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●第3章その1 「序」の息子
古い文章なので、『大ザッパ論』では当初どのように以下の紫色の文章が位置するのか忘れてしまっているが、自分で仮製本した同書の第3稿を開いてみた。



●第3章その1 「序」の息子 _d0053294_19274144.jpgすると、同書は最初は全20章で、まず「序」(これは同書と同じ内容)、そして第1章に「大ザッパ大雑把論」(これは没)、第2章に「序の息子」、第3章に「スタジオ・タン」(同書と同じ内容)が位置していて、本の印刷前には第2章に相当していたことがわかる。そのさらに以前には「THE SON OF 大ザッパ大雑把論」が第2章となっていたが、ゲラ印刷の前に削除された。あまりに章の移動がややこしいので筆者も正確に記憶していないが、当初は1998年8月に発売される予定で、少なくともその半年以上前に工作舎が作った目次を左に掲げておく。これを見れば、約640ページであるので、『大ザッパ論2』とほぼ同じ厚さの予定であったことがわかる。実際の発売は4か月遅れて、章の数も4つ減った。左の目次の赤い数字が発売された本で生きた章だ。このブログの『大ザッパ論サプリメント』は、カットされたそれら4つの章を順にまとめたものだが、厳密に言えば印刷直前にカットの対象になったのではなく、それより半年ほど前にはすでに「THE SON OF 大ザッパ大雑把論」のカットは決められていた。そしてその後さらに「大ザッパ大雑把論」や「序」の息子、「序」の息子の帰還という3つの章が削られた。そのため『大ザッパ論サプリメント』の内容は正しく言えば、カット対象の度合いの異なる文章が混じっていることになる。また「大ザッパ大雑把論」と「THE SON OF 大ザッパ大雑把論」は80年代前半に書いた文章そのままだが、「序」の息子、「序」の息子の帰還のふたつに関しては『大ザッパ論』用に書き下ろしたもので、何度も推敲を経て、ゲラ刷り直前にもあちこちに訂正の朱が入ったから、本当は決定稿が出来たとは言いがたい面がある。『大ザッパ論サプリメント』用に一応はまとめはしたが、もし本に含めるのであれば、さらに推敲して文章が多少変化していた。そのため『大ザッパ論サプリメント』はどこまでも不完全なものだ。それはいいとして、この「序」の息子という文章に、もし奇妙な言い回しがあるとすれば、それは発売された本の文章との整合性を保つためのもので、『大ザッパ論』を実際に読んでいただければよくわかる。特定の言い回しが別の章にも登場するという書き方をふんだんにしたために、断片だけを読めば回りくどくて意味がよくわからないことが少なくないと思う。これはもう何度も書いたように、ザッパの音楽の世界もそのようにして作り上げられていることをなぞらえたものだ。ついでながら、筆者は同じことをここ3年ほど続けている切り絵作りにもそのまま応用している。

●第3章「序」の息子(本来も第3章)

フロシキ包みを開いて古いザッパ原稿の束を見ながら思い出した。96年だったか、ビデオアーツ・ミュージック発売のザッパCDを買えば点数に応じたグッズをもらえるというキャンペーンがあって、ザッパ担当のK氏よりザッパ・フロシキと称するものを特別に一枚送ってもらった。「ザッパ・フロシキ」、リエゾンで発音すると「ザプロシキ」、どこかで耳にしたような……。いや、これは『スタジオ・タン』で登場する「ザプロキシ」か…。話を脱線させず、先へ進もう。フロシキは八木康夫氏のイラストをカラーでプリントしたもので、フロシキとは話がやや大ブロシキ、A3サイズのハンカチであった。私事になるが、京友禅という仕事柄、細かい手仕事で根を詰めて、ごくたまには縮緬の本物のフロシキを染めることもある。昨日も大小さまざまな大きさの完成した自作フロシキを数点、縫製屋から回収して来た。そして街を歩きつつ考えた。『「大雑把論」には大ブロシキとまでは言わなくとも、小ブロシキのような面があちこちあるな』と。ある面に照準を合わせて突っ込んだ話をするというよりも、ザッパに関しての四方山話的概論であり、またそれにしてはやや多すぎる人名が登場するので、余計にそういう印象が否めない。しかしザッパという人間をひとつの輝く星と捉えて、その星と他の星々が形作る星座、相互の関係としての「コンステレーション」を夢見る。それはちょうど星座で、フロシキのような正方形をしているかもしれない。それともアザラシの赤ん坊の毛皮を広げた形か、もう少し大きい犬の母親のような形で、宇宙のどこかに漂っているかもわからない。いずれにせよそれは、今ここの視点から眺め渡せる、勝手な云々によって描かれる星雲のようなものだ。
 『THE SON OF 大雑把論』は没原稿となって人々の目には触れなかった。だが書いて10年以上も経つので、頭の中では最初の「大雑把論」と渾然一体となってしまっていた。そのため、てっきり「大雑把論」の中に書いていて、すでに公にしたものだと勘違いしている事柄が多かった。ワープロで打ち直しつつ、自分でもようやく発表された内容とそうでないものとの区別がついた。しかし同時に奇妙なことにも気づいた。それは92年の春、我が家に初めてサイモン・プレンティス氏が来た時の会話を思い出したからだ。その時「大山さんの昔の文章で、画家ボスのことが書いてありましたよね」と言われ、「はい」と答えたものの、実はそれは「大雑把論の息子」の方に書いたものであるということが、ようやくわかった。サイモン氏がどうしてその文章を読み得たのだろう。おそらくその投稿は『ハエ・ハエ・カ・カ・カ・ザッパ・パ!』の次に発売されるアルバムの解説に採用するかどうかで、当時CBSソニー・レコード会社からの経由によって、ザッパ解説関係者の間で回し読みされたと想像する。
 さて、記憶が薄れない間に、日本においてザッパのレコード解説がどういう経緯を辿ったか、その簡単な歴史などを書き留めておくのもあながち無駄ではないと考えた。以下に3部に分けて話を進める。なお続きは『「序」の息子の帰還』にまとめる。

by uuuzen | 2005-07-27 19:28 | ○『大ザッパ論』サプリメント
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