健康診断を1年に一度はしておくべきだ。体調の急激な変化がわかる。京都市では毎年夏から秋にかけて地元の小学校の講堂で市民検診が開催される。
満50歳以上が対象だったと思うが、数年前から誰でもOKではなくなり、健康保険代を支払っていて、なおかつ会社に勤務していない人、しかも無料ではなく、500円を支払うことになった。それまでは家内と一緒に受診したが、家内は会社の健康診断を受けるべきという決まりになったので、筆者ひとりで受けている。昨日がその診断日であった。午後1時半から2時間の間に出かけねばならない。今年は早めに行ってやれと考え、1時半ちょうどに着いたところ、すでに50人ほどが並んでいる。ほとんどが70代以上で、筆者のような50代はきわめて珍しい。平日の午後に時間の取れる人は自営か、退職した人であるからだ。一昨年の診断で筆者はメタボリックの兆候があるとのことで、保険所に行って個別指導を受けた。その際、30歳前半ほどの女性保健士から何度も誘いの電話があり、指導の当日自転車で保険所に行くと、受講するのは筆者を含めてわずか3人で、うち男は筆者だけであった。そこに20代半ばの栄養士のような女性と、先の保健士が1時間ほどさまざまな話をしてくれたが、運動と栄養のことをあれこれ聞いても、そのまま守るのは難しい。指導は2回あった。最初の指導から経過を調べてもらうため、半年後にまた同じ5人が保険所で集まったが、筆者のみ2、3キロ痩せて、そうとうな精神力と誉められた。なかなかそのようには行かないらしく、他のふたりの婦人はさっぱり改善が見られなかった。中年以降になると、食生活はよほどの覚悟がないと改まらない。個人的に好意を持たれたのかと勘違いしそうなほどに、保健士からは2回の受診後にも電話があった。それほど親身なってくれるのも珍しい。その期待に応えるべく、毎日の運動を欠かさないようにした。指導以前からムーギョ・モンガに買い物に行っていたので、日々の徒歩は充分であったが、保健士の言葉に、ご飯の量を減らすようにというのがあって、それが気になった。それまでは丼茶碗いっぱい食べていたものを、その半分以下に減らした。当初はかなり空腹感に襲われて落ち着かなかったが、今はご飯のお代わりは一切せず、軽くよそいで一杯分しか食べない。にぎにぎしくにぎったにぎりめし1個程度で充分だ。その効果があったはずと思っていたのに、去年の診断では、肝臓のさまざまな数値に問題があるので病院で精密検査を受けるようにとの結果が来た。そんな馬鹿なと思った。1年間、かなり気を使ったはずなのに、かえって悪化した数値が出たからだ。結局的に病院には行かず、それで昨日の診断であったが、どのような結果が出るか。体重は先日高槻の家内の実家で計ると、服を着た状態で60キロを切った。去年より5キロほど痩せた。1か月前はもっと痩せていたはずだが、また食べるようになって、少し体力を戻した。また、このお盆の間は、ほとんどムーギョには行かず、おやつを多少貪ったので、1,2キロは太ったはずで、案の定昨日の体重測定では61キロであった。肥満率が22という数字であった。これは多いのかと訊ねると、21が正常というから、わずかにその数値より高く、メタボというほどではない。これで肝臓の数値がおかしければ、何をどう改善すればいいのかよくわからず、親切にしてもらった保健士に電話でもして相談に乗ってもらわねばならない。

小学校の講堂に老人たちが集まって受診している光景を見ながら、もう10年すれば筆者は高齢者の仲間入りをするのだなと思った。それは気持ちのいい想像ではない。だが、誰しもそんなことを思いながら年齢を重ね、気づけば老人で、体のどこかがおかしくなっている。それを見つけるための健康診断だが、毎年のこの市民検診で気づく背の高い70代半ばの優しそうな老人の医者がいる。どこの先生か知らないが、年に一度集まる医者の中で顔を覚えているのはこの人のみだ。いつまでこうした集団検診に参加出来るだろう。もう5年もすれば無理ではないか。人はそのように順番に老いて、この世から退場して行く。中にはその順番を無視して若死にする者もいるが、年一回の市民検診でも、受診出来ずに亡くなっている人は毎年確実にあるだろう。老人の死と若者の死では、後者がよりもったいないと思われるから、健康診断が必要なのは若い人だ。