装いが新たになった阪急嵐山駅前広場、もう11か月近くになる。その間、広場に面したホテル建設現場にはホテル「花伝抄」が完成し、明日のプレ・オープンを待つのみとなっている。
先週、総支配人と副支配人がホテルのパンフレットと案内チラシを持って挨拶に訪れた。自治会の人々にお披露目をしたいので、配布してほしいとのことであった。その内見会が12日の午後3時から5時までの間にあった。招待されたのは、わが自治会と、近隣の自治会4つだが、実際は松尾大社に近い住民まで訪れた。筆者は3時5分頃に出かけたが、すでに門の前は人でいっぱいであった。ホテル内の写真をたくさん撮り、投稿出来るように加工も済ましたが、それらをこのブログに載せるのは、ヤフー・フォトにため込んでいるホテル建設現場の写真を全部掲載し終わってからにする。そのため、1年後ほどになるだろ。だが、例外として、今日はホテルの最上階の、しかも最も高価な部屋の窓から撮影した駅前広場の写真をまず最初に掲げる。これはクリックで拡大する。12日はあいにく午後3時10分頃から夕立になり、光が乏しくで写真はうす暗くなっている。駅前広場からホテルを見上げる写真はいくらでも撮ることが出来るが、ホテルから広場を見下ろす写真は宿泊でもしない限り撮影出来ない。それが招待日にかなったのであるから、これはまず載せておかねばと思った次第。こちらから見える、あるいは想うことに対し、その見えている場所に行ってこちらを見る、想うことは、そういつも簡単にかなうとは限らない。カフカの『城』を思い起すが、城を眺めるだけではなく、城の内部から外を見下ろすのは気分がいい。城は今では誰でも入ることが出来るので、そういう経験は特筆すべきことでもないが、城にたとえられる高位の立場というのがあって、それはたとえば総理大臣だ。議員が首相になりたいのは、いつも見ているだけのその存在に収まって、他の議員を見たいからだ。これも、遠くにある存在に立って普段の自分を見返すという、誰にでもある普遍的な思いだ。その願いの極まったところにあるのが、タイム・マシーンだろうか。人間は思い出を反芻しながら、その思い出を別の角度から見つめてみようともする。それが遠くに見る場所に行く行為になるが、山登りの好きな人と先日話をして、いつも見ている山の頂上に行って、そこから自分が歩いているいつもの道をはるか遠くに確認するのは気分がいいということを聞いた。筆者はしんどいことはいやなので、山登りは今後も絶対に好きにならない自信があるが、遠方に見ている場所に行ってみたいとは思う。そうした旅ではないが、「花伝抄」の部屋に入って窓を開け、そこから筆者が毎日歩いている駅前広場を見下ろした時、自分の姿が小さく見える気がして楽しかった。これは想像力があれば、実際にホテルの部屋の窓から見下ろさずとも、思い描くことが出来るが、写真となればそういうわけには行かない。

さて、リニューアルが完成した駅前広場はひとまずもう変化がない。そのため、定点観測の定点は減少し、今度はホテルの建設を見届けようと考え、その作業を去年11月から始めた。だが、広場からホテル建設現場を囲った塀が見えることもあって、しばらくは以前と同じ角度で撮った駅前広場の写真が続く。また、忘れた頃に撮ったりもしたので、たまに思い出したように載せる。今日と次回は11月6日撮影の写真を掲げるが、以前と同じ角度の写真となっている。現在の駅前はホテルが眼前に建っているから、広場そのものは同じとしても、そこから見える光景には差がある。その意味で、次第にそびえて行くホテルの建築状況の写真を載せることは意味があるだろう。話が少し戻るが、こうして書いている文章を見知らぬ誰かが読み、嵐山駅前に関心を持たないまでも、何かのつごうで訪れることがあるかもしれない。その様子は、遠いところに見ていたものが眼前に広がることであって、先に書いた、遠くにある存在に立って普段の自分を見返すという行為と言ってよい。そうしたことは誰でもさほど意識せずにやっていることだが、この駅前シリーズがそういうことに多少でも関係して役立つのであれば面白い。また、ここで順次載せている写真は現在の様子とは違っている。このブログで知る様子と現況とが思いの中でだぶり、その差も面白い。そして、何事も変わることが実感出来るとすれば、筆者の撮った写真は古い絵はがきのような役目を果たす。とはいえ、カメラがどこでもあり、誰でも持つ昨今、写真は溢れ返っていて、筆者がわざわざ1年ほど遅れてブログに掲載せずとも、検索すればこの1年の間に同様の写真はたくさんネットに出ているはずで、面白さを思うのは筆者だけかもしれない。だが、絵はがきに実際の風景、光景を捉えた写真を使うことはとても珍しくなったので、その意味ではレトロ感覚があって楽しめるのではないかと勝手なことを思う。