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●嵐山駅前の変化、その116(駅舎から広場、脇道から広場)
りだ祭りだワッショイワッショイというようにならないのが祇園祭りだが、その宵山が明日だ。たくさんの人にもまれて屋台を見るだけの祭りなので、京都市内に住んでいて出かける人は、若者以外にほとんどいないだろう。



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とはいえ、明日は用事もあって河原町に出かけ、ついでに見るつもりでいる。祇園祭りの宵山はじっと止まっている山や鉾を見るだけだが、別の日にはごく普通の御輿が出たりもする。とにかく長い期間を要する祭りで、その実態は京都人でもよくわからない。また、御輿を担ぐのは地元の関係者であって、同じ京都市内に住んでいても、祇園祭りは最初から最後まで観客になるしかない。つまり、中京や下京の町衆のもので、彼らはよそから大勢の人が来るのを半ば迷惑がっている。見物客があろうとなかろうと、昔から続いて来ているのでやり続けているものだ。その点、10月22日の時代祭りは毛並みがかなり違っている。これは、平安遷都1100年で出来た平安神宮を保存するために、平安講社というものが出来て、市内の自治会から寄付を募り、その費用で開催するものだ。そのことを知ったのは、筆者が3年前に自治会長を担当するようになってからだ。紙に印刷した平安神宮のお守り札が毎年各家庭に配られることは昔から知っていたが、それを配っているのが平安講社で、その地元担当の委員から自治会長はまとめて手わたされ、自治会長は各組長に配布、そこからまた戸別に配られる。もちろんこの札は自治会費を支払っている家庭だけにわたる。また、自治会費の中からいくらほどの金額が平安講社に行くかだが、この点に関して昨年度の自治会の決算報告会である自治会長から意見が出た。自治会費から世帯当たり自動的に決まった金額が平安講社に支払われるのはいいとして、それとは別に年末に護摩木が3本ずつ自治会に講社から回って来る。そこに自分の生年月日や家内安全などと書き、1本当たり200円を添えて講社の担当委員の家に持参する。それも寄附金となる。自治会によってはこの1本当たり200円を自治会長や副会長が自己負担するが、わが自治会では筆者の一存で自治会費から出している。この護摩木について決算報告会で意見が出た。平安講社は一世帯当たり強制的にお金を集めているのに、なぜまた護摩木で二重に徴収しようとするのか、これは少々払い過ぎではないかと言う。そしてその人が調べたところによると、護摩木をどこで焚くのか、そんな話は聞いたことがないと言う。この護摩木を焚くことについては筆者はまだ調べていないが、そう言えば平安神宮の中でそんな行事があるのを見聞きしたことがない。だが、燃やすのでない護摩木を配ってお金だけ徴収することはあり得ないだろう。また意見した人は、せいぜい100年ちょっとの新しい神社になぜ京都市内の全自治会が毎年寄付するのかという疑問をぶつけ、そんな歴史の浅い神社より、わが地元には松尾大社というその10倍以上も歴史の古い神社があるではないかと続けた。これに対して平安講社の委員はしどろもどろであまり返答しなかったが、松尾大社には自治会を通じて毎年寄附しているので、平安神宮はあくまでも市民の寄附が中心になっていることをもっと主張すべきだろう。また、この平安神宮や平安講社が絡む祭りが時代祭りであることも知ったが、時代祭りの当日、各時代の歴史的人物を演ずる人は、毎年市内の自治連合会に役割が回って来る。わが自治連合会は連合会の会長がその役割の主役となって時代衣裳に身を固めて馬に乗るが、この費用は自治連合会持ちとなっている。馬が5頭ほど必要で、そのレンタル費用が50万ほどだったか、とにかく大金だ。それを自治連合会から、つまり自治会から吸収したお金で賄っているのか、あるいは補助を連合会の会長が多少出しているのかは知らないが、よその自治連合会が気前よく自分たちの担当する役割をこなしているのに、わが自治連合会だけお金がないので参加出来ませんという、格好悪いことは出来ないらしく、毎年参加している。おそらく自治連合会の会長が個人負担もしているだろう。