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●梅雨時の白花三題、その11
性で続けているわけではないが、白花シリーズをこうも続けると飽きられるので、明日で終わりにする。区切りとしては12がいいだろう。



13の分もあるが没にする。前に書いたように、「その2」で終わるつもりが長く引き伸ばしたところがある。それは「その2」を投稿した段階で、没にするには惜しい写真があったせいだ。それと同様、書いたのにここには載せない話もある。だいたいそういうものは出来が悪いと思うからだ。ミュージシャンが後年になって未発表曲を含むベスト・アルバムを出すが、その未発表曲はだいたいつまらない。重箱の隅をつついてまでほじくり出す必要のないものはけっこうあって、発表の機会を逸したものは没の価値が高いと思えばよい。そういう没になるものを大量に抱えた状態で、いつも何か発表するという姿勢が、壮年の特権で、そういう時期に本当にいいものが生まれる。筆者のこのブログは暇潰し半分のものであるから、そこまでおおげさには考えていないが、それでも文章や写真を没にしているところ、なるべく良質のもの載せたいという思いはある。そういう気分を忘れないだけでも、たるみからは免れるのではないかと思っている。また、写真をいつものように500×360ピクセルに加工する際、こうでなければならないというトリミングをするのはもちろんだが、それには撮影時の角度がまず問題で、たいていはさっとかまえてぱっと撮るが、撮ったものが気に食わない場合は、載せないか、撮り直す。ところが筆者は撮ってすぐに画面を確認しないので、大阪で撮ったものを帰宅してからパソコンにつないで初めて見た時、思うような角度で映っていなければ撮り直しが利かない。ほとんどそういうことはないように、撮る時に自信を持って臨むので、没にする確率はきわめて低い。また、筆者のデジカメは単3電池4本を使う旧式の安物であるから、一眼レフのようにいい写真は望めないが、ブログ用に500×360ピクセルに加工するのであるから、それでも充分過ぎる。予想していなかったところに話が来たので、少し戻す。「その2」を投稿した後、白花シリーズをいつまで続けようと考えながら、「その4」の投稿の翌日大阪に出て、ひとつの面白い光景に出会った。そしてその時にこのシリーズの最後はその写真にすることに決めた。それは明日掲載するとして、何事も習慣づくと、その最後をどうするかを筆者はいつも考える。有終の美というほどでもないが、最後が印象深いと、全体がそう見えるとは思う。そして、何か新しいことを始めれば、その最後の形をどうするかを心の片隅で温め続ける。もちろんそれはすぐには明確に見えない場合が多いが、見えたとなると、終えるのは早い。また、その一方で新たに始めている企画があるから、長期に続いたことが終わってもさほどさびしくはない。話のついでに書いておく。台所の壁に、筆者が描いた絵を2枚かけている。1枚は1975年の丸1年を費やした。もう1枚はそれから20年後の1995年の丸1年を費やしたものだ。これもいわばシリーズで、3作目はそれから20年後の2015年にもう1枚を丸1年かけて描くつもりでいる。そしてその次となると、2035年で筆者は80代半ば、もう生きていないであろうから、2015年の1枚は、40年かけたシリーズの最後のものとなる。もしもまだこのブログを2015年まで続けていれば、その絵について詳しく書きたい。
●梅雨時の白花三題、その11_d0053294_1031527.jpg

 さて、昨日の話の続きだ。3,4日前、遺産のことである人Hから相談を受けた。あまり詳しく書くとよくないので、一応遠い身内としておく。数年前にHから滋賀の山奥にある実家の蔵の中身を見てほしいと言われた。Hの父が京大の有名な教授であったこともあり、蔵の中はそれなりに宝と言えるものがあった。ただ、その処分をどうするかは、筆者が見せてもらった時点でHは踏ん切りがつかず、しばらくそのままにしておきますと言われた。そして1,2年経ってまたHから連絡があったが、泥棒が入って蔵の中のいいものをみな持って行かれたと言う。筆者が見せてもらった時点で業者を呼ぶかして処分すればよかったのに、後の祭りだ。ただし、最初に筆者が見せてもらった時、掛軸類だけは京都市内のHの家に移すことを提案したため、盗難から免れた。それらはさほど名品というものはないが、狩野派でもかなり古い時代の大幅の鶴図や、また幸野楳嶺の「鳩に合歓木図」などがあって、それらだけは処分せずに持っておいた方がよいと伝え、Hはその言葉にしたがって今も手元に置いているが、先日の電話では掛軸類や刀剣、古銭、切手なども全部処分したいと言う。それに、蔵のあった滋賀の実家はもう取り壊したが、敷地や山なども全部売り払って子ども3人に分けたいと言う。