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●祇園祭りの宵山
の写真を昨夜は何枚か撮って来た。今朝の巡行を見てもよかったが、昨夜の宵山のごった返しで疲れてしまい、ふたたび河原町に出る気分になれなかった。



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TVは宵山の人出が45万人と言っていた。昔は70万人ほどの年もあったので、それに比べるとまずまずというところだ。今年は四条通りを大丸前から四条大宮まで歩いただけで、四条通りから南北の通りには一切入らなかった。屋台など見て回るつもりが、夕食を食べずに出たので、どこかでまず食事をと考えた。四条堀川近くの中華料理店で済まし、店を出ると9時半頃になっていて、食事の後はさっさと四条大宮まで行って帰宅した。と、ここままで書いて、今日は昨夜の宵山の感想を書くことになりそうだが、さて何を書いたものか、さっぱり決めていないので、話がどう進むか退くかわからない。まず、阪急の四条烏丸で降りて地上に出た。そこから東に100メートルほどに長刀鉾がある。そのすぐ近くの大丸前は歩道も車道もびっしりと人で埋まり、特に広い車道はほとんど人は動かず、たちまち人の混雑に巻き込まれ、身動きが取れなくなった。それで思い出したのが、冬の三宮で開催されるルミナリエだった。祇園祭りの宵山は夜とはいえ、身動き出来ないほどの混雑であれば、その熱気は昼間の直射日光の場所以上のはずで、湯気が立っていたのではないだろうか。15分ほどほとんど同じ場所にたたずむ始末で、四方に人が接し、まるで満員電車だ。ごくわずかずつ人波は動いているが、長刀鉾で写真を撮る人が多いのか、とにかく長刀鉾を越えればどうにかなると予想して我慢した。たくさんの警察官がロープを張りながら人の流れを整理しているものの、あまりうまく行っているとは言いがたい。ふと、人の波に押されて老人や子どもが怪我をしないか心配になった。そう思ってすぐ目の前を見ると、人がひとり分空いている。下を見ると、そこには4歳くらいの女の子が暗がりの中で親に手を引かれて立っていた。その子がもみくちゃにならないように、押さないように気をつけて前進せねばならない。しかし下手に触ると痴漢に間違われるだろう。その子も筆者を不思議そうに、またいぶかるように振り向きながら見上げている。そういう場合は、そこから立ち去るのが懸命で、すぐに無理やり場所を移動した。四条通りは大半が西一方通行になっていた。大半というのは、幾分かはロープで区切って東にも流れるようにしている。ところがその境目が混雑のもとだ。また、歩道は北側が東行き、南側が西行きになっていて、長刀鉾より東には山や鉾はないので、宵山を楽しむには西へ行かねばならない。最初は阪急を四条大宮で降りて東へ歩くことも考えたが、家内が大丸に用事があるというので、ひとつ先の烏丸で降りた。ともかく、停滞している人ゴミからいやな顔をされながら少しず南側に移動し、長刀鉾の真横付近でようやく歩道に上陸出来た。
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 規制されている人の流れの方向を知らない人も多いようで、それは15分ほど混雑に巻き込まれている時にすぐ近くの老若男女の言葉でわかった。3連休でもあって、観光バスなどで宵山見物に来ている人は少なくないだろう。また、京都市内に住んでいても、伏見辺りでは30歳になっても祇園祭りを見たことがないという人は案外多く、昨日も書いたように、祇園祭りは京都市中心部の町衆が司る。宵山は人の混雑さえなければ、また暑さがましならば、たくさんの提灯で照らされる山や鉾を順に見て回るのは風情がある。ところがそれは想像の世界だけにあって、現実は数十万人でごった返すから、蒸し風呂に入って我慢しているのと同じで、あるいはそれ以上に体力を要する。であるので、中学生からせいぜい20代が8,9割を占めるのではないだろうか。特に女の子が活発で、小学生の5,6年生らしき子どもがもう20歳くらいの気分で闊歩している。それに比べて男の影のうすいこと。これは女子の浴衣が派手であるからとも言え、年に何度も着ない浴衣を着た彼女たちは、気分が開放的になるのだろう。どんな男でも束になって寄って来いとでもいった迫力が全身からほとばしっている。