振付師兼舞踊家と呼べばいいのか、昨日ピナ・バウシュの作品の映像をドイツ文化センターで見た。自伝的な内容を持つとされる『カフェ・ミュラー』と、ストラヴィンスキーの『春の祭典』だ。
この2作を収録したDVDが販売されている。アマゾンで調べるとほかの作品もDVD化されているようで、自宅でいつでもピナの作品を鑑賞出来ることになっている。だが、わざわざ会場に足を運び、大勢と一緒に自宅では望めない大型スクリーンで鑑賞するのは、また味わいが違うだろう。昨日は今年4月に出来た同センターのカフェについて書いた。その名前は、ピナの作品にちなんで「カフェ・ミュラー」と命名された。これはピナの許可を得たものだ。ピナは何度も来日しているが、4年前に京都賞を受賞した時、同センターのホール、つまり昨日ピナの2作品の映像が上映された小さなホールの舞台で記者会見があったそうだ。上映に先だっての挨拶で明らかにされたことだが、40代半ばだろうか、ラフな身なりをした男の館長は、図書室をカフェに改装し、その名前をピナの作品名から取って、「カフェ・ミュラー」とすることを提案した。館長はドイツ語で話し、逐一若い日本女性が訳したが、1か所、館長は自分の言ったことが正確に翻訳されていないことを思ったようで、やや不満そうな顔をし、それを察した女性は言い回しを少し変えたりしていた。館長は日本語がかなりわかるのだろう。最初に、「台風のさなか、わざわざ足を運んでくれるのは大変なピナのファンで、きっとピナも喜んでいる」という言葉があった。100名にはわずかに満たなかったが、若い人がほとんどで、これは確かにピナは喜ぶだろう。ピナは2年前に亡くなったので、同センターのカフェを見ることはなかったが、ピナが来て話したことのあるホールでピナの作品が上映され、またカフェにも入ったのであるから、昨日は得難い機会であった。気づけば、筆者がカフェで陣取った場所は、ちょうどピナの『カフェ・ミュラー』のポスターの真横で、映画を見る前に期待が高まった。先着100名とはいうものの、カラーのチラシは作られ、それは同センターの川端通りに面した広告板にも貼られていた。タバコを持った手がかなり皺や血管が目立ち、老婆に見える。撮影が亡くなる寸前だとして、69歳だ。年齢相応なのだろう。女性の年齢は手首や首によく現われる。家内は今57だが、ピナの手のように皺と血管が目立つ。その点筆者は極楽気楽トンボで苦労知らずか、ほとんど皺はなく、また血管も浮かばない。そう言えば、息子が中学生の時、PTAでそれなりに親しくなった同世代の婦人のひとりが、筆者の手を見て、ぴしゃりと叩きながら、「こんなきれいな手をして!」と言ったことがある。その意味が最近はわかる。女性は顔を化粧でごまかせても、手や首の年齢を隠すことが出来ないのだ。手で思い出したので書いておく。ここ1,2週間で、今年2月に裏庭の瓦礫を掃除した際に痛めた両方の手の小指の曲がりがすっかり元に戻った。朝目覚めた時、自分で曲げることが困難であったのが、今は全く不自由を感じなくなった。治るのに半年かかった。一旦壊したものが治るには長い年月を要する。また、まだ自然と治る年齢でもあるからだろうが、これがある年齢を境に、さまざまな能力は落ちて行くだろう。肉体的なそれは特にそうだ。
ピナの生家はカフェを経営していた。また、上映に先だっての説明の中に、『カフェ・ミュラー』は弟に関係があるといった話が少しあったが、それ以上の説明はなかった。昨日書いたように、筆者はこの作品について何かまとまった思いを書くことはとても出来そうにないが、かといって、これからそれが煮詰まるかと言えば、それも期待出来ない。昨日はピナについてネットで適当に調べたが、この作品についての説明には行き当たらず、この作品をどういうように見て理解すればいいのか、全く手がかりがない。そのため、大きな見当違いを書くかもしれないが、作品がどう感じ取られるかをピナはあまり強制しなかったのではあるまいか。人それぞれに感じればいいというわけだ。また、感じることがまず先決、いや、それに尽きると思っていたであろう。ピナの作品の圧倒的な迫力と言おうか、日本には似た芸術がないこともあって、なおさらその衝撃を他人にどううまく伝えられるかと思いつつ、結局これは黙って作品に接するしかないと考える。