酔っているというほどでもないが、ついさきほど地蔵盆の慰労会を地元の料亭「花筏」で7時から行ない、それを終えて来たばかりだ。

嵐山が近年急速の開発の波が押し寄せ、あちこちから電話がよくかかって来る。そのことは「駅前の変化」のカテゴリーになるべく述べようと考えているが、書き切れないほどのさまざまなことが出来し、もう2,3年はその状態が続きそうだ。それはさておき、慰労会でビールと日本酒をたっぷりと飲んだために、ろれつが少し回らなくなっていて、その状態でこれを書き始めた。キーのミス・タッチが普段より多く、酔っているようだ。とはいえ、今日の投稿をどうにか書き上げようと思っている。誰もまともに読まないし、期待もしていないものを、こうも律儀に毎日書き続けるのであるから、筆者は根本は真面目なのか。自分ではいい加減な遊び人と思っているが、実際がどうなのかは他人が判断する。さて、今日は毎月恒例の思い出の曲について書く番で、ジェームス・ブラウンの「マンズ・マンズ・ワールド」を取り上げる。その気になったのは、先月TVを見ているとコマーシャルで女性ヴォーカルでこの曲をカヴァーしていたからだ。女性がカヴァーするのは、少々意外だが、半世紀前のヒット曲で、古典になっているので、そういうことも許されるのだろう。そう言えば、シューベルトの『冬の旅』も女性が歌う場合があり、今は男と女の区別が曖昧になっている。だが、この曲は女性が歌ってもおかしくないか、むしろ女性が歌えばなおさら面白いところがある。その歌詞の分析は後でするとして、今回は先月末には全く予想もしていなかった曲だ。こうして取り上げる気になったことは、筆者の気分が2週間程度ですっかり変わることを意味している。浮気性ということか。ま、それが生きている人間の証拠だ。また、来月どんな曲を取り上げるか決めていないことが、一種のスリルとなって楽しい。何でも先々まで細かく決め過ぎないのがよい。先々を考えながら、その先々がさっぱりなくて、ぽっくり死ぬ人がある。還暦になった筆者もいつ何時そういうことがあるかもしれぬ。さて、正直な話、このカテゴリーは昨日にするつもりであったが、還暦の誕生日となると、よほど強い思い出の曲を取り上げねばならない。そして、そういう曲が思い浮かばないので、今日に回した。今日は記念日でもないので、どのカテゴリーに投稿してもいいが、月末ということで思い出の曲を取り上げることになった。つまり、「マンズ・マンズ・ワールド」は筆者の還暦に伴なう強い思い出の曲でことではない。けっこう、筆者なりに毎月1回のこのカテゴリーは関心があって、いつも次にどの曲を取り上げようかと思い続けている。ま、先のことを繰り返すと、誰ひとりとして期待していなくても、自分なりに思い入れを持って毎日書いているし、そのことが楽しくもある。
さて、関西のTV番組にはしばしば顔を出す井筒監督は、奈良生まれだが、関東の人から見れば関西人だ。奈良は大阪や京都、神戸とは全く違う場所だが、そういう差異は関東人にはわからない。関東も同じことだ。東京と千葉、埼玉、栃木、茨城では言葉も気質も全然違うはずだが、そこが関西人には今ひとつわからない。京阪神は狭いエリアの中で、気質も言葉も著しく異なり、関東の人間が関西とひとくくりで言うことにはいつも違和感がある。大阪ですら言葉は3,4つもあって、それらは日本語と英語ほど違うと言っていいほどだ。それだけ京阪神は多様な言葉がある。それをひとくくりに、また差異もわからずに関西と言われると、少々腹立たしい。それはさておき、筆者は井筒監督をTVでよく見るが、筆者より1歳だけ年少だとは知らなかった。4,5歳下と思っていた。その理由は、えらく気性が若いと言うか、軽いと言うか、若者向きの映画を撮っているからだ。代表作と言ってよい『パッチギ』は、大阪人ならほとんど誰でも、それが韓国語であり、どういう意味かも知っているが、そういう題名の映画を撮ること自体、関西に活動の拠点を置くことを宣言している。それはいいとして、筆者は井筒監督の映画を見たことがない。『パッチギ』にしても内容が見る前からわかる気がしている。機会があれば見てもいいかなと思いつつ、その機会がない。そういう井筒監督が、7,8年前か、『ゲロッパ』を撮った時はびっくりした。まずその題名だ。『パッチギ』と同じように、一語であるのがいい。こういう感覚は大歓迎だ。一語で強烈なインパクトを与えるというのは、正々堂々としている。『ゲロッパ』の言葉は『パッチギ』と比べて負けるとも劣らない。