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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●にぎにぎざわざわ
々しい都会のねずみは田舎のねずみよりすばしっこいだろう。都会では注意すべき事柄が多く、機敏に行動しなければならない。



●にぎにぎざわざわ_d0053294_1211361.jpgそれが時に狡猾さにつながる。その点、田舎ではのんびり三昧で、同じ状態は人間にも言えるだろう。田舎の人が都会に出ると、1年も経たない間に都会人らしくなるが、それでも根幹には田舎育ちがあるので、都会で生まれ育った者より純朴と言おうか、騙されやすいのではないだろうか。だが、田舎にも都会と同じ情報が即時に届くようになり、また都会での様子を誇張気味に思って背伸びするあまり、田舎人の方が、特に若者は都会人より何事においても大胆になっている向きもあるだろう。昨日は観光バスが出町柳に停まった様子を見たが、その後下鴨神社で古本祭りを一巡し、神社境内を後にしようとした時、また別の観光バスが境内の端に停まった。京都観光に日本中から訪れるように見えるが、京都のどこが魅力的に映っているのだろう。京都に住んでいるとそのことがわからなくなる。銀閣寺の近くに住んでいる人は何十年も銀閣寺を見たことがないというが、だいたいそんなもので、貴重なものが近くにあるといっても、あまりに近いとピンと来ない。また、観光客がいなければもっと静かであるのに、それがよそ者によってぶち壊されているという意識を持つ人も多い。だが、店を開いている人にとっては観光客大歓迎で、京都はほとんどそれで持っている。観光客のおかげで、ここ30年ほどで小さな店が支店をいくつも持つようになったことは少なくない。京都ブランドの魔術だ。ごくちっぽけなものに最大限の付加価値をつける。観光客にしてもそれで騙されたとは思わない。京都に行って来たという事実を明かすものであれば、中身はほとんどどうでもいいのだ。そこが大阪人とは違うところで、大阪人は中身と価格が釣り合っていなければ、あるいは価格以上の中身を欲する。そのため、京都人とは本質的に合わない。筆者はそのどちらの心理もよくわかる。そのため、どっちつかずのところがあって、どちらにも居心地の悪さのようなものを感じ、いっそ田舎暮らしがいいかと衝動的に思うこともあるが、車に乗れないこともあって、まずは無理かと諦める。ところで、昨日は母親と話して、つくづく筆者は母に似ていることを実感した。母のすぐ近くに住む妹は、母が毎日退屈していることを思って、介護施設にでも行って友人を作ればいいと考えて、最近母を介護認定の検査を受けさせた。まだ結果は出ていないが、おそらく100パーセント駄目であろうと見ている。というのは、全くぴんぴんとしているからで、しかもひとりでも平気、むしろ見知らぬ人に今さら交わって時間を潰すなど、かえって煩わしいばかりと思っている。確かに孤独を感じるらしいが、最近のつまらないTVに飽きて、また読書を始めたようであるし、とにかくひとりで過ごす材料には事欠かない。
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 筆者が苦笑した話を聞いた。母は2か月に一度、ひとりで大阪の病院に診察してもらいに行く。そして、もう20年ほど交際している10歳ほど年齢が下のおばさんと必ず会って時間を潰して来たのに、最近ひょんなことで、そのふたりのうちのひとりの行動が目にあまり、もう交際するのをやめると決めたそうだ。その目にあまる行動とは、簡単に言えば、さもしさだ。母は何事においても太っ腹で、私利私欲がないどころか、むしろ施しをする方だが、最低限の礼儀を相手がわきまえない場合、容赦しない。その点が筆者とそっくりだ。つまらないとわかった途端に、ばっさりと斬り捨てる。そういう性質であるからひとりでも過ごすことが出来るのだろうが、他人からは厳しい性質と受け取られかねない。だが京都ではどうだろう。母は東京で生まれたが、幼くして京都に来たから、京都人と言えるが、成人して東京に嫁したので、そこでまた都会人になった。そして大阪に引っ越して筆者ら3人の子を産んだので、京都人らしさは普通の京都人よりかなり少ない。昨日母は、八尾に住んでいると、すぐ目の前に大きなスーパーがあって、いつでも好きな買い物が出来たのに、ここに来てからは出町商店街までとても歩いて行く気になれず、それが気に食わないと言っていた。ひとりで住む母にもしものことがあってはと思って、妹が近くに家を1軒買ったのだが、母にすれば忙しい妹と普段は話をすることもないので、八尾に住んでいた時と生活がほとんど変わらず、ならば買い物が便利な八尾の方がいいと思っている。筆者は隣家を去年買ったので、そこを手入れすると母を住まわせることが出来るが、妹の近くよりもさらに買い物は不便で、母の不満はなおのこと増すに決まっている。それはともかく、母と話をしていると、まるで自分の25年後を見るような気がするが、昨日も感じたように、あまりの元気さで、介護施設に行って同じ世代の人と話すなど、まず母には耐えられないのではないかと思った。母よりも年齢が下でも、病気や衰えからすっかり元気のない人も大勢いるはずで、そういう人に混じれば母はやがて自分もそうなるかと感じ、それが健康に悪い気がする。老人はみな自分だけの長い人生を経て来ているので、他人と同調することに不慣れになっているだろう。つまり、頑固であるから、仮に仲よく話す友人が出来ても、たいていそれはどこかで大いに気をつかっての行動となる。それが耐えられる人ならいいが、母はそうではない。筆者も同じで、老人介護施設などには入らずに、自宅で好き勝手をする方がよい。とはいえ、体が言うことを聞かなくなればそれもどうなることかわからない。また、孤独に比較的耐えられる母は、にぎやかさが好きな割りに、静けさもいいと思っていることになるが、それは都会育ちということから説明しにくいようでも、田舎育ちの人がみな孤独に平気かと言えばそうとも限らない。ともかく、田舎に暮らしたことがない筆者には田舎人との交際もほとんどなく、そういうあたりの微妙な心理がわからない。田舎人が京都観光するのは、都会でありながら東京や大阪ほどでもない部分に親しみを感じ、都会のざわざわざした雰囲気が時に恋しくなるからではないかと思うが、都会人がたまに田舎のよい景色を見たいと思うのと同じで、ないものねだりだ。
●にぎにぎざわざわ_d0053294_12121496.jpg

 さて、昨夜の投稿は非常に手間取った。文章が出来ているのに、なかなか投稿画面に至ることが出来なかった。サーヴァーが混雑しているせいかと思ったが、それよりも毎回の投稿の一番下の一行のうち、ソーシャルネットワークツールを、TWITTER以外に、1週間ほど前に「mixi イイネ!」や「はてなブックマーク」「facebook like ボタン」の3つを設定したことで、画面の表示がとても遅くなったことが理由と判断し、またTWITTERのみに戻した。これで改善すると思うが、根本的な解決には、パソコンを最新の性能のものにすべきだろう。TWITTERの投稿は毎日2階のXPのパソコンで行なっているが、先日はまたモバイルのトップ画面に切り替わり、投稿出来なくなった。その理由が表示されたが、OSが不適合とある。XPにIEのどのヴァージョンが入っているのか知らなかったが、ともかく、最新ヴァージョンよりひとつかふたつ前のヴァージョン、確かIE8だったかを、20分ほどかけてダウンロードして入れた。それでトップ画面が刷新され、そしてTWITTERもスムーズに投稿出来るようになった。やはり新しいものは便利だ。これが都会的ということだ。筆者はその点、田舎でも我慢出来るということだろう。これを書いて投稿するパソコンはWINDOWS98で、ネット・オークションで3000円で数年前に落札したものだ。おまけに出品者は東山の山科に近い山中に住む人であったが、わが家まで無料で持参してくれた。YOUTUBEなどの動画を見ることは出来ないが、その程度の不便は我慢出来る。それもまた田舎暮らしが出来る条件かもしれない。話が変わるが、昨夜投稿してすぐに、富士山を専門に撮影する写真家が、去年TVに出て、自宅を紹介していたことを思い出した。その家は富士山が真正面に見える場所に建っていて、額縁のような横長の窓からは写真のような富士山が見えていた。富士山に焦がれるあまり、ついにそのような家を建てたのだが、場所がどこであったかは忘れた。富士山がそのように見える場所はたくさんあるし、実際昨日古本祭りで買ったその写真家の写真集の巻末には、各写真をどこから撮影したか、その場所を地図上に示してある。富士山を囲んで四方ぐるりかと言えば、これがそうではなく、富士山の南西側からは1枚も撮影されていない。最も多いのは北東の山中湖辺りからで、山梨県の東側だ。おそらく同地に家を建てたのだろう。富士山を専門に撮るので、それは理想的で、たとえ買い物の不便があっても、それを犠牲にする思いがあってのことだろう。その点筆者は何か特別の景色といったものを表現したいのでもないから、やはりなにかと不便な田舎には暮らせない。都会のどぶネズミのように、人や物がにぎにぎざわざわとひしめく、狭くて汚いところでせいぜい毒づくのが似合っている。今日の写真は先日大阪に出た時に撮った。長堀に建つ背の高いビルの中央あたりの階の端に、黒字に白で横文字が書かれた看板が取りつけられている。その文字を読みたく、最大ズームで撮ったが、やはりわからない。望遠鏡でなければ読めない看板を掲げるなど、全く無意味だが、都会人はそれほど自己主張したいのだ。目立とうとしなければ、たちまち忘れ去られるという恐怖があるのだろう。2枚目の写真は説明不要。3枚目は道頓堀を走る観光船で、カメラをかまえた途端に過ぎ去ったので、工事中のプラスティックの塀越しに撮った。その船にはガイドが乗っていて、マイク片手に騒々しく説明していた。それほど大きな音を立てなければ周囲の雑音に消されてしまう。都会はそのようなにぎにぎざわざわに満ちている。
by uuuzen | 2011-08-16 12:12 | ●新・嵐山だより
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