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●第3章その2 「大ザッパ大雑把論」以降10年間の私案③
昨日は神戸、尼崎、難波と歩いたが、朝から微熱があり、しんどかった。それで今朝から今まで寒気がするので、多く着込んで横になり、過剰な体温を発散させた。



それでも熱は下がるどころか、39.2度にも上がり、近くの病院にしぶしぶ行った。解熱剤やそのほかの薬を全部で4種類もわたされ、また1、2日したら来いという。病院嫌いなので、医者に診てもらうのは5年ぶり以上のことだが、点滴をしてくれるのかなと思っていたのに、たった2分ほどの診察だった。薬は高いものをわたしますと念を押されたが、パソコンの調子がおかしいいので、正確な診察費はわからず、取りあえず5000円を徴収された。差額はまた1、2日後に清算するそうだが、こっちのちょっとした不注意で医者にかからねばならない羽目になったことが悔しい。今しがた早速解熱剤を飲んだが、体がカッカとして来た。今晩寝て明日には治ってくれればいいのだが。それで、今日は昨日の展覧会の感想を書くつもりが、また埋め草的に用意しているザッパ論の続きとなる。

日本の音楽雑誌等でザッパはあまり採り上げられない。日本で独自に企画され、日本語によって書かれた本は『ザッパ・ヴォックス』以外にはない。また前述した『ザ・リアル・フランク・ザッパ・ブック』は書店に並んでいないところを見ると、初版のみで品切れになったと思われる。通信販売によって入手可能なザッパのレコードや本、グッズは日本からも直接購入ができる。宛名は「BARFKO-SWILL」、住所は「P.O.Box5418,North Hollywood,CA91616-5418」だ。本書でしばしば「資料本」と断っているのは、主に1982年にライノ・ブックスから発売されたノルベルト・オーベルマンズによる『ザッパログ』第2版、ドミニック・シェヴァリエの85年出版の本『ヴィヴァ・ザッパ!』、アメリカのファンジン、ソサエティ・ペイジィズが90年に発行した『ザ・ビッグ・ノート』、91年から2年にかけてドイツで編集発売された4巻本『トーチャム・ネヴァー・ストップス』、バリー・マイルズ、通称マイルズによる93年の『ザッパ』など、海賊盤やツアー日程やその場所といったデータをまとめたいわば目録本、それに外国のファンジンを含めて総称している。ザッパに関してのマニアックな情報は依然としてこのアメリカ、ヨーロッパ各国で発行され続けているファンジンを入手するか、インターネットに頼るほかはない。だがこれらの資料本などのデータ、インフォメーションには時に差があり、ミスも明らかに混じっている。それはザッパがあまりこのような資料本に対していい顔をしなかった理由のひとつだと思える。だが誰しも表現、出版の自由はあるし、これらの書物によってザッパの膨大な仕事がわかりやすく整理されて来た。ザッパについての究極的詳細な解説本というものは、何よりも楽典的知識が豊富ですべてのファンジンに目を通し、インターネットのあらゆる事細かな情報にも悉知し、その上にザッパの海賊盤のすべてをコレクションしており、さらにはザッパが興味をもったに違いないあらゆるジャンルの音楽にも精通しているといった人の手によって書かれるべきかもしれない。そのようなマニア・ピラミッドの頂点に立つ人を想像すると、現在までの書物はピラミッドの礎石近くの石ころに過ぎない。とはいえ「意志ころころ変化して転がる石に苔むす間もなし」だ。つまりザッパ観というものは年を経るごとにころころ転がって、新たな面から見た解釈が出現するのが好ましい。長い間手に取ることがなければ、LPジャケット表面やレコード盤面に染みやカビが生えて来る。レコードを生き物と考えて、苔むさぬほどに繰り返し聴き返すがよい。シミ・カビ・コケの類は忘れ去られてしまったものにこそふさわしい。本書の目指すところは、同じ情報でも「データ」「インフォメーション」の羅列にこだわらず、より「インテリジェンス」に視点を置くことにある。インテリとは恐れ多く、また取り止めない概論でもあり、これを「ノンテリジェンス」と言い換えてもいい。
