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●電車の重み
起の悪い話なので、ここには取り上げないでおこうと思ったが、取り上げることで厄祓いも出来るかと思い直す。だが、今日は暗い話題なので、それがいやな人は以下を読まない方がよい。



還暦を迎えた日、家内と大山崎山荘美術館に出かけたことは昨日書いた。大山崎を下りて切符を精算していると、すぐ目の前に送迎バスが見えた。慌てて改札を出て、数メートルを走り、バスに飛び乗った。筆者らや、そのすぐ後に続いた3人を加えてバスはただちに出発した。途中でJR山崎駅に立ち寄り、そこでも2,3人拾って、線路沿いを走り、間もなく天王山に上る踏み切りをわたる。その時、バスを見かけた老人がバスに停まってほしいというジェスチャーをしたが、バスはそのまま線路をわたった。バス停ではないところで客を拾うわけには行かないとの決まりを守っているのだろう。あるいは運転手がその老人に気づかなかったか。少し気の毒になった。そこからが上り坂で、美術館まで5分程度だが、老人ならその倍はかかる。そうそう、思い出したので書いておく。今日は台風が接近していて、昼間は大雨だったが、傘を持って出かけ、松尾橋から発車する市バスに乗った。で、筆者が最初にステップを上った。どこでも好きな場所に座ることが出来る。いつも決まって運転手のすぐ後ろか、その隣、つまり進行方向に向かって左手最前列だ。そこは座席が少し高く、見晴らしがいい。それに、下りる場合に混雑に巻き込まれずに済む。今日の運転手は以前にも乗ったことがある、無愛想な、40歳くらいの男だ。バスが梅津段町を過ぎてすぐ、信号でもないところで停まったので、筆者は読みかけの本から目を上げた。染料会社だったと思うが、前方に大型の営業車が道の中央に停まった。そして、運転手が右手を出して、後方の市バスに追い抜けと合図する。だが、バスはその車の3,4メートルほど後ろで停まっており、その車を避けて右に出るにはバックしなければならない。おそらくバスの後方には車が数珠つなぎになっていて、それは出来ない。またどうにか追い越せたとしても、大きく道をはみ出すので、前方から走って来る車に当たる怖れがある。前方の車の男は盛んに合図する。だが、市バスの運転手は表情ひとつ変えないで、その車が移動するのを待っている。そうして1分ほど経ったろうか。前方の男はついに身を乗り出して振り返り、バスの運転手に怒鳴って罵声を浴びせている。その男は誰かを待っているのだろうか。それならば、もう10メートルほど走って、車を道の際につければよい。そんなことは小学生でもわかる常識だ。なぜ、道のど真中でバスに追い越せと言うのか、理由がわからない。バスの乗客は前の車を見ながら舌打ちしている。いつまでこの調子で待たされるのかと筆者も思いながら、男が車から降りて来て、市バスを蹴飛ばすか、あるいは乗り込んで来て運転手と口論を始めるか、どちらかを想像した。だが、警察沙汰になれば文句なしに男は逮捕だろう。男は40代半ばか、長身で痩せ型、やくざっぽい顔だ。結局男は折れた。そして、最初からそうすればよかったのに、車を走らせて10メートルほど先で歩道際につけた。バスは何事もなかったように走り始めたが、筆者がバスの運転手ならどうしたか。まずクラクションを鳴らしたと思う。市バスの運行をまともに邪魔して2,3分も留まるのであるから、早くどかせるべきだ。でなければ客が迷惑する。そうでなくても京都の市バスは時刻どおり走らないことで定評がある。男が車をどけるまでじっと我慢するとことは、よく言えばトラブルを避けるだが、悪く言えば客無視だ。何か異常事があればどういう行動が望ましいか教育を受けているはずだが、車が道の真中で停まって頑として道を譲らないという事態は、運転手にとって始めてであったのだろう。それはいいとして、バスが次のバス停に着いた後、すぐに先ほどの男の車はバスを追い抜いて行った。誰かを待つために歩道際に横づけしたのではなく、ただバスに後ろを走られるのがいやだったのかもしれない。それにしても、理解出来ない行為で、それで営業が務まっているのだろうか。