祭りの夜は人間、特に女性は開放的になるのかもしれない。昔なら町内で盆踊りがよくあった。そういう場所で普段とは雰囲気が違うクラスメートの女子を見かけて驚いたものだが、盆踊りはもう大阪や京都市内ではするところがほぼ皆無ではないだろうか。京都ではこの祇園祭りの宵山がその代わりをしているところがあって、中京だけではなく、嵐山や宇治辺りからも若い女の子は浴衣を着て数人連れで馳せ参じる。わが地元でも同じで、阪急電車に乗った時、たくさんの浴衣姿の女性を見た。20代になると男女のカップルが目立つが、男も浴衣というケースは少ない。浴衣姿のカップルはだいたい経済的に余裕がある。四条大宮から帰宅する時、駅のホームのベンチに座ろうとすると、20代前半の男女が陣取っていた。席がそのふたりによって二分され、家内と筆者は別れて座らねばならなかった。それで躊躇していると、それをすかさず浴衣姿の女性が察知して、彼に席をひとつ移動させ、筆者と家内が並んで座れるようにしてくれた。彼は茶髪でTシャツにジーパンといういでたちだ。彼女は絞り染めの浴衣で、間近でそれを見ると、なかなかしっかりと手で染めたもので、比較的高価なものであった。近年はプリントの安価なものが多いが、彼女が着るように紺を基調とした、凝った絞りのものは少ない。また、そうした技法について何の知識もない若い女性は多い。その彼女は気が利き、また優しそうで、浴衣は案外母親のお下がりか、それとも見立てで、育ちがわかる気がした。
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 育ちなどどうでもいいという意見があるし、筆者もどちらかと言えばそう思う。というのは、筆者は貧乏育ちで、育ちという言葉から連想するような家柄は何もないからだ。育ちは当人が選ぶことの出来ない。気がついた時にはある家に生まれついていて、そこから自分がなりたいものになって行くしかない。たとえば貧乏育ちであれば、何くそと思って金持ちになろうとするが、育ちというものは、そういう当人が持って生まれたような根性とは違って、親や身内から自然と感化される躾に似たものだ。自然に振舞っていてもその人物の人柄が見えて来る。これは幼少の頃からやはり差はあるだろうし、また老人に近づくほど、当人が何を考えてどう生きて来たかが、顔や身のこなし、言葉使い、服装など、あらゆるものから発散される。それは全く恐いほどで、人間は自分の裸を他人に示す必要はない。顔つきや言葉使いなどがそのまま内面を反映している。だからどうだと言うではない。ただ人間はそういうものだということだ。前に書いたが、映画監督のヘルツォークの近年の写真を見て驚いた。老人になっていたからだ。しかしその貫禄はどんな老人でも獲得出来るものではない。老人になるのは酷いことで、残酷さの最たるものと言える気がするが、若い頃から有名で、しっかりとした仕事をして来た人物は、老人になった時にしか得られない迫力を持つ。誰もがそういう存在になることは出来ないのは承知で、ひとつの夢として、そういう格好いい老人になりたいとは思う。こう書きながら、筆者は凡夫の老人を嫌悪しているのではない。育ちがあまりよくなかった人でも人生を積み重ねて味のある老人になることが出来るし、筆者の周りにはそういう人は少なくない。ただし、いつもそういう人ばかりではどこか耐えられない。筆者はどんな人とでも話を合わせて談笑出来るが、本当に楽しいと思う人はごく稀だ。そういう一種の孤独を、たとえばヘルツォークの老人顔を思い出すと癒される。話を戻して、育ちを云々されるのは、たとえば男女が結婚する際であろう。そして育ちが悪いかどうかは、たいてい経済的な状態で判断される。簡単に言えば、金持ちのお嬢さんならば育ちがいいということだ。貧乏人の娘はきっと男と遊びまくって中絶も何度もしているかもしれない。現実は全くその反対である場合がしばしばあるが、世間はそうは見ない。結局、育ちが悪いとかいいというのは口実で、似た経済状態、育ちの者同士が結婚するのが一番だとたいていの親は思っている。しかしそこには平凡を絵に描いたような暮らしはあってもドラマの生まれようがなく、貧乏な男は金持ちのお嬢さんをモノに出来るように努力すべきだ。こう書きながら、筆者が思い浮かべているのは、スタンダールの『赤と黒』のジュリアン・ソレルだ。そういう小説をだいたい10代半ばで読み終えていることが、育ちが悪くても、それを挽回する何かを獲得出来るに値する条件に思える。とはいえ、女子がそういう読書好きである必要はない。どういう女が男の理想かは、これまた『赤と黒』を読めばいい。