その作品は、本来は舞台を見なければならない。だが、ピナがいない今、舞台を録画した映像に頼るしかない。その映像と実際の舞台との差は確実にあろうが、舞台を見ることの出来ないこれからの人の立場になると、DVDの中にピナがいるとせねばならない。さて、『カフェ・ミュラー』は初演が1978年だ。今回上映の映像収録は1985年で、当時ピナは45歳であった。昨日読んだネットの文章では、確か60歳になってもまだこの作品で踊っていたとあった。それは可能であったろう。というのは、85年の収録でもピナはあまり激しく動き回らないからだ。その意味でピナの作品は若い人しか参加出来ないものと言ってよい。肉体の衰えは早い。ましてやピナの作品ではなおさらだ。ピナは自作ではさほど踊らず、振り付けに回ったのだろう。そして、若い人たちを指揮監督したが、それはピナが若ければ自分で全部踊りこなせるものであったはずで、楽器の演奏出来ない作曲家とはわけが違った。今、音楽のたとえを書いたが、ピナの作品は音楽との関連を強く思わせる。昨日エンド・ロールで知ったが、『カフェ・ミュラー』は17世紀のイギリスの作曲家のヘンリー・パーセルの歌曲が数曲使用され、その歌が流れる間は、踊り手のソロ・ダンスが披露される。そして音楽が流れない無音状態では、男女3人ずつの登場人物が織り成す、踊りによるドラマといった情景が繰り広げられる。その点においてオペラの現代的なものと言えばいい。これをピナは「タンツテアター」、英語で言えば「ダンスシアター」という言葉で表現した。だが、踊り手は踊るのみで、セリフはない。そこからはパントマイムを連想するが、舞台劇と同じように、衣裳や小道具に意味を持たせた舞台設定がある。登場人物の性格づけは、その踊りによって判断すべきなのだろう。言葉がないため、49分のこの一幕物の踊りを主とした舞台劇が何を伝えたいのかは、正確にはわからないが、意味を正しく把握する必要はないのだろう。圧倒されて言葉が出ないという見方が最も正しいのではないか。それは、何事も言葉の意味を通じて理解したと思い込む人間にとっては、とても心地よくすらある。ピナはオペラや舞台劇から言葉を取り去って、それを全部身振りで表現しようとし、そしてその思いのほとんど頂点にまで達した作品をものにした。ピナ以前にはそのようなものはなく、また以後もないだろう。それほどオリジナルなもので、そういう芸術を生むドイツを、ヨーロッパを、改めて思い、そして愕然とさせられる。それは単なるピナの思いつきの産物ではなく、何百年もの文化の蓄積があって、その土壌から生まれたものだ。新しくありながら、あらゆる面で伝統を思い起こさせもする。
ピナの初来日は1986年だ。当時ドイツ文化センターの郵便での案内でチラシを送ってもらった。それをどこかに保存しているはずだが、演目は舞台に赤い花を敷き詰める『カーネーション』であったはずだ。関西では大津で公演があったのではないだろうか。気になりながらも見に行かなかったのは、舞踊にさほど関心がなかったことと、入場料が筆者には高過ぎた。その後、誰の撮影だったか、ワニの口の中に素っ裸で入り込んで、下半身を晒しているピナの写真に接したし、またフェリーニの『そして船は行く』に出演し、そこで演技を見た。それに、以前ブログに書いたが、ヴィム・ヴェンダースの映画『都会のアリス』に登場するヴッパタールという街がピナの本拠地で、そのことは同映画をドイツ文化センターで見た時に知った。そのように断片的に接しながら、実像は知らなかったが、予想はするものであるし、その予想とはさほど違わなかったというのが本音だ。それにしても、観客に媚びるところが全くなく、しかも全力投球の作品であることに脱帽するほかない。現代芸術のひとつの悪い癖は、難解ということをいいことに、作者が適当なことを安易にすることだ。これなら小学生でも真似が出来ると一般人はよく思い、そして現代芸術は一般人からますます乖離したものとなり、またそのことに作者は自惚れもする。そういう落とし穴は、ピナは無縁と言っていい。それは『カフェ・ミュラー』を見ればわかる。