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●『青木繁展-よみがえる神話と芸術』
州に学びに行った洋画家を調べると、黒田清輝が1884年から93年まで、浅井忠が1900年から02年まで、佐伯祐三は最初は1924年から26年までだ。青木繁は浅井忠と同時期に行きたかったであろう。



●『青木繁展-よみがえる神話と芸術』_d0053294_2212283.jpg明治政府は欧州から外国人を多く雇ったから、本場のものを学びに逆に同地へ行くことは自然だが、とにかくお金のかかることであって、そう誰もがということは無理であった。昨日はこの『青木繁展』の最終日で、炎天下の午後1時半、京都国立近代美術館に向けて家を出た。青木繁は28歳で1911年に貧困のうちに病死している。長文の遺書が展示されていて、喀血なのか、1KGくらいの血を吐いたなどと書かれていた。結核だったのだろう。この展覧会、冬場からチラシが用意されていた。いつものように鳥博士さんからチケットをもらって気になりながら、ようやく見に行った。そう言えば、毎回最終日になっているようだ。かなりたくさん人が来ていた。涼むのにちょうどいいのが理由でもあったかもしれない。電気不足ゆえ省エネに務めるべしと言われても、たくさんの人が集まる美術館はそういうわけにも行かない。あるいは関西は省エネにはまだぴんと来ていないか。それはさておき、チラシのキャッチ・コピーには「最初で最後の大回顧展」とある。本当にそうなのかどうか。どちらかと言えば、青木の人気が関西では今ひとつと見ればそうなのかもしれない。青木と同じ久留米出身の坂本繁二郎の展覧会は昔京都で開催され、それを見に行った記憶が今も鮮やかだが、青木の展覧会はそう言えば今までなかった。その理由は、夭折したので作品が少ないからだろうと漠然と思っていたが、所在不明を含めて440点あるらしく、今回は230点ほどを集めた。それほど多く集めることが今後は無理ということなのだろう。最近発見された素描も展示されていて、研究と発掘が続いていることがわかるが、今回は青木がいかに先端的な仕事をしているかを最後の第5章で作品で示しながら紹介していた。また、モネ風の海景が数点展示されていて、それは日本で最も早いモネの影響とあった。欧州に行かなかった青木が欧州の画家の作品を学んだのは画集による。1901年に出たヨーロッパの有名画家の作品図版を収めた画集が1冊展示され、ラファエル前派のバーン・ジョーンズの「黄金の階段」の図版ページ広げられていた。その本を青木が入手したのは、経済的な問題をどうにかすることのほかに、欧州の名画を見たいという欲求が強かったからだ。その気持ちは痛いほどよくわかる。江戸末期、蘭学者が必死に学んだのと同じことだ。青木が見た画集は白黒図版が中心であるはずで、油絵具で描く青木にとってはもどかしさもあったろうが、白黒であればかえって光の明暗がわかるし、画題や構図を把握するには不足はなかった。「黄金の階段」は森村泰昌が写真でパロディにしていたが、この有名な絵は青木の「海の幸」に影響を与えた気がする。ただし、バーン・ジョーンズは着衣の女性群像を縦画面に螺旋形に配置するが、青木は裸の褐色肌の男たちを横長画面に絵巻のように左方向へ行進させる。こう言ってしまうと、身も蓋もないが、青木が規範とした欧州の絵画が画集による勉強とすれば、その作品はそれらの日本化、つまりローカルなもの、田舎っぽいものになるしかない。それが西洋の絵画にはないものとと言えば聞こえはいいが、油絵具を使い、画題のヒントが西洋にあるとすれば、結局は模倣を基礎に持っていて、西洋に憧れながら、どこまでも貧しい日本を感じさせ、青木の作品はかなり中途半端なものに見える。その持ち味が浪漫的というのは、明治30年代の文学その他からよくわかるが、西洋に比肩するほどの何かを青木が生み出したと考えるのは過大評価だろう。
 会場を入ってすぐ、眼前に切手にもなった「わだつみのいろこの宮」が展示されていた。頭上高い展示で、また油絵具の照りもあって、どう体を動かしても必ずどこかの部分がよく見えなかったが、それより驚いたのは作品が予想外に小さかったことだ。これは「海の幸」でも同じで、昨今の大画面を見慣れた目からすれば、その小ささにまた青木の貧しさのようなものを感じる。すでに中学生の美術の教科書でもよく知っている「海の幸」でもあるし、また東京のブリジストン美術館で昔見たこともあるので、今さら感動もないが、「わだつみのいろこの宮」は上部の女性が逆光で描かれ、青木の光と影の対比のうまさがよく伝わる。石膏のデッサンだけで学んだのでは、それほどの明暗の表現は出来ないだろう。青木には油彩画に向く素質があったことがそういう光の表現から伝わる。