医者つながりで今日はこの韓国ドラマについて書いておこう。全163話で、去年の秋から今年KBS京都で月曜日から金曜日まで週5回、午後1時半から2時まで放送された。最初の数回を見逃し、そのまま100話ちょっと過ぎまで見たところ、妹がDVDに録画して持っているというのでそれを借りて見た。
ともかく最後まで見て、それから最初に戻って見ていなかった分を含めてまたもう一度DVDを借りる前までに見ていた分を見たが、それはKBS京都での放送があまりにカットが多いことに気づいたからだ。30分の放送でも正味23,4分で、韓国で放送された長さの6割程度ではないだろうか。うまくカットしている回もあるが、ノー・カット版を見て初めて面白い点に気づいたことも多々あり、やはり韓国で放送されたまま見た方がよい。韓国では2005年に放送されたが、最高視聴率は40パーセント以上を記録し、大ヒット作となった。筆者もこのドラマは今まで見た韓国ドラマのベストかと思った。DVDで全部見た後もたまにTVの放送を見るほどであったが、そのうちに東日本大震災があった。それで一気にこのドラマの熱も冷めてしまい、それどころかTVは地震と原発関連の番組ばかり見るようになった。放送も予定が少々狂ったのではないだろうか。6月までやっていたと思う。それはさておき、100話くらいまでが面白く、その後は主役のクムスンの沈んだ顔が多くなって、ドラマの調子はかなり暗めに変わる。題名にあるように、このドラマは元気溌剌としたところが大きな魅力で、逆境にめげずに幸福をつかみ取って行くそのエネルギーに感動させられる。後半の一種の暗さは、クムスンを演じたハン・ヘジンがかなり痩せ、疲れが目立ったことによる。疲れはもちろんハードな撮影によるが、クムスンが仕事を持って働き、またさまざまな問題が生じる場面と重なって、クムスンの生活そのものが疲れが溜まって来ていたこととして納得させられるところがあり、その意味では俳優の撮影疲れを織り込んだ完璧な脚本と言える。毎日録画して見たが、家内は筆者が熱心に見ているのを横で冷ややかに見つめながら、つられて途中から見始め、同じように熱中した。163回もあるところが見るのに決心を要するところがあるが、1回当たり通常の韓国ドラマよりかなり短いので、全80話くらいの感じだ。内容を簡単に言えば、幸のうすい若い女性クムスンが子どもをひとり抱え、自立して生きる話だ。その自立のための職業が子どもの頃から憧れていた美容師で、それを通じて若い医者と出会い、結婚にゴールインするというハッピー・エンドだ。全くのシンデレラ物語で、非現実的と思って最初から拒否する人も多いかもしれないが、配役がみな達者で、しかも現実味のある物語の展開をする。その現実味とは、たとえばクムスンは祖母に育てられて両親の顔を知らないという設定だが、クムスンは母が生きていて、しかも再婚して医者の奥さんに収まっていることをやがて知る。その奥さんは主人を亡くした後、夫の母、つまりクムスンを育てた祖母に徹底していじめられ、それで離婚したのだ。だが、クムスンを残して来たことをずっと悔いており、子連れの医者と再婚して子を生んだとはいえ、心が晴れたことはない。そのうえ腎臓に疾患を持っていて、人工透析を毎週しなければならない体になっている。そんな母とクムスンは偶然出会うことでドラマは本質に進んで行く。それはまた述べるとして、クムスンは貧しい祖母に育てられ、高校しか卒業出来ず、美容師になるのが夢という小さな幸福を描いているが、実際は母は美人で優秀な女性という設定で、これも韓国ドラマによくある設定で、シンデレラになる必要条件だ。だが、そうした複雑な家庭事情はどの家でも大なり小なりあるものだ。クムスンが経済的にいい家庭に生まれ、両親が健在ならば、大学を出て海外留学するなど、また別の人生を歩んだはずだが、現実はそうでない場合の方が多い。このドラマが大きな人気を得たのはそういう現実感だ。