『ゲロッパ』と聞くと、誰しも喜劇を連想するが、それも監督の思惑の範疇で、この題名は秀逸だ。ほとんどこの題名だけでもこの映画は永遠性を獲得している。だが、日本語を解する者からすれば、『ゲロッパ』は蛙の下品な鳴き声か食べたものを吐き出すゲロのようで、品はよくない。だが、井筒監督はそこまで充分に考えて、この題名で映画を撮ったはずだ。そのセンスとねじれた勇気とでも言うようなセンスを買いたい。だが、筆者は関心がありながら、その映画を見る機会に恵まれないが、この映画がジェームス・ブラウンのそっくりさんを出演させ、しかもジェームス・ブラウンの「セックス・マシーン」という曲の歌詞に因むことくらいは封切りの頃から知っている。井筒監督はジェームス・ブラウン(何度も出て来るので、JBと略す)のファンなのだろうか。おそらくそうだろう。そして、その思い入れをこうした娯楽映画にまで結晶させることは、なかなかすごいことだ。そこに関西人(本当はこの言葉を使いたくない)らしさを見る。『ゲロッパ』は興行的にどうであったか知らないが、JBの顔や曲を日本人に今さらに知らせることにはかなり貢献したであろう。もっとも、この『ゲロッパ』の製作当時、JB人気はぶり返していたのかしれない。筆者もそう言えばマキシLPで『Living in America』を買ったことがあるし、80年代半ば、10年ほどのブランクを抜けて人気が復活した時期であった。井筒監督はいつ頃からJBに関心を抱いたのであろう。「セックス・マシーン」は1970年の曲だが、その頃からか。井筒監督の音楽の好みに関してはさっぱり知らないが、ブラック・ミュージックに思い入れがあって『ゲロッパ』を撮ったとすれば、長年の夢をかなえたということか。
筆者はブラック・ミュージックの知識は非常に乏しい。だが、その重要性は認識しているつもりで、JBの歌声を聴くと、白人からは絶対に生まれない才能を強く感じる。今日取り上げる「マンズ・マンズ・ワールド」は1966年に発表され、日本のラジオでもよくかかった。だが、筆者が記憶するのは60年代の終わりで、すこしずれがある。これは、日本ではさほどヒットしなかったのか、あるいは66年当時からビートルズの陰に隠れてそれなりにラジオでかかっていたのに、筆者が関心がなかったかのどちらかだが、はっきり記憶にあるのは、学校と仕事場の先輩であったNに連れられてスナックに行った時にBGMで流れていた時のことだ。その年月は定かでないが、70年代前半のことだ。そして、その時、筆者は数年前にラジオを何度か聴きながら、こういう歌手もいるのだなという思いであった。また、つけ加えておくと、スナックで聴いた時の音は、かなりエコーがかかっていて、それが大阪の天六にあった、夜のわびしいスナックに何とも似合っていた。また、エコーがかかっていたのは、当時発売されたシングル盤であるからで、CDではマスター・テープが少し処理されたのか、それがない。どちらが好みかと言えば、短調のこの曲にはエコーが似合う。NはJBのファンでもなかったが、この曲が鳴った時、以前の彼女が好きな曲だったと言った。その彼女を筆者は知っているが、筆者より3歳ほど年長で、この曲を好きということにえらく大人びたものを感じた。60年代末期から70年代前半にかけて、日本でもそれなりにR&Bやソウル・ミュージックは盛んにラジオから流れた。だが、筆者のように、イギリスの洗練されたビートルズを崇拝する者は、なかなかアメリカ南部の粘っこい曲にまで食指を伸ばして聴くことはなかった。もちろんビートルズの基礎にアメリカ黒人のR&Bが厳然とあることはよく知っていたが、ラジオでそういうことをしっかりと説明し、ビートルズが盛んに聴いた音楽をあえて流す番組はほとんどなかった。そのため、ビートルズ人気のために、JBは今まで培った人気を下火にさせられたと言ってよい。少なくとも日本ではそうであった。そういうことは筆者も感じていて、この「マンズ・マンズ・ワールド」は、シナトラの「夜のストレンジャー」のように、ビートルズ登場以前に圧倒的な人気を誇っていたシンガーの、復活曲であることを悟ったものだ。その見方は外れてはいなかったと思う。したがって、JBの代表曲としてこの曲を取り上げるのはよくないだろう。ましてや「セックス・マシーン」はなおさらかもしれない。ビートルズ登場以前のヒット曲にこそ、本当の価値があり、彼の代表曲とすべきだ。だが、筆者はそういう曲にはリアル・タイムでは出会わなかった。筆者にとって最初のJBの曲は「マンズ・マンズ・ワールド」なのだ。
