臓器売買で先ごろ開業医が逮捕されたニュースがあった。そういう事件にはさして驚かなくなっている。医者と教師は立派な人格と教養のある人がなるべきという思いは、今も洋の東西を問わず健在と言ってよいが、何でも例外はある。
アクセル・ムンテの『サン・ミケーレ物語』の全訳版をその後入手して、トイレでたまに拾い読みしているが、そこに医師免許を持っていないのに評判のいい医師が出て来る。ムンテはその男をとんでもない奴とは書かず、むしろ患者のためになっていることを知り、医師の資格の無意味さを考える。免許性はそれなりの利点もあるが、欠点もある。免許だけ取ってその後はろくに勉強しない場合はざらにあって、免許を持っていることだけで当人を信用すればとんでもない具合の悪いことに遭遇もする。先日書いたが、息子がひどアトピーで近くの大きな病院に通って何年も前と同じ薬を機械的に差し出される。ある日息子を初めて診察した医者は、息子が評判を聞いた別の病院で漢方薬を処方してもらっていることを知って不快感を示し、「それは効かない」と告げた。筆者がその理由を電話で訊くと、「その病院が漢方でアトピーを治したという話を聞かない」との返事で、ネットやあるいは筆者の知り合いの噂を全面否定した。だが、アトピー専門でもない医者が他の病院の情報まで正確に把握しているとは到底思えず、しかもなぜ漢方が駄目であると言えるのか。医者は偏見で物事を言ったのだ。筆者はその医者の言葉に対して、「そこまで豪語するなら、なぜ少しでも症状が改善するなり、完治しないのだ」と言ったところ、相手は絶句していたが、おそらく「治らないのはあんたの息子が悪い」と言いたかったのであろう。医者がそう言う、あるいはそう言いたいことをぐっと我慢していることを知っているので、筆者は息子に医者の手を借りずに自分で本気になって治せと言う。アトピーの原因が不明であるならば、漢方でも治癒するし、あるいはムンテが著作に登場させた、医師免許はないがたくさんの病気を治して人気のあった医師のような人物でも治せる可能性がある。そう思うのは患者側の切実さからすれば当然だ。何年もの間、薬漬けにされ、息子の体は数年前よりかえって悪くなった。それもみなその病院が大量に出すどうでもいい薬のせいだが、その病院を選ぶのは息子であり、またその薬を飲むのも息子の意思であるから、治らなくても、あるいは悪化しても、それは患者のせいであり、医師には何の責任もない。医者はそういう有利な立場を常に自覚しているから、商売としては本当にぼろい。気になるのはよその病院だけで、患者をつかめばもう飼い殺しみたいなもので、ゆっくりと絞り取ることが出来る。そういう現実を知っているだけに、患者側は藁をもすがる思いでさまざまな情報を集めて、少しでも評判のいい治療を受けようとする。筆者は病院に行って薬をもらうとかえって病気になると本気で信じているので、ほとんど絶対に薬は飲まない。そういったことを息子にしつこく言い続けたが、親の言うことを聞く耳を持たない。これがかわいい女の子から言われると即座に信用する。そして信用した後、親は何も言ってくれなかったとふくれるが、親が100回以上も言ったことを知らない。それほどに親の言うことはみな内容がなく、間違いと思っている。28にもなる息子に今さら何を言っても始まらないので、「アトピーがひどいのも結局お前が真剣に治したいと思っていないからだ」と突き放している。何でも自己責任なのだ。親がそう言わなくても世間がそう言う。それほどに世間は冷たいもので、その中でも医者はその最たるものだ。
東日本大震災以降、韓国ドラマを見る気分がすっかり失せた。だが、それまで毎週見ていたこの『ニューハート』だけは録画し、先週7本分ほどを数日かけて見た。これは去年の朝にも毎日民放でやっていたが、いつものようにKBS京都が放送してくれた。全23話で第22話のみ録画出来なかったが、一回くらい抜けても内容はわかる。今日このドラマを取り上げる気になったのは、先日CDデッキが壊れ、内部を開いて直そうとしたこと、また昨日は若い女性の死体の内臓を見せた写真を掲げたことなどの関連から思い出したからでもある。韓国ドラマは医者をテーマにしたもの、あるいは医者を登場させるものが目立つ。医者が尊敬され、若い人の憧れの職業や、結婚相手には不足しない職業であるのは日本と同じかそれ以上であろうが、同じように医療に関する事件も多いだろう。医者も人間であるから、普通の人間と同じで、恋愛も結婚も不倫も、また喧嘩もし、酒に酔い潰れたり、あるいは同僚に嫉妬したり、蹴落とそうとしたりする。このドラマには他の韓国ドラマと同じようにそうした話が盛りだくさん描かれる。