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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●梅雨時の白花三題、その6
をもらうという表現がいつ頃はやり出したのか知らないが、他人に力を与える存在になれるのは誰でも嬉しいことだ。



筆者が毎日こうして投稿するエネルギーの源は、かなりの部分習慣となっている、つまりある意味では惰性が大きいかもしれないが、エネルギーを要することであり、何か確たる思いがなければ持続するのは難しい。たまに投稿するならそうでもないが、休みなしに毎日となると、新聞でもやらないことであるから、筆者はよほど力と暇がありあまっているのかもしれない。だが、書くことで自家発電し、それで力を得ているところもある。自分の行動から力を得ているとすれば、これはかなり自己愛が強いことを示しそうだが、完全に自己に閉じてそこでエネルギーの発生と消費を循環させることがどれほど可能かとなると、それは全く不可能と言うべきだ。筆者が書く内容は、美術にしても音楽にしても、あるいは街角を歩いて見かける花にしても、自己を取り巻くものに対しての反応が主で、自己の周囲のものから力をもらっている。これは誰でもみな同じで、改めて言うまでもない。だが、筆者の場合、時には嫌悪の情を巻き起こすものに反応し、それについて書く場合もある。それはマイナスの力に思われがちだが、自分が熱くなってそのことに関して抗議の思いを抱くことが出来るのであれば、嫌悪の情もまたプラスの力と言うことが出来る。ただし、そういう嫌悪の情を読む人が必ずしもみな同調するとは限らず、嫌悪というマイナス部分に嫌悪を抱くこともあろう。そのため、こうしたブログがより大勢の人から歓迎されるには、読み手に嫌悪の情を抱かせないように、書き手がほんわかムードを常に守り、嫌悪や激怒の思いを書かないことに限る。実際そういうブログは少なくないし、それはそれでその人の人柄や思いを伝え、力をもらえると思う読者がそれなりにいる。筆者の知り合いでいわきの江名に住むTさんは、地震から1か月経たない頃に、TVが盛んに地震について報じ、それがいささか食傷気味で、瓦礫の山の映像よりも、もっと明るい話題に触れたいと電話で語った。これは被災者の思いとしてはわかる気がする。以前と同じような美しい映像や楽しい番組に触れることで、現在の厳しい状況を少しでも忘れることが出来るという思いがそこにはあるだろう。それに気づいたTV局はまた震災関連以外の娯楽番組を流すようになったが、そこで難しいのは、その娯楽の向こうに、娯楽を与える人々の被災者に対する同情が含まれているかどうかだ。同情と言えば、少々語弊があるかもしれない。被災者の思いを少しでも自分のこととして考えることが出来るかどうかの思いだ。
●梅雨時の白花三題、その6_d0053294_1143496.jpg 先の話題に結びつけると、筆者がたとえば何かに触れて嫌悪の情を抱き、それをそのままブログにぶつけることは簡単なことで、また筆者はその直情的な行動をさして悪いとも思っていないが、その一方で、そうした嫌悪の情を剥き出しにすることが読み手にどういう心理を与えるかの心配はしている。筆者がどう思われてもかまわないが、相手が嫌悪の情を抱くのは済まない気持ちがある。そして、筆者が嫌悪の情を正直に書くとして、そこには絶対にそんなことをしない人に対する失望が若干含まれてもいる場合があるが、その失望が常に正しい思いとは限らないこともよく知っている。ある大きな出来事が生じた時、それに内心反応はしても、自分の意見をブログに書かない人がいる。そうした人々をひとまとめにして、生ぬるいとか日和見主義とかは一概に言えない。表向き無関心な人もあるが、一部には筆者が熱くなるのと同じほど熱くなっているが、文章にはあえてしないという人もある。そして、そういう人の方が、筆者の直情的な態度より困難な道ではないかとも思うことがある。