男女3人ずつ(だったと思う)の踊り手は、みな息を極限まで弾ませ、全くの肉体労働者だ。49分もそのように緊張を伴ない、また人間技とは思えない過激な踊りを続けることは、ほとんど狂気と言ってもよい。どれほどの練習と、そして精神的な鍛錬を続けていることだろう。人間は動物であり、動物であることは肉体を移動させることであり、その根本にピナの作品は基づいている。肉体労働には人間の本質的な美がある。それを知識人はいつも侮り、また見ない振りをする。であるから、ピナの作品は、運動の苦手な知識人が賛美するだろう。自分の無様な姿や動きを忘るためには、ピナの作品はとても役立つ。それはさておき、芸術にさっぱり関心のない人が見ても、ピナの作品における信じられないほどの人の動きだけはまずはっきりわかる。そして、その肉体の駆使にぐいぐい引き込まれる。これは映画俳優がセリフを言う分を全部身体の動きに転化しているので、当然と言えば当然だが、俳優のセリフというものは、基本的に嘘であることを知りながら観客は見る。ところが、ピナの作品では、踊りのミスは観客に悟られるであろうし、またそういう無格好なことがないほどに完璧に踊るのだが、その緊張感は俳優のセリフの比ではないだろう。撮り直しは出来ないし、ひとりのミスが作品全体の質を落とす。その意味で、ピナの作品はオーケストラの演奏に似ている。そしてピナはその作曲家であり、指揮者だ。
『カフェ・ミュラー』は閉店しているカフェ・レストランが舞台だ。下手奥に回転ドアがある。上手背後には通路があって、上手側に抜けることが出来る。下手にはドアがあって、そこから最初白いドレスに身を包んだピナが静かに登場するが、回転ドアを含め、これら3つの出入り口を利用して、ピナ以外の人物は盛んに出入りを繰り返す。ピナは舞台中央でわずかにソロで踊る場面があるが、そのほかは、回転ドアに近い下手の壁に寄りかかってほとんど動かない。これはピナが昔を回想しているとの意味合いだろう。つまり、ピナの回想を残りの男女が踊りで示す(と思う)。舞台上のほとんどすべてには、黒く塗られた椅子や小さな円形の卓がたくさんあって、それらは踊り手の動きの邪魔になる。そこで、踊り手の妨げにならないように、この椅子と卓を絶えず移動させる男性がひとり登場する。黒いスーツを着ているので、これは文楽の黒子と同じ役割と見てよい。ところが比較的静的な文楽とは対照的に、ピナのこの作品では、黒子的なこの男性も含めて、全員が舞台中を活発に動き回る。椅子と卓を絶えず激しく素早い動きで取り除く行為は、まさに日本のお笑いのドリフターズの舞台と同じで、そのアホらしさに笑ってしまう人は少なくないだろう。おそらくピナはそれも承知であったに違いない。だが、ドリフターズとは違うのは、動きが完璧に制御され、最初の笑いが見ている間にぞっとする驚きに変わることだ。ドリフターズの動きもかなり暴力的なところがあったが、ピナの振付は、ひとつ間違えば骨折もので、普通の人が真似をするのは危険だ。どれほど練習したのか、また練習をどれほどしようが、実際の舞台でそれを繰り広げるのは狂気の沙汰というほどに、マンガ的な暴力的所作が頻繁に見られる。たとえば、男が女を抱き上げた途端にその身体を壁にぶつけて放り投げる。すると今度は女が同じ行為を男にする。そしてまた男がそうするという同じ行為を、何度も連続して行なう。コンピュータ時代になって、TVでも2,3秒ほどの同じ映像が何度も繰り返し映されることがよくあるが、それと同じで、ピナの踊りには繰り返しが目立つ。これは映像ならば、手抜きの最たる場面で、作り手にとってはうまみがあるが、人間が過激な踊りでそれをするのはどれほど大変か。男女がペアになって見せるある一定の時間的長さを持った踊りの繰り返しは、音楽ではごく普通にある。特にロックではリフという伴奏がそうだ。このリフをピナは踊りで表現した。そしていくつもの型を生み出し、それらの組み合せでより大きな部分を構成している。音楽的と思えるのはそういうところだ。だが、昔から踊りは音楽とつながって、音楽に合わせて踊るのであるから、ピナの作品にリフ的な踊りがいくつも見えるのは当然でもある。日本のラジオ体操や盆踊りを思い出してもよい。ピナのリフ的な踊りは、それらに似つつ、個性豊かにしたものだ。そのリフ的所作を踊り手ごとに振り付けるがピナの役割だが、ソロの踊りではかなり自由にさせているところも多いだろう。これは音楽で言えば、楽譜で書かれた部分と即興部分だ。
