校舎を利用した京都のマンガ・ミュージアムは、先頃、最新のマンガ雑誌も館内で見ることが出来るようになった。

子どもたちにとっては本屋で立ち読みせずに済み、本屋は商売上がったりと思うが、今は昔ほどマンガが子どもたちの娯楽の大きさ部分を占めていないし、また、周辺の子どもたちがもっぱら利用するであろうから、さほど心配する必要もないのだろう。校舎をさほど改修せずに、レトロな雰囲気をそのまま残して別の新しい施設に利用することはとてもいいことだ。長い歳月の染み込んだ校舎に入ると、それだけでも異空間を充分に感じることが出来て、そこで展覧会を見たり、マンガを読んだりすることは、自宅で読むのとは全く別の、現実と幻想が融合したような思いをもたらす。昨日、右翼系で有名なTV番組を見ていると、以前首相を務めたふたりが芸能人と同席して政治放談をやっていた。その番組の司会は大阪のお笑い芸人が担当しているが、ここ5,6年政治づいて、そのような番組を担当するようになった。レギュラー出演している何人かの中で大嫌いなのがふたりいるので、ほとんどその番組を見ることはないが、昨日はたまたま家内がチャンネルを合わせた。そして旧首相が揃って日本のアニメ文化を持ち上げ、東京にアニメ博物館を数十億かけて作る計画を蒸し返していた。正直な話、そのふたりの顔を見ていると、日本の政治家の質の低さが見えて、なおさらその番組が嫌いになった。結局ふたりが言いたいのは民主党をこき降ろすことで、長年日本の政治を担当して来た自民党こそ、日本を救うと自画自賛していた。民主党は自民党が数十年かけてやって来た、やりたい放題の結果の跡始末、尻ぬぐいをさせられることになり、しかも巨大地震と原発事故であるから、自民党の長年の垢を簡単に洗い落とせると思う方が全くどうかしている。政治家とは呆れた連中だ。自分たちが好き勝手やって来たことを何ら反省せず、政権を奪われた途端に他党をののしる。マンガ博物館を国家予算で建てるというアイデアは、京都のマンガ・ミュージアムの成功を見て、東京ならもっとお金をかけて立派なものを造るとの魂胆丸出しで、思いつきが甚だしい。菅総理を思いつきの過ぎる人だとさんざん批判していたが、どの政治家も似たり寄ったりだ。ところで、今日は民主党の新しい代表がようやく決まり、またさきほど民主党を熱烈に支持する知人が来宅し、1時間半ほど語り合ったこともあるので、ついでに書いておく。先頃ナデシコ・ジャパンが優勝して都庁を訪問した時、知事は菅総理をこき降ろし、代わりにナデシコ・ジャパンのリーダーに首相になればいいと言っていた。知事は右翼の代表的人物だが、曲りなりにも日本の首相を敬うという気持ちがあれば、よもやそのような茶化した言葉をTVに向かって堂々と言うことはないはずで、筆者は耳を疑い、次にやはりこの程度の知事であるので、そんな下品な言葉でも平気なのだと納得した。子どもも大勢その場面を見たはずで、大人のそういう言動をすぐに真似し、やがて親を敬わないことが平気になるだろう。昔の道徳教育を受けた筆者の世代からしても、筆者より年配の知事がそのような言葉を発することがどうにも理解出来ない。右翼というのは、目上に敬意を表し、礼儀正しくあるのが何よりもの心情と思っていたが、どうやらそうではなく、暴言を放ってもそれに自覚がない鈍感な連中らしい。日の丸に敬意を示せと知事は言うが、ならば首相を堂々とアホ呼ばわりすることはいかがなものか。心でそう思っていても、日本を代表する知事がそれを公言すればおしまいだろう。そんなことをすればいつかそれは自分に返って来る。それに、そんなに総理を謗るのであれば、自分が総理になりたいと行動で示すべきだ。ま、その自覚がないほどの愚か者で、そういう人物を東京都民が選んでいることに、筆者は東京に住むのはごめんと思う。首都とは言うものの、程度の低い連中の集まりではないか。だが、それが日本全体の現実だ。
今日も夏休みの子ども向けの展覧会を紹介する。昨日まで伊丹市立美術館で開催していた。このチケットも鳥博士さんからもらった。毎回5,6か所のものをまとめて送ってもらうが、全部見ることはない。時間がないこともあるが、電車を乗り継いで行くにはよほどの関心のある展覧会でないとためらう場合があるからだ。だが、伊丹のこの美術館も街も好きであるので、ほとんど毎回企画展に行く。あまり大きくない会場がいいし、また他館ではあまりやらないような内容のものが多い。フェリックス・ホフマンは、2,3年前に同じ美術館で確か他の絵本作家に混じって、ある絵本の原画が展示された。今回は生誕100年記念ということで、ホフマンにのみ焦点が当てられた。子ども向きと言うより、絵本作家を目指している人向きのところが大で、会場には子どもよりも大人の姿が目立った。名前からしてドイツ人と思われるが、スイス人だ。