暦についての知識が何もないのに、今年は動けばろくなことがないなどと、どこかの占い師に言われたことを信じて行動する者が筆者の身内には少なくない。

そして結果的にどうであったかと言えば、占いで見てもらったことをとっくに忘れているし、また占いどおりに行動したにもかかわらずさっぱり駄目だったということがしばしばある。気休めに占いに頼っているだけなのだが、本人はそれを認めたがらない。だが、気休め代と思えば安いだろう。それで儲かるのは占い師だけで、それで通常のサラリーマンの何倍も稼いでいるおばさんは京都にはいくらでもいる。いくら支払ってもいいと言われはするが、そこそこの金額を払うので、時間給に換算すれば10万円では済まないだろう。領収書もくれないし、税金の申告をしないから丸儲けで、これは宗教と同じだ。また、不思議なことにいかにも金持ちそうな占い師に人気が集まるのは、TVによく出る何とか数子の例からわかる。占ってもらった方は多額を支払ったので当たると信用するのであって、清貧そのものを心情とするような顔の人は占い師にはなれない。なっても人気は出ない。また、占いは全くいい加減なもので、口から出任せを言って、それが当たらなくて文句を言われた場合の言い逃れがちゃんとあって、さらに金をせしめられるが落ちだ。占いは洋の東西を問わずに古代からあるが、どちらも星座を基本、つまり暦に関係すると言ってよい。生まれた星座に血液型を加味し、たとえば牡牛座のA型と乙女座の同じA型では相性がいいのか悪いのかといった判断は今ではネットで手軽に調べることが出来て、完全に暇つぶしのお遊び感覚だ。その一方では姓名判断、人相、手相判断があり、おまけに四柱推命の簡単なものなども動員して判断すると、もう一生の運命がすっかりわかって、後は何をどうしようともその運命から逃れられないかのようだが、現実はみなそんな判断は一時的に覚えているだけで深刻に考えない。だが、なかには血液型の性格判断を信じて疑わない女性がたまにいて、そういう女性はいかにも頭が悪そうで、筆者は最も苦手だ。そういう女性が偏見に凝り固まり、物事を凝視出来ず、付和雷同となって世論をある一定の方向導くところがあって、世の中の大きな部分は頭の悪い連中が動かしている。血液型で面白いのは、筆者の母はA型だが、数千か数万か忘れたが、きわめて特殊なA型であることが昔わかった。それは特別の検査をしたからだが、同じA型の筆者もその可能性がある。また、そういうめったにいないA型の特殊な人の血液型性格判断はどうなっているかと言えば、当然そんな例外は無視している。そしてどうせA型であるからA型の性格と言うのだろうが、そんなつごうのいい話はない。つまり、それほどに血液型性格判断はいい加減なもの、いやその言葉に値すらしが、なぜか根強い人気があるのは、本当に頭の悪い人でも覚えられるたった5種類であるからで、これが500種類の血液型があると、誰もそんなもので性格を判断しようとは考えない。東洋の占いでは易が古代から有名だが、この本の最初に書かれていることは、易などに頼るなということだ。占いに頼るのは最後の最後の手段であって、ふたつのどっちを選ぶかを考え抜いた結果、それでもなお判断に迷った時にだけ、頼れということだ。それが現代はどうだ。自分で死ぬほど考えることはなく、買い物をする感覚でさっさと占いに頼る。そういう者には災いがあるとするのが易の立場だ。実際そうだ。占いに頻繁に頼っている者はみな災いがあるのにそれを信じない。現代は古代より頭の悪い人間が圧倒的に増加した。あるいは金儲けが手っ取り早い占いに手を染める人間が増えた分だけは、賢い人間が増えた。
昨日の七夕は、星を思い浮かべるには最適な日だ。筆者は毎年思い浮かべるが、残念ながら終日雨であった。また、雨でなくても京都市内では星はもう数個しか見えない。ここ半世紀で京都の空がいかに濁ったかよくわかる。大阪は昔からそうであったが、京都にまでそれが及んだ。星が見えなくなる分、人は想像力が減退し、占いに頼ることになりそうな気がする。さて、昨日はMIHO MUSEUMで今日から正式に開催される展覧会に行って来た。毎回招待状が来るが、誰かを同伴してもよいことになっていて、今回は去年自治連合会で仲よくなった、70代半ばのMさんを誘った。昔はキモノの下絵を描いていた人で、バブル期には画商の会社で勤務し、北海道や東北、九州など、日本全土を車で絵画を売り歩いた経験を持つ。また趣味で絵も描くので、筆者とはうまが合う。自治会長をしていても、美術館まで誘いたくなるような人はめったにいない。Mさんは車が好きで、今年は富士山を描くために中央自動車道を利用して山梨県のあちこちに行くとの話であった。筆者が運転出来ればご一緒したいが、乗せてもらうだけはそれは厚かましいので口には出さなかった。MさんはMIHO MUSEUMは初めてで、それを知ったので誘った。