連合会の会長となると、自治会長とは違って、とにかく時間も金も大いに要するのうで、余裕のある人しか出来ない。それはいいとして、時代祭りは、京都市内の住民が自治会に加入し、その自治会費から寄付することで成立している祭りであるので、祇園祭りよりかははるかに市民参加型の開かれた祭りと言える。だが、祭りの行列に参加するのは、自治連合会の会長クラスで、一般市民はまず全く無縁、ただ行列を見るだけで、この点は祇園祭りと同じだ。こう見て来ると京都市内には、ごく一般の市民が参加出来る祭りは皆無だ。それで祭りと言えるだろうか。せいぜい若者は浴衣を着て、数十万人の人ゴミに混じって屋台で買ったものにパクつくだけだ。
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 祭りだ祭りだワッショイワッショイと最初に書いたが、この「わっしょい」の語源について近年取り沙汰されて、ネットで意見が飛び交った。大阪に四天王寺ワッソという祭りが10数年前から開催され始め、その「ワッソ」が「ワッショイ」に転化したという説が出た。当然これに対して嫌韓派は一斉に憤慨し、「和を背負う」が語源との説を出したが、このこじつけには思わず爆笑した。どこの本にそう書いてあるのだろう。御輿をかつぐ時の掛け声に「和を背負う」をみんなで一斉に発し、それが「ワッショイ」に変化したなど、どう考えても無理なこじつけで、その荒唐無稽ぶりよりもっとましな理屈を見つけるべきだ。とにかく何でも韓国に源を奪われるのがいやで、必死になって何でも日本起源説にしがみついている。そのうち仏教は日本が生んだもので、それが韓国や中国にわたったと本気で信ずるだろう。いや、もうとっくにそういう考えは多くなっているに違いない。ネット・サーフィンをしていて面白くないのは、そういう頭の悪い連中が大騒ぎしてして、そういうゴミ情報にたまにぶつかることだ。それはいいとして、筆者は今「江戸の言語学者たち」を読んでいる。これがなかなか面白い。これを読む気になったのは、あるドイツ人の学者で日本文化に精通した人が書いた本を読んでいて、日本人が外来語を実際に耳に聞える音としてではなく、文章を通じて学んで来た歴史が長く、そのことがいい意味でも悪い意味でも日本人の言葉感覚や外来語に対する位置を決めているということであった。江戸の言語学者は徂徠のように、中国語をそれなりに話したり読んだりする学者がいたが、鎖国下でもあって、中国語の音を普段から耳にすることはなかった。そのため、江戸の言語学者の学問は、基本的には先人が書いたものを土台にして考えたが、そこには言葉を本当の音として捉えることが不足していて、説得力がどれほどあるのだろうというのが筆者の疑問で、そのために「江戸の言語学者たち」を読み始めた。概説書ながら、かなり専門的でもあるこの本から日本語がどのように研究されて来たか、その代表的な学者の業績がわかる。今ちょうど新井白石のところを読んでいて、いろいろと面白い。白石は日本語にはかなり韓国語が入っていると見ている。先日書いた青木繁の代表作「わだつみのいろこの宮」の「わたつみ」の解釈がそこにはあって、朝鮮語では「海」を「ほたい」「ぱたい」「ぱた」と言い、日本語の「海(ワタ)」とは深い関係があると言う。以下白石が朝鮮語を語源とする言葉が適当に選ばれて列挙されているが、鯛、熊、蜘蛛、牛、カササギ、百合、味噌、甲(かぶと)、瓦、母(おも)、寺、城、河などはみな朝鮮語に由来する。また、白石は一方的に朝鮮から日本が影響を受けたのではなく、相乗乗り入れがあったと考える。少し引用する。「しかし<郡(コホリ)-令(りょう)の国郡制度による地方行政組織->まで朝鮮語で説くとなると、単にものやことの貸し借りとちがって、政治的なかつ建国のことにまでその影響を考えねばならないことになるから、かなり重大な語釈といえるだろう。こうした方法と結論は、白石の語源論は時枝誠記のいうように、<本義(正義)>と<転義>を考えるところに、あけくれしていたのでは決してでてこない解釈であり、見解であろう。いうまでもなく、現時点での研究でも郡は日韓同語源の語とほぼ認められている。現代朝鮮語では、<国>はナラであるが、あるいは<奈良>などもそれに関係あるかもしれない。