ただし、それはそういう人が人一倍大きな出来事に対して敏感で、しかもそれに対して何か自分が出来る方法で何らかの形で思いを発することが前提になっている。でなければ、その人はただの無関心な人と何ら変わらない。筆者が言いたいのは、直情の表現は人々の関心を得て、また同調する人を得やすいかもしれないが、それはぐっと我慢してしばらく様子を見、その後自分なりの方法と考えで行動する人より、はるかに浮ついた簡単な方法ではないかという思いだ。だが、こう書きながら、筆者はやはり迷いがある。たとえば先日の山本太郎の原発への抗議は、60年代のロックで育った筆者から見れば大賛成の直情的行動で、多くの人に同調してほしいと思う。とはいえ、筆者はそこまでだ。また一方では、山本太郎の行動に冷淡な人、あるいは内心理解しても意見を発しない人、また内心同調するが今はまだこらえる時期で、先に何らかの方法を取ろうと決めている人などさまざまあるが、山本の事件を知った人はそのどれに自分が近いかをすぐに振り返って思ったはずで、そのことだけ取り上げてみても、山本の行動には大きな意味があったし、やはり直情的に動くべき時はそうすべきであると筆者の思いは傾いている。そして、ネット社会は新聞やTVとは違って、個人が思いを発し、個人にそれを伝えることが出来る点で、直情的な意見発信の最たるもので、それが偏見に満ちたくだらない放言から、自分の生活に根ざした、自分しか発信出来ない思いまで多々あるが、今回のような大地震、津波、原発事故があると、それはもう直情的に行動すべき絶好の機会でもあり、こういう機会を逃していつ、熱く意見を発することがあるのか思う。
●梅雨時の白花三題、その6_d0053294_11432267.jpg

 ところがこう書きながら、先のTさんのように、地震とは関係のない、以前と同じような楽しい話題に接したいという現地の人の思いもあるから、筆者は自分のブログをどういうものにすればいいか、また出来るかという思いを以前より強く抱くようになっている。そして、こうして毎日長文を書くのであるから、走りながらそのことを考えているところがあり、自分が地震に対してどこまで熱くなっているのか、冷淡であるのか、そのこともあまりわからないでいる。Tさんが被災したことで、地震が他人事とは思えないが、京都にいて東北の現実を肌で感じることは出来ない。直情的になったとしても、それがどこまで熱いもので、また現地の人々に何らかのプラスになる効果があるのかどうかもわからない。そんなどこか申し訳ないような気がしながらも、筆者は暇を見つけては検索して江名の情報を手に入れるようにしている。そこで、先日小名浜にある「マリンタワー」を検索していて、「とくさんの四方山話Ⅱ」というブログを見つけた。小名浜在住の人が2005年から書き始めたもので、地震前と後とで、そのブログの話題が一気に変わっていることに気づき、3月に入ってからつい先日のものまで、投稿と意見の書き込みを全部印刷した。そしてそのことを19日の深夜に初めて書き込みをした。小名浜は江名から数キロ南の港町で、観光名所としてマリンタワーが海辺に立っている。江名在住の人のブログがあればいいのだが、江名に近い小名浜でも被災の事情は変わらないであろうし、実際そのブログの書き手の「とくさん」という人の家の状況はTさんの家とほとんど同じようだ。それに、ネットをしないTさんとは違って、被災者が自分の生活を発信するのは、新聞やTVでは得られない生の、そして熱い思いが読み手に伝わる。これこそがネットの力で、こういう人のブログがもっと多く書かれ、もっと多くの人に伝わる必要がある。「とくさん」は花の写真を毎回たくさん載せていることも、筆者が着目する理由となったが、そのことは、「とくさん」のブログが単に直情的な意見発信になることを防いでいるし、おそらくTさんが見ても、そこには地震以前と変わらぬ自然を見て慰められるのではないだろうか。それに、ちょうど筆者も花の写真をいろいろと撮って載せていることでもあって、今日は「とくさんの四方山話Ⅱ」について書いておきたく思い、こんな内容になってしまった。筆者が他人のブログを見るのはきわめて珍しく、こうして言及することは、ほとんど初めてのことではないかと思う。そして、以上まで書いた筆者の思いは、そのブログの地震直前から現在までの書き込みの微妙な変化を読んでいただくと理解出来ると思う。この微妙な変化の推移は見守るべき価値がある。