老人は調べればどうせどこか悪いところがあるに決まっているし、それを知ってもあまりありがたくないのではないか。確かに長生きはしたいが、病状を知れば知ったで心配のタネが増える。働き盛りの者が健康診断を受けるのは、会社での決まりもあって、本人が意識しなくても年に一度は自動的にその機会がやって来る。問題は筆者のような自営業だ。今年42歳になる従甥がいるが、親の仕事を継いで数年前まで自営業をしていた。学生時代はラグビーの有名選手で、長身で体格に恵まれ、寿司など100個ほど一度に平らげるほどの大食漢であった。胸板が50センチはあるかと思うほど分厚く、服はすべて誂えねばならず、その体格のよさが自慢であった。だが、自営業の忙しさもあり、また健康には自信があったので、成人してから健康診断を受けたことがなかった。タバコを吸わず、酒も飲めない口なので、もっぱら食べる方に欲が行き、体重は学生時代からほとんど変わらず、当然100キロを越えていた。小さな子どもが3人いるが、嫁は夫の大食ぶりは交際していたと時からのことで、別段気にもせず、同じようにたくさん食べることを許していた。だが、学生の時と違って運動をほとんどしないのであるから、人の何倍も摂取したカロリーが燃やされる機会がない。数年前のクリスマスの夜、友人と焼肉屋で食事し、友人と別れて車に乗った途端、頭に激痛が走った。そのまま1時間ほど車の中でうめいていたが、携帯電話で嫁に電話しているのに、出ない。後でわかったが、別の番号にかけていた。意識が朦朧としながら3キロほど離れた家までどうにか車を走らせて帰り、玄関口で倒れた。小学生の長女がそれに気づき、救急車で病院に運ばれたが、もう1時間早ければよかったものの、半身不随の後遺症が残った。脅威的な快復力と医者に言われたが、言葉も不自由で、車を運転することも出来なくなった。本人曰く、片仮名は全く読めず、平仮名もあかさたな行までで、はまやら行はわからないらしい。ということは文章が読めない。40歳でそのような体になってしまった。血管が80代の老人ほどに老化したのは、若い頃からの食生活のつけだ。毎日焼肉を食べ、寿司も大好物であったが、そのようなカロリーの多い食事が毒であることは、誰にでもわかるはずだが、子どもの頃からの習慣は治らない。小さな子を3人と半身不随になった夫を抱えて、嫁は勤めに出るようになった。その収入だけで生活出来るはずがなく、生活保護を受けている。

筆者のような年齢になると、いくら口が賎しいとはいえ、大量に食べられない。ご馳走日が2日続くと便秘に継いで下痢を起こす。体にひとつもいいことがないわけで、毎日ごく少しをおいしくいただくという気持ちが大切だ。おいしいものをたくさん食べたい気持ちはわかるが、それが嵩じるのは精神の病だ。そういう若い人が多いと見え、顔立ちは悪くないのに、大きな風船ほどに太った若い女性をたまに見かける。それは体質の問題ではなく、精神の問題で、これが一番やっかいだ。何事もこれに発する。この精神の暴走をどうにか食い止めようと、昔から人間は知恵を絞って来た。特に男がそうだろう。男の性の欲求は女性とは違うとよく言われる。30分ごとに男はよからぬことを考えるように体が出来ているから、その溢れる衝動をどう自制するかは大問題だ。もちろん自制しないという生き方もあるが、相手が必要である話でもあって、その衝動を受け止めてくれる相手がない場合は、犯罪やそれに近いことが生ずる。世の中の大半の出来事は、男のこの性衝動に原因、遠因があるだろう。もちろん女のそれも関係するが、女は子どもを産めば子育てに専念するから、男のように30分ごとに性の欲求が沸き上がることはないだろう。1か月ほど前の裁判だったか、ある中年の男が判決に際して語った話の中にこんなことがあった。青年の頃、叔父に誘われ、街中を歩いている若い女に声をかけ、車の中に誘った後、数人で輪姦することを繰り返した。哀れに思う女を時に逃がしてやったが、叔父はそれを見つけて暴力を振るった。何という叔父と甥の関係だと思うが、そうして女を強姦する味を覚えた男は、ひとりで同じことを繰り返し、どの女も輪姦されるのを、最初は泣いたが、事が終わった後では喜んだと語った。