この美術館では年に3回ほど企画展があり、だいたい毎回別の人と行くが、平日でもあるので時間のつごうのつかない場合が多い。京都の八条口から送迎バスが出ていて、それに乗れば無料で美術館まで連れて行ってもらえるし、館内では軽食も出る。昨日初めて知ったが、同伴者の名前をいちいちチェックしないし、3人連れて来ている人もあった。つまり同伴者名1名を記入してはがきを出しても、当日は何人でもいいようだ。次の企画展は『天台仏教への道』と題して2か月先の9月3日から12月11日までで、招待日は初日前日の9月2日の金曜日だろう。招待日に行きたい人で、しかもまだこの美術館に行ったことのない人は、コメント欄に筆者だけがわかる形でメール・アドレスを書いてほしい。京都駅八条口から11時半出発のバスが最初で、帰りは京都駅着が5時頃になる。話が横道にそれた。今回の『アメリカ古代文明』展は、比較的日本では珍しい。去年だったか、『オルメカ展』があった。それに類するものを思えばよい。この美術館では何年か前にもアメリカ古代文明の展覧会を開催したそうだが、今回はより充実した内容とのことだ。100点ほどの、比較的小振りの展示品ばかりで、どこから借りて来たものかは図録には書かれていない。記念講演はアメリカのニュー・メキシコ大学研究教授のクリスターン・ヴィレラという人が、「古代マヤ暦の不思議」と題して明後日の10日に行なうので、同大学の所蔵もしくはアメリカから集められたのであろう。
昨日は午後2時から主催者の挨拶があり、最初に京都新聞の滋賀支社の偉いさんがしゃべった。話はナスカの地上絵に猿を描いたものがあって、それと同じ形が星座にあると発見したドイツの学者のことから始まった。星座を凝視し、そこに動物を当てはめるのは西洋でも同じだが、アンデス文明ではその星座を地面に大きく描いたという話はロマンがあっていい。太陽が沈んで月が昇り、星が見えて1日が終わるというこの毎日の循環は、植物と動物に密接に関係している。それどころか支配されている。星を凝視することから人間の文明が始まったと言ってよいほどで、そこにはまず暦を整えるという意識が起こった。古代アメリカの暦は1年が365日と4分の1日であることを知っていて、それは当時地球上では最も正確であった。それだけ夜空を見ることに熱心であったということだが、太陽暦が世界共通となって、暦に神秘を感じることが出来にくくなり、その代わりに安っぽい星座占いが蔓延した。そして、季節の循環は地球温暖化のせいで徐々に感じられなくなり、ハレとケの区別もなくなって、のっぺりとした毎日が人の寿命が尽きるまでえんえんと続いている。そういうあまりに退屈で長い時間の中で、人はどうせろくなことを考えない。だが、古代の人のように夜空を見上げても星座がないか、星はあってもきわめて少なく、人はその分TVの垂れ流し番組に時間を限りなく奪われる。それでもそれを幸福と感じるほどに徹底して神経が麻痺しているほどに、現代は現代なりの不幸な時代だ。といったような見方をこうした展覧会に並ぶ作品を通じてしてみるのも必要で、古代すなわち野蛮でどうしようもないと決めてかかることこそ野蛮でどうしようもない。この野蛮で思い出すのは、スペインのエルナン・コルテスだ。アステカ王国をいとも簡単に滅ぼしてしまったこの男は、欧米では日本以上によく知られているのではないか。だが、日本では、朝鮮や中国に侵略した歴史と、その後の両国への拭えない蔑視から、コルテスをいつか到来する神と勘違いしたアステカ人はそれだけ西洋に比べて迷信に取りつかれ、文明が遅れていたため、あっけなく王国が亡びたのだという見方をする人が多いかもしれない。簡単に言えば、いじめられる者が悪いという考えだ。そして、人間が野獣以上の弱肉強食をする動物であることを賛美する。だが、コルテスに言わせれば、生きた人間の心臓を抉り出して神殿のしかるべき場所に供えるアステカ人の行為こそ野蛮に見えたであろうし、文明の違いは一方の文明を徹底して滅ぼしてしまう形を常に取る。コルテスらによる白人のアメリカ浸入は、金細工をのべ棒に溶かしてしまうなど、文化の破壊も徹底して行なったが、今回展示される作品はそうした侵略の歴史の中で散逸し、また部分的にどうにか残ったもので、コルテス時代はまだ大量の同様のものがあったに違いない。暦をどの文明より正確に作りながら、やがて白人の神がやって来ると信じたのは、皮肉にも的を射ていたことになるが、古代アメリカの広い地域にわたったさまざまな文明は、多様性を持つ一方で、白人によって滅ぼされたという意識が重なって、どこかアメリカ・インディアンを思い出させるところがあるし、実際それは間違いではない。
