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●『かんさいいすなう』
子を集めた展覧会と言えば、国立民族学博物館を思い出す。そこではアフリカの椅子が休憩所にたくさん並べてあって自由に座ることが出来る。



どれも無骨な造りだが、黒光りして安定感があり、わが家に2,3個ほしい。そう言えば、自分で気に入った椅子をわざわざ買ったことがない。建築家や有名デザイナーの椅子は、ちょっとした有名人や知識人ならたいていお気に入りのものを所有し、雑誌の椅子特集で披露している。また、有名人になると、そうした凝った椅子を企業側からプレゼントもされることもあるだろうから、まともな椅子を買うことの出来ない者とは、なおさら開きが出る。ついでに書いておくと、筆者は1階のデスク・トップ型のパソコンには椅子を使用している。ミシンのストゥールだ。母から数年前にもらった。と言うより、捨てようとするものをもらって来た。4本の脚がどれもぐらついて、はなはだ使いにくかったが、長さ6,7センチ、直径8ミリほどの太いボルトとナットを買って来て補強した。それでもしばらく使っているとぐらついて来る。このストゥールは置き場所をほとんど取らないのがよい。以前は回転椅子や、また折りたたみのパイプ椅子など使っていたが、前者は大きいので勝手が悪く感じるようになり、後者はパイプが切れて、壊れた。結局またミシン・ストゥールを使い始めた。筆者が1日のうち最も長い時間座る椅子はそれだ。いい椅子に座りたいのはやまやまだが、そういう椅子の似合う広い家に住んでいない。そう言えば、30歳の頃、ひょんなことでロッキング・チェアをある人からもらった。よくある焦茶色の塗りを施した木製の大型のものだ。それをしばらく使っていたが、物が増えたので邪魔になった。それで従姉にもらってもらった。数年は使用したようだが、どのように手荒く用いたのか、すっかりばらばらになった。小学生のわんぱく坊主であった子どもたちがそれをおもちゃにして遊んだのだ。それでも100キロの体重の大人でも充分使用に耐えるものであったのに、本当にきれいに木材片となっていたのには驚いた。3階の高さから落としてもそのように壊れないはずだ。従姉の家でも、大きなロッキング・チェアは邪魔ものだったのだ。食事時に椅子を利用する家庭は多いので、たいていの家には椅子はあるが、わが家の食卓用の椅子は木製ながら、折りたたみ式の安物なもので、デザインも悪く、ほとんど使わない。ところで、先日ネット・オークションで飛騨の白川製作所という家具屋が昔作った楢材のダイニング・テーブルと椅子4客セットを、筆者が2,3年前からたびたび落札する人が出品した。あちこち小傷はあるらしいが、テーブルは長さ150、幅90センチの俵型、椅子は皮張りで背もたれが高く、中央に透かし彫りがあり、また深いカーヴを描いて、すっぽりと背中が収まるようだ。このセットが3000円から始まった。出品者は京都市内在住であるので、筆者が落札すれば、運搬は親類に頼むことが出来る。現在ならいくらほどの価値があるのかわからないが、20年ほど前は50万円近くはしたのではないか。結局筆者は次点で、それより500円高い14500円で落札された。落札者は鳥取の人だ。運賃は3万ほどかかるらしいから、落札価格の倍だ。よほど品物が気に入り、価値をわかっているのだろう。よく考えてみると、筆者がそれらを置くには、現在のキッチンにあるテーブルと椅子を処分せねばならず、また、風格がどうにもよすぎて似合わない。それに、テーブルが少し長い。落札出来なかったがすぐに諦めがついた。
●『かんさいいすなう』_d0053294_23492348.jpg

 さて、今日取り上げる展覧会は大山崎山荘美術館で開催中で、みんぱくでは10や20の数が置かれている黒人が作った椅子とは違って、関西の椅子作家の作品を並べ、また実際に座ることが出来る。「かんさいいすなう」の題名は、TWITTER世代を意識したものだが、「関西」という表現は筆者は好きではない。「上方」という言葉を復権させるべきではないか。それはさておき、この招待券も鳥博士さんからもらった。9月25日まで開催中だが、9月は多忙になることがわかっているので、少しでも早い間に行くことにした。それに、筆者の誕生日に家内がたまたま仕事が休みであったので、ふたりで出かけた。家内は山道を歩くのが億劫、しかも当日は猛暑であったので、出かけるのを渋ったが、誕生日祝いに外食したがっていたので、その前にこの展覧会を見ることにした。出かけたのは午後3時を回っていた。幸い、阪急の大山崎駅に着くと、駅前の送迎バスがちょうど発車する直前で、待ち時間ゼロで美術館に着くことが出来た。この美術館には新館として、安藤忠雄設計の円形の地下展示室があって、壁面には常時モネの睡蓮の大きな油彩画が2,3点かかっているが、その絵の前に映画『エイリアン』で一躍有名になったギーガーの作品を連想させる、かなり変わった有機的な形態をした、ふたり座りの木製の長椅子がある。それが今回は撤去されていて、その場所に作品としてのたくさんの椅子が並べられていた。