沸所と訳すのはどうか。放射能で特に汚染された場所をホット・スポットと言うが、心が特に反応する場所もそう呼んでいい。そこには沸騰している何かがあって、人はそれを感じる。
その沸所は、筆者の場合は視覚によるが、犬では嗅覚だろう。ともかく、人はどの場所でも同じように感じるのではなく、特に好きな場所と、その反対の場所がある。それは幼い頃の記憶が左右すると思うが、そうでもない場合があるだろう。また、特に好きと思える場所はめったにない。たとえば、筆者は伏見人形に一時期強く魅せられ、それなりに夢中になって、まるで新しい恋人に会うかのごとく、骨董市にせっせと出かけたものだ。その熱がある程度収まると、あれもこれもと買い集めた人形の中でも、特に好きというものがごく限られることを知った。これは何でもそうだ。美人を見ても、特に好きと思える女性はごく少ない。その差は何か。それがよくわからない。筆者は伏見人形の全部を処分しても、一昨日書いた起の蚕鈴だけは手元に置くだろう。かと言って、他の起人形には全く関心がない。場所でも同じことが言えるだろうか。東日本大地震で被災した人が、放射能の汚染度が高くても、生活した地を忘れられないのは、この「沸所」という定義から理解出来る。確かにもっと便利な都会や、風景のよい場所は日本にいくらでもあるが、それらの中から、自分が「沸所」と思える新たな場所を探すのはほとんど不可能に近い。人間は特に愛着のある存在に触れていなければ、心豊かに生きて行くことは出来ないのだろう。さて、6年前に岐阜に行った時、筆者は沸所に遭遇した。岐阜駅前からバスで大通りを北進し、岐阜城のある金華山に至るには、道をやがて右に取る。これは地図で予め知ったが、地図は現実とはさっぱり違うことがしばしばだ。沸所は絶対に地図からは想像出来ない。岐阜駅からバスが北進している間、筆者は月並みな地方都市の風景を車窓から見ていた。ところが、バスが右に曲がった途端、前方に小高い山がそびえ、その頂上に白い小さな城が見えた。それは予想していなかった光景で、かなり驚いた。そして、道を曲がってすぐのバス停で慌てて下車した。そこから歩いても200メートルほどであることを知っていたからだ。そして、そのわずかな道のりが、筆者には忘れ難い、喜ばしい沸所に思えた。似たような町並みは今まで経験したことがない。こうして書いていて、6年前の岐阜行きで最も記憶に残ったのが、その200メートルほどの道で、それをもう一度体験したいと思い続けた。そして、家内と一緒にそこを歩くことにした。岐阜駅からバスに乗らず、あえて歩いてその道に至るまでの雰囲気を楽しみたかったのだ。その目論見は成果があった。だが、以前バスから降りて歩いた時に感じた思いは、微妙に変化していて、そのままでは蘇らなかった。その理由を考えているが、町並みが変わったのか、あるいは天気が違ったためか。とはいえ、落胆したのではない。やはり前と同じように、そこは愛着の持てる町並みであり、出来るならば住んでみたい。

岐阜駅から金華山に至るまで、筆者が今回歩いた道をヤフーの地図からコピーして記しておく。水色が駅前から市役所の前を通る大通りで、その北端につながる赤い線が、沸所の道だ。その通りの東端に近いところに郵便局があるが、6年前にも入らず、今回は休みで入ることが出来なかった。そこから西に100メートルほど行くと、同じく北側で、細い道路を北に少し入ったところに銭湯があるのが見えた。住むならばそのすぐ近くがよい。毎晩銭湯に通い、またすぐ近くの長良川沿いを歩きたい。さて、この長良川だが、沸所道から北つまり長良川の土手に向かって数本の道路があって、それらの奥を見ながら、岐阜城を目指したが、それらの道の奥は土手に向かうので、少し上り坂になっている。それがとてもよかった。家内は100メートルも後方を歩いて来ているので、待つ間にそのうちの1本を奥まで歩いてもよかったが、その寄り道をしなかったことが、こうして書いていて、かえってそれらの生活道路が神秘に満ちて思える。この沸所道はバスが走り、県道か国道であるはずだが、グーグル・アースのストリート・ヴューにはまだ載っていない。バスは一方通行らしく、岐阜城に向かうには沸所道を走るが、岐阜駅に戻る場合は、歴史博物館前のバス停から乗って、2本南の東西を走る道路を通る。その道はストリート・ヴューで見ることが出来る。すぐ近くであるにもかかわらず、感じが異なり、そこは筆者にとって沸所ではない。これがホット・スポットのゆえんで、そういう場所はごく限られるのだろう。