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 腹立たしい話のついでに書く。市バスがそれから10分ほど走った頃、60歳くらいの男が筆者のかたわらで怒鳴った。下りる時に老人が邪魔になったのだ。罵声の内容は忘れたが、怒鳴られた老人は、即座に「すんまへんな!」と詫びの言葉を発した。老人にすれば、悪気がなかったという思いで、怒鳴られたことに驚きながらも、とにかく常識的に謝ったのだ。ところが、バスを降りながら、60男はまだぶつぶつと下品な言葉を吐きながら老人をにらみ続けた。大人げないおっさんだが、こういうのは少なくない。Tシャツに長靴、黒の傘を持っていて、いかにも下町のうだつの上がらない風采であったが、きちんとした身なりの大人でも罵声を平気で浴びせるのがよくいる。下町の労務者風情ならまだしもだが、そこそこの給料をもらっている会社員がそういう怒りを露にする様子を見るのは、なおさらげんなりさせられる。だが、身なりに関係ないのだ。このことをよく知っておくべきだが、身なりで人を判断しがちだ。職業や肩書き、どういう大きな家に住み、どういう自家用車に乗っているかで尊敬の度合いを決める。たとえばの話、開業医で大きな家に住んでいれば、まず人間性に申し分のない立派な人だと思われるし、本人もそう思う。だが、筆者はそういうようには人間を見ない。人間の価値はそんなものでは決まらない。ところが、そんな筆者はよく侮られる。それは何の仕事をしているかよくわからないことと、古い貧弱な家に住み、いい身なりをしていないからだが、侮る人はそれだけの人で、こっちとしては痛くも痒くもない。早い話が、その侮る人が医者で大金持ちであっても、こっちは卑屈になる理由は全くないし、筆者のことがわかってたまるかという思いもある。いや、それすらも思わない。侮られても淡々としていればいい。こう書くのは、先日かちんと来ることがあったからだが、その人は昔筆者に、「子どもを集めてお描き教室でも開けばいいのに」と意見してくれたことがある。筆者がよほど貧しく見え、また子どもに絵を描かせる程度の才能しかないと考えられているのだ。だが、別段怒ることもない。そう言った人は美術の片鱗にも関心がないからだ。職業や身なりで人を判断する人がほとんどであるし、そういう人に高尚な話をしても理解されないから、相手にするだけ損だ。心の貧しい人に何を言われても、どう思われても、どおってことはない。話を戻して、バスという公共の乗り物に少し乗っているだけでも、人の怒りというものに遭遇し、こっちまでいやな気分にさせられる。運転手ならもっとストレスがあるだろう。であるので、先ほどの市バスの運転手が、前に車がしばらく立ちはだかっても、眉ひとつ動かさず、平静を装うことを真似するのがよい。いつもカッカしていると、体が持たない。
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 縁起の悪い話というのは、筆者が還暦を迎えたその日に、電車事故に遭遇したことだ。美術館を出た直後、向こうから50歳ほどの男性がやって来て、「さきほどJRの大山崎駅でどうやら人身事故がありまして、踏み切りを横断することが出来ません。そのため、送迎バスもこっちへ上って来ることが出来ません。JRですか? ああ、阪急ですか。ともかく、線路沿いにサントリーの工場方面に進むと、地下をくぐるトンネルの歩道があります。それを使えばJRの山崎駅前に出ることが出来ます。」と話しかけた。そして、門を出ないうちから、サイレンがひっきりなしに聞こえる。地上から音が山の上に上って来るのだ。何台もパトカーや救急車がやって来ているようで、大きな事故かもしれない。そう思って筆者は家内を尻目にさっさと坂を下りて、踏み切りまでやって来た。踏み切りは下りたままで、向こうに美術館の送迎バスが立ち往生している。