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●女は男の奴隷か
と女の関係に関する番組が昨夜のNHKにふたつあって、ふたつとも仕事しながらラジカセで聴いた。ラジカセでTVの音だけ聴くようになったのは最近のことだ。



先日まで3階で友禅の仕事をしていた関係で、WINDOWS98のパソコンを3階の仕事机の上に置き、それを使って最近はこのブログも書くようになった。キーボードが1階のものとは違ってキーが叩きやすい。ほんの少しだが、打つ速度も早く感じる。どうでもいいことだが、1階のWINDOWS95にもいいところがって、ヤフー・メールの反応は早い。とても不思議なことだが、何でもかんでも98が95より優れているとは限らず、そのこともあって1階にこの98を代わりに置く気になれない。それにプリンターは95でしか使えないタイプで、どうしても95がメインになる。さて、今日は何を書こうかと思いながら、またどのカテゴリーに投稿すべきか今も迷っているが、駅前の写真を掲げながら、それとは何の関係もないことをいつも書いているので、今日もそのカテゴリーにしようかと思いながら、昨日のように別の題名を立てた方がいいかなとも考える。それについては、書きたいことを最後まで書いてからにするとして、その書きたいことも、昨夜のふたつの番組に絡めてのことにするつもりでいながら、どういう結論になるかわからない。それはさておいて、話が戻るが、NHKのTV番組をラジカセで音だけ聴いていると、画面を見ていないので比較のしようがないが、昨日書いた秀吉の手紙に関する番組は以前に映像を見ていたこともあってか、再放送は音だけで充分であった。そこで思うが、NHKはあえてTV番組を音だけでも内容がわかるように工夫しているのではないか。実際昨夜のふたつの番組のうち後者は、登場人物の顔を知っているだけに、音だけで充分、むしろ映像がない方がよかった。その後者は、東京の漫才師が上野千鶴子と女性学について話すもので、筆者はこの漫才師が大嫌いで、また上野にもさっぱり女性を感じないので、ラジカセを消してステレオで音楽を聴こうかと思ったが、立って操作をするのが面倒でそのまま番組を聞いた。もうひとつの番組は「修羅場!決戦の妻たち」と題し、戦国時代の後妻が新しく妻になった女性に復讐する話だ。これは女性の問題として当時の男は立ち入ることが出来ず、風習として認められていたと言う。番組の最後で、後妻は、溜まったうっぷんをかつての旦那が新しく迎えた妻にぶちまけることは、かつての旦那に復讐するわけにも行かないためだと語る。、そこに当時の女性が置かれていた立場が見える。つまり、男社会で、男には反抗出来ない思いを女性の間で消化するしかなかった。それから4、500年経って日本の男女の関係がどう変わったのかそうでないかの一端が、漫才師対上野の番組だ。これは上野がかなりたじたじとなるほどに、漫才師が男の本音を語り、またいかにも言葉を発することで生きている芸人らしく、その勢いで上野をやり込めていた部分があった。
 上野は筆者より3歳年長だ。著作は多く、筆者も何冊か古書で買って持っているが、まともに読んだことがない。と、こう書けば筆者がどれほど上野を尊敬しているかそうでないかがわかると思う。昨夜語っていたが、上野は40年間、女性学をやっているらしい。そして、そのことでたとえばセクシャル・ハラスメントという言葉が一般化したように、日本の女性の地位が変わったと言う。それは確かだ。だが、上野がセクシャル・ハラスメントの言葉を作ったのではないし、こうした女性の地位改善に関する学問は、ウーマン・リブが起こったアメリカが主導した。筆者が最初に女性の地位向上に尽力した人物と思うのは、ヨーコ・オノだ。ジョン・レノンとヨーコが作った2枚組アルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク』は1972年の発売だが、収録曲はみな社会に対するメッセージが強く込められ、ジョンのアルバムでは最もアグレッシヴなものとなっている。そしてアルバム中、最も論議を沸き起こし、また有名になった曲は「Woman Is The Nigger Of The World