その現実感はシンデレラ物語の部分にもある。クムスンは子どもを保育園に預けながら、何か仕事をしようと探し回るが、いきなり美容師の技術を学びながら勤務させてくれるところなどあるはずがない。それで青汁の訪問販売のバイトをする。あちこち試供品を配り歩いて病院の病室にまで入って行き、そこで初めて患者から注文を得る。ところがそこに居合わせた若い医師からそれをとがめられ、その医師との出会いが生まれる。最初はふたりは犬猿の仲だが、次第に医師の方がクムスンに惹かれて行く。そして、てっきりクムスンを独身と思っていたが、クムスンは子がいることをあえて隠すのでもないが、つい言いそびれてふたりはそれなりに接近し合う。この若い医師ク・ジェヒは『快刀ホン・ギルドン』の主役のカン・ジファンが演じるが、クムスンと出会った当初はとにかく意地の悪い役柄で、これで視聴者の反感をかなり買い、いくら医者でもクムスンがあんな男と結婚するとは許せないと思った視聴者は少なくないのではないか。だが、それを納得させる筋立てになっている。それはジェヒも家庭的には不幸であることだ。ジェヒは父親を知らずに育った。母はある医者と恋愛し、その男に告げずにジェヒを生み、ひとりで美容師をしながら育てたのだ。長じてからジェヒは父の顔見たさに会いに行くが、当の父は自分の息子をとっくの昔に音信不通になった愛人が生んだことを知らないから、ジェヒと会っても息子とはわからない。それでジェヒは納得かつ失望して、父はいないものとして生きる。つまり、クムスンとジェヒは親の愛嬢の点では歪に育った点で通じていて、ジェヒがクムスンに魅せられるのも納得が行く仕掛けだ。また、ジェヒはクムスンに出会う前に、片思いでしつこく言い寄る女性ウンジュとしぶしぶ付き合っているが、その女性はクムスンの母が結婚した医者の連れ子という設定だ。その医師はジェヒを弟子として見守っているが、ジェヒが片親で育ったことで女性への愛情が通常の男とは違い、自分の娘ウンジュとは相性がよくないとかねがね思っている。これに反発するのがウンジュで、どうにかしてジェヒをわが物にしたいと考え、ジェヒの母が経営する大きな美容院に就職し、副社長格として収まる。そういうところに、青汁販売からどうにか面接に合格したクムスンが入社して来る。このあたりは少ない登場人物でドラマを面白く見せるために、あまりにも人物がうまく関連し過ぎだが、作り話のドラマと割り切って見ればよい。当初クムスンは、ジェヒが少しずつ言い寄って来てもさっぱりそれになびかず、ジェヒはますますのぼせ上がる。そしてふたりの関係をついにウンジュは知るところとなるが、ヒステリックな彼女がどういう態度を見せ、また行動に出るかは、いつもの韓国ドラマのパターンだ。だが、ウンジュが逆立ちしてもクムスンにかなわない出来事が起こる。この点がこのドラマの予想外の展開、そしてこうしたホーム・ドラマとしてはあまりにも思いテーマとなっているが、ジェヒやまたウンジュの父が医師である設定の意味づけが理解される。
その前にクムスンが子を持つことになった経緯に触れておく。クムスンの祖母は息子を亡くした後、悲嘆に暮れ、嫁をいびり倒してついにクムスンを置いたまま家を飛び出させる。それ以後祖母はクムスンを育てるために、おかずを路上販売したり、また家を大学生に間貸しするなどして生活して来た。またもうひとり息子がいるが、これが商売下手で、借金のトラブルから故郷を捨てて逃げ回り、連絡もして来ないようになっている。その息子の嫁と娘と一緒に暮らし、借金取りから逃げ回りながら転居を繰り返している。