣から見るだけで充分と言うのだが、筆者は帰宅してグーグル・アースのストリート・ヴューで仮想体験すればいいかと思った。実は、柳ヶ瀬の商店街を後にして、バス通りを北進している時、路上に観光案内のパンフレットが落ちていた。観光案内所で無料でもらえるものだ。真新しかったので、当日の観光客が捨てたものだろう。それを歩きながら見ると、昨日書いた沸所道の北側、長良川沿いに古い木造の建物が連なる小京都的な通りがあることを知った。そこを歩きたかったが、疲れた家内はパンフレットに載る写真を見ただけで興味がないと言った。
●岐阜城と商店街、その4_d0053294_1113689.jpg

 ま、あれもこれもと欲張らずに、のんびりと過ごす目的で行ったのであるから、そういうことになってもさほど残念ではない。そう言えば、帰りのバス停の斜め向いに円空美術館があって、6年前にも入ろうと思いながらそのままになったが、今回も前を素通りした。同じように、ロープウェイの乗り場のある公園内の加藤栄三記念美術館にも行かなかった。加藤栄三の代表作は、10羽ほどのカモメが夕焼け空に見上げた形で描かれた絵で、30年ほど前、これを読売新聞の日曜版のカラー刷りで知って大いに感心したことがある。その後何かの展覧会でこの作品の実物に接したが、他にどのような絵を描いたのかは知らない。話が少し戻る。家内は3階建ての天守閣の内部をどこも熱心に見た。筆者は前回見ているので、写生が終わった後はさっさと1階に下りた。2階の柱には、NHKの大河ドラマ「江」のヒロインの姿を真正面から撮影したポスターが貼ってあった。そのドラマもあって、岐阜城に大勢の人が来ていたのかもしれない。入場料は200円だったと思うが、家内は城を出た後、資料館に行こうと言う。筆者は気づかなかったが、入場券を見ると、資料館にも入れると印刷してある。その資料館は天守閣のことと思って、6年前はそのまま下山した。だが、別の建物が近くにあったのだ。家内は、筆者が写生している間、他の客が天守閣から見下ろしながら、白い建物が何かと話し合っている時に小耳に挟み、同じチケットでそこを見ることが出来ると知ったのだ。城から少しだけ下がったところに位置する木造の平屋で、内部は城の中の資料と似たり寄ったりでさして何もないが、いい雰囲気であった。信長に関する著作がずらりと展示されたり、また日本全国の城を次々と紹介する映像が流れていた。さて、ロープウエィの乗り場までは、5分ほど歩く必要があり、また往きと帰りでは違う道を辿るようになっている。確か秀吉が千成瓢箪を振りかざした場所があったはずと家内に話しながら行くと、その場所があった。6年前と同じように急な石段を上り、わずかな平たい土地から下を眺めてすぐに引き返した。また満員のロープウェイに乗って下りたが、案内嬢は上りの時よりもかなり美人で、20代半ば、6年前はまだ学生であったのだななどと思いながら、年月の流れる速さを思った。歴史博物館前からバスに乗り、一気に駅前近くまで行き、大きなスーパーに入った。岐阜に着いた時にもそこに入ってパンや飲料を買ったが、ほかに見て回る場所はほとんどなく、また店内はとても涼しいので、そこでかなり長らく時間を過ごした。品揃えがよく、また京都や大阪にないものがたくさんあった。あれこれを買ったが、切りがない。JRの岐阜駅前は、6年前と違って、空中通路と言えばいいか、板張りの横断歩道橋の巨大なものが設置されていた。それを利用すると信号を待たずにあちこちの方面にわたることが出来る。そして、その通路の端では若者たちの出店がたくさん並んでいて、順にそれらを覗いて回った。その空中回廊に取り囲まれる形で、駅前中央には、金色に輝く信長像が立っていた。これも6年前にはなかったはずだ。岐阜は信長でもっと売り出そうということだ。岐阜城には信長の肖像画が何点か飾られていたが、鼻が大きく長いその顔は、今でもよく似た人をしばしば見かける。信長が京都で早死にしなかったら、世の中がどうなっていたか。歴史にもしもはないが、関東が現在のように日本を代表する土地にはなっていなかったのではあるまいか。地震のことを思うと、関西に日本の中心があった方がよかった気がする。福島の放射能の沸地は、東京が存在したためだ。それは秀吉が家康のその地に追いやったことがきっかけだが、となれば信長が長生きしても同じことになったか。
●岐阜城と商店街、その4_d0053294_1115129.jpg

by uuuzen | 2011-09-22 23:59 | ●新・嵐山だより
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