(女は世界の奴隷か)」だ。これはヨーコの考えがそのままジョンに伝わり、ジョンが書いて歌った。ジョンはその後、アメリカに住み、しかも主夫となって子育てに専念、曲作りを放棄するまでになるが、当時そのことに不快感を示した日本の有名人もいた。男が女の真似をしてどうするといった論調だ。アメリカにも同じ意見はあったろう。だが、ジョンは意に介さず、主夫業を楽しんだ。そこには男が女より優秀という考えはなかった。だが、ジョンが最初からそうであったわけではない。ヨーコがゆっくりと教えたのだ。そしてジョンはそれをもっともだと思った。また、ジョンがショーンをそのように育てることが出来たのは、その早過ぎる死からすれば、本当によかった。また、ヨーコが子育てを放棄したのではなく、マネーを動かすのはヨーコの方がはるかに上手で、ジョンはそうしたビジネスはヨーコにやってもらった方がよかった。得意とすることをそのように分担してやるのが夫婦だ。その得意とすることは世間一般からいくら外れてもよい。前に書いたように、筆者はいつも家にいて、家内が外で働いている。それは普通の夫婦からすればおかしな姿だろう。話を戻して、「女は世界の奴隷か」という題名は、女はいつどの国においても男の奴隷のようにこきつかわれて来ているという思いが込められている。簡単に言えば男尊女卑だ。そして、それを止めろということだ。そういうことをジョン・レノンが歌うのであるから、これは世界に向けてのメッセージとしてはとても効き目がある。この曲について上野は当時知っていたか。女性学を40年したとすれば、ちょうどこの曲が世に出た当時にそれを始めたことになるが、上野の経歴を見れば著書が出るのは80年代に入ってからで、また72年当時は女性に的を絞った研究はしていなかったのではないか。それはどうでもいいことのようだが、筆者は遅くてもこの72年、つまり21歳でフェミニズムを意識したから、そのずっと後に有名になって来た上野の行動は少しも新しいものに見えなかった。もっと言えば、ジョンやヨーコが用意したレールを走っただけで、またジョンとヨーコ以上の何かを成し遂げたとも思えない。もちろん、女性の権利などに対しての世間の意識は深まったが、それは時代の推移に伴なう賛同者の増加、そしてそれに絡んで政治家が動いたからであって、上野ひとりが旗手になって健闘したことではない。
●女は男の奴隷か_d0053294_16312943.jpg

 昨夜の番組で一番面白かったのは、漫才師が上野に向かって、いったい何が言いたいのかと詰め寄ったところだ。その時、ラジオではなおさらわかったが、一瞬上野がたじろぎ、即答がなかった。ここがなぜ面白いかだが、上野は学者として自分でも頭のよさを認めているのに、それを一介の漫才師がやり込めたからだ。上野が以前書いていたが、日本で一番頭がいいのは誰それとある学者名を挙げていた。それを読んだ時、正直な話、「この女、本当に馬鹿じゃなかろか」と思った。上野が崇拝あるいは尊敬、あるいは一目置くその学者もまた筆者は大嫌いで、上野が頭がよいということをどういう基準で使っているのか知らないが、自分の賢さを言外にほのめかしたいためにその学者を誉め上げたところがあって、その書き方のいやらしさと言おうか、簡単に言えば、ま、小学校の時に真っ先にいじめに遭うタイプに思えた。本当に賢い女は絶対に自分のことを賢いと言わず、またその素振りも見せない。そして、そういう態度を感じる男はその女を本当に賢い、また女性の鑑だと思うのであって、学者ぶりを自慢するような女は、女の中でもほとんど最低の部類だ。そして、昨夜は漫才師という、いわば世間では人を笑わせて何ぼで、頭が学者よりは賢くないと思われている人種が、自分を賢いと思う女学者をやり込めるのであるから、世間一般では大いに受けた番組ではなかったか。それはさておき、上野は議論の出来ない男をオナニーしておけばいいと語ったが、それを言うのであれば学者はもっとそうだ。ほとんど何の役にも立たない議論に時間を費やすこともオナニーと同じではないか。むしろ、大学から給料をもらうだけになおさら始末が悪い。筆者が言いたいのはこうだ。つまり、ジョンが歌った曲「女は世界の奴隷だ」のように、もっと端的に言いたいことを表現し、もっと人を楽しませ、もっと人々の記憶に残るような方法で意見することが出来ないものか。上野が漫才師と番組で話して、お互いどれだけ得るものがあったのかわからないが、番組に接した者からすればやはり時間の無駄で、ステレオで音楽を聴いた方がよかった。上野が40年間行動したことで日本の女性の地位が向上したとすればそれはとても喜ぶべきことだが、上野がいなくても時代はそのように流れて来たように思えるし、また一方では女性が女性であることを最大の武器にして男を支配下に置くという図式も巧妙に現われて来た気もするし、女の地位向上だけを云々することでもないように思う。たとえば先に書いた戦国時代の後妻の行動は、男社会であったという理由のほかに、男が戦国時代でとかく武術が欠かせなかったという理由もあるだろう。上野に言わせると、男と女の違いはそう育てられて来たことによる差でしかないが、それは極論で、男が凸、女が凹の性器を持っていること自体、体が違うし、そこから物事の考えも異なる。だが、こういうことを書くと、性同一性障害者がいるように、性器の違いで男女は決められないと理屈を言う者がある。何にでも例外はあるのはあたりまえで、そんな例外を持ち出してそれを普遍的な事柄と同等に置くのでは議論は進まない。
