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●嵐山 砂の彫刻展
りなくなれば一斉に停電になるのかどうか、電力の心配を一昨日あたりから京都でもせねばならないようなとんでもない暑さが続いている。そんな中、午後3時過ぎからこれを書き始めている。



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3階の室温は37度だが、温度計は筆者のすぐ右手にあって、ベランダからはより遠い。ベランダ際にいる筆者は汗がだらだらと流れ、サウナに入っているのと全く同じ感覚で、筆者の位置ではおそらく40度はあるだろう。今いいことを考えた。温度計を外して筆者の左手、つまりよりベランダ側に置いた。これを書き終える頃に気温を確認しよう。ベランダ側とはいえ、カーテンを閉め切った部屋の内部であるので、ベランダの上よりかは10度ほどましだろう。さて、昨日は区役所に行く用事もあって、昼の1時頃に散髪屋に行った。珍しいことに客は筆者ひとりで、主人が早速話しかけて来た。あまりの猛暑で午後5時過ぎにならないと客はさっぱり来ないらしい。熱中症で死にたくないと見え、外を歩いている人はいなかった。天気予報によると、暑さはしばらく続く。酷暑は免れるかと先日書いた途端にこの暑さだ。だが、これが夏だ。汗をたくさんかくのもいいではないか。とはいえ、さっぱり仕事にならず、いや仕事をする気になれず、1階の最も涼しいところでごろごろしている。昨夜は読み始めた小説が面白く、深夜3時まで読み、今朝はまた7時から読み始めて、2時間ほど後に読破した。読んでいる時にわくわくしたが、読み終えるとたいして何も残らない。こういう小説も珍しいが、随所でさすがと思わせた。この小説家は筆者と同じ年齢だ。今年正月に5冊まとめて買ったうちの1冊で、残り4冊をいつ読むかわからないが、今の流行作家の傾向を知るにはいいかと考えた。それはいいとして、今日はいつもの駅前の変化シリーズではなく、今日まで地元嵐山開催中の「砂の彫刻展」について書く。別段書くべきこともないが、写真を撮ったので、それを載せるつごう上、何か書こう。この展覧会を知ったのは、先日の3日にキモノの仕立てを取りに今熊野までバスで出かけた際のことだ。今熊野には四条大宮でバスを乗り換えるのが便利で、そしていつもバス停近くのスーパーで手土産で果物を買う。その日もそうで、果物を3種ほど買った後、また信号をわたってバス停に戻ろうとした時、背後の京福電車の駅ビルを仰ぐと、「嵐山 砂の彫刻展」の垂れ幕が目に入って、7月30日から開催中であることを知った。地元にいながら全く知らなかった。灯台もと暗しで、嵐山の最も古い自治会の会長をしている筆者が知らない行事がたくさん行なわれる。これはけしからんではなく、観光関係は自治会とは無関係ということだ。だが、腑に落ちないこともある。それは自治会用の掲示板に、たとえば展覧会のポスターがよく貼られていることだ。市が雇った人物が貼っているのかどうか、自治会内の誰も知らない。そういう展覧会のポスターの中には百貨店で開催されるものもある。市立美術館で開催のものならわかるが、百貨店のために自治会の掲示板が使われるのはおかしい。今回の「砂の彫刻展」に関しては、掲示板に貼られなかったところをみると、企業関係が主催したものか。それはともかく、わが家から300メートルも歩けば見ることが出来る。そして日曜日の7日、町内の配りものをしたついでに午後6時過ぎに見に行った。
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 京福電鉄の駅ビルに広告があったことは、京福電車を利用する客にたくさん来てもらいたいのだろう。阪急電車ではおそらく宣伝していないのではないか。広告を最初に見た時に中の島公園が会場であることを知ったが、想像したのは、周囲を圧倒するほどの大きな彫刻で、中の島の半分ほどを占めている光景であった。だが、実際はかなりしょぼいもので、渡月橋南端からすぐのところにこの展覧会用の門が作られ、その奥に大きなテントが張られて、その内部と両脇に小さな彫刻が10数体並べられていた。筆者は阪急駅に近いところに住むから、中の島公園の最も下流側から渡月橋に向かって、つまりこの展覧会の後方から歩く恰好になり、最後に渡月橋近くの展覧会用の門を見た。