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●梅雨時の白花三題、その7
出と聞くと縁起がいい響きを感じる一方、パチンコ屋の屋号にぴったりするとも思うが、大阪市南部に多いスーパー玉出は天神橋筋商店街の店を含め、5軒ほど入ったことがある。



どの店も中でネオンが光っていて、それだけでもパチンコ屋風だが、大阪はとかくそのように派手な街で派手な人間がいると全国的に思われているが、評判は概してよくない。その大きな理由は、大阪が東京に逆立ちしてもかなわないのに、ライヴァル視している滑稽さだ。大阪が意識しているほど東京は大阪のことを何ら気に留めず、大阪が東京を見下すようなことを言うたびに、せせら笑われる。そして、いつも決まったように大阪人が言うのは、東京は田舎もんの集まりということだ。大阪も秀吉の時代に近江や京都を中心に多くの人間を集合させて大きな街にしたから、大阪も大きなことは言えないが、歴史の長さから見ると大阪に軍配は上がるし、またそのことを大阪は自負したいのだが、文化人があまり輩出しない。と言うより、TVを牛耳るのは東京勢が主で、どうしても大阪は文化度が低いとみなされる。また文化と言えばお笑いで、これだけは全国版になっているが、それを下地に、たとえば梅棹忠夫がもっと評価されるようになれば、大阪もなかなかやるではないかと東京を初め、一般の認識も高まるが、なかなかそういう時代は来そうにない。そのため、大阪の知識人はみな東京へ行き、大阪人であることをあまり表に出さずに、仕事をしたりする。大阪は東京に対して卑屈になっているところがあるから、表向きは東京がなんぼのもんじゃいといった素振りを見せるのだろう。さて、スーパー玉出の話を一昨日家内から耳にした。あれほど安い野菜などは産地表示がなく、どうせみんな中国製で、そういうことを心配する人は絶対に買わないと、大学の先生たちが話をしていたそうだ。ムーギョ・モンガでも中国野菜は売っているが、確かに安い。だが、里芋が1パック100円であったものが、ここ2か月は140円ほどに値上がりし、ほとんど買わなくなった。小芋や里芋が好きなので、煮物にしてよく食べたのに、一気に4割の値上がりはどうした理由かと思う。だが、大きな芋が6個ほどで140円はまだまだ安く、向かいの大型スーパーではその倍以上はする。もちろん中国製ではない。中国製にどれだけの残留農薬があるのか、これは日本に輸入される時に検査をしているはずで、筆者は問題ないと思っている。特に中国野菜には敏感になっている日本であるから、その検査は福島原発の放射能検査以上に厳しいはずで、中国野菜が安くてもあまり売れないのは、考え過ぎだと思う。確かに金にゆとりがあれば良質で高価な野菜を買いたいが、そんな余裕はないし、残留農薬の心配を言えば、高級野菜を頭から信じるのも危険と思っている。とにかく完全に安心なものを食べたいのであれば、自分で野菜を育てるしかないし、またそれでも農薬その他の心配は必ずつきまとう。
●梅雨時の白花三題、その7_d0053294_2014542.jpg

 先日家内と大阪に出た時、長堀の東急ハンズのすぐ近くにある東北物産店を覗いた。そこには最近橋元知事が訪れて2,3万の買い物をして話題になったが、筆者は5.6年前から知っている。それでもめったに買わない。口に合いそうなものがあまりないことと、値段が高いからだ。輸送費など加味してそういう価格になるのだろうが、東北人が懐かしがって買うのが主流ではないか。それでも地震があったことでもあり、何か買って帰ろうと思い、りんご飴とかりんとうを買った。ふたつで800円ほどで、同じ量ならば菓子の安売り店では半額以下で買える。ただし、味は違うだろう。そう思って買ったが、りんご飴は小さな玉状のものをひとつずつ包装しているのは手間がかかっているからいいとして、何で出来ているかを確認すると、クエン酸が添加してあった。筆者はおいしいと思うが、家内は1粒でもういらないと言う。この飴に比べて、先日学校で小規模な東北物産展が開催され、そこで買ったいわき市の小さな飴屋が製造しているブルーベリー味の飴の方が倍以上安く、またおいしいと言う。