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●姫路城と商店街
瓦が半世紀ぶりに新調されるというニュースが、昨夜のヤフーのトップ画面に出ていた。それで今日は9日の姫路行きについて書く。



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鯱と聞くと、つい金箔を貼った名古屋城のそれを思い出すが、姫路城の鯱瓦は写真でもあまり見たことがない。一昨日書いたように、筆者は21年前に幼い息子と一緒に姫路城を見に行った。当時息子は夏休みの自由課題もあって、各地の城を訪れていた。その数は10は越えていたと思うが、姫路城は筆者も見たかった。それ以前に家内とも出かけたことがあったが、大阪城と違って、まさに白鷺のたたずまいがあって、美しさでは日本随一ではないかと思う。注目と言うほどでもないが、姫路城が気になったのは記念切手だ。1964年に発売された10円切手で、これを発売当日に郵便局で買った。「姫路城修理完成」の文字が印刷してある。印刷のインクは茶色のみで、この地味さのためにこの切手はほとんど人気が出なかったが、白鷺のイメージからすればカラーで刷っても効果はなかったであろう。それはともかく、この修理は昭和時代で、それから半世紀経って劣化が目立ち、平成の大修理を行なうこととなった。まずこのことに驚く。筆者にすれば1964年に切手を買ったことはほんの少し前に感じるからだ。実際はそれからもう50年以上も時が過ぎ、その間に風雨にさらされて城のあちこちにほころびが目立ったということだ。だが、これは筆者も同じはずで、自分で自分がわからないだけだ。話が脱線するが、ここでふたつのことについて寄り道しておく。3日前、自治会の配りものをしていると、ある店から出て来て筆者と鉢合わせになった女性がいる。出会うなり、筆者をまじまじと見つめながら、「あの、大山さんではないですか?」と訊く。そう言われても筆者にはぴんと来ない。彼女は筆者がきょとんとしているのですぐに名乗った。それでわかった。会うのは20数年ぶりだ。彼女は家内と同じ年齢で、娘さんが息子と同世代でもあって仲よくなり、お互いの家に行って食事したことも一、二度あった。長身で顔がとても小さな、目の大きな美人で、その名残は確かにあった。彼女も筆者のことを、「昔の面影があって、すぐにわかりました」と言う。だが、彼女は眼鏡をかけ、また顔にそばかすも多少目立ち、しかも病気をしたらしく、言葉がほんの少し回りにくいようであった。右手が少し利かなくなって、文字を書くのは不自由しているとも言う。60歳近くなると、何らかの病が出ても不思議ではない。筆者のことを「昔の面影がある」と形容したのには、がっくりしたと言えばいいのか、あるいは喜んでいいのか。昔の面影は誰しもあるが、それが皆目認められない人もあるだろう。その点、彼女は筆者がすぐにわかり、また筆者は彼女に声をかけられ、名前を呼ばれながらもわからなかったから、まだ筆者の方が変化は少ないのかもしれない。と自惚れておく。5分ほど立ち話をしたが、滋賀に住む彼女にまた会うことがあるだろうか。それはいいとして、もうひとつの話。昨日市民検診の結果が届いた。3年前に保険所から呼ばれて個人指導を受けたが、その年の結果と比べると、あらゆる数値が年々健康の範囲に収まった。ただ、中性脂肪と赤血球の濃度だけがほんのわずかだが、正常範囲から出ている。だが、このふたつも今の調子でムーギョへ買い物に行き、また御飯は茶碗一杯にすればそのうち正常な範囲になるだろう。ともかく、3年かけて腹の周囲の数値もかなり減り、自分でも健康であることを感じる。
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 そんなわけで、姫路城が50年経ってまた修理をしていることが何だか不思議だ。だが、人間と違って物であるから、自分で修復する能力はない。人間が適当な期間を見て修理してやり必要がある。鯱瓦はふたつとも割れが見つかり、新調されることになったが、高さ1.9メートル、重さ300キロというから、これは名古屋城のものと比べてどうなのだろう。この姫路城に使われているものと同じ形のものが、息子と一緒に訪れた時に、姫路城を500メートルほど先に臨む、城の公園の南端に位置する広場に据えてあった。その中央に息子を立たせて記念写真を撮ったが、それが同じ場所に劣化せずにあった。城の屋根のような高い場所でないこともあって劣化がないのか、あるいはこの20年の間に新しいものに取り代えたのか、いずれにしても同じ場所に同じものが同じようにあることはよい。手で触れることの出来るこの一対の鯱瓦は、高さが1.9メートルもあったろうか。少し小さい気がするが、おそらく城に用いているものと同じものだろう。これが悪戯から破壊されないのか、それが心配だ。城のてっぺんに乗ると今度は雷雨その他で劣化があるから、家屋の内部にない限り、劣化の条件は増える。さて、その公園南端の鯱瓦が置かれる場所に至るまでに、野球が出来るほど広大な広場があった。20年前にもあったのかどうか、記憶が定かではないが、なかった気がする。姫路には、阪急と乗り入れしている山陽電鉄と、そのすぐ近くに位置するJRの駅があるが、どちらも大通りに面していて、その道を北進すると城に突き当たる。そのため、城に行くのに迷い子になることは絶対にない。筆者は商店街を歩くのが好きなので、姫路に行った時はいつも駅前大通りから一本東に入ったアーケードのある商店街を歩く。9日もそうした。