そのためもあって、中の島公園内に入って、遠くに砂の彫刻のテントを眺め、なおさら規模の小ささを実感した。当日町内の配りものをしている時、駅前の喫茶店にこの展覧会のポスターが貼ってあろことに気づいた。それを見ると開催は午後5時までとなっていたが、実際は何時でも見られるようになっていた。夜間に誰かがいたずらして砂を崩すこともあり得るから、彫刻を見るためには塀のような囲いの中に入る必要があるかと思っていたが、入場無料でもあって、そういうことはなく、手で触れることも出来る。夕方6時過ぎであったためか、観光客は2,3人であった。あまりにさびしい限りだが、8月の京都は2月とともに観光客が最も少ない時期で、これは予想出来たことであろう。この彫刻展の開催は鳥取市が行なっているようで、テントの向かいには観光案内のパンフレットが置いてあった。そう言えば今春鳥取砂丘に「砂の美術館」といった名称の施設が出来たことをTVニュースが伝えていたことを思い出した。だが、最近の鳥取砂丘のニュースは、砂丘の下から人骨が数体分出て来たことだ。その後、江戸時代から明治にかけてのものとわかったが、いいニュースではない。それはともかく、鳥取砂丘では、材料の砂は困らないが、砂丘内部にそういう施設を作ることは問題があるかもしれない。それでさきほど調べると、施設は砂丘の向かい側に作られている。鳥取砂丘には数年前に一度出かけただけだが、砂丘の向かい側には土産店が並んでいた。そのすぐ近くの空き地を利用したのだろう。砂丘の見学ついでに彫刻も見て帰ってほしいという配慮はいい。観光資源の開発に、地元に因むもので、しかも比較的安価で印象深いものとなれば、砂の彫刻は最適かもしれない。札幌が冬に雪で彫刻を作るのとペアになる感じもあって、誰しも雄大さを想像するだろう。ネットではその鳥取の砂の美術館に設置されている彫刻の大きさはわからないが、嵐山で見たもので言えば、雪の彫刻とは比べものにならない規模で、高さも大きくて2メートルほどだ。もちろんこれは嵐山ではそれが限界でもあって、鳥取ではその倍の大きさのものがあるかもしれない。嵐山で限界というのは、間近で子どもが見ることがあり、彫刻が何かの拍子に崩壊し、子どもが砂に埋まってしまうことが想定されるためだろう。
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 砂をどのように固めているのか知らないが、ネットでは暴風雨で崩れ去ったことが書かれているので、押し固めているだけだろう。嵐山では10日ほどの展示で、テントの外に並ぶ比較的小さな10数体は、大雨ですぐに崩れるだろう。だが、この期間はあまり雨が降らず、その心配が限りなく少ないと考えられたであろう。また高校野球が開催中で、全国の観光客が嵐山を訪れ、鳥取の宣伝になるとも計算されたに違いない。筆者の関心は、誰が彫刻を作っているかであった。テントの外側に並ぶものは近くの嵯峨芸術大学の学生の作品で、テント内部の最も大きなメインとなる作品の作家から指導を受けたのだろう。砂遊びは誰でも子どもの頃にしたことがあるが、高さ1メートル半ほどのものとなると、それなりに彫刻の才能は必要だ。テント内部の展示の中心となるものは、あまり崩れないような形を狙って、火山のように見えるが、何を表現しているものかわからない。中央の斜面に「京の七夕 一日も早い復興が叶いますように」と文字が書かれ、大震災への鎮魂の意味が込められているのはわかる。となれば火山の斜面の浮き彫りの文様は七夕に因んだ笹や短冊だろうか。そう言えばテントの端に本物の笹飾りがあって、短冊にメッセージを書いてぶら下げられるようになっていた。その写真も撮ったが、短冊の数は多くなく、貧弱であったので没にする。ネットで知ったが、鳥取の砂の美術館の作品は、ある作家が作っている。それはそうだろう。プロデューサーや作家がいなければ、こういう企画は実現しない。神戸のルミナリエにしても、イタリアの専門の作家が毎年デザインに携わっている。それと同じことで、ある作家に依頼しなければならない。だが、そこにはその作家の作風に全面的に委ねることが欠かせず、作家の名前が前面に出過ぎると、その作家の宣伝になってしまって鼻白む人も出る。