クムスンは祖母が下宿屋をしていた時にソウルからやって来た大学生と恋愛関係に至り、たった1回の交渉で妊娠してしまう。また大学生の方もクムスンが妊娠して大慌てするが、クムスンの祖母が大学に怒鳴り込みに行くなどし、男の責任を取らせ、しかも大学生の両親を説得してクムスンとどうにか結婚させる。ところが、結婚式のほとんど直後、クムスンがソウルで迷子になった時、ケータイで主人に電話をし、主人がクムスンを探すために友人の車でソウルに駆けつける最中に事故に遭って死んでしまう。まともな夫婦生活がないまま寡婦となったクムスンだが、祖母の家に戻れず、結局主人の実家に入ってそこで暮らすようになる。当然主人の両親はクムスンを息子の将来を台なしにしたとんでもない女と思っているが、クムスンは持ち前の明るさで茨のむしろさながらの生活をそうとも思わず、また自分が美容師で身を立ててしっかり稼ぐようになるまでは世話になろうと決心している。ところがそんなクムスンの仕事欲を主人の実家の両親やふたりの息子はなかなか理解しない。その中で最もましなのは一流企業に勤務するノ・シワンだ。弟を事故で亡くしはしたが、クムスンを哀れと思って何かと相談に乗る。このノ家の家族とクムスンの実家の祖母や叔母がこのドラマでは最も存在感があって、特にクムスンの祖母は主役と言っていいほどに秀逸な演技を見せる。現実にこういう女性がいると感じさせるほどにリアリティがあり、またクムスン思いではあるが、一方では嫁をさんざんいびったという性格のきつい面も滲み出ていて、韓国ドラマの脇役の素晴らしさをまた認識する。この祖母と漫才のように毎日掛け合うのが、祖母の息子の嫁だ。かなり太った女優で、その太った点をそのまま祖母がいつもいやみを言う。これは即興もかなり混じっていたのではないだろうか。クムスンから見れば叔母のその女性は、主人が金銭トラブルで警察に逮捕されてしまい、数年もの間刑務所に入ることが耐えられず、どうにか保釈金を用意して家に戻したいと考えるが、ここも脚本としては実にうまく出来ている。この情けない主人を演じるのは『ホジュン』に猟師役で出ていたイ・ヒドで、ここでは惜しいことに出番が少なかった。それはともかく、祖母はノ家でクムスンが世話になっていることを感謝しながらも、きっといびられていると思っていつも心配しているが、クムスンが働き出してからはちょくちょく家に顔を出すようになり、たまに女ばかり4人が揃っての狭い家の中は貧しいながらにぎやかだ。そこに祖母の息子が刑務所から出てやって来るが、そのための保釈金を叔母がどう役立てたか、当然祖母は問い詰める。これが何とクムスンやクムスンの母を巻き込んでのことで、祖母はそのまま卒倒して死ぬかと思うほど驚愕する。自分の知らない間にクムスンは実母と出会い、しかも実母に生体腎移植を申し出ていたのだ。その話を持ちかけたのはクムスンの母の主人である医者で、そのままでは寿命が短いことを知り、秘密裡にクムスンに接近し、血液反応でトラブルが生じないかまで検査していたのだ。ここは医者の冷徹さを表現しているが、その医者にしても奥さんを助けたいがための行動で、このドラマではさまざまな愛の形が描かれる。
物語の概要ばかり書いて来たが、以上は前半部だ。クムスンはジェヒを必死に奪い返そうとするウンジュからにらまれるが、クムスンは母に腎臓を提供する決心であることを知り、クムスンに対してひどいことを言えないことになる。そのことが結果的にはクムスンとジェヒの間にはもう割って入れないことを自覚させるに至る。わがまま一辺倒なウンジュもそれほどには常識的な人物として描かれているのはこのドラマを後味のよいものにしている。金持ちの娘として何ひとつ不自由のない生活をして来たウンジュだが、ひとつだけ欠けていたのが実の母の愛だ。