その踏み切りは線路が10本ほどもある長いもので、特急その他、踏み切りが下りたまま電車が通り過ぎる。ところが踏み切りにぎりぎり後尾がかかる形で電車が停まっていて、いつ発車するのかといった様子で、乗客らが窓から顔を出している。相変わらず盛んにサイレンが鳴りわたり、すぐには踏みきりが上がりそうにないので、さきほどの係員が言ってくれたように、地下通路を利用することに決め、線路の北側、山沿いの道を大阪方面に歩いた。家内は100メートルほど後方をのこのこついて来る。筆者が歩く道は駅の真横で3本に別れている。一番下は駅の横の保線用住宅に通じ、一般人は入れそうにないように感じ、そのすぐ上の道を行ったが、それよりも高い山手の道がある。そこは車が走る。そして、筆者のすぐ後方に若い男がバイクに乗ってやって来て、筆者が3本のうち、人専用の狭い道に入った時、その男は筆者の頭上を走る道を進んで、すぐにバイクを停めた。歩きながら見上げると、筆者の頭の真上で男がバイクを降り、望遠レンズのついたカメラで電車を写し始めた。筆者もつられて撮影した。乗客がぞろぞろと電車から下りながら、電車の先頭の下部を見つめたり、立ち止まったり、驚いたりしている。どうやら電車は人を巻き込んで停まったのだ。そして、まだ生きていることがわかったので、レスキューを頼んだのだろう。そうこうしている間に家内は追いついた。そして、筆者が興味本位に人身事故のことを話題にすると、嫌悪の情を示した。あまりそういうことは話題にしたくないと言うのだ。それもわかる。だが、筆者は自分の誕生日で、しかもせっかく家内と出かけて、これから河原町に出て何か食べようと思っているところを、こうした事故に遭遇し、縁起でもないではないか。そして思い出したのは漱石の『三四郎』だ。その小説では鉄道自殺をした女性の轢死体の描写がある。それは小説全体をいわば暗いものに染め上げている。もうひとつ思い出したのは、トルストイの『アンナ・カレーニナ』だ。この主人公は小説の最初で示される列車事故に呼応する形で、同じように列車に身投げして死ぬ。
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 5、6年前、阪急の桂駅で同じような事故を目撃した。筆者と家内は河原町方面の電車を待っていた。すると、すぐ目の前の線路にピンク色に細かい血が混じった霜降り状の肉の塊が見えた。線路には高さがあるから、向かいのホームに立つとおそらくその肉片は見えないが、こちら側からはよく見えた。猫の半分ほどの大きさだが、線路の砂利が茶色なので、ピンク色はあまりに派手で、誰でも何かといぶかるものであった。だが、電車に身を投げたのは筆者らが目撃した20分か30分前だろう。そう思ってホームを見ていると、中年の眼鏡をかけた中背の駅員がチョークと長い棒を持って、走りながらホームのあちこちに大きな丸印を描き始めた。それが死体のばら撒かれた場所であることはすぐにわかった。その駅員はほとんど笑顔で、その作業をこなしていた。珍しくない事故なのだろう。電車でバラバラに引きちぎられた死体はブリキのバケツに入れられ、すぐに人目につかない場所に運ばれ、そして電車は何事もなかったかのようにまた走る。ところが、ホームからは見えない位置の肉片を拾い忘れ、それが筆者らの目に入ったのだ。その日は初夏か晩夏であったが、肉片は数時間のうちに腐敗するだろう。そんなことを思い出しながら、盛んに聞こえるサイレンの音からして、電車の下に挟まれている人は、まだ息があるのかどうか、それが気になった。そして、電車の重みを感じることはどういう気分かを想像して見た。ホームで電車を待っていて、意識を失って倒れ、そこに電車が来たのか。いや、そうではなく、踏み切りで待っていて、電車がやって来た時にそこに飛び込んだのだろう。そして電車は100メートルほど進んで停まった。レスキュー隊が助けるとして、電車に大勢の人が乗っていては、ジャッキも使えない。それで乗客を全部降ろしている。筆者の頭上で望遠レンズで撮影している若い男なら、その撒き込まれた人の様子が見えたかもしれないが、筆者の高さでは線路までは見えなかった。だが、見えないでよかった。電車に人が押しつぶされている様子を見て、またその写真を撮ってどうするのか。漱石の『三四郎』では女の轢死体がリアルに描写されていたが、漱石はそういう様子を見たのだろうか。