今回はいくつかのテーマに分けて展示され、説明は極力少なくしてあった。だが、図録はかなり詳しく、またわかりやすく書かれていて、古代アメリカ文明のあれこれを端的に知るにはとてもいい内容になっている。テーマを書いておくと、「仮面」「翡翠」「神々」「儀礼の宴」「暦と文字」「球戯」「黄金」「動物」「染織」で、これは範囲も時代もきわめて大きい古代アメリカ文明をまとめてこうした美術館で概観する時に便利なものであるだけで、各テーマごとに作品の種類がはっきりと分別出来る意味ではない。まず仮面は、翡翠や石で作られ、中には細い線模様が表面に引かれ、そこに朱色の顔料が象嵌されていたりする。唇の分厚いその表情は、アメリカの黒人を思わせるが、実際は遺伝的にはモンゴロイドだ。だいたいに冷たい無表情のものが多いが、かなりデフォルメしてグロテスクなものもある。また実際に人が被るのではなく、ペンダント程度の小さなものもある。ろくな道具がない時代であったから、時間をかけてじっくりと作ったであろう。図録の解説によると、翡翠は金より高価であったそうだ。緑色は成長や再生、世界の中心と考えられ、またトウモロコシの葉の色であったからだが、この葉緑素に関連するところは、人間が植物がなくては生きて行けないことを思わせて、素朴な思想を感じさせる。現在でもクロレラが栄養剤になって緑色は健康的と思う人があるが、古代アメリカほど緑色は王座を占めてしない。また翡翠の加工は便利な道具がなかった時代のことであるから、多大な時間をかけたが、そうして出来上がったものが、現在同じものを機械をふんだんに使って作ったものとどう違うかと言えば、その差を認めない人は多いだろう。顕微鏡で表面を見ると絶対に差があるはずだが、ぱっと見が同じであればそれは同一とみなされる。そして、作り手の祈りのようなものは無視され、誰も感じ取ろうとしない。そうなると、儀式で心臓をえぐり取って神に供えたことも単に残酷で野蛮なことと思われる。このあたりのことはジョルジュ・バタイユが研究したが、神への捧げものとなった生け贄は本当に現在見るような単に残酷であるばかりであったかという疑問が湧くのは正しい。生け贄なる方は麻薬で神経が麻痺され、正常に恐怖を感じることがなかったのは正しいかもしれないが、そればかりではなく、神のために選ばれて死ぬということに名誉を感じ、恍惚となって死んで行ったかもしれない。それほどに神が強烈に信じられていたであろうし、そういう文明を別の文明の価値感でどれほど推し量ることが出来るだろう。
それはさておき、今回面白かったのは、「暦と文字」で、マヤ独特の込み入った図形文字の解読をこの美術館にいるロシア人で語学に堪能な人物が解読したと辻館長は挨拶の中で語っていた。以前はこの文字は解読がまだなされていないと何かで読んだことがある。あるいは学者によって諸説があるのだろう。エジプトの比ではない複雑過ぎる文字をなぜ使ったのかそれが不思議だが、暦に関係し、また守護神への奉納文がほとんどで、そういう神聖な文章にはいかめしい雰囲気の複雑な文字が歓迎されたであろうことはよく想像出来る。またマヤでは20進法で数字を表わしたが、これは漢字とある意味では基本は同じと言ってよく、数字には神聖さは必要なかったということか。「動物」のコーナーでは魚や蛙、鳥などをかたどった器がいろいろと楽しく、これは復元すれば充分現代でも人気を得るだろう。「染織」のコーナーは鮮やかな鳥の羽毛で織り上げた格子文の布が目立ったが、その抽象文様も全く現代的だ。さきほど仮面に赤くて細い線描が施されていると書いたが、たとえばそのほかに奉納用の石斧、あるいは器、人物像などにも着色が施されていた場合があって、わずかにその残っている色がとても美しく、自然の顔料の美を改めて知る。「黄金」のに関しては、南米のシカン王国展ではたくさん出品されたこともあって、あまり珍しくはない。「球戯」は一種のサッカーのような競技で、ボールを頭上高い石の輪の中をくぐらせるが、敗者は死ぬことになったというから、その戦いは現代のスポーツとは様相がかなり違ったか。古代アメリカと題されているように、メソアメリカから南米と、その範囲がきわめて広大で、総花的な内容であることは否めず、そのために同様の展覧会は今後も何度も開催されるであろうし、そのように何度も見ることで熱心な人は各地域の特質を把握するだろう。筆者はそこまで熱心ではない。だが、メキシコで有名はドクロは、今回出品された「仮面を被った人物像」のその仮面がそうであって、たとえばディエゴ・リヴェラの壁画やフリーダ・カーロの絵画にしても、古代のメソアメリカ文明からそのままつながったもので、ヨーロッパによって徹底的に破壊し尽くされた過去のものと見るのは大きな間違いであろう。そういう観点を持てば、また興味も新たになる気がする。思い出した。図録に言及されているマヤの神話のポポル・ヴーは、ヨーロッパでは特によく知られるのか、ドイツでは特にヘルツォーク監督が関心を深く抱いた時期があったし、またその名前を冠した音楽グループがあった。