 研究論文の終わりには参考文献目録をつけることが求められるものだが、本書には最初つけないつもりであった。それをつけ足して貫祿を誇る柄でもないし、そもそも文献目録など誰もたいして参考にはしないだろうし、それに記憶に頼って書くことも多いうえ、文献以外に映画や他の音楽の話がより登場し、それらはたいてい文中で出典を明らかにしているので巻末にまとめる必要もないと考えたからだ。やや長くなるが、セルヴァンテスの『ドン・キホーテ』(永田寛定訳、岩波文庫)から引用しよう。「…この著作は、騎士物語が世間と俗衆に及ぼす勢力や影響を打破するよりほかに、目的を持たないのですから、哲人の名言や聖書の教訓や詩人の寓意や修辞家の美文や聖者の奇蹟などをたのんで回ったところが、どうなるものでもありますまい。むしろ、平押しに、有意義で正直で適切な辞を用い、あなたの一句一節を朗らかな陽気なものにして、本意のあるところを能うかぎりできるかぎり明瞭にしたうえ、一言一句の意味をも疑いなくはっきりとわからせることに努めなさい。それから、あなたの物語をよむと、ふさぎこんでいた者が笑いだし、にこついている者が腹をかかえ、愚人も気を悪くせず、賢人は趣向に感心し、おえら方もばかばかしいとは見ないように、心ある者なら必ずほめるように、気をくばりなさい。要するに、ずいぶん沢山な人にきらわれても、もっとずっと沢山な人に好かれている騎士物語の、あのがらくたの山をぶっ倒すことだけに心を用いなさいよ。というのは、これに成功なさったら、小さい成功ではないと思いますからね。…」。「がらくたの山」はザッパの曲である「コズミック・デブリー」と同じと考えてよいものだが、このセルヴァンテスの記述の「騎士物語」を「音楽」に置き換えると、そのままザッパの音楽の本質を説明すると言ってよい。本書のような解説本という形式の中において、同じことがどれほど適用可能なのかどうかはいささか心もとないが、なるべくセルヴァンテスの目論見を忘れないようにはしたい。
 さて、O氏はかねてからのザッパ・ファンであって、ザッパに会うためにはMSIに入社すればいいと考えたというから、その熱烈度も尋常ではない。結局彼はザッパ担当のような形となり、ロサンゼルスのザッパ家を2、3度訪れて本人に会っている。その時のいろいろの話を断片的にO氏から聞いているものの、それらの興味ある話を想像で補って納得するしかなく、第三者に微妙なニュアンスまでは正しく伝えられない。ザッパに会ったという人物は少なくないが、ザッパの家に訪れてそのスタジオ内部まで見たという経験をもつケースはそれほど多くはないに違いない。その意味でO氏の経験談は貴重だ。ついでに書くと、MSIに書いたCD解説がいつか本になるのであれば、その題名は「大ザッパ論」がいいと、2、3年前に助言してくれたのはO氏であった。なお、八木氏とは現在も一面識がなく、『ザッパ・ヴォックス』も一度だけ店頭で見たことはあるものの、その重さと価格に圧倒され、買うことはなかった。O氏から教えてもらうまで、自分の文章が再録されていることさえ知らなかった。その後MSIからは『ザッパ・ヴォックス』に掲載されているサイモン氏のザッパ・インタヴュー記事2本分のコピーを送ってもらった。1本は82年7月28日に行なわれたもので、「大雑把論」と併せてアルバム『ハエ・ハエ・カ・カ・カ』の解説ブックレットに掲載されたものと同じ。このブックレットよってサイモン氏とはお互いの名前のみ、83年には知る間柄となった。別の一本は86年10月23日のもので、インタヴュー時のザッパのくつろいだ写真3点とともに、『ザッパ・ヴォックス』だけに発表された。現在まで再録はない。また同アルバムのブックレット表紙には、サイモン氏がザッパの家で撮影したザッパの写真が使用されており、これらも再録されていない。ザッパとサイモン氏の接触はこの写真が撮影された82年7月28日が最初で、この機会以降、何度かザッパ家を訪問し、またザッパのロンドン公演の際には常に現地で会見している。サイモン氏は日本で何年間か生活したことがあり、日本語は非常に堪能、現在は日本のビートルズ・ファン・クラブのロンドンでの窓口にもなっている。ビートルズのメンバーとは親しく、彼らの日本公演にはほとんどいつも通訳として同行している。

by uuuzen | 2005-07-31 20:18 | ○『大ザッパ論』サプリメント
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