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●ガンバルクイナイ
を張るのが「がんばる」で、頑固に徹する姿を思い浮かべるが、これがいい場合とそうでない場合があって、あまり頑張り過ぎる人は他人から煙たがられる場合もあり、本人も疲れる。



筆者ははたからは頑張り屋と見られることが多いが、このブログからもわかるように、けっこう毎日息抜きしている。眠たくなればどこでもごろりとなって30分ほど眠るし、気楽な毎日だろう。それでも毎日就寝が深夜2時になるのはなぜだろう。要領が悪いのか、昼間はあまりにだらだらしているためか、あるいは昼間に30分ほど眠ることが原因か。その全部だろうが、がんばる時はがんばる。これはあたりまえで、褒められたことではない。この頑張る時期が早ければ早いほど、後の人生が楽して過ごせる。これは学校も親も子どもに言う言葉だが、子どもはたいていはみなアホで、そういう肝心なことは上の空であるから、気づいた時にはもう平凡な大人になって、人並み以上に頑張ってももう遅い。世の中が、勉強の頑張りでいい大学からいい会社というように仕組まれているから、並みの頭でもとにかく子ども時代に並み以上に頑張れば、経済的には人並み以上に楽な人生が待っている。子どもをそのように頑張る気にさせる方法がいろいろ説かれていて、親はたまたまそのどれかを信じ、わが子に適用するが、そのどれかの元になるものはそれこそ千差万別で正反対の意見が混じっているから、世間でまことしやかに言われていることを気にしない方がいい。筆者は息子に3,4歳の頃から自分で学ぶ態度を身につけさせるためにさまざまことをして来たつもりだが、それらすべてを息子はきれいさっぱり裏切り、親の予想とは正反対のことばかりして今に至っている。たとえば、勉強せずにぐうたらしていると就職出来ず、最後はホームレスになるぞと、それこそボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞の世界と同じようなことを言い続けたが、全く逆に作用して、ホームレスになるのが何が悪いと食ってかかる始末だ。家内に言わせると、TVで見たそうだが、子どもに脅しをかけるようにして頑張りを期待するとそれが逆効果になり、その脅した対象に案外本人は引き寄せられて行くとのことだ。息子はその部類だ。だが、脅しとは反対に、親から褒めちぎられて大人になり、結局ホームレス同然で野垂れ死にした人物を知っているし、この問題は親から遺伝と本人のやる気の問題で、親がどのように、またいくら言おうが、頑張る者は頑張るし、そうでない者はそうではない。それを親はよくわかっていながら、放任主義がいいのか、かまうのがいいのか、いつの時代でも悩む。息子は今は頑張りに目覚めたかのようで、休みを1日も取らずに働いている、残念ながら、その頑張りは要領があまりに悪く、筆者にはほとんど徒労にしか見えない。また、頑張り人間をうまく利用する企業や、あるいは人間がいるので、頑張りはただ美徳とばかりは言えず、ただのアホという場合も多い。今思い出したが、昔長崎出身の若い女性が、京都駅八条口の近鉄に乗るのに、京都駅の表玄関から大きくぐるりと迂回して30分ほどかけて陸橋をわたって行く話を筆者にした。まだ地下道がない頃だ。それを聞いて筆者はなぜ構内を通らないのかと言った。すると女性はJRの入場券がもったいないと言う。近鉄の京都駅には、JRの入場券なしで表側から八条口に行けることを告げると、まさかと言って信じない。10数年前か、京都駅が新しくなって、表側と八条口をつなぐ無料の連絡通路が出来たが、昔は表側の近鉄切符売り場で切符を買うと、それでJRの構内を移動することが出来た。それは駅員に訊くと簡単にわかることで、その女性は表側に近鉄の切符を売っていることを知りながら、その理由を不思議とは考えなかったのだ。訊ねると簡単なのに、それをしないあまり、何年もの間、無駄骨を折る。息子のあらゆる行動がまさにそれだ。ちょっとした疑問を徹底して納得するように心がけるかそうでないかの差だが、人は得てして怠惰に出来ているから、まあいいかとばかりに無駄骨をそうと思わずにやり続ける。
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 何を言いたいかと言えば、頑張りはいいのだが、要領よく頑張らないと、徒労に終わるばかりでなく、他人に迷惑をかけることにもなる。先の女性のように本人だけが無駄足をするのは勝手だが、これがもし仕事で八条口の近鉄に載るのに、いちいち八条口まで徒歩で回り道していれば、それこそ時間の無駄で、会社に損失を与える。実際そのことがその女性はやらかした。こっちはてっきり知っていると思ってあることを命じたが、数時間経って仕事の様子を見ると、全く予想外のへまをしていて、取り返しがつかないほどになっていた。これは筆者に言われた時に不明なことを訊ねなかったからで、こういう社員は少なくないだろう。だが、20代半ばを超えてしまうと、そうういう性質はもう治らない。こういったことを梅棹忠夫は特に重視し、知識情報の整理の必要性を説いたが、人間は要領よく生きる人でも、一方では他人から見ればどうでもいいことにこだわっているので、この要領のよさはあまり強調し過ぎると足元をすくわれかねない。