であるから、病院内部を舞台にする点が見所で、それを除けば他の韓国ドラマで見た俳優がどんな演技をするかという興味だ。また、外科医を扱っているが、内科医では劇的な、つまりドラマにはなりにくいからだろう。外科医を描くだけに、緊急の手術がよく入り、血しぶきがほとばしる場面が何度もある。そして、その外科手術の場面はライヴ映像として病院内では医者は他の部屋でくつろぎながら鑑賞することが出来る。これは韓国の病院ではみなそうなのだろうか。あるいはドラマだけのことか。日本ではそういうことがあるとは聞かない。日本では警察の取り調べを全部録画するようになりつつあるが、韓国ではその点では先を行っており、おそらく病院での手術も全部録画し、そのことで後で患者側から訴訟を起こされた時に備えているのだろう。その意味で、この2007年に撮影されたドラマは、日本の病院の近未来を見る趣がある。舞台となるのはソウルの名門の大学病院だが、それに対して地方の小さな病院も映る。人口の少ない田舎の病院にはソウルの大病院と違って優秀な先生が集まりにくい。これは日本でも同じであろう。医者は腕を磨くため、またより多い給料を考えて大都市の病院で働きたがる。その現実をこのドラマはいわばドライに描いていたが、地方の病院では手に負えない患者は紹介状を書いて大都会の病院に回すというのは現実だろう。それを思うと、都会に住む方が優れた医療を受けられると誰しも思うし、なおさら田舎には人が住まなくなって過疎化が進む。これは先日いわきのTさんから電話で聞いたが、80代半ばの御主人の治療のために、数キロ離れた病院にたまに行く必要がある。市バスがあまりに不便で、仕方なくタクシーを使うが、往復で1万円するという。田舎に住むと、そういう交通費が馬鹿にならない。それでも車を持つことに比べて安いとTさんは言っていたが、京都市内であればせいぜい往復500円もかからずに市バスでどの病院でも行くことが出来ることを思うと、医療の格差のひどい現実を改めて知る。
さて、このドラマを何とはなしに最後まで見ようと思ったのは、配役が面白かったからだ。主役の胸部外科医チェ・ガングクを演ずるのはチェ・ジェヒョンだ。『ピアノ』そのほかに出て、大御所になりつつある。ガングクは韓国で最初に心臓移植手術に成功したというすご腕の持ち主で、しかも熱血漢だ。妻と娘がいるが、妻役を演じた女優が筆者好みの顔で、それを家内に言うと、筆者の女性好みはみな共通していると言った。そう言えばそうかもしれない。この妻役の女優の名を知らないが、見る角度によってぞくぞくとさせられる美女で、次にいつ出て来るかなと毎回心待ちしたほどだ。それはさておき、ガングクは野心があって猛烈に仕事をし、家庭に戻る暇もないほど忙しいあまり、妻からは完全別居を言いわたされている。また感情の起伏が激しく、すぐに落ち込んで病院から去ったりするが、これはドラマとしては妥当でも、現実にこうであれば、周りから信頼を得られないだろう。そのガングクは、腕を買われてソウルのクァンヒ病院に破格の待遇で引き抜かれる。物語はそこから本格的に同病院内でのさまざまな患者との関わり合いとなる。評判がもっとよければ23回と言わず、その倍や3倍でも引き延ばすことは可能であったろう。そこを23回でまとめているのはちょうどいいか、まだ2,3回は長い気もする。ガングクは同病院の人気を上げるために院長から求められてやって来たが、当然反対勢力から足を引っ張られる。だが、それをすべて蹴散らかすようにガングクが勝利するのは、現実にはあり得ない話でも、ドラマなら胸がすく。ガングクに敵対する医師は3人ほどいる。ひとりは『ホジュン』その他、時代劇に悪役で登場する。言うだけで手術はさっぱり出来ない人物で、そのあまりの無能ぶりにかえって憎めない。もうひとりは院内で女性医師と不倫関係にあって、いい腕を持っているのに、最後近い回で失脚する。だが、ガングクはその腕を惜しいと思って田舎で引退しているのを探し当て、また病院に戻すことに成功する。もうひとりは循環器系の内科医で、この男も見るからに陰湿だが、そこをガングクの大人びた態度によって、やはり病院にはなくてはならない医者として花を持たせる。そのように、ガングクはどこまでも格好いい男として描かれるが、このドラマが若い世代に見てもらえるには、ガングクは歳を取り過ぎている。そこでもうひとりの主役と言おうか、最も出番が多いのがチソンだ。兵役から戻って撮ったのがこのドラマであったというが、ここではひょうきんな役の研修医ウンソンを演じて、手術などグロテスクな場面が多いこのドラマを柔らかく、温かいものにしている。ウンソンは親を知らずに施設で育ったが、三流大学出にもかかわらず、熱心さを認められ、ガングクのもとで研修医として働くことが出来る。