ともかく、当初予定したこの駅前の変化シリーズは「その200」を恐らく越え、「おにおにっ記」に継いで長い連載になるだろうが、今日は駅前広場シリーズがいよいよ終わり、「花伝抄」の建設状況というパート2に移るひとつの区切りで、実際にヤフー・フォトに保存しているファイルの中身は次回の投稿写真でからっぽになる。また、ちょうどうまい具合にと言おうか、ヤフー・フォトはリニューアルして、10月5日から新たにヤフー・ボックスという、どんな形式のファイルでも保存できるサービスに移行する。これが50GBまで無料であるから、画像をMOに保存している筆者は、もう調子の悪いMOに頼らずとも、パスワードひとつ書き込んだだけで、画像も文章もヤフーから引っ張り出すことが出来る。50GBと言えば、このブログの全画像と文章を収めても、その100分の1にも満たないはずで、ヤフーに毎月お金を支払っている限り、ファイルの紛失を心配することがないし、またブログとは関係のない自治会や仕事に関するデータも収めることが出来るから、パソコン内部にデータを溜め込む必要はなく、パソコンは性能のよいものが不要になるのではないか。

もう一段落書く。最近猛暑続きで、出かけた時は自販機の飲料を買うことが多い。先日家内と出かけた時、場所は忘れたが、カルピス・ソーダのペット・ボトルを1本買った。カルピスは昔から馴染みだが、ソーダは飲んだことがなかった。これがとてもおいしかった。あまりの暑さのせいもあったが、飲み慣れたカルピスの味なのに、ソーダで割ると全く別の飲み物の気がした。家内もそう言った。その後、筆者は自販機で同じものを探すようになった。ところが、めったに売っている自販機を見かけない。先日大阪に出た時、喉が乾いて急にカルピス・ソーダの味が思い浮かび、無性に飲みたくなった。目的地に歩くまでの間、次々と自販機に遭遇したが、置いているのを見かけない。そうなると、なおさら飲みたくなる。ようやく日本橋の黒門市場を下った高島屋旧館北角の駐車場脇で見つけた。500ミリの缶入りで100円。ペット・ボトルより安い。また、同じ味ながら、缶のためかよく冷えているし、しかも口が大きく開いているので、一度にたくさん口の中に入る。交差点でぐびぐびと飲み干しながら満足したが、その後この缶入りをあちこちで探すが見つからない。そうこうしていると、家内があるスーパーで1.5リットルのペット・ボトル入りが150円弱で売っていたが、重いので買って帰らなかったと言った。そういう大きなものがあるとは知らなかった。だが、これも姫路に出かけた際も含め、どのスーパーに行っても、カルピス・ウォーターはあるものの、ソーダはない。カルピス・ウォーターは濃縮カルピスを買って来て水で割ればいいので、買うつもりにはなれない。それを言えば、カルピス・ソーダも濃縮とソーダを買って自分で割ればいいが、ソーダだけを買うのはもったいない気がする。それを買うなら、味のついたサイダーがよい。そう思うところに、いかにも貧乏人根性が出ている。近年はウィスキーをソーダで割るハイ・ボールの人気が復活し、ソーダの売り上げも伸びているが、ソーダを水より高価と考えるところに、日本の水の豊かさがある。昔ロンドンに行った時、喉が乾いたので売店で水を買おうとした。売り子はザ・スミスのアルバム・ジャケットに出ているような下町のヤンキー娘で、筆者が水を求めると、カーボネイトは普通のものかどっちがいいかと訊く。そこで面白いので炭酸の方を買ったが、これが飲めた代物ではなかった。水はやはり普通の水がいい。だが、西洋では炭酸も水であり、カルピス・ソーダとカルピス・ウォーターは同じものという感覚だろう。筆者は商品としての後者を飲んだことがないので何とも言えないが、前者のおいしさは格別で、現在この虜になっていて、昨日はついにスーパーのトモイチで1.5リットルのボトルを見つけて買った。同店では入ってすぐのところに清涼飲料水の同様のボトルが段ボール箱入りで積んであるが、そこにはなかった。そして、500ミリ・ボトルの冷えたものを並べているコーナーではカルピス・ウォーターはあるものの、ソーダはなかった。それで諦めたが、店内を何度かぐるぐる回っていると、大型ボトルの冷えたものを並べるコーナーがあって、そこにカルピス・ソーダが混じっていた。家内が安いという148円だ。姫路では駅構内で500ミリのペット・ボトルを147円で買ったので、3分の1の割合だ。トモイチに出かけたのは、銀行に行くついでで、正午頃だ。当然Sはいないが、昼間で時間もあるので、会員カードを作ることにした。手数料は100円で、その場ですぐに作ってもらえた。早速それを使ってレジを済ませた。ポイントは105円の買い物で1点で、買い物袋を持参すると5ポイントもらえる。1年で200回訪れるとすれば、買い物袋持参ではその分だけで1000円もらえることになる。それはいいとして、そのカードをSに提出すれば、Sはどんな反応を示すだろう。