その飴は手作りで、ひとつずつ包装されず、また大きさも大小さまざま、ラベルのデザインもそうとうセンスが悪いが、確かにおいしかった。そういう小さなメーカーがかえって良心的かもしれない。1粒当たりそのブルーベリー飴の3分の1ほどの体積のりんご飴は、先に書いたように、1個ずつ包装して衛生的だが、袋を破るのがかえって面倒でもあって、お金をかけて無駄なことをしているところがある。そのため、大手メーカーの飴の2,3倍の価格になるのだろう。やはりよほどその品物に思い入れのある人でない限り、リピーターを増やすのは難しいと思う。大阪人は安くておいしいものに驚くほど敏感で、おいしくても高ければそっぽを向く。かりんとうは筆者の好物で、ピーナッツをまぶしたものなど、一気に一袋を平らげるほどだが、自分で買って来て食べるほどではないので、メーカーや商品名を知らない。それでりんご飴を見つけた次に、かりんとうを選んだが、その理由は、かりんとうの1個が巨大で、そのずんぐりしている様子がおいしそうであったからだ。だが、これもよく買う品物の2,3倍の価格だ。同じ量でそういう価格となれば、おいしさも2,3倍は期待した当然だ。そして、さほどおしくなくても、せっかく買ったからには、無理にでもおいしいと自己暗示にかける。ところが、まあまあおいしいという程度で、さほど口には合わなかった。このことで思ったのは、東北のお菓子は大阪では人気を得ないだろうということで、実際その店はいつも訪れる人がまばらで、大阪在住の東北人御用達なのだろう。だが、大阪の食べ物を東北に持って行ったとして、どれほど歓迎されるかは疑問だ。大阪は粉もん文化とよく言われるが、筆者はほとんどたこ焼きを食べないし、また食べたいとも思わない。お好み焼きは家内の好物であるので、一緒にたまに食べる程度だ。大阪の食べ物の代表はうどんと思うが、これも老舗はかなり高価で、それならムーギョ・モンガで安い麺を買って来て自分で作るか、それとも讃岐うどんのチェーン店で食べるかする。またお金に余裕があれば、大阪の食べ物の一番は何と言っても焼肉だが、これはそこそこ有名な店を利用すればビール代を含むとひとり1万円は最低見込まねばならず、そうそういつも食べられるものではない。昔は焼肉はもっと庶民的な価格であったが、時代は驚く変わった。
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 スーパー玉出でレジを済ませて袋に商品を詰めていると、すぐ隣に70代半ばの紳士が、ひとつずつパックを裏返したり、価格を確認したりしながら、そしてぶつぶつひとりごとしながら、袋に詰めている。老人が目立つ世の中になって来て、そういう人がスーパーで買い物をする姿はごく普通になった。筆者もそういう世代の仲間にもうすぐ入って行くことを思うと、何と言うか、さびしさが一挙に襲うような気がする。その紳士は裕福に見えたが、大量の買い物をすることは、ひとり暮らしか、あるいは奥さんが病気かだ。昔は奥さんが全部食事の世話をしたはずなのに、それが今では自分の食べるものは自分で用意しなければならない。そして、台所に立って包丁を握り、魚をさばいたり、野菜の皮を剥いだりする作業はとても面倒で出来ない。出来てもひとりが食べる程度ではかえってガス代や水道代が無駄、パック入りのおかずを買った方が手っ取り早く、またおいしくもあるということなのだろう。これはまさに先日書いた梅棹忠夫の主婦無用論であって、実際主婦ですらそうしたパックされたおかずを毎日買い込むのが珍しくない。筆者はスーパーでそういう若い主婦をよく見かける。レジで隣に並ぶと、数千円分のパックおかずをかごいっぱい買っている。それをその女性は不思議とも何とも思っていない様子だが、それが並ぶ食卓に、旦那や子どもはどういう顔をしてつくかと思う。主婦はおかずを作る手間を省き、その分炊事も楽になったが、それでも旦那がその主婦を不要と思わないとすれば、それはどういう部分を見ているからか。子どもがいるので仕方なしか、あるいはいつでもセックス出来る相手の手放したくないからか、それとも旦那は自分の働きがさほどでもないので、嫁が食事に手抜きすることに文句が言えないのか。奥さんも働いているとなると、そういう光景は珍しくなく、スーパーに大量のおかずが並ぶようになったのは、共働きが増えたことを示している。