●梅雨時の白花三題、その6_d0053294_11434311.jpg さて、今日も梅雨時の白い花の写真を3枚掲げるが、昨日の3枚目は、自信はないがヘリオトロープの園芸種のひとつではないだろうか。白花のすぐ隣に紫色のものが咲いていた。また正しい名前がわかれば書きたい。今日の最初の2枚は昨日撮ったものだ。最初の1枚は「つぶろぐ」で先日俳句を書いた花菖蒲で、10数種の色合いのものが散歩道沿いの畑に豪華に植わっている。もう枯れ気味だが、白いものが4本あって、そのうちの2本がまとまって咲いているのをズーム最大にして撮った。花びらが半透明になっていて、枯れる寸前であることがわかる。19日は家内と大阪に出たが、また出かけるのが遅くなって午後2時になってしまった。午前中であれば、淀川沿いの城北公園の菖蒲園に家内を連れて行ってやりたかったが、もう花の盛りは終わっていたかもしれない。この菖蒲で有名な公園には昔1日費やして写生に出かけたことがある。その帰りに淀川に架かる橋を徒歩でわたって、Nの設計事務所まで行き、夜は梅田で飲んだ。家内は酒が全く飲めないので、つい外出しても筆者はビールを注文することがない。そう言えば酒の味がわかる女とじっくり飲んだ経験が筆者にはない。悪酔いした女の姿は最低で、そんな光景を見たくないこともあって、筆者は酒を飲む場所に女がいることを好まない。2枚目の写真はムーギョ・モンガへの途上、もうほとんど買わなくなった別のスーパーの際にあるプランターに咲くベゴニアだ。バス道の向かい側、遠目に白い花があることに気づき、ムーギョ・モンガで買い物をした帰りに立ち寄って撮った。実は19日に大阪に出た時にも同じ花の写真を撮ったが、昨日の方が豪華であったので、写真を取り替えて投稿する。好きな花でもないが、よく見れば面白い形をしている。3枚目は大阪で撮った。家内と大阪に出ると、帰りはいつも天神橋筋商店街を歩き、スーパー玉出で買い物をする。商店街で何か食べて帰ることもあるが、ふたりで買い物を両手いっぱいにして、そのまま阪急電車に乗って帰ると1時間を要さずに自宅に着く。これならムーギョ・モンガまで徒歩で買い物に行くより早い。つまり、スーパー玉出はわが家のすぐ近くという感覚だ。このスーパーの真正面に花屋がある。その店の商店街に面して、スーパーに一番近いところに2種の白い花束が売られていた。今日はその1種の写真を掲げる。店主に黙って撮ったので、本当はまずいが、店の人の姿は店内になかった。花の名前が書かれた札を見ると、「ウメナデシコ」とある。こんな品種のナデシコは初めて見た。実は近所で普通のナデシコの白花の写真を撮って用意してあるが、あまりいい写真ではないので、掲載をためらっている。そんな時にこのナデシコらしからぬナデシコに遭遇した。だが、小さな丸い花弁はそれなりにかわいらしくていい。ある意味では現在の日本の女の子のかわいいブームを象徴している。ナデシコ特有の尖った花弁でない点が、「わたしは無害で無抵抗ですよ」と語っているようで、そういう存在が好ましいと日本は自己規制し続けて来たところがある。直情的な存在は否定され、黙って上の言うことは聞いていればいいのだという思いが人々の中に巣食っている。力、力、力、それをいつ発揮するのだ?
by uuuzen | 2011-06-21 11:50 | ●新・嵐山だより
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