白石は政治・文化などの関係からの日韓両国語の比較検討であるから、言語系統論的なそれとは一線を画さねばならない。しかい、言語研究の方法として、両国文化の比較研究、さらに相互の立場からすすんで、言語それ自体の研究にはいっていくことは決してまちがったことではなかろう。」 結局筆者が言いたいことは、白石がことを相対的にとらえたことだ。ただし、この本にもあるように、白石は朝鮮語を本格的に学んだのではない。現代はそれが簡単に出来る時代だが、白石のように相対的に思考する人がどれほどいるだろう。さすが白石のような学者はそうめったに出ないことがわかる。ネットで騒ぐ凡人は昔から相変わらず低能のままだ。
●嵐山駅前の変化、その116(駅舎から広場、脇道から広場)_d0053294_18201476.jpg

 祭りだ祭りだワッショイワッショイを思い浮かべながら、当然美空ひばりの「お祭りマンボ」を思い出していたが、マンボのリズムを取り入れたこの曲は、筆者が生まれた当時の日本の国際感覚を端的に示している。先頃TVを見ていて、ベートーヴェンの第9交響曲の歓喜の歌のメロディがジャズにアレンジされてCMに使われていた。それを聴きながら、ベートーヴェンはそのように自作曲がアレンジされることを想像したかを考えた。シンコペーションはバッハが多用したので、ベートーヴェンはジャズを聴いても、その理屈は即座に理解したろうが、そのアレンジを好んだかどうかはわからない。冒涜だと怒ったこともあり得るし、その反対にこういう音楽の方法もあったのかと、一気にジャズにのめり込んだかもしれない。そのどちらであったかは、個々人が勝手に思えばいいだが、ベートーヴェンの時代から、外国の珍しい旋律やリズムを取り入れることはよくあって、「お祭りマンボ」もその延長上にある。そして、この曲はマンボでありながら、日本語が実にうまく駆使されていて、第一級の歌謡曲になっている。そこにはまた、語源がよくわからない「ワッショイ」があることの面白さもある。この「ワッショイ」が仮に朝鮮語の影響があるとすれば、そっちの方がこのひばりの名曲を考えるうえでは面白い。それだけ、国際色豊かで、長い歴史の上のこの曲が位置していることになるからだ。単なる流行歌に過ぎないとしても、そこには人々の記憶がとっくにうすれてしまったものから、最先端のマンボまであって、文化は常にそういうゴッタ煮のようなところから優れたものが生まれる。そのゴッタ煮は実は日本の独創性の強みであって、「ワッショイ」が仮に朝鮮語に由来してもちっともかまわないではないか。むしろそれを誇るべきではないか。他国ではとっくの昔になくなった言葉が日本では意外にも多く残っている。それこそ「和」を尊重する日本であって、外国のものを絶えず吸収し続け、それをゴッタ煮にしてしまえる強靭な胃袋がある。「お祭りマンボ」はその一例だ。そこでまた思うのは祇園祭りだ。その山や鉾には昔から豪華な舶来の染織品が用いられている。ヨーロッパのものもあれば朝鮮のものもあり、また中国のものや日本の画家下絵を描かせた刺繍など、簡単に言えばゴッタ煮だ。そして、古くなったものは、現代の染織作家の作品に取り替えているが、山や鉾の江戸時代の復活はあっても、新しくを作ることはない。それにはさまざまな決まりがあって、そう簡単には事が運ばないようだが、その融通性のなさに京都の末期的な状態を思う。大阪の天神祭りではギャル御輿などというものを新たに作ったが、京都にはそういう発想はなく、すっかり博物館化している。そういう街は観光都市としては生き長らえるだろうが、活気の点では見るべきものがない。筆者にとって、祇園祭りの楽しさはすっかり屋台見物と化している。それは毎年微妙に変化し、それこそ生きた何かがそこにはある。生きているものは形を変える。祭りを死んだものにさせないためには形を変える必要がある。さて、形を変え続けた阪急の嵐山駅前の工事写真、今日は去年9月30日撮影の4枚を掲げる。
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by uuuzen | 2011-07-15 18:23 | ●駅前の変化
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