岐阜市のこの沸所道は、なぜそうなのかと考えると、まず落ち着いた清潔な町並みで、しかも歴史を感じさせ、眼前に小高い山があるといった点が挙げられる。だが、そうした条件にかなう場所は日本全国では少なくないだろう。そうした場所すべてに同じような沸所性を感じるかと言えば、おそらくそうではない。では、ほかの理由は何か。それは柳ヶ瀬の商店街まで歩いて行けることではないか。筆者は田舎過ぎるのはいやで、また大都会のど真中も耐えられない。その中間と言えば、衛星都市になるが、歴史をあまり感じさせない町や町並みはいやだ。その点、岐阜市内は山があり、有名な長良川があり、人口もさほど多くなく、歴史がある。だが、筆者が住んでみたいと思う沸所道の銭湯の界隈は、地価も高いようであるし、また実際に転居するのは全く非現実的だが、こうして書いていて思い出すだけで、心が充実する。そして、また天気のいい日にその辺りを歩いてみたいと思う。何か珍しいものがあるわけでもないが、何とはなしに心が惹かれる。そういう場所をたくさん見つけたいが、家並みは年々変わり、沸所と思っていたところがそうではなくなる場合もあるだろう。第一、沸所という概念そのものが、年寄りじみている。若者はそういうことをまず考えない。回顧は老齢になってから顕著になる。まして、一度いいと思った場所を再訪するのは、完全に老人の証拠だ。それは人生の残りが少ないと感じ、今のうちによかった思い出を反芻しておきたいと考えることによる。

さて、岐阜駅から北進し、いよいよ角を右手に曲がるという時、一昨日書いた、蚕鈴の模倣土鈴を飾り窓に置く店があったが、それを過ぎて本当の角に、提灯を販売する大きな店があった。休みではあったが、ウィンドウの中に置かれた提灯の構造による照明器具の数々は鑑賞出来た。価格も添えられていて、商品と見比べると、思ったより安いものと高いものが混じっていた。これは柳ヶ瀬の商店街でも見かけたが、提灯製の女性用の帽子も展示されていた。汚れた時に洗えないのが具合が悪いが、一夏だけのものと思えばよい。そして軽くて、また平たくたためるはずで、携帯には便利だろう。提灯は岐阜の名物らしく、北進する大通り沿いでも見かけた。またこの南北に走る大通り沿いには画廊が多かった。それに民藝の店もあったりで、さすが歴史のある町で、比較的裕福な人たちが住むことを伝える。角の提灯を売る大きな店を過ぎてすぐ、同じく右手に倉庫のような切り妻屋根の比較的新しい建物があり、その妻の部分の中央に、大きな金太郎か桃太郎が鯉を抱く人形の看板がかかっていた。建物の扉が開いていて、内部が見え、段ボール箱がたくさん積まれ、出荷を待つ商品のようであった。中身は人形であろう。屋号は忘れたが、そのような大きな倉庫に商品をたくさん置くからには、岐阜は人形で有名とも思える。なお、この店の鯉抱き金太郎の看板をストリート・ヴューで探したが、見当たらなかった。ごく最近出来た建物かもしれない。この倉庫を過ぎた頃から、いよいよ眼前に岐阜城がよく見え始めたが、途中で写真を2枚撮った。そのうちのいい方の1枚を掲げ、撮影のために立ち止まった箇所を赤丸で記しておく。沸所道を行くには、どこかで左、つまりまた北進する必要がある。その角はすぐにわかったが、後方を見ると相変わらず家内は100メートル以上も離れて着いて来る。少し待って家内が追い着く頃に交差点を北にわたった。家内は向こう側で同じようにわたり、結局筆者はわたり切ってすぐに交差点を今度は西にわたって家内と合流した。家内を東に来させなかったのは理由がある。それは疲れている家内をさらに歩かせてはまずいという親切心からではない。沸所道を行くには、家内と落ち合った交差点の東北角にまず行き、そこから北に歩き、突き当たりの角をわたって北側の歩道を東進する必要があったからだ。そこからは郵便局や銭湯、それに長良川に向かっての上り坂が見える。家内には、6年前の筆者の思いを言わなかった。家内はそれを聞いても同じように感じなかったであろう。それがいやだった。家内には筆者が思うような沸所があるだろうか。あるいは他の人でもいい。何となくいやな感じのする霊スポットは誰しもあるが、その反対は、有名観光地というのが相場かもしれない。だが、筆者はそういう誰もが知って、写真をたくさん撮る場所ではない沸所を求める。ところで、その200メートルほどの沸所道を歩く間、写真を1枚も撮らなかった。写真で思い出す必要がないからだ。目に見えない何かを感じるから沸所であるというのではないが、それでも目に見えない何かは確かにある。それは写真で撮ることは出来ないように思う。沸所とは見えない何かがふんだんに感じられる場所のことだ。