自分を置いて死んでしまったので、それはもう求められない。そこにウンジュの悲しさがある。だが、それはクムスンには比べものにはならない。ノ家の人たちもみな芸達者で、また出番も全体の半分は占めるほどだが、クムスンがともに生活しているのでそれは当然だ。そしてクムスンが実母に腎臓を提供したり、またジェヒと出会って以降と何かと騒ぎが持ち上がり、そのたびにノ家はてんやわんやをするが、その中でも一番の見物は長男の結婚で、これがまた半ば予想出来る展開ながら、その予想を軽く越える地点にまで話が進んで行くのが面白い。そしてノ家の両親の心の変化も見物で、当初はクムスンに冷淡であったのが次第に温かさを取り戻す。また、そう見せながらも最後に近いところではまた一悶着があるなど、最後まで飽かずに見させる。経済的社会的に恵まれた医者から、中流のノ家の人々、そしてクムスンの祖母のように生活苦の老人まで、社会の縮図を描いて見せている点もこのドラマの人気の秘密だろう。クムスンのような幸に少ない女性こそ、本当の幸福を手に入れる必要がある。これはこのドラマを見る誰もがそう思うだろう。だが、おそらくそういう例は現実にはめったにはない。それでせめてドラマで理想を描こうということか。貧しい親なし子が若くて格好いい医者と結婚できるはずがないというのが世間のだいたいの見方だが、現実はもっとそれより極端なことがいくらでも起こる。同じように貧しく複雑な生まれ育ちの女性が、アルバイト先で京大生に見初められて結婚し、夫のヨーロッパ勤務に合わせて海外生活をし、そこで子どもを産んで中流の上の生活を送っている例が身内にある。男の人生は独力で切り開かねばならず、劇的な変化はたいてい悪い方に起こるが、女は結婚でがらりと好転してシンデレラになる可能性がある。それはそういう生活への野心を持つことも必要なのかもしれないが、そうでなくても男から見て魅力を持ち合わせていればよい。クムスンにはそれがあったのだ。ジェヒはクムスンがさっぱり自分の方に振り向いてくれないので焦るが、子どもを育てて人生経験ではクムスンの方が先輩と言ってよく、男と結婚してまた気楽な生活をと考えない点がジェヒにとってはよかったのだ。ドラマでは最後までクムスンは美容師として働き続ける。経済的に何の苦労もない大金持ちであっても、クムスンは自分の実力を伸ばした、またそのことで稼ぎたいと思っている。これは現代女性の姿として韓国が肯定していることを示す。そう言えば働かないのはノ家の母だけで、この女性は旧世代の考えの持ち主として描かれているかもしれない。また、クムスンの実母も大金持ちであるから働く必要はないが、ボランティアで食事を作ることに従事しているとの設定で、これも韓国の実情を示しているのだろう。こういうホーム・ドラマは気分に余裕がなければ楽しめない。平和な時代の産物だ。だが、毎日30分ほどドラマを楽しむことは誰でも出来るはずで、またそういう日常としてこのドラマを見続けると、それなりに毎日が彩られて楽しい。東日本大震災ですっかりこうしたドラマに浸る気分でなくなった人はきっと多いはずだが、地震以前の平和な日常に心を戻すには、あえてこうしたドラマが役立つのではないだろうか。現実は常に深刻な事態が生じているが、一方では何にもへこたれず、逞しく生きて行こうとする意思もある。かわいそうなクムスンがどれほど心細くなりながらも、いつも前向きに行動している様子を見れば、きっと誰でも教えられることはある。以上、かなりネタ晴らしをしたが、これを読んでから見ても面白さが減ずることはないと言っておく。また、地震からこっち、筆者はこのドラマのことをすっかり忘れていたが、こうして改めて思い出して書いてみると、地震から立ち直るべき時期が来ていることを思う。