 話をまた戻すが、上野の言う日本で一番賢い男が上野好みの学者であるとして、そんな見方で男を見るのは、上野にもある意味ではごく普通の女の男に対する感覚があることを示す。上野は学者が好きであってもそれは当人の勝手で、そうでない女性もたくさんいるから、全体として均衡が保たれている。だが、もう一度言えば、賢いのは筆者も好きで、女性にそれを求めもするが、その場合の賢いは、学者であるという意味では全くなく、有名大学を出ている必要もない。賢いの意味はさまざまに使われる。また人によっても思いが異なる。筆者が別の言葉で言うならば、鋭いか鈍いの差だ。勉強がよく出来てもさっぱり鈍い人はいるし、学校での勉強は大嫌いであったが、鋭い人はいる。そういう意味からすれば、学者になる、なりたいような人は、たいてい鈍い。鈍いので、大学に囲われるような存在になりたがる。また、鈍いからこそ自分が賢いと暗示にかけ、上野のように、日本で一番賢い男は誰それといった文章が書ける。筆者なら全く恥ずかしくて、仮にそう思う人があっても絶対に書く気にはなれない。そう思うからなおさら、上野が恥知らずで、また鈍い女と思ったのだが、もちろんこういう考えは人さまざまで、上野崇拝者からすれば「何を無学者がほざく」と言うだろう。上野に感化された大阪のある女性タレントがいる。昔はよくTVに出ていたが、上野に出会って崇拝するようになり、確か本も出した。ところが昔は魅力を感じていたその女性は、さっぱりそれがなくなった。たまにTVに出てもあらく理屈っぽいと言おうか、心に重い鎧をつけたようで、本人はそれを上野先生から教えられたと言うのであろうが、何か勘違いしているように見える。本人がそれでいいのであるから何も文句はないが、上野に接近しなけれなもっと素直でいい女性であったのに、そのよき部分が消えたことを本人が自覚しないとすれば、はやり元から鈍かった女性で、そうなるのも仕方がない。また、その女性が以前とはがらりと性格が変わったことによって、男にあまり持てなくなったとしても、本人はそうは思わず、今までつまらない男ばかり交際して来たと思うのだろう。女性の権利向上の旗印を掲げてそのように行動するのは勝手だが、女秀吉のような存在になりたいのでなければ、もっと素直に女の喜びや魅力について考える方がいい。ところがこういう意見こそ、上野に言わせれば徹底して叩こうというものだろう。
 男も女もお互い自分にぴったりの異性を見つけることは人生にそう何度も機会が訪れない。そのため、男はいかにして女に持てるか、また女はいかにして男を自分だけに見つめさせるかに格闘する。そこでは、鈍いあるいは鋭いなりに行動に違いがあり、またその差に応じて出会う相手の質も異なる。ここで断っておくと、筆者は鈍い男や女が嫌いではない。それも魅力であり得る。いや、変に鋭くてずる賢く立ち回るのよりかははるかにいい。鈍いは純朴で、鋭いは狡猾の言い換えでもある。そのため、筆者は賢くて鈍い女がいい。昔、女遊びをさんざんやった人が語っていた。「女は多少ぼーっとしている方がかわいい。」 これは昔の男によくあるタイプだろうが、その考えが男尊女卑として絶対否定されるべきものとは思えない。男はとにかく仕事においては戦場であり、そこを離れた場所にたたずむ女に安らぎを求めるのはごく当然のことだ。そういう時にぼーっとした女の方が気が休まるのは事実だろう。そして、女はそのようにして男を元気づけ、また男も頑張るのであれば何の問題でもないではないか。女がぼーっとした笑顔で男を待ってくれているのであれば、男は眉間の皺も減らしてそこに急いで駆けつける。そこには男と女の相変わらずの深い溝が横たわっているかもしれないが、一時でも両者が結ばれて愉悦がそこに生じるのであれば、それこそが男も女もそうとして生まれて来た甲斐がある。昨夜の番組で言っていたが、男は、まず男に惚れられるような存在になることを目指し、そうなった時点で自動的に女には不自由しなくなると思っているとあった。そしてその男社会での男の成功の最たるものは金で、結局金があれば女は不自由しