ざっと見てからまとめて買う方が、手荷物として重くならずに済む。また、どうしてもほしいという本でもないので、一巡してから買えばよい。

きっと売れないはずだ。そんなことを思ったのが、12日に行って来た下鴨神社の古本祭りだ。これが始まったのは25年ほど前だと思うが、当初は毎年行った。近年はぽつぽつ行かないこともあった。多くの古書店が糺の森の両側に並び、25年前よりかなり増えた。だが、雰囲気は同じで、並ぶ本もそうだと言ってよい。店の数の多さは、本の多さで、そのにぎにぎしく、またつめつめの本の状態に効率よく巡り合えることが、この古書祭りの魅力だが、特別に珍しいものが放出されるというのではない。インターネットの「日本の古本屋」で目当てのものがダイレクトに注文出来る時代となったので、よほど暇があるか、あるいは何かの用事のついでがなければ出かけない。下鴨神社からは妹や母の家には歩いて行くことが出来るし、またお盆の挨拶をかねて立ち寄るのがいいので、早めの12日に行った。最終日は毎年五山の送り火のある16日だ。12日は充分時間があると思っていたが、糺の森の北端からまず西側に並ぶ店を順に見て歩き、その最後に到達したところで大粒の雨が降って来た。5時頃だったと思う。閉店は6時だが、止む気配のない雨にそそくさとビニール・シートを被せて店じまいする店が続出し、東半分を見ることが出来なかった。また、目ぼしい本やCDを1点ずつ見つけていたので、それらだけでも買って帰ろうと思ってまた北上すると、やはり店じまいをしている。結局何も買えずに引き上げることになった。それが何となく癪で、今日また出かけた。そして、予想したとおり、本は売れずに残っていたので直ちに買った。次にCDがあった店に行くと、そのコーナーは撤去されていた。そのCDとは、フランスの6人組のひとり、プーランクの2枚組で、500円であった。軽いので即座に買っておけばよかった。全部の店を見てからにしようと思ったのがいけなかった。後の祭りとはこのことだ。また、そのCDは、500円均一では絶対に売れない、シリーズ雑誌に付属して販売された、三流どころが演奏するつまらない30枚ほどに混じっていたので、誰も目をつけないと思ったが、おそらくそうだろう。つまり、1枚も売れなかったので、業者は持ち返ったと思う。毎日商品を追加するというのが、その祭りの売り文句でもあるが、実際はそうでもない。だが、1軒当たりテント一張りであるから、並べられる本は知れている。どの店の主も儲けにならなくても、店の宣伝と夏休みのヴァカンス気分を兼ねての出店のように見える。CDを売る店は数軒あった。プーランクのCDを置くその店以外は、どこも300枚から500枚を並べ、しかも中古CD店より高いほどで、それでは誰も買わないだろう。

プーランクにさして興味はないが、500円ならまあいいかと思った。今日手に入らなかったことはさほど惜しくはない。また、本の方も長年探していたというほどのものでもない。富士山を撮影することで有名な写真家で、その人の絵はがき集を昔ある人からもらったことがある。20数年前のことだ。その写真家が本を出していることは知らなかったが、その写真集を見つけたのだ。写真家の実物のサインとはんこが巻末にあり、それも興味深い。写真家の顔写真がそのかたわらに印刷されているが、昔から想像していたのとは全然違う。それが意外で、また筆者好みの顔でないのが、欠点だが、ま、それは仕方がない。使用カメラはハッセルブラッドで、道理でその写真集には正方形の写真が目立つ。富士山に別段興味はないが、その写真集は、20年数前に筆者に絵はがきをくれた人を思い出すよすがになると思った。また、今改めてその写真を見ていると、なかなか宇宙的雄大さがあってよい。絵はがきは全部使ってしまったので、手元には確かタトウ紙しか残っていないが、その写真家は現在も同じように富士山ばかり撮影しているのだろうか。写真集を出した1988年が人気の頂点で、絵はがき集は今日買ったその写真集の出版に合わせて販売されたものかもしれない。ともかく、その写真集を買うために今日は出かけたようなものだ。今日は図書館に本を返却し、その次に古書祭りに行き、午後4時に家内と出町柳で待ち合わせをした。市バスの1日乗車券を買ってバスを乗り継いだが、お盆で車が少ないはずなのに、岡崎から下鴨に出るのにかなり時間がかかった。おそらく岡崎から糺の森まで歩いた方が早かっただろう。だが、炎天下では歩く気になれない。岡崎から百万遍に出て、そこから河原町今出川に行った。信号を北にわたっていると、左手から筆者を覗き込む長身の男が視界に入った。中古レコード店HOTLINEの西川だ(呼び捨てにするが、ま、それほどの長年の知り合いだ)。「後ろ姿がよく似ているなあと思いました。サングラスをかけているので、すぐにわかりませんでしたが。とこで、ここにはどうして行けばいいですかね。」「すぐ次の信号を右に入ったところですよ。」というような会話をして別れた。クラシックの中古レコードを100枚ほど買い取り行く途中であったようだ。そう言えばHOTLINEにもとんと行かなくなった。また、顔を見せに行かねばならない。それにしても京都は狭い。気になっていた西川氏に会えて何となく嬉しかった。で、河原町今出川の次のバス停まで歩いて待っていると、時間どおりにバスが来ない。さては間引きかと思っていると、大きな観光バスがバス停に停まった。即座にバス・ガイドが下りて来て、踏み台を設える。それに続いて数十人の観光客が降りた。京都観光のコースに出町商店街が入っていることに驚いた。バス・ガイドは集合時間を記したノートを掲げていたが、自由時間はわずか40分ほどだ。その時間内に出町商店街を散策するなり、有名な餅屋で買い物をしろということなのだろう。何でも観光資源になる京都で、京都は隅から隅まで魅力的ということなのだろうか。それにしても、市バスより大きな観光バスが市バスのバス停に停まると、市バスがやって来た時に困ると思っていると、観光バスは手馴れたもので、人を降ろすと即座にそこから離れた。40分後にまた同じ場所に戻って来るのだろう。観光バスが出てからすぐに市バスがやって来た。それに乗ればふたつ先のバス停が糺の森で、そこから2分で古書祭りの店が並ぶ北端に至る。