『カフェ・ミュラー』は暗いカフェが舞台になり、内容としては暗い過去を伝える思いがあるのだろう。ピナの弟らしき男はピナと同じ飾りのないドレスに身を包んだ若い女とペアになって踊ったが、ふたりは抱き合ったかと思えば、男がすぐに女の身を床に落としたり、また先に書いたように壁に投げつけたりして、終始傷つけ合っているように見える。またそのふたりを見守るような形で、別の男女が登場する。ひとりは黒のスーツを着て、弟らしき男が女と抱き合っている時に近寄り、男に女を胸の高さで掲げさせる。ところがすぐに男は腕を垂れて女を床に落とす。それを見たスーツの男はまた接近し、同じ形にさせるが、また男は女を落とす。その同じ所作が5回繰り返されるが、そのたびに速度が増し、まさにドリフターズの演劇めいている。そして5回が終わった後、今度はスーツ姿の介助なしで、男女ふたりは同じ所作を急速に繰り返す。これも練習の賜物だが、練習でどれほど女は青あざを身体中に作ったことだろう。本番では、薄手のパンティ1枚にこれもごく薄いドレス1枚だ。体格のよい女性でなければ務まらない。そして、体格がよいと、その女性を何度も担ぎ上げたり投げ飛ばす男性の体力は重量上げ選手並みでなければならない。話を戻して、この男女の絡みの場面は、スーツ姿の男が父親で、息子夫婦の仲を何度も取り持っていると読み取ることが出来そうだ。父親となれば母親が必要だ。これは赤毛の鬘を被り、空色のドレスに黒のコート、濃いピンクのハイヒールを履いた女性だろう。彼女の動きは、耐えずカフェの内部をせわしく動き回ることだ。彼女はソロで特徴的な踊りを見せる場面もあるが、スーツ姿の男ともまた子どもらしき男とその妻(としておく)にも一切関わらない。だが、最後の場面でピナに黒のコートを着せる。そこが暗示的だが、何を意味するかはわからない。先にリフ的な踊り、所作と書いたが、たとえば弟とその妻がふたりで床に寝転んで抱き合う場面がある。頭を常に舞台の奥に向けるが、その形ひとつ取ってもピナの厳格な美意識と指示であるはずで、その抱き合いの所作は、舞台の奥、アクリルの仕切りの向こうでも繰り返される。同じ所作が別の場所で行為されることは、ほかのリフ的踊りにもあって、そのこともまた音楽的だが、そこにはワーグナーのライト・モチーフと同じ考えが見られる。そして、それらのリフはみなあまりに特徴的で、ファンはそのひとつを独立して見ただけで、ピナのものとわかるだろう。たとえば『カフェ・ミュラー』の冒頭、ピナは両手を前に差し出して、カフェの中に入って来る。その夢遊病者のような動きは、ほとんど昔はやった香港映画のキョンシーという幽霊の動きを思わせる。おそらく香港映画がピナの踊りを真似したのだ。それはさておき、『カフェ・ミュラー』を見た後、ホールに灯りがともされないまま『春の祭典』が始まった。初演は75年で、上映された映像は78年の収録だ。これを見て、さらにピナの作品が音楽と密接につながっていることを思った。もちろんストラヴィンスキーはバレエ音楽として『春の祭典』を作曲したが、それを新たにピナが振り付けた時、この有名な音楽がどのように新たに生命を得たかがよくわかる。ピナはいったいどのように音楽と照らして男女ともで40人弱の踊り手の動きを振り付けたのだろう。音楽はブーレーズの録音が使われたが、ブーレーズはこの曲を指揮する際、ストラヴィンスキーに面会して楽譜の間違いを指摘し、徹底的に内容を分析した。ピナも同じことをしたのだろう。楽譜を前に、音符を人になぞらえて綿密に動きを構成した。それは映像を見れば、即座に理解出来る。この2本目について書き始めると、また同じほどの文章を費やす必要がある。ピナの本質を知るにはもっと多くの作品を見る必要があろう。また、それを考えると、ピナの途方もない才能を思わずにはいられない。だが、このわずか2本でもピナの才能がよくわかる。筆者がうらやましいのは、紛れもなく西洋の芸術と感じることだ。こういう才能が西洋からは今でも出て来る。