つまり生前の財産分与だ。そう言えば金ののべ棒も先日は換金したと言う。Hは夫婦とも大学の先生であったので、生活に困っておらず、先祖の財産を自分がまだ元気な間に、3等分して子に分けておきたいのだ。ひとり当たり家1軒分には軽くなりそうだが、どこでも中流はそういうものだろう。筆者は子どもは息子ひとりなので、財産はみんな息子に相続されるが、大したものは何もないので、筆者らの老後の生活できれいさっぱりなくなるだろう。親から家1軒分のまとまった金をもらえるのは、それこそ棚からぼた餅だが、お金にさっぱり縁のない筆者には実感出来ない。親の老後の面倒を見るので、息子が妻と一緒に親元に同居することは珍しくない。それでも結婚した当初、あるいは子どもが小学校を出る頃までは、親から独立して住むのでなければ、妻が気を使ってかわいそうだろう。だが、夫としては家賃の心配もなく親元で新婚生活が出来るのは気楽であるし、あまったお金は趣味に回すことも出来る。そう考える男も多いのではないか。それはさておき、Hから処分の相談を受け、掛軸は内容を知っているので、まだ見ていない切手については知識があるので処分先を考えようと伝えた。そして翌日それを手わたされたが、電話で聞いていたよりもつまらないものばかりで、筆者が所有するものの方がはるかに価値がある。ほとんどがシートで、額面で計算すると80万以上にはなるだろうが、記念切手は人気がない。額面の8割で売れればいい方ではないか。チケット・ショップでは9割ほどで買うところもあったが、今はどうなのだろう。中には価値のあるものも数枚あるが、それもネット・オークションで見るとほとんど額面に毛の生えた程度の価格だ。それにネット・オークションでは出品の手間がとてもかかるし、売れれば何パーセントかの手数料をヤフーに徴収される。筆者は今とても忙しいので、その大量の切手シートをネット・オークションに出品する時間がとてもない。また、昔のようにたくさん手紙を書かないし、小包も送らないので、自分用に譲ってもらうことも躊躇する。さて、どうしたものか。また、掛軸は業者に売ると安くたたかれるはずだが、ネット・オークションではさらに安価になるであろうし、状態のとてもいい楳嶺の「鳩に合歓木図」などは、筆者が余裕があればほしいくらいだが、それが無理なら、せめて知り合いに持ってほしいと思う。今思い出して検索すると、この楳嶺の絵の一部はこのブログに以前写真を載せている(「ブログ」の文字をクリックすると別画面が開く)。改めて見るととてもよく出来たいい絵で、数十万円はほしいところだが、ほしい人があればコメントに書き込んでください。
●梅雨時の白花三題、その11_d0053294_10322438.jpg 骨董を残しても子孫はそれに関心がなく、現金の方がいいと言う。家に楳嶺のちょっとした掛軸があることを自慢するにも、そういう趣味のある知り合いがなかったりするし、そもそも掛軸を楽しむための床の間がない。換金すると、そのお金は右から左へとあっと言う間に消えてしまうが、それでも生活の潤滑油としてそれが活用出来たのであれば意味がある。有名な画家が描いた掛軸がさっぱり家宝にならない時代なのだ。だが、今回のこの財産処分の話を聞きながら、筆者も先のことを思う。家内がいつも言うのは、本やCD,その他さまざまなガラクタは筆者にしか価値のわからないものであるから、生きている間にきれいに整理してほしいという一種の小言だ。今はそれを聞き流しているが、時に本当にそうで、それをいつから始めればいいかと思う。せっかく長年かかって集めたものを全部手放すとなると、何だか自分がこの世から抹殺されるような気がするが、死んだ後では息子が処分に困る。そして、たとえばの話、100万円のものを1000円で売ったりするに決まっている。昔、家内の母が亡くなった時、大量のキモノなどは、老人会に即日寄付され、ほとんど形見らしきものが残らなかった。家内の姉が処分したのだが、そのあまりの手際のよさに、びっくりさせられる前に何とはかないものかと思った。だが、形見などない方がいいのだろう。物よりも記憶だ。物はいずれまた誰かの手にわたる。記憶はそうではない。そしてその記憶は物と深く関係しない方が本当はいい。一昨日は岡本太郎の養女となった女性が遺した日記を瀬戸内寂聴が読んだことを縦軸にしたNHKの番組を少し見たが、芸術家なら作品が残って後世まで多くの人々の記憶に刻まれるが、それも一流だけであって、生存中に無名の作家は何も残らない。名が世に出るか出ないかの差は、たとえば筆者が携わる染色の世界では、最初からすっかり決まっていて、芸大美大を出ていなければまずお話にならない。そういう大学の出身者たちががっちりとスクラムを組み、在野の作家を絶対に評価せず、仲間に加えない。染色でなくても日本画や洋画でも同じだ。