川面に夕日が照る様子を見るのもいいが、近頃は夕方7時前に家を出て、スーパーのムーギョに向かう。ムーギョの斜め前に大型スーパーがあり、最近はもっぱらそこで買うことが多くなった。
ムーギョは半分腐った果物や野菜を安価で売っているが、同じかそれより安い場合が大型スーパーにある。あちこちの店を比較しないことにはわからないものだ。大型スーパーには、7時以降にSがレジにいることがわかったが、Sの姿を見るのは週に2回ほどか。1回の買い物で両手に7、8キロほど買うので、1日では食べ切れない。それでだいたい2日に1回となるが、雨が降れば行かないので、3日ぶりということもしばしばある。一昨日は7時頃に家を出た。それくらいの時刻になると、帽子もサングラスもいらない。また風が涼しく、歩いていてもほとんど汗ばまない。だが、帰宅して食事にありつける時刻は、8時半から9時頃になってしまう。さて、松尾橋をわたって、いつものように四条通りの北側の歩道を歩いていると、ほとんど真っ暗になった路上に何か落ちている。めったに立ち止まらないが、気になって数歩後戻りしてそれを拾った。安物のサングラスだ。1000円ほどのものだ。よくあるように、レイバンのウェイファーラー・タイプだ。そのままその場所に置いておくと、数分に一度は通る自転車ですぐに壊れる。それでもらっておくことにした。どうせかけないが、安物なので、落とした人も未練はほとんどないだろう。レイバンを売る店は最近よく目にする。20日ほど前は高島屋の7階の催場でも見かけた。そこは夏物のディスカウント・セールが開催中であったと思うが、そういう雑然としたコーナーの片隅にサングラスを売っていた。そこに多くのレイバンがあった。筆者が所有するのと似た形が目立ったが、ウェイファーラーに似たデザインのものもいろいろとあった。レイバンはアメリカからイタリアに権利が移ってからは、昔から名品とされているものを復刻しているが、全く同じではなく、微妙に現代向きにアレンジしている。どちらにもそれなりのよさがある。イタリアで作るものはウェイファーラーにしても、どこかが違うように感じる。これは2か月ほど前に大阪阿倍野の近鉄でかけてみたが、顔にフィットしやすいように曲線が強調されていた。アメリカ製は直線がより勝っていて、しかも幅がやや狭いのではないか。今年の流行かどうか、女性のサングラスは昔流行したように、かなり大きめになっている。男物にもその傾向があるのかもしれない。大きなサングラスはそれだけ日光を遮るから、役割を考えるのであれば大きなものがよい。曲線が勝るという意味は、サングラスの前面が、耳側に向かってたわみが大きくなっていることだ。そうでない場合は、目尻から、つまり横方向から光が入りやすく、これがかえって目を痛める。そのため、横からの光が入らないように、また目を下に向けた時にもグラスを通して見るように、とにかく目玉をどの方向に向けても全体を隙間なくすっぽりと収めるのがよい。これには大きなものがいいのに決まっているが、女物と思われたくない男性は、男性専用の形を求める。筆者は顔の幅があり、また鼻のつけねの高さがかなりあるので、元来眼鏡のフレームの調節が難しい。そして、フィットするように調節したものは、家内がかけると、全く鼻からするりとずれ落ちて役目を果たさず、そのことで改めて顔の骨格の差を認識する。このように個人的な差のある顔の骨格があるから、いくらウェイファーラーが好きと言っても、さっぱり似合わない場合がある。筆者がそうで、ウェイファーラーⅡでも駄目だろう。ウェイファーラーではないが、もう少しシャープな、同時代のものを今年入手したところ、やはり合わなかった。それでガス・コンロにかざしてフレームを少しずつ変形させ、自分の顔の骨格にかなり合うように調節はしたが、家内に言わせると、少しだが、幅が狭いと言う。それで使わずにいるが、家内がかけると、よほど鼻が小さいのか、すぐにずり落ちてしまう。レイバンのサングラスで結局筆者が使えるのは、針金のフレームのもので、これなら顔に合わせて曲げるのも簡単だ。ところが面白いことに一昨日拾ったものをかけると、なかなかフィット感がよい。鏡を覗き込むと、目玉もちょうどグラスの中央に来ている。安物がぴたりとは、筆者は標準的かつ安物の顔に出来ているということだろう。昨日は町内の配りものがあったので、サングラスをかけて出ようとしたところ、家内は拾ったものをかけてみろと言う。フィットはするが、グラスの下方が頬と隙間が大きく、下を向くとグラスを通さずに見る恰好となる。筆者は頬がこけているので、どうしてもそのような形にはなりやすいが、それでもその隙間はなるべく小さい方がよい。一番いいのは、グラスの下端が頬に密着することだ。町内散歩用に昔から使っているティアドロップ型はそのようになる。つまり完全密着で、横からも下からも、もちろん上端からも光が入らない。そのように自分で針金フレームを調節したからで、買ったばかりの状態ではそうは行かない。用を完璧になし、しかもデザインがよく、かけていて耳が痛くならないといった条件を全部満たすサングラスは決して多くない。結局は、靴と同じように、誂えしなければならないのだろう。