JBのブラック・ミュージックでの位置を示す言葉に「帝王」がある。これは彼の顔の凄みを見てもわかる。やくざのちょっとした親分という、暴力的なイメージが強い。そして、これがまた魅力になっている。男はそういう見栄えの貫禄は重要だ。それが女にとっての色気になる。だが、女もいろいろで、男もそうであるから、JBの色気を嫌悪する女も少なくないだろう。音楽もさまざまだが、アメリカ黒人のものとなると、知識階級に聴かせるものではなく、ダンス音楽としての消耗品というのがもっぱらで、とにかく恰好よければいい。音楽は元来そういうものだ。芸能人すべてがそうだと言ってよい。社会にそういう開放的な部分を残しておく必要はいつの時代にもある。一般庶民の鬱屈した思いのガス抜きに必要なのだ。そう見ると、現在のアメリカがJBに匹敵する大物を輩出しているかとなると、これはさびしい限りではないか。JBが登場したのは1950年代のことで、R&Bやソウルの分野で先端を走り続けた。また、ファンクを基礎づけ、その点で70、80年代のP-FUNKの先駆となった。JBはベーシストにブーティ・コリンズを起用したというが、そのことからしてP-FUNKはJBの子どもだ。となると、JBの才能は計り知れないほど大きい。スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンが大儲けする土壌を開拓したのであって、黒人音楽の貢献者の第一人者としてまず永遠に記憶されるべきだろう。それが、崇拝かどうか、日本で『ゲロッパ』という半ばおちゃらけな映画が撮られるほどに、親しみが込められているところに、またJBの本質がある。こわ面でいて、庶民的な物のわかりやすさも持ち合せていると思わせるところに、JB人気がある。「チョイ悪親父」という言葉が以前はやったが、JBを好きな親父はまさにそういう形容がふさわしい。だが、JBはそれどころではなく、やくざの親分的凄みがあって、その点はアメリカ黒人ミュージシャン全員の中でこれからもトップの座を保持するのではないか。そういう悪な親父が聴き進むほどにのめり込む恰好いい音楽をやることに唖然とするが、音楽とはそういうものだぜという説得力がJBの曲にはある。そのアクの強さは、好き嫌いが大きく、さっぱり気に入らないという人も多いだろう。また、そういう人は概して黒人音楽を聴かない。だが、現在の日本では10代の子どもが騒ぐ日本の音楽はことごとくファンクのリズムを採用しており、そのルーツを辿るとJBに至るし、またその素朴とも言える編曲を聴くと、黒人音楽の真髄が何であるかが了解出来る。時代が進んで、さまざまな楽器の音色によってファンクは華々しくなったが、それら装飾の多さを剥ぎ取った時に浮かび上がる強烈な本質がJBの音楽だ。一度そういう味を聴き覚えると、もうほかの黒人音楽を聴く気になれなくなる。ということは、1950、60年代半ばで、黒人音楽は発展をやめたということになりそうだが、ある意味ではそれは正しい。黒人色がどんどんうすまり、今では日本のアイドルでもファンクのリズムの曲を歌う。筆者はそういう、アメリカより10年や20年遅れた日本の若者の音楽を白けた気分で聴き流すが、今の若者は何がルーツで、尊敬すべきものかなど、考えもしない。そのことを墓下のJBがどう思っていかとなると、案外さばさばして、結局黒人音楽がどういう形にしろ世界に広まるのはけっこうだと思っているだろう。
JBはR&Bとソウル、そしてファンクという言葉で形容される音楽をやったが、ロックンロールはどうであろう。これはチャック・ベリーなど、別の黒人ミュージシャンが担当したこともあって、JBはその領域踏み込むことはあまり考えなかった。だが、ビートルズ登場以前の50年代半ばに録音した「プリーズ・プリーズ・プリーズ」は、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を思わせる題名であるし、またビートルズがカヴァーしてもおかしくない雰囲気がある。バック・コーラスと、バラードである点がそう思わせるのだが、黒人音楽がなければ登場しなかったビートルズを示してもいる。また、「マンズ・マンズ・ワールド」でもそうだが、JBは盛んにシャウトする。これはビートルズにはつき物だが、JBはたとえば教会音楽などからそうした唱法を学んだはずで、大きく見ればJBもビートルズもキリスト教あっての音楽ということになる。話をそこまで広げるととめどがないので、ともかくアメリカ黒人音楽の豊穣な遺産を認識しおけばよい。さて、黒人音楽は常に新しいダンスのリズムを生み出して来たが、ブレイク・ダンスが登場してからは、ごく普通の男女が踊れるリズムがなくなって、黒人音楽も行き詰まった感がある。これはメロディからも言える。語りを主とするラップが全盛を迎えて、もう20年以上になるが、その間にそれを塗り変えるような新しい、大きなダンス音楽の動きがあっただろうか。常に新しいダンス音楽を生み出した黒人も、この20年は不毛の歳月であったのではないか。単調な語りの曲が飽きられると、また豊かなメロディが歓迎されるだろうが、曲に合せて新しい踊りをしたいという若者の欲求をどう吸収して新しい音楽が生まれるのか、筆者には想像もつかないが、黒人音楽の歴史を踏まえれば、その道筋が見えると思うしかないし、そういう時に浮上するのが、ルーツ音楽のひとつであるJBの曲ということになりはしまいか。その時、たとえば日本で『ゲロッパ』にJBがネタとして使われたり、またアイドルが和製ファンクを歌ったりすることを、あまり意地悪く思わない方がいいのかもしれない。というのは、JBならそういう動きをむしろ歓迎し、黒人音楽だけの遺産とは思わなかったと思えるからだ。評論家が指摘するような、細かいこと、うるさいことは、案外黒人ミュージシャンは言わず、自分たちの生み出した新しいリズムを世界万人のためのもので、どんどん使ってほしいと思ったのではないか。晩年のナム・ジュン・パイクがいみじくも言ったように、20世紀は美術も音楽も黒人がルーツにあって、文化の根底を、そうした差別された者たちが生み出したことがいかにも面白い。いつの時代、どこ国でもそうであって、最も賎しいとされる人々たちが、最も神々しい文化を創生する。そして、そういうことを思った時、JBの音楽と、その凄みのある顔を思い浮かべればよい。
さて、「マンズ・マンズ・ワールド」について書いておこう。JBの曲としては珍しいのかどうか、管楽器のイントロはさておき、その後は弦楽器が支配的となって、短調のバラード、日本で言えば泣き節の演歌といった曲調になる。また、ピチカートが特徴的で、これは曲の聴きどころとなっている。そうした編曲を誰がしたのかは知らないが、基本はJBのシャウティングとリズムで、それだけでもこの曲は味わいがあるだろう。JBの曲はギターが奏でる単調とも言えるリズムが非常に心地よい。よけいなギター・ソロはなく、ワン・コードで最初から最後まで正確に奏で続ける。それはビートルズのジョン・レノンには影響を与えたのではないだろうか。「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」のバックの演奏はJBから影響を受けたものに思う。ジョンもシャウティングを得意とするが、JBのそれはほとんど女性と思えるほど高い音を発する場合がしばしばで、「マンズ・マンズ・ワールド」を女性が歌うことにも納得が行く。それに、JBと同じキーで歌うことはほとんど不可能ではないだろうか。また、JBの曲のバックの演奏に聴き惚れていると、JBの歌を忘れてしまうが、実際は単調なバックの演奏をしたがえてJBが激しく歌うからこそ、曲が成立しているのであって、やはりJBの歌こそが重要であることを知る。また、メロディを奏でないバック演奏に合せて歌うことは、ただただリズム感が優れていなければならず、聴き込むほどにJBの能力が尋常でないことがわかる。さて、歌詞を簡単に説明すると、この世は男の世界だが、それは女がいなくては何にもならないと言う。男はさまざまなものを発明し、それが男(人間)の世界だが、女がいなければ全く何もすることが出来ない。簡単に言えばそういう内容で、暗に女性を賛美していると考えてよい。それもあって、この曲を女性が歌うのかもしれない。だが、女性が歌うと、詩の意味はあまりにあからさまになり、含蓄が失せる気がする。ここはやはり、男が歌うべきで、男が男の作り上げる世界の意味を根本から問うているというのがいい。JBは女性への暴力で収監されたことがあると記憶するが、そういうところもまた生々しく、激しくてよい。暴力を振るわれた女性はたまったものではないが。JBのような大物が登場しなくなったのに、女性への暴力が増えているとすれば、これは少し考えてみるべき問題であるような気がする。帝王のような男を必要としなくなった時代に、男は行き場のない鬱屈した思いを抱いているのかもしれない。「ウーマンズ・ウーマンズ・ワールド」と言い換えねばならない時代なのかもしれない。