日本は一番自由であるはずの芸術の世界が、逆に最も閉鎖的で差別がきつい。岡本太郎の人気が一種不動のものとなったのは、晩年から没後にかけて、先のNHKの番組でも紹介していたように、養女がとにかく各方面を駆けずり回って作品を売り込み、宣伝に努めたからでもある。クールベが死んだ後、ふたりの妹は兄の作品をルーヴルに入れるために盛んに活動した。それと同じことで、作品は無言であるから、その作品の価値を高めるには、作家の没後に誰か声を挙げて運動する必要が欠かせない。これを逆に見れば、芸術として中身がうすくても、宣伝に大いに努めることで作品の価値は大いに高まる。そのように活動している作家はいつの時代でも例に事欠かない。筆者の家内は全く筆者の仕事に無関心、息子も同じ、さらに身内の誰ひとりとして筆者がどういう作品を作っているかに興味はなく、また芸術に無縁であるから、それだけでも筆者の苦悩がわかってもらえると思う。だが、だいたい世の中はそういうものだ。1000人いて芸術に深く興味のある人はせいぜいひとりかふたり、いやもっと少ない。そう考えると筆者はたくさんの自作を抱えて、その処分をどうしたものかと思う。家内に苦労ばかりかけ、食うものを食わず、着るものも着ずに、精魂込めて作った作品は、原材料だけでも月収の半分かそれ以上を費やすことがしばしばであるのに、それらが人の目にほとんど触れず、筆者の没後そのままゴミとして処分されることを思うと、生きている間にどうにか落ち着き先を考えねばならない。そして、作品を大事にしてくれる人の顔がいくつか浮かぶが、それもせいぜい20年ほどのことで、それ以降はその子孫の時代となって、やはり置き場に困ってゴミ焼却場行きとなる。そんな想像をすると、もう今さら同じような仕事を続けてもアホらしいだけと思ってしまうが、作品が残るひとつの可能性として寺に置いてもらうことがある。もちろん寄付となるが、売れないならばその方がましだ。
●梅雨時の白花三題、その11_d0053294_1032475.jpg 暗い話になってしまった。いつものように、最後にまた白い花の写真の説明を。まず最初はキョウチクトウだ。インド原産のこの花は夏に似合う。ムーギョ・モンガにほど近い、四条通り沿いのとある家の壁面にはたくさんの植木鉢が置いてあって、それを畑代わりにしてトマトやジャガイモ、ナスビを育てている。その鉢のひとつ、四条通りに最も近い、つまり歩道すれすれに、この白いキョウチクトウが植えられたは去年だったと思う。それが先日から開花し始め、最初の花が咲いた日に俳句をひとつ作って「つぶろぐ」に投稿した。今調べると6月7日となっている。10日ほどで満開になった計算だ。この植物はかなり背丈が高くなるが、この鉢植えはまだ低く、しゃがみ込んで撮影した。紅色の花が多く、白はあまり見かけない。あまり好きではないが、蒸し暑い頃には実によく似合う。2枚目はナデシコだ。「その2」を投稿した時、ナデシコの写真は用意してあったが、あまり気に入らず、没に決めた。その後、松尾駅近く、桂川の土手の花壇を覗き込むと、ひっそりと1株だけ咲いていた。このひっそり感がいい。大和撫子の言葉があるように、日本の女性らしいと古来思われているようだが、大和撫子は大昔に死語になったか。今はその反対に、この言葉を頼りない男に当てはめるのがいいかもしれない。先日掲げたように、スーパー玉出の前の花屋にはナデシコの園芸種で花弁の先が丸くなっているウメナデシコが売られていたが、やはりこのようにぎざぎざのある品種が表情豊かでいい。白はサギソウに似た雰囲気があって、なおよい。3枚目はクロタネソウで、これはナデシコのすぐ近くに、写真に写るひとつだけ咲いていた。この花がほかに咲いている場所は知らない。花壇用に植えられたもので、よほどたくさんの種類の種子を蒔いたようだ。その花壇は季節ごとに咲く花が違い、秋になればまた見物かもしれない。だが、「秋の赤い花、三題」などど二番煎じをするつもりはない。終わりを決めて行動することは、何事も計画的に動くことが好きな性質であるからだろうが、そう何事も計画どおりに進むことはない。3月の巨大地震で被害を受けた人はなおのことそれを実感している。であるから人生は面白いと思うほどの余裕を常に持っているべきなのだろうが、暗い予想をしていると、本当にそういうことが起こってしまいそうな気もするから、人間は努めて明るい思いを抱き続けるのがよい。何事も思いによって違って見える。落ち込んでいる時は見慣れた山は残酷に見えるであろうが、楽しい出来事があると全くその反対に見える。その楽しいことは、老化に伴なって減少するが、それでも見つけようとすれば何かある。
by uuuzen | 2011-06-26 10:33 | ●新・嵐山だより
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