さて、ムーギョで先に買い物をし、その足で信号をわたって大型スーパーに向かった。買い物を済ませてレジに向かうと、いつものところにSの姿が見えなかったが、順に見て行くと、先日後ろ姿を見たのと同じ場所にいた。どうやら勤務し始めて1か月ほど経って、受持ちのレジが変わったのだ。どうせならと思って、Sのレジに並んだ。筆者の前は筆者より2,3歳年長らしき男性だ。財布がふくらんでいて1万円札を出したが、買い物が多いのでSは手間取っている。ちらりと筆者の方を見たが、粗相のないようにと真剣な顔であった。筆者の番が来て、1268円という半端な金額になった。小銭入れを見ると、67円はあるが、1円足りない。その様子をSはにこやかに眺めながら、「もう1円ないですか?」と訊いた。「残念。では70円。」と返事すると、Sは「では2円のおつりです。」と1円玉をふたつくれた。その時の指を見ると、とても小さくでふくよかで、それがやや意外であった。家内に似ていると思っていたから、指も家内のように細いかと思っていたのが、そうではなかったからだ。それはいいとして、貝や魚を買ったので、急いで帰宅した方がいい。ドライアイスがもらえるのかもしれないが、その場所をこのスーパーで確認したことがない。またあっても面倒なので、さっさと帰るに限る。家まで早足で35分といったところだ。そのくらいなら腐ることはない。スーパーを出るともう真っ暗だ。両手に袋を下げて松尾橋をわたっていると、橋の水銀灯に照らされて、ぼんやりと菱型の黒いものがコンクリートにへばりついている。何かと思って屈んで見ると、人間の赤ん坊のてのひらほどの小さなこうもりだ。また子ども、あるいは赤ん坊といったところだが、あるいはその大きさで立派な大人なのかもしれない。筆者は両手が塞がっていることと、なるべく急いで帰りたかったので、通り過ぎようかと思ったが、こうもりがへたばってるいる場所は自転車が1分に1台は通過するので、すぐにペシャンコになる。そのため、その場所以外のところに移す必要がある。そこでスーパーの袋の下端をそっと近づけてみると、驚いたこうもりは顔を上げて筆者を見る。危険を感じたのか、飛ぼうとする姿勢の時に翼を広げ、2,3倍の大きさのこうもりらしい形になった。そして、次の瞬間ぱたぱたと空を舞ったが、運の悪いことにちょうどそこに車が猛速度でやって来て、フロントガラスにぶち当たって、はね飛ばされた。そして、そのまま地面に落ちた。その場所はさきほどまでいた歩道のすぐ下の車道、つまり筆者からわずか1メートルの場所で、またその姿を覗き込んだ。落ちたところから数センチのところに橋の下に通じる隙間があって、そこに半分嵌っていたが、両手を使ってゆっくりと這い上がり、また筆者を見上げる。ちょうど信号待ちのためか、車は通らない。筆者は袋を置いて、手でこうもりとつかもうかと迷ったが、人も自転車も背後を通るところ、大きなビニール袋を置くのは危険だ。それで、また袋の下端を近づけた。こうもりはふたたび恐怖を感じたようで、また力を振り絞って舞い上がった。その瞬間、車がたくさん往来したが、ぶつからずに闇の中に消えた。無事に棲家に戻ったであろうか。子ども頃、とんぼを取るトリモチでこうもりをつかまえたことがある。とりもちからこうもりを外して、翼を広げると、薄いゴムのようで、半分透けていた。こうもりは口を開いて威嚇、あるいは苦しんで見せた。その時のこうもりに比べると、一昨日のはとても小さかったが、目鼻や耳は昔と同じであった。松尾橋の上空にこうもりが舞い始めるのは、夕焼けが消えかかった頃で、ムーギョに向かう時には数十匹がよく乱舞している。橋の水銀灯に集まるかげろうなどを餌にするのだろう。鳥とは違って音を立てずに飛び、またその独特のワサワサした羽ばたきは、いかにもこうもりで面白い。だが、超音波で物を避けるはずのこうもりが無様にも車にぶち当たるとは、やはりそうとう弱っていたのだろう。スーパーへの往復に黒いものふたつが落ちていることに遭遇した。珍しいことだ。