スイスのアーラウという街で画家兼美術教師をしていた。同市はスイスの中央北部に位置し、ドイツからは近い。絵本原画展は毎年いくつも開催されるので、それらを見て回っていると絵本通になるが、何しろ子どものための物語に絵をつけたものであるから、読み物自体はさほどまともに読む気になれない。また、新作の絵本でも、絵に意義があって、物語は注目されない。そこで、書き下ろしではなく、相変わらずグリム童話を引っ張り出すことになる。ホフマンもグリム童話に挿絵を描いているが、グリム童話が永遠であるとすれば、それに添える絵はつかの間のもののようであり、絶えず新しい絵で挑む才能が出て来る。グリムは昔の人だが、その童話には普遍性があり、時代に応じた新しい絵を必要とすると思えばいいだろう。つまり、絵は使い捨てだが、物語は不滅ということだ。これでは絵本作家は面白くないので新作の物語で勝負しようとするが、これがなかなかうまく行かない。絵の才能と文章の才能は別なのだ。どっちもひとりでやる人はいるが、たいてい文章がつまらない。文章は簡単そうに見えて、むしろ絵よりも難しい。ノーベル賞に文学はあるが、美術がないことからも言えるかもしれない。また、文章の面白さは、同じ文章から人によって思い浮かべるイメージが異なることだ。もちろん、1枚の絵を無数の文章で説明することも出来るから、絵と文章を比較することは出来ないが、「絵本」という場合は「絵」に主体があって、文章は後回しと思うべきで、文章を重視する必要はない。であるからこそ、絵本原画展が美術館で開催される。そこではいちおうは絵本の文章が紹介されはするが、会場で細かい文字を読むことは、絵を見るより数倍疲れることで、絵本作家が文章をどう絵解きしたかをつぶさに文章と対照して味わうことはほとんどなく、絵は絵として、つまり挿絵としてではなく、鑑賞絵画として見つめる。だが、それにしては描かれる内容が多い。それは元来文章を説明しているからで、絵が説明的であることは、見ていて疲れるところが大だ。そのため、絵本作家は通常の画家よりなかなか苦しい立場に置かれている。なぜ、絵本作家が通常の画家にならないのかと言えば、経済的な問題もあるだろうし、また文章を説明する行為が好きであるからだろう。ホフマンは抽象絵画を絵画の最高峰と思っていたが、そういう絵を描かなかった。そういう勇気がなかったのか、自分にはそういう才能がないと思っていたのかは知らないが、結局生涯具象的なものばかりを描いた。そう思えば、カンディンスキーにしろ、モホイ=ナジにしろ、さすが風格があったと言うべきだろう。そういう抽象画家の仕事から見れば、ホフマンの仕事はかなり雑然としたものに思える。
今回の副題は「うつくしい絵本の贈りもの」だ。この言葉を説明しておくと、ホフマンには男女とも4人の子があったが、全員に手製の童話をプレゼントした。それらはその後出版され、世界中の子どもが読むようになったが、ホフマンにすればそれほどに子どもがいとおしいことと、わが子を喜ばられれば、他の子どもも喜ぶと思ったのだろう。最も身近な者にまず試験的に見せるということはよくある。そうなると、ホフマンは純粋に自分の子どものためにだけ描いたのではなく、下心があったことになるが、そのあたりの事情はわからない。だが、最初の読者となった子どもは大喜びで、まだ描いてもらえなかった子どもたちは次は自分かと心待ちした。歳の順に描いてプレゼントしたのではなく、病気がちな子を優先するなど、我慢出来る者は後回しにし、またそれぞれ子の成長を思って童話を選んだ。ホフマンの優しさが伝わる話だ。手描き絵本は子どもたちの大きな宝になったが、そのような才能のない普通の親は、せめてホフマンの絵本を買って子に与えるしかない。あるいは、ホフマンの真似をして絵本を描くかだ。下手くそな絵でもよい。子どもにとっては自分に愛情を注いでくれていると思えることが大事だ。今思い出した。堺だったか、ある街の僧侶が信徒に見物させる紙芝居を100いくつも作っている。文章は仏教で有名な話を使ったりするが、絵は自己流で、とてもじょうずとは言えない。TVはその紙芝居の1編を僧自らの語り聴かせで紹介していたが、実に迫力があり、またいい内容の話であった。子どもも喜び、大人も感じ入る内容で、その紙芝居を見ることで、自然と仏教の教えがわかるようになっている。僧侶のよくない評判を聞く一方、そのような面白い人もいるかと関心した。また、絵の上手下手には関係なく、描こうという意識が大切であることも教えられたが、ホフマンの子どもたちは、父親の手製の絵本とはいえ、プロの仕事、そして愛情の限りを注いでもらった証拠であり、生涯父を敬う思いを忘れないだろう。また、そのようなホフマンであったので、作品が多くの人から愛されていることに納得が行く。