同時に面接して同じ研修医となったのが同病院の院長の妾の娘ヘソクで、ふたりは徐々にお互い惹かれるようになる。だが、ふたりがストレートに恋人になったのでは面白くない。そこでヘソクの幼馴染として今は有名な俳優となっているとの設定で、イ・ジフンが演ずるドングォンが登場する。イ・ジフンは以前このカテゴリーで取り上げた『美賊イルジメ伝』の主役を演じた。今回は時代劇とは違うこともあって、あまりピンと来なかったが、この起用は若い女性ファンを思ってのことだろう。チソンもすでに年配格と見られる現実がある。それほどに毎年韓国ドラマには若い俳優が登場する。そのため、TVドラマの代表作は3,4本もあればいいところだろう。ヘソクを演ずるのはキム・ミンジョンという女優だが、今回初めて演技を見た。ガングクの妻役の女優とは全く異なるタイプだが、こういうぽっちゃり型を好む男性も多い。
病院の院長を演ずるのは『冬のソナタ』のサンヒョクの父親を演じたチョン・ドンファンで、これは適役であった。大病院を運営するためにさまざまな戦略を立て、時には無慈悲になる役柄で、最後はそのあまりのワン・マンぶりから孤立し、院長をやめさせられる。そしてそのショックから心臓が急激に悪化、移植せねばならなくなる。一方のガングクは辞表を書いて病院から出たが、実際は院長との取り引きで追放された。妻を追ってアメリカに行ったばかりであるのに、病院に残る同僚から院長が危篤状態であることを知らされ、またすぐにソウルに飛び帰って手術をする。それもむなしい結果に終わり、院長はガングクの優しさと本当の実力を知って死ぬ。院長は悪役とは言えないが、ドラマとしては死なせるしかないだろうそう。院長がそもそもガングクを病院に招いたのは、ひとえに病院の人気アップを狙ってのことで、それはいかにして病院の経営を健全なものにするかということが第一の目的になっている。ところが、熱血漢のガングクは貧乏人にはただでも手術し、しかも術後の経過が思わしくなければ訴訟まで起こされかける。医者はとにかく患者の病さえ治せばいいというガングクの思いはもっともでも、院長はそれでは経営が成り立たず、結局はガングクも医師を続けることが出来ないという主張を崩さない。ここには大病院の経営にまわつわる普遍的な問題がある。このドラマで言いたかった部分もそこにあるだろう。だが、ガングクは院長が死んだ後、家族を大切にしようと反省し、また院長の立場も理解する。その理解によって、クァンヒ病院が前の院長時代とはどう違ったものになるかまでは描かれない。また、胸部外科は最も多忙であるにもかかわらず、最も儲からない部門であり、そういうところで働くガングクやウンソン、ヘソクを陽気で真面目な人物として描くのは、脚本家が医療現場を取材し、胸部外科に同情したからであろう。儲からない部門があっても、一方で儲かる部門があるために、全体としては病院の経営が成り立つ。これはどんな商売でも同じだ。毎回細々としたエピソードと登場人物に事欠かないが、筆者が終始注目したのはふたりの脇役だ。ひとりは『美賊イルジメ伝』に出たこの喜劇畑の男優パク・チョルミンで、『ベートーベン・ウィルス』にも出た。もうひとりは『グリーン・ローズ』に出たソン・ドンイルで、この両者がともに外科医となって出演するのはかなり見物で、このドラマを大きく特色づけている。『ニューハート』という題名は新しく移植された心臓のことだが、何か別のもの、たとえばガングクの跡を継ぐ若手医師、また韓国ドラマとして言えば、新人を象徴している気にもさせられる。また、新しい心臓だけはなく、臓器移植はこのドラマでも描かれていたように、多くが利用される。ドラマでは、ある幼い子どもの命が心臓移植でしか助からない時、たまたまドナーにふさわしい子どもが急死する。そのおじいさんをウンソンとヘソクが説得するが、おじいさんはなかなか首を縦に振らない。そこでヘソクが言うには、かわいい孫さんの命が、今この瞬間におじいさんが判断してくれることで、さまざまな臓器が役立てられるということだ。この場面は実際そうであることを誰しも情報として知ってはいるが、ドラマの形で生々しく接することはないだろう。結局おじいさんは説得されて孫の体を臓器移植に提供するが、ここには韓国がだいたいその方向で国民のコンセンサスがあることを匂わせる。ウンソンがキリスト教系の養護施設で育ち、シスターが何度も顔を見せるが、臓器移植を積極化させることに対してキリスト教が反対していないことも何となく伝わりそうだ。日本では仏教がそういう立場を取っているのだろう。以前書いたように、筆者は臓器を提供したくない。自分が愛する人なら別だが。