男は長年刑務所に入っていたが、溜まっていた性欲を吐き出すために、出所後1週間ほどで数十万のお金で女を買い、それでも飽きずにまた女を襲った。強姦の味を教えた叔父が悪人だと言えるが、どの女も強姦を喜ぶと思っているところに、この男の救いようのなさがある。韓国ではそうした性犯罪者を薬でその気を減少させる去勢を行なうようになったが、同じ意見は日本でもある。特に日本で深刻なのは幼児に対する強姦だ。父に数年間犯され続けた女性が先日NHKに出ていたが、そうした例は氷山の一角だろう。食欲も性欲もほどほどがいいのに、超肥満があるのと同じく、性の異常者は少なくないだろう。だが、肥満体とは違って表立ってはそれとわからない。先の強姦男のように、叔父の使い走りで、青年の頃に若い女に声をかけたとなれば、ごく普通の女性がその罠にはまったであろう。性を売る商売の存在は、30分ごとに性の欲が高まる男の本能がある限りはなくならない。江戸時代は、長男以外は家を継ぐことが出来ず、生涯独身を強いられることが少なくなかった。そういう男のために性産業は公認された。福島原発の事故以来、現地には大量の作業員が動員されている。最も近い小名浜の歓楽街では、そうした男の性を処理する店が繁盛しているという。だが、女たちには放射能に汚染された男はごめんと言う者もあって、放射能汚染のさびしい男はどこへ行けばいいか。

30分ごとの性の欲求を防ぐには、精のつく食べ物を摂らないことだ。僧侶が肉や臭いのきつい野菜を食べないのはそういう理由による。性欲に翻弄されると、頭が冷静に働かない。冷静に働かなくてよいと考える武士などはそういう我慢をしなかったが、今ではどんな僧侶でも肉も臭い野菜も平気でもりもり食べる。まさに生臭坊主だが、それで30分ごとの性欲をどうしているかと言えば、おそらく抑えてはいないのだろう。桂南光がいつかのTV番組で、僧侶が肉や臭いきつい野菜を食べないのはおかしいと言っていた。普通の人と同じ食事をして、なおかつ性の欲求を我慢すべきだと言うのだ。これはよけなおせっかいだ。自分が何でも食べることが出来て、いつでも女の抱き放題であるから、そういう考えをするのだろう。禅僧の気迫というものを、たとえば臨終の時に書く書で感じると、さすが凡人とは生きる世界が違うと感じる。それがいいのか悪いのかは知らない。そういう禅僧が仮に現在も大勢いるとして、寺の中にこもって修行三昧のみであれば、世間とは遊離した存在で、凡人には誰にもわからない。修行して悟ったことを凡人に還元しないでは、修行の意味が何かと思わざるを得ない。その一方で、盛んにTVに出る坊主も昔からいる。ほとんど人生相談を引き受けているが、そうした相談は戦後は新聞の文化欄が常識となり、ここ10年ではネットで相談を持ちかければ、たちまち10人ほどは一気に答えを書き込んでくれる。坊主の出番はいよいよ葬式だけとなったが、これも先行きは怪しい。僧侶が尊敬されたのは、凡人とは違う生き方をしたからだ。凡人の食欲や性欲を断ち切り、世捨て人となって、しかも日々の修行を続けた。明治時代以降、僧侶を堕落させるために、妻帯を許したと言われるが、凡人と同じ生活をするようになった時、凡人からの尊敬を集めるのは難しいだろう。だが、禅僧のような生き方は、元来男に本質的に具わっているもののように思える。それは30分ごとに高まる性欲と深い関係があって、そういう悩みからどうにかして逃れ、自由自在境地を得るためには、苦闘を伴なう修行が欠かせないと思ったのではないか。そして、男のそんな望みは時代に関係なく、ある一定の割合は存在するはずで、僧侶が堕落したとすれば、その分どこかで別の者が引き受けて、全体的には均衡を保っていると思える。その引き受けた者が誰かとなると、たとえば富士正晴を思う。妻帯し、毎日のように酒を飲んで暮らした富士だが、茨木の辺鄙なところに引っ込んで書き続けた。その前近代的なとも言える姿は、おそらく現代の仙人と呼ぶには躊躇する人も多いだろうが、俗でありながら卑俗さをたたえる富士は、現代の禅僧と言ってよい人格を持っていたように思う。その富士は一時新聞の人生相談の欄を担当していたが、毎度同じような、自分勝手な悩みばかりで、辟易したらしい。他人の悩みなど真顔で聞いていられるかといったところだが、それも何となく禅僧っぽい。