共働き時代になって、生活が昔に比べて豊かになったかと言えば、ほとんどの世帯はその実感がないのではないか。パソコンが導入され、仕事が一気に便利になって、時間のゆとりが出来ると期待したのに、事態はかえってひどくなって、毎日締め切りに追われることになったことに似ている。便利な電化製品が普及し尽くしたところ、主婦は家事から開放されたかと言えば、あまった時間でさらに掃除や洗濯を頻繁にするようになって、電気代や水道代はかえってかさむようになる。梅棹が言ったように、主婦が家事から開放される分、知的な何かに勤しむことにはならず、しなくてもいい仕事に自らはまり込んで、半ば脅迫観念でそれを毎日続ける。女の中にはいくら自由な時間があっても、知的なことに使おうという気がない者がいる。いや、それは男も同じだろう。
●梅雨時の白花三題、その7_d0053294_2022924.jpg スーパー玉出から妙なところに話が来た。昨日1か月ぶりに従姉に会ったところ、筆者が激痩せしていることに驚かれた。たまに会う者の眼差しは貴重だ。体重計がないので、どれだけ痩せたかわからないでいるが、頬を触ると、げっそりと肉が落ちていて、家内はついに病院で診てもらえと言う始末だ。だが、体調は悪くないし、自分の体は自分でよくわかっているつもりでいる。痩せた原因はさまざまあるが、ひとつわかっているのは、食事の量が半減とまでは言わずとも、6,7割に減った。間食もほとんどしないし、またご飯は茶碗に軽く一杯で、お代わりをしない。それでも平気になったが、これが昔から長年の筆者の姿で、ここ2,3年が食べ過ぎていた。だが、夏に小学校である市民健康診断に行ってさまざまな数値を確認してから、また考える必要があるかもしれない。もうひとつの理由は、あまり眠れなくなったことだ。地震の前は9時間でも平気であったのが、最近は6時間も寝ていない。老人になると眠れなくなるというが、それを聞いて筆者は不思議で仕方なかった。ところが、最近は筆者も老人になって来て、それであまり眠れないのかと思う。一昨日、去年同じように自治会長をしたある老人と1時間ほど話した。75歳で、一昨年奥さんを亡くし、ひとり住まいされている。この人とは馬が合って、筆者の方からたまに話しにお邪魔する。もうすぐ還暦を迎えると言うと、「うらやましいなあ。わたしが大山さんの年齢なら、がんがん仕事するなあ。だけどもうわたしのような年齢になると、先が見えているし、どうでもよくなります。大山さん、60からの10年間は大きな仕事が充分出来ますよ。10年もあれば、ひとかどのことは出来ます。」との返事で、このように言われると、本当にこれからの10年は武者震いするような気分でもある。無駄なことはせず、目的にまっしぐらに進み、望みのものを勝ち取る。そんな思いだが、さて、その望みを実現するのに、才能はひとまずおいて、時間と体力と金力が必要で、筆者には最後のものが圧倒的に欠けていて、それとの格闘で今までどうにか生きて来たと言ってよい。そのため、相変わらず、ムーギョ・モンガに出かけて安い売れ残りの野菜を買い続ける。そうそう、思い出した。先日のスーパー玉出で、土つきのらっきょうを買った。同じ箱入りのものが3種あって、値段の安いものほどしなびている。もちろんそれを買って、翌日皮をていねいに剥いて塩漬けの下処理をし、今も家中らっきょうの強烈な臭いが充満している。今日も梅雨時の白花の写真を3枚掲げる。最初のものはスーパー玉出の向かい側の花屋で売られていたマーガレットだ。2枚目は近所でひっそり咲いていた。葉を見れば山吹で、花が白いので白山吹かと思って調べるとそのとおりであった。この花は1日で萎む。3枚目は桂川沿いの花壇に植わっていた。ムーギョ・モンガへの途上、遠目に見た。近くまで行って見ると、タチアオイであることがわかった。隣に赤い品種が咲いていて、それが写らないように角度を調整したが、写真はドイツ・ロマン派のナザレ派の絵画のようになった。それが気に入っている。
by uuuzen | 2011-06-22 20:02 | ●新・嵐山だより
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