ところが、20年前に比べて、さびれていると言おうか、疲弊している印象を持った。路上で果物や野菜を売っているお婆さんがふたりいたが、そういう光景は昔はなかったし、またそういうことがとても出来ないほどに、人が大勢いた気がする。息子と行ったのは夏休みで、城に最も近い、つまり商店街の北の出口に近い喫茶店でかき氷を食べた。その特徴ある店を探したが、なかった。また、商店街が少し短くなった気がした。その短くなった箇所に、先に書いた野球が出来るほど大きな広場がある。つまり、広場は商店街の北端を立ち退かせて出来たものではないだろうか。その広場の南端、つまり商店街の北端の東角は、広場に面してガラス張りの4、5階建てのビルが出来ていた。これは20年前にはなかった。そのビルを建てるに当たって、ビルの北側を広場にし、そこにあった家屋や店を取り壊したのだろう。帰りがけにそのビルに入ってみた。1階が姫路観光に関するコーナーや喫茶店などの店舗、2階全体が焼肉屋になっていて、その何とも奇妙な取り合わせは、そのビルが商店街にあったさまざまな店が、立ち退いた後にまたそこに入り込む権利を有していたことを思わせる。ビル前の広場は、広々として城が遠くに眺められていいが、あまりに殺風景で、大勢の人が集まる祭りにでも使用しないのであれば、どういう目的で作られたのか、理解に苦しむ。ビルを新たに建てると、周囲に空き地を設ける必要があるが、この広場は野球やサッカー場に匹敵するか、それ以上の大きさで、姫路の新たな、そしてとても奇妙な名所になっている。
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 姫路のこの商店街は大きくふたつに別れてつながっている。呉服屋や古本屋は昔のままで、特に後者は改装をしていないから、その店だけを見ると、昭和に引き戻された思いがする。商店街の北出口のすぐそばに書店があるが、その店も今では珍しいレトロぶりで、そういう建物の外観を見ただけでも姫路に行った甲斐があった。だが、そういう店も10年後に同じたたずまいで残っているかどうか。JRの車窓から景色を見つめながら、加古川駅周辺が新しい住宅が密集し、人口の増加が否応なしにわかったが、それらの住宅はどれも同じようなデザインと材質で、専門的にどう呼ぶのか知らないが、簡単な建材で囲っただけの工場製品だ。現代風でいいと言えばいいが、まるで紙で出来ているように見える頼りなさがある。だが、そういう住宅は厳密な設計と計算によって、地震や火事に最も被害が遭いにくいようになっているはずで、合理的という観点からはこれ以上合理的なものはないのだろう。たとえて言えばユニクロの衣服みたいなもので、経済性と快適さの関係は極限まで追求され、一切の無駄がない。自家用車と同じと言ってもよい。今や誂えという概念はごく特殊なものとなった。そういうように、一般人の住宅は20年単位ですっかり趣を変えるが、姫路の商店街は、そういう平成的な部分と、昭和的な部分がミックスされた状態になっている。そしてそれらが調和しているのかどうか、人によって思いはさまざまだが、新旧が混在するのは歴史が長い証拠であり、先の加古川駅周辺にえんえんと続く新興住宅地よりも筆者は好む。そして、いつも思うことは、たとえば姫路城は今後も何度も修復されながら同じ形のまま残るが、その周辺の住居は20年ごとに流行が変化する事実だ。一般人の住居は建築業者の生活を支えるために寿命は短く定められ、せっせと新しいものが建つ。これも思い出したので書いておく。わが家から500メートルほど離れたところに建つ家が先日取り壊されて空き地になった。その工事が始まる2、3日前、その気配があったが、家はまだ新しく、壁は塗り変えて2,3年も経っていなかった。工事が始まる様子を見て、また外壁を塗り変えるのかと思ったが、いきなりユンボが入ってすっかり粉々にしてしまった。以前の家はまだ新いかったので、もったいない話だ。地震や津波で簡単に家は壊れるが、人の思いによっても同じ運命をたどる。さて、商店街を抜けた広場に出たところ、姫路市城に覆いがかかっているのがわかった。駅を下りた時には気づかなかった。平成の修理中であることを思い出し、その期間中に訪れたこともまたいいかと思い直した。美術館で展覧会を見た後、本来なら天守閣に上ってもよかったのに、工事中では仕方ない。美術館のすぐ南に動物園がある。その入り口横にあるいくつかの自販機でカルピス・ソーダを探すと、ない。喉の乾きを思いながら、真横にそびえる天守閣の覆いを撮った。そして、なだらかな橋を超えてもっと間近に行くと、修理中ではあっても、中を見ることが出来ると書いた看板があった。だが、一部であり、また工事中の様子を含めてのことだろう。喉の乾きに気を取られながら、商店街に戻り、自販機やスーパーを片っ端から見て回った。カルピス・ソーダを見つけたのは、JRの姫路駅1階の土産店であった。また、その近辺は、大規模な工事の最中で、来年か再来年には駅周辺はかなり変貌する。JRの駅がどこでも同じになったと言われるようになった久しいが、駅舎も一般の住宅と同じく、現代に見合った規格がある。人間でも何でも規格品の世の中だ。人々はかえってそういう工場製品に洒落たものを見る。誂えなど野暮の骨頂で、安物なのだ。あるいは姫路城のように国宝級か。そういう両極端の存在は一般市民には無縁のものとなっている。
●姫路城と商店街_d0053294_23453779.jpg

by uuuzen | 2011-09-15 23:45 | ●新・嵐山だより
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