また、そのギーガー風の長椅子の作者は、おそらく雨森一彦で、同工異曲の椅子が今回2点展示され、それらはチラシの表側に並べて映っている。どちらにも座ったが、座り心地はよくない。形はアール・ヌーヴォーで面白くても、くつろげないではあまり意味がない。だが、この独特の形は、座るよりも置物として眺めるにはよく、家にあると来訪者は度肝が抜かれること請け合いだ。筆者は自宅で用いるならばどれがいいかという観点で考えた。会場にはあちこちアンケート用紙があって、好きなものを1点選び、その理由も書くことになっているが、筆者が選んだのはモネの絵の前に2個並んでいた「ヤヤコロ」と題したもののうち、皮張りでないものだ。どちらも4つ足の小さなストゥールだが、筆者が利用するミシン用とは違って、高さは40センチほどとかなり低い。また、実際に座ってびっくりした。ロッキング・チェアなのだ。その揺れも大きくはない。そのわずかな揺れが実に心地よい。市販されているのかどうか気になって、そのことをアンケート用紙に書いたが、今ネットで調べると、3万円ほどで買えるではないか。京都の樹輪舎というところが製作販売している。皮張りのものは、盛りが高過ぎて座り心地があまりよくなかった。それよりも、お尻がすっとフィットする凹んだ板がよい。そう言えば、この尻のフィット感を第一に筆者は評価した。そしてそういうものがぽつぽつあって、椅子は直線ばかりで出来ているのはよくないと思った。筆者のキッチンにある折りたたみの木製のものは、すべて直線で、それが本能的にあまり使いたくない理由になっているのだろう。人間の体はすべて曲線であり、その重量は、曲線を描いた座り部分とフィットした時に最も安心感が持てるのではないか。かといって、先の雨森一彦の作品のように、全部が曲線であると、その曲線が人間の曲線とマッチしない場合は、骨が体に当たっている気分になって、直線が当たる以上に気分がよくない。
 尻のフィット感を尊重した椅子はどれも評価が高いとして、特によいと感じたものは、ウィスキーの醸造樽のカーヴを座る部分に活用したものだ。これが2,3あった。樽材の再利用は、今年3月にこの美術館からほど近いサントリーの山崎蒸留所を見学した時に知ったが、今回展示された椅子はニッカ・ウィスキーの樽を使ったとあった。作者は青木義雄で、「樽の木のスツール」と題している。その微妙なカーヴは、椅子のためにわざわざ木材を曲げるのであれば、価格はかなり高くなるのではないか。また、そのカーヴを見ると、樽の大きさがわかるが、ということは、1個の大樽からこの「樽の木のスツール」の座る部分が何百も取れるはずで、再利用としては実に好ましい。これらのストゥールの斜め前、モネの睡蓮の絵に最も近い場所には、巨大な形をしたオーム貝型の寝椅子があった。これは大人ふたりでも移動は大変だろう。木材をどれほど多く使ったのか。また、その特異は形は、面白半分の美術品と言うべきものだ。これを実際に家に置いて普段に使用出来る人は、よほどの部屋の大きな金持ちに限られる。横になってみたが、思い出したのはやはり『エイリアン』で、宇宙への旅の間、ロケット内部で、冬眠する人間になった気分であった。遊び心は大事であるし、こうした展覧会では客寄せのためにそれは欠かせない。だが、どうせ遊び心であるなば、この巨大なオーム貝が、実は分解出来て、いくつもの形の違う椅子が現われるという工夫であればよかった。でなければ、一度寝転んだだけで満足する無用の長物であり、せいぜい公園で子どもの遊び道具となるのが関の山だ。あるいは、公園に行けば、これよりもっと突飛で面白い遊戯具がある。展示されているもの全部に座ってみて、結局最もよかったのは、いかにもわが家の狭さに似合うヤヤコロだ。これがディズニーのアニメに登場するミッキー・マウスなどのキャラクターの足に似ている雰囲気のあるところもよい。だが、実際にこの椅子がわが家にあったとして、それに座ってする作業がない。パソコンの前に座るために用いることは出来ず、食卓にも使えない。となればくつろぐ時にだけか。昔もらった大型のロッキング・チェアと同じように、体を揺らしながら、ぼんやりする時に限るが、ストゥールであるし、揺れはごく小さい。今回の展覧会の副題は、「人はすわって考える?」だ。ヤヤコロは、くつろぎながらも、ちょっとした貧乏揺すりのように、すぐに次の作業に移る気にさせるようで、それがかえって筆者にはいいかもしれない。アンケート用紙を係員に手わたすと、絵はがきを1枚くれた。チラシ裏面にあるのと同じ写真で、山荘の前に巨大オーム貝だ。そこに寝そべるとすぐに寝入ってしまいそうだが、寝相の悪い筆者はすぐに落下して、骨がばらばらになったりして。畳の部屋のある日本には、椅子は欧米以上に特別なもののような気がする。そして、やはり金持ちがいい椅子を求め、またいい椅子を所有することは、社会的な身分を表わす。筆者のような平凡貧困者は、凝った椅子には生涯無縁だ。だが、案外そういう人がほとんどなので、こうした展覧会が開催される。
by uuuzen | 2011-09-01 23:49 | ●展覧会SOON評SO ON
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