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 昨夜、四条烏丸の交差点で肩をすっかりはだけた若い女性数名が歩いていた。周囲の人はびっくりしながら、「女郎みたいだ」とはささやいていた。実際それは室町時代の湯女図を思わせる光景で、若い女の一部は永遠に女郎のような格好、ないしは実際に女郎になる。これは女の性とでも言うべきで、そういう遺伝子があるのだろう。その肩をはだけた女性の写真をすかさず撮った。顔が切れているので誰かわからず、ここに掲げてもいいだろう。そういう女性は夜の商売をしているのだろうが、そういう女性が好む男というものがあって、世の中はいうまく出来ている。またそういうほとんど女郎のような若い女性の育ちを考えた場合、概してあえて育ちというべきものがなかったことが想像される。あまりの尻の軽さは困るが、そういう女性は筆者は嫌いではない。そういう女性を一から躾て自分以外の男に振り向かせないようにするのも面白いかと思う。だが、もうそんな年齢では全くなく、想像だけの世界だ。またどうせなら、育ちが多少悪くても、とにかく賢い女性でなければこっちの思いが理解出来ないであろうから、筆者はまず賢さを求める。前にも書いたように、それは勉強が出来るという狭い意味ではない。勢いに任せて何を書いているのだろう。こうして書きながら、今日掲載する写真の枚数に応じた段落をもうこなしたかと思っている。そこでもう20行ほど書こう。長刀鉾は毎年見ているので、写真に撮るつもりもなかったが、ま、宵山のお決まりとして最初に掲げておく。今回は月鉾がよかった。初めてそのお囃子の音色を気に留めた。笛がピーヒャラと鳴って、祇園祭りの代名詞となっているコンコンチキチンと言われる音色とはかなり違い、月にふさわしい静けさがあった。そして、昨夜は満月の名残もあって、その月と月鉾を一緒に写真に収めたかったのに、月が昇っている方向を見るとビルだらけだ。仕方なしに鉾だけ撮ろうと角度を探していると、脚立に乗ったNHK-TVのカメラマンが目についた。そのカメラの方向を見ると、欧米人が月鉾の前に立って写真を撮り合っている。筆者はその欧米人、NHKのカメラマン、そして月鉾が入るように写真を撮ったつもりだが、大勢の人に阻まれたようだ。昨夜のTVでそのカメラマンが撮影した映像が深夜に流れた。もう少しで筆者の姿が入ったのに、映らなかった。その後、四条通りを西に歩き、とある酒屋で祇園祭りセールをやっていたのでソウル・マッコリという200円の缶入りの酒を買い、それを飲みながら堀川近くの中華料理店の前まで来た。そして、そこで食べようと決めた。そういう時は常に、必ず、絶対に家内は大きく反対し、強引に筆者は誘う。家内にすれば初めての店は不安ということらしいが、どんな店でも最初は初めてで、初めてを経験しなければ何度ももない。そういう理屈がわからない家内はよほど馬鹿だが、もう今さら気づいても仕方がない。結果的に家内は満足した。いつもそうだ。その店は神戸の南京町によくある店と全く同じスタイルであった。店の前で食べ物を売り、店内では両側の壁に中国の吉祥の飾りものをたくさんかけてある。また店員はみな中国人だ。値段の割りに安く、またいつか入ろうと思った。堀川通り近くになると、宵山の人影はまばらだ。そして堀川通りは車が走っているので、そこから西の四条通りは歩行者天国にはなっていない。四条大宮の地下の駅は涼しい。そこで電車を待つ間、若いカップルに席を譲られたことは先に書いた。電車で20分、嵐山に着いてわが家に向かって歩き出した時、前方に満月が見えた。昨夜初めての満月だ。左に映っている尖った影は嵐山駅の円形階段の屋根だ。満月は深夜2時、3時になって寝室を覗き見し、部屋を明るくしていた。
●祇園祭りの宵山_d0053294_23565072.jpg

by uuuzen | 2011-07-17 23:57 | ●新・嵐山だより
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