東日本大震災で「東北がんばれ」とのスローガンがよく目につき、TVでも耳にするが、一昨日の復興相の大柄な言葉は、いい意味に取れば、みんなで知恵を出し合って、要領よく事を進めましょうということだ。大臣も本当はそういうことを思って自分を鼓舞もしたであろう。だが、この要領のいい知恵というのは創造力の問題でもある一方、いくら未来を見通したものであっても、今この時点では実現が困難と言うべきものも混じるはずで、また知恵を出したところで、それを本当に時機にかなったものとして評価出来るだけの頭が復興相にあったかどうか、あの言葉を聞くと最初から絶望的な様子が伝わる。未来に対するヴジョンはさまざまな段階があるが、地震以前の状態に戻すのではなく、もっと積極的に根本から町を作り直すという話はごもっともで、それは誰でも賛成だが、さてその落ち着きどころとなると、全く茫洋としている。筆者は昨夜ある人のブログに、大都市と地方の格差問題があるために原発問題も浮上するのであるから、いっそのこと東京全土を500階建ての超高層マンションを林立させ、日本国民全員が東京に住むようにすればいいと書き込みをした。これは復興相の言う「知恵」のつもりだ。筆者のこの話は誰もが冗談として笑うだろうが、未来像を描くにはそのくらいの思い切ったものがあるべきだ。東京に全員住み、日本の海岸に原発を1000基ほど建てる。そうして電気を世界に売る。1000基もあればどの国より安くて独占となるだろう。一方そうして稼いだ金で新エネルギー源の研究を活発化させ、やがて原発に頼らない方法を編み出し、その技術をまた世界に売る。資本のない貧しい国である日本は、それくらいの大胆な発想の転換をし、日本から田舎をなくし、海辺をみな電力を生む電気畑にすればいい。このほとんど冗談に聞こえる話も、秀吉くらいのカリスマのある首相が登場すると、案外一気に進む。だが、今は毎年首相が交代する超民主主義時代であるから、そんな長期のヴィジョンは全くのホラ話となって、復興相は「お前、喧嘩売ってんのか?」と食ってかかるだろう。そして知恵というものも、ごくしょぼい話に落ち着く。また、そんなことを誰もが知っているから、「がんばれ」の言葉は「頑を張って我慢しろ」と相手に響くだけで、言葉をかける方も内心大きな戸惑いがある。それに昔ドラマではやったように、「同情するなら金をくれ!」が被災者の本音でもあろうし、そうなればどうにか将来に向けて夢を描けるような知恵をがんばって出し合い、国から金を回してもらわねばならない。
●ガンバルクイナイ_d0053294_1785339.jpg 今日の最初の写真は大阪の中央公会堂の脇の写真だ。『浅川伯教・巧兄弟の心と眼-朝鮮時代の美-』展を見た後、淀屋橋から心斎橋に地下鉄で出たが、その途中で撮った。2枚目の写真は大山崎山荘で『プリズム・ラグ 手塚愛子の糸、モネとシニャックの色』展を見た時にテラスに出て撮った。先日は掲げるスペースがなかったが、没にするのは惜しい。この写真は気に入っている。ブリューゲルの絵を思い出させるからだ。近景には若い女性がふたり談笑している。彼方には背割り桜の堤や男山が見えている。その光景を筆者が見詰め、その写真をまたこのブログを読む人が見る。筆者は3か月前にはその背割り桜を歩き、それを山荘のテラスから臨むことは、客観の視点が複数化することで、そのことで初めて背割り桜もテラスも自分の記憶に位置関係が明確化されて留まる。この写真を撮りながら思ったことは、地震の被害を受けたいわきのTさんのこととその被害を受けた家屋だ。Tさんとは文通らしきものが20数年続いているが、Tさんはわが家に一度来たことがあるのに、筆者は訪れていない。これはあまりいい関係ではない。Tさんの家を実際に見れば、筆者の手紙がTさんに届くことが初めて実感出来、Tさんとの関係は筆者の内部で複数の視点を持つことが出来るように思う。筆者はこれまでそれなりに頑張って来たが、それにはTさんからの励ましも作用した。そのことをTさんには言っていないが、お元気な間にそのお礼を述べておきたいと思う。最後の写真はヤンバルクイナの切手だ。先日書いたように、祖父の財産を換金したという話をHさんから伝えられ、大量の切手類を委ねられた。これを目下、暇を見つけて整理している。シリーズものが目立つが、完全なものが少なく、どれか欠けている。忘れずに記念切手を買い続けるのは、頑張りとまでは言わないが、それなりにエネルギーがいる。そうして集めたものはたいてい子や孫が何の愛着も持たずに処分するが、亡くなった者にはそれがわからない。頑張りは生きている間だけのことで、この生きることが頑張りなのだ。自分の思いはそうでなくても体は頑張っている。心臓が止まれば死ぬから、内臓は最も頑張り屋かもしれない。そんな頑張りに匹敵するほど思いの方も頑張っているかとなると、これが自殺者が増加しているように、いい加減なものだ。労働に生甲斐を見出せなくなっている時代、人は何を最大の喜びや楽しみとして生きるか。そういう問いがむなしいのか、あるいはそうでないのか、巨大地震によっていろんなことが前にも増して問われる。そして、何事も悔いのないように知恵を出して頑張らねばならない。ただし、頑なに頑に徹し過ぎると疲れるので、程度はそこそこで要領よく。
●ガンバルクイナイ_d0053294_1791256.jpg

by uuuzen | 2011-07-06 17:09 | ●新・嵐山だより
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