また、「海の幸」の未完成さは、その荒々しいタッチによって表現主義的であって、当時の日本画ではまず考えられないところをよく押さえている。青木は夭逝したこともあって、神格化され、天才と評価は高いが、確かに技術には卓抜なものがあり、それが若さと結合して一気にほとばしり出た。今回示されたように、死後すぐに坂本ら画家仲間が顕彰に努めて画集を出し、また展覧会を開催したことで青木の名前が広まり、漱石などが作品で言及し、その後は青木と同じ高校を出た河北倫明が青木論を書くなどしたことで神格化が進んだ。もちろん青木の作品に魅力があったからこそ、他人はそこまでするのだが、そこには夭折が大きな理由となっている。28歳と言えば、今はまだ何ひとつ仕事をしていない学生が大量にいるが、その年齢で青木は440点も描いていたのであるから、自分がなりたいものへの意気込みが全く違う。青木はアレクサンドロス大王のような人間になりたかったが、軍人ではもはやそういう巨大な存在になることは不可能と見て、それで芸術に進むことを決心した。ここからしてスケールが違うと言うか、10代の若さによる恐い者知らずだ。初期の石膏デッサンが2点展示されていて、確かな技術を持っていたことがわかるが、そういう基礎的な才能なら当時はたくさんあったろう。そんな青木は洋の東西を問わず神話を死ぬまで好み、それをしばしば画題にした。自分を日本武尊になぞらえた絵もあったが、アレクサンドロス大王になりたかったのであるからそれは当然だろう。そうした自信は、同じ自信がない者、あるいはほとんどの人にとってはかなり煙たいもので、青木は傲慢と見られたのではないか。若いのであるから、それくらいの自信があってちょうどいいくらいで、それがないような者は結局一流には絶対になれない。だが、たいていの人はそういう自信があっても、表に出さないように努める。そして、そういう自信が顔や態度に出て来るのは、世間で認められてからで、ほとんどの場合は中年以降だろう。だが、青木は無名の頃から大家の自信を抱き、自作に絶対的信頼を置いた。であるから、その作品が公募展でさして評価されない場合は怒り、半ばいやみの文章を投稿した。それもまた若さゆえによくわかる行動だが、やはり敵は作るのではないか。だが、出来てまだ間もない東京美術学校卒であり、エリート意識は自他ともにあって、同じ画家仲間からは夭逝は同情的に見られたであろう。
 そんな青木がどういう顔をしていたか、誰しも興味がある。青木の自画像は3、4知られている。面長で顎があまりなく、小出楢重を少し思わせるが、2、3伝わる写真と比べるとこれが全く似ていない。髭を生やした写真では、ごく平凡な顔で、全く特徴がない。目に鋭さがあるが、それはあまり人からは好まれないタイプのものだ。そこにも青木の自信や傲慢さが出ていると思える。青木はかなり達筆で、また筆豆であったが、生前に雑誌に載った文章もいくつかある。全部きちんと読まずにかなりはしょって斜め読みしたが、その中に、画家は世の中に大勢いるが、みんな途中で挫折したり、食うために当初の考えを変える者がいるとして、自分がそういう多くの例とは違って純粋に絵画の世界に邁進する決意であることを述べたものがある。だが、青木のその後は、恋人に男児をひとりもうけさせ、その恋人の実家から生活の世話を見てもらいながら、やがて久留米の父が死んだとの知らせを受けてひとりで帰郷、その後上京を願うもかなわず、貧困と病気のうちに以前のような作をものに出来ずに死んでしまう。青木の母は青木が死んだことで初めて青木が子どもをもうけていたことを知るほどであったが、画家として名を上げて故郷に錦を飾るといったことにならず、全く生活能力が欠如したまま、挫折したと言うに等しい。あちこちに金を無心する手紙を書いていた青木だが、貧しい画家とはそういうもので、この点は筆者にはよくわかる。だが、筆者は他人に身内にも金を無心したことはない。そこが根本的によくないところだろう。野口英世も金に関してははったりが強く、周囲から大いに金を集めたが、有名になればそんなものは一気に帳消しと思っていたし、またそれほどの自信家でなければ名は残らない。とはいえ、口先だけは人の何倍もうまい男はいつの時代にもわんさかいて、そういう言動で女だけには不自由しないが、さてそんな男が1万人いて、ひとりは名が世に出るのがいるだろうか。青木の場合、強烈な自尊心があり、そのあまりのアホらしさにかえってあっぱれと思う人は大勢いるに違いない。言うが勝ちで、どうせなら大きな風呂敷きを広げるほどによい。青木の妻の肖像画は有名で、とても気の強そうな美人として描かれている。「海の幸」でも鑑賞者に顔を向けるひとりが青木の妻と言われるが、彼女も青木の自信に惚れたのだろう。