今日は時間が前回よりかはあるはずと思っていたのが、バス待ちで予想外に時間を費やし、糺の森の中にいたのは50分であった。前回見ることが出来なかった東側の店を主に回ったが、ほしい本は1冊もなかった。毎年ほとんどそうだ。筆者が探しているような本は、そういう類のものを専門に置く店に行かねばならない。だが、こうした古本祭りはムードを楽しむのが半分だ。また、そのように気分をゆったりと保たないことには、珍しい本に心が動かない。その珍しさは、昔から気になっている分野とは違って、これから注目して行こうと思っているものの中にあるというのが理想だが、これも心がゆったりしていないと、つい自分が現在関心のあるものばかりに目が行く。それは本当は好ましくない。とはいえ、すでにたくさんの本が家にあって、そのうえ、また全集ものをいくつも買うとなると、置き場所に困る。12日に行った時、女子大学生がふたり、漱石の全集を手に取って箱から出していた。箱がきつくてなかなか本を出せず、苦笑しながらどうしたらいいかなどと言っていた。岩波のその全集の端本なら、1冊100円でから300円程度で手に入る。文学部の学生なら全巻がほしいだろうが、狭い下宿かアパートではそれを並べ置くには覚悟がいる。学問をするには広い場所が欠かせない。文学部は特にそうではないだろうか。読めばすぐに売り払えば場所を取らずに済むが、いざ調べものをしようとする時に手元にないでは困る。文庫本は日本の住環境の悪さを思って誕生したのではないだろうか。だが、どうせ読むなら筆者は単行本を選ぶ。同じ内容でも重みが何となく違うように感じるからだ。だが、初版本に凝る思いはない。さて、これも12日に遭遇した場面だが、中国人の学生の男女が、30年かもう少し前に平凡社が出した中国の古典文学集の1冊を手に取って熱心に見ていた。中国ではそのような古典は用意に入手出来ると思うが、案外まだそういう時代ではないかもしれない。この半世紀の間に社会の大変動が何度もあって、言論の統制も行なわれ、日本で考える以上に自由に古典を読む環境が整えられていないかもしれない。その点、日本は昔から中国を研究し、古典文学についても中国では珍しい古い版本が残っているはずで、それを原本にして翻訳し、また原文も対照出来るようになっていると、そうした本は日本に留学する中国人にとってはいくつもの理由で魅力的であろう。つまり、自国でもなかなか手に入らない原本がわかり、それを日本語がどう訳しているか、また本の装丁や活字、紙質など、中国との差も味わえる。中国人がこうした古書祭りで、自国に関する古典文学書を漁ることは、日本にある中国の骨董が現在盛んに中国に買い戻されているのと同じような理由にもよるのだろう。そして、その逆がないことに日本は誇っていいのかもしれない。あるいはその逆というものは、まだ韓国あたりでは、探せば出て来るかもしれない。それは日韓併合時代の韓国における日本にまつわる出版物の意味だが、そうしたものがあったとしても、敗戦直後に韓国人によって燃やされたかもしれない。同じことは中国でもあったとも考えられる。やはり逆というのはないと思える。日本がアジアのにぎにぎしくつめつめの吹き溜まりであることは確かなようだ。その一端が古書祭りからわかる。今日の写真は最初の3枚が12日、下のものが今日の撮影。