かといって、素人に彫刻を任せると、鑑賞に耐えるものばかりが並ぶとは限らない。その点は札幌の雪祭りが参考になるだろうが、砂の美術館はまだ始まったばかりで、幅広い民間の作品を並べることはすぐには無理だ。それにはまず人々に鳥取砂丘に来てもらい、砂の彫刻をもっと知ってもらう必要がある。砂の彫刻で筆者がまず思ったのは、カナダのアニメーション作家の作品で、海辺の砂の彫刻のアニメだ。その資料を探すのが面倒なのでこのまま書くが、20数年ほど前に見て感銘を受けた。特にその前半が素晴らしかった。実際に砂の彫刻を作って、それを少しずつコマ撮りした作品で、最後は波によって崩れてしまうものであった気がする。このアニメはレーザーディスクで発売されたと思うが、もう一度見たいとこの20数年思い続けている。
●嵐山 砂の彫刻展_d0053294_18301053.jpg そのアニメに登場する砂の彫刻はアニメにふさわしく、とてもコミカルなもので、またさほど大きくなかった。子どもが作る程度のものを意識したからだろう。他愛ないと言えばそれまでだが、1日で崩れてしまうものはそれでいい。それとは違って、遠方からの客を楽しませる今回のようなものは、素材は砂だが、実際の彫刻のように立派な大きさと造形を狙っている。だが、そのことがどこまで可能かとなると、そう簡単な問題ではない。真っ先に考えられることは、札幌の雪祭りの砂版で、誰もが知る造形をそのまま模倣することだ。それはそれで造形力が必要だが、元ネタはあるから、さほど困難ではなく、またどう力を込めて作っても、元ネタのキッチュとなって、鑑賞に耐えないものとなりがちだ。砂で作る必然性があり、また他の彫刻にはない斬新な立体であれば話題になることは間違いがないが、それを望むのは無理というものだろう。どうせこうした作品は芸術を知らない素人を一時楽しませればそれで目的を果たすものだ。また先のアニメの印象が強いからかもしれないが、砂の彫刻は浜辺に作られるべだ。鳥取砂丘はもちろん浜辺だが、実際は砂の美術館は浜辺からは遠く、波に洗われて崩れ去ることがない。また、崩れ去っては困るから、雨を防ぐためのテントを張って、その下に作られる。1日で崩れ去る、あるいは自ら崩してしまうところに、はかない砂の彫刻の潔さがあるが、その点でこの砂の彫刻はやや中途半端だ。その点はいわば造花を見るようで、なおさら面白くない理由にもなっているだろう。今回は桂川のすぐ際に作られたから、水辺という条件はクリアはしているものの、崩れるのは雨風であり、やはり鳥取の施設のものと同じだ。また、札幌の雪祭りは見たことがないが、砂の彫刻は、あまり美しくない。その理由は、雪の白とは違って砂の黄土色ということもあるが、なるべく崩れないことを念頭に置くため、彫刻にめりはりがなく、どれも塊じみていることだ。浜辺で砂を積み上げて、たとえば山のようなものを作った時、たいていは崩れる心配をしながら、その底に穴を空けたりしたものだ。そのような作風が今回は見られなかった。つまり、崩れそうにないという安心感のある造形性が面白くないのだ。リスクを回避しているために、砂という素材の持ち味を活かし切れていない。筆者が見たのは作られて1週間ほど経っていたことになるが、あちこち表面が崩れているものがあった。そういうものは補修するのかどうか、また補修は容易なのかどうか、そうした点に関心もあったが、これは素晴らしいという造形のものがなく、物珍しさで終わった。そのため、家内にぜひとも見に行くようにとは薦めなかった。だが、中の島公園でこのような展示が行なわれることは大歓迎で、しかももっと宣伝すべきではないか。筆者は四条大宮に出なければ、この彫刻展を知ることはなかった。情報化社会と言う割りにそれはあまりにも伝達方法がまずいのではないか。さて、温度計は40度を指した。ベランダでは50度はあるだろう。砂に埋まる砂風呂があったが、こういう日はサウナ代わりに砂に埋まるのもいいかもしれない。そう言えばもう中の島公園の彫刻は壊している頃か。
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by uuuzen | 2011-08-10 18:30 | ●展覧会SOON評SO ON
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