女は何と言っても自信のある男にころりで、男は自信がさっぱりなくても、女の前では傲慢に振る舞うことが、モノに出来る鉄則と思っておいた方がよい。仮にその女が後ですっかり騙されていたことを知っても、自信のある男に惚れていた記憶は残って、悪い気はしないはずだ。青木は女と同棲して子どもが出来れば、父親として生活をどう立てて行くかを考えたことがあるのだろうか。女も強い性格であれば、青木の世話にならずとも、ひとりで育てて行く自信があったのだろうが、青木のそういう態度は男にとっては理想的だ。動物的と言おうか、男はあちこちで子を作り、後は知らんというのが、本当の男らしい生き方ではないか。もちろんそんな男の生き方は現在では訴えられるが落ちだが、それもあって男が弱くなったと言われるのだろう。青木にすれば子どもにさして興味はなく、それよりも自分の芸術が第一であった。その願いどおりに、青木は夭折の天才という評価が定まった。青木の作品は、広く散逸してしまう前に同じ久留米の石橋家に買い取られ、その後石橋家が足袋からタイヤへ業種転換し莫大な利益を稼ぎ、美術館を持つまでの企業に発展したことは誰しも知る。青木の名は石橋家が決定的なものにしたと言える。これがもし久留米に石橋家がなく、青木の代表作が散逸していれば、今の評価はなかったかもしれない。
 230点の作品を展示した今回の展覧会だが、代表作や大作の油彩はさほど多くなく、ほとんどが小さな素描で、青木の世界を堪能することにはならなかった。これは28歳で死んでいるからでもあろう。青木がその倍を生きていれば、今回展示された4分の3は展示されなかったに違いない。見るべき価値のある作品はすでによく知っているものばかりで、後は埋め草的に作品が集められた感がある。久留米に帰ってからの作品は、ごく普通の写実といった感じで、勢いは減退している。これは注文者に合わせて描いたためだが、それは青木自身が最も嫌悪したことではなかったか。だが、背に腹は代えられない。「海の幸」の着衣版と言ってよい漁民を描いた大きな油彩画があって、4か月ほどかかったと説明にあった。人物の顔はそれぞれモデルがあったはずで、それなりに印象深く描かれているが、「海の幸」のような気力は影を潜めている。やはり鑑賞者の方を向く若い女がひとり描かれ、いかにも女性らしい優しさを感じさせる美人であるところ、青木が理想とした女性がわかる気がする。美人を画題にするのはラファエル前派の影響が大きいだろう。「わだつみのいろこの宮」にも美人が描かれる。だが、青木の描く油彩には時として全く美人ではない、男のような変な女が登場し、そのギャップにびっくりさせられもする。ところで、久留米から東京に行き、東京美術学校で学んだ青木にとって関西は全く眼中になかったのだろう。それは100年経った今でも同じであるはずで、中途半端な大阪に住むより、首都に出て一級の教育を受け、最先端の人物になろうと考える若者は、九州や四国には多いだろう。それもあって、西日本の出である青木は、『古事記』に関心があったとはいえ、関西ではさほど重視されていない気がする。関西に写生旅行でもしていれば話は別だが、青木が旅したのは妙義山や房総半島で、「海の幸」は現在の館山市の海辺で描かれた。青木のちょっとしたデッサンから、青木が抽象絵画にも目を向けていたと評価する解説パネルが最後の大きな部屋にあったが、そうした仕事は積極的に迷った過程でのちょっとした試みであって、大きく評価すべきことではないように思う。とにかく若くして亡くなっているだけに、贔屓目に見られる。そういうところも含めて、何をさておいても芸術家は夭逝するが勝ちなのだろう。若くしてさほど恵まれずに死ぬと、哀れを誘うし、神格化への道がすぐに開けている。芸術とは芸が一番であるべきだが、結局は人気商売であって、人に浪漫を多く与えた者勝ちなのだ。芸能人とその点では変わらない。館内の涼しさに充分浸った後、ついでに階上に行くと、正面の広い部屋で20数分の映像作品が上映されていた。先頃森村泰昌展で見た『海の幸・戦場の頂上の旗』だ。これをまた最初から最後まで見た。青木の「海の幸」の引用部分は、砂浜で森村演ずる日本兵が敵国の兵士に行く手を遮られ、白旗を振って降参した後、兵士全員で旗のポールに森村兵が持っていたさまざまなモノをぶら下げて行進する場面にあった。その一行はやがて夕日の砂浜の一画で、そのポールを全員で立てるが、これは硫黄島にアメリカの国旗が立った時のパロディだ。森村が何を表現したかったかは、鑑賞者が勝手に考えればいいが、森村が「海の幸」を意識したのは、それだけ青木のこの絵が名画であると信じてのことだろう。
by uuuzen | 2011-07-11 21:50 | ●展覧会SOON評SO ON
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