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 写真を2,3枚撮って先に進むと、すぐにJRの線路をもぐるトンネルの場所に来た。そのトンネルがあることは、3月下旬、サントリーのウィスキー工場を家内と見学した後、線路沿いに大山崎山荘美術館に向かう途中で知った。すぐ山手が保育園で、そこから30代の女性が出て来て、そのトンネルをもぐったのを目撃した。もぐるには、石の階段を降りるが、山からの水を下に誘導する水路がトンネル内を通っていて、出入り口は湿った陰気な雰囲気が漂っている。それに、トンネルのすぐ際に大きな看板があって、「痴漢注意」とある。真夜中にそこを通る人もあろうが、痴漢に教われると、まず逃げ場がない静かなところで、昼間でもトンネルを利用するのに勇気が必要だ。トンネルをもぐり始めると、前方からぎくしゃくと歩く猫背の老婆がやって来た。ふたりが擦れ違うには狭い。右手は水路で、筆者は身を半分その上に移動させて老婆をやり過ごした。後方で家内が、「私は背が低いので、どうにかしゃがまずに歩けるからいいわ」と言う。トンネルを出て駅前に行くと、パトカーと救急車が合計10数台来ていた。何人ものレスキュー隊員がホームに向かい、下敷きになっている人を助けようとしているのだろう。あるいはもう死んだかもしれない。駅舎の中に入ってみると、ぞろぞろと人が出て来ている。そして阪急電車はどっちの方面かなどと駅員から説明を受け、電車が遅延した照明書をもらったりしている。JRを使う人は阪急に乗り慣れない場合が多いだろう。美術館で筆者らより少し前に出た男性が、JR山崎駅から阪急大山崎駅に向かう多くの人の中に混じっているのがわかった。みんなさっさと歩き、人身事故をどう思っているのか、表情からはわからない。よくあることとしてすぐに忘れ、ともかく自分の予定が狂い、阪急に乗り変えて目的地に急ぐのに必死だ。中には知らない駅で降ろされるのは始めてで、どこが阪急の駅なのか、きょろきょろしている者もいる。また、大山崎駅に着くと、ある者は阪急の駅員に何やら証明書を見せ、それでチケット代を割り引きか無料にしてもらっているらしかった。ホームに上がると、京都方面も大阪方面も人でいっぱいだ。それはこの駅始まっての大勢の人ではなかったか。電車を待ちながら筆者は向かいのホームの下から小鳥の鳴き声が聞こえないか耳を澄ました。6月上旬にも大山崎美術館に家内と行き、その帰りには小鳥の鳴き声が盛んに聞こえた。それをネタにしてTWITTERを始めたのであった。家内とビア・ホールで飲み、帰宅後にネット検索すると、JR山崎駅の人身事故に関してはTWITTERに書き込んでいる人がひとりくらいしかいなかった。よくあることで、別段珍しくないのだろう。飛び込み自殺を企てたのだとしたら、救出されればそれは失敗であった。それに、手や足がなくなるかしているはずで、その失敗はとても苦い経験だ。電車に飛び込むのは、多くの人に迷惑をかける。ビルから飛び下りる方がましか。いずれにしてもきれいに死ぬのは難しい。人間だけが死を選ぶことが出来そうだが、それも確実ではない。それはさておき、電車の重みを感じるのはどういう気分だろう。小鳥のさえずりを耳にしながら、遠くからサイレンの音がどんどん近づいて来る。早く助けて!
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by uuuzen | 2011-09-02 23:59 | ●新・嵐山だより
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