日本から見れば、ホフマンの作品は紛れもなくヨーロッパそのもので、そのことに魅力があるように思う。どういうことかと言えば、日本でいくら真似をしても真似し切れない何かがあって、そこが魅力的なのだ。その魅力は理解が及ばない部分も抱える。謎と言い代えてもいいが、そういう部分を魅力と思うことは、日本に限らないだろう。ホフマンの絵はきわめてドイツ的であり、変に国際化を意識したところがない。そのことでかえって国際的に通用する何かを獲得している。ここで思い出すのが、昨日のアリエッティだ。こういう横文字の人名の響きに憧れ、またそれが映画の題名にふさわしく、きっとヒットすると思うところに、妙ないやらしさを感じる。国際的ぶるのはかまわないとしても、無国籍はいただけないのではないか。宮崎アニメがいくら逆立ちしても絶対にかなわないものをホフマンの絵の世界は持っている。それは自国の言葉の文化にしっかり根づいているからだ。日本にもやまと絵という独自の絵画の分野があるから、そこに準じて絵本を作ることも可能だが、そういう絵本を作っても、日本人はほとんど歓迎しないだろう。日本は根があっても、それを重視しない社会になっている。それで、アリエッテイなどと、どこの国の名前かよくわらない言葉を使って、それをあり得る美しさと思い込む。
ホフマンは福音館から注文があって絵本を描いたが、日本は世界中の絵本をどこよりも貪欲に紹介している国だろう。それは明治時代から続く、外国に学ぼうという姿勢でもあるが、ホフマンのドイツ独特の風味を日本に紹介したいという出版社の思いが何より強かったと思える。だが、ホフマンは日本から依頼を受けても、画題に日本を扱うことはなかった。そこが不器用と言うか、頑固と言うか、誇りを感じることが出来る。日本ではそうは行かないだろう。向こうから純日本的なものを頼まれても、それがどういうものかわからず、横文字の名前の主人公を登場させかねない。そのことが国際化という言葉のもとでは最先端の恰好よさなのかどうか、それは今後の時代が決めることだが、ホフマンのような頑固一徹とも言える強固な画風が結局のところ、ドイツ語圏以外の国でもてはやされる。さて、ホフマンの絵は、絵本をいくつか見れば即座にわかるが、日本で言えば誰かと考えるに、絵本に詳しくない筆者には妥当な名前が思い浮かばないが、たとえば堀内誠一はどうか。堀内は画風が一定していないので、ホフマンと似ていると言えば全くのピント外れと思う人もあろうが、絵に漂うモダンさ、レトロ具合がよく似ている。調べると、ホフマンは堀内より20歳ほど年長だ。同世代と言えなくもない。また、堀内のモダンさは、暖色とデザイン的なセンスに現われているが、ホフマンはモダンとはいえ、根底にはドイツ絵画の伝統がどっしりと控えていて、北方のゴシック的な要素も強い。日本で言えば、それこそやまと絵の伝統を現代に生かせたようなところがある。そのゴシック的な抹香臭さこそがホフマンの持ち味と言えるが、その点がいやという人も多いのではないだろうか。どの絵も手抜きを知らず、速筆ながらもかなり描き込みが強い。その重厚さもドイツならではで、それなりの模倣は出来ても、全体的な雰囲気ではとても太刀打ち出来ない。さて、ホフマンはこの世はしっかり仕事すれば、それなりのものが叶えられるといったことを書いていたが、そこには自分の仕事に対する自信と、また精力的に描いたことが感じられる。絵本の仕事以外に教会のステンドグラスや家の外壁の壁画など、大作も目立つ。それらの紹介は別館の地下の部屋で行なわれた。壁画は、色の土を3層に塗り、釘状のもので表面を引っかいて下地を見せて絵を表現する技法であった。その断片が展示されていた。感心したのは、最上部の色の層から5センチほど下が最下層で、最下層の色を出すのに、とても深く削らねばならない。その力仕事がまたドイツ語を話す逞しい男をを思わせ、「優しくて力持ち」という、絵に描いたような理想の男像が浮かんだ。ステンドグラスの仕事は当初は拒んだようだが、手がけてみると、のめり込んだ。ここからは、ホフマンが用の美に強いことがわかる。絵本は文章を絵解きする用に迫られるし、壁画もある意味では用の美だ。ホフマンが抽象絵画こそ最高の絵画と一方で思いながら、用の美から逸脱しなかったのは、何かに確実に役立ちたいという思いが強かったからだろう。それは健康的な思想であり、そういう才能が絵本を手がけるべきだ。そして、子どもが見て、美しいと思えるものが、いつの時代でも必要で、1冊の絵本の衝撃は子どもの生涯を決定する。マンガもいいが、やはり美しい色と形の絵本を見る必要はある。日本のアニメで外貨を稼ごうと盛んに言いふらす元首相は、ホフマンの絵本を知らないだろう。日本的なものとあえて言わずとも、自ずと日本的なものが仕上がると楽観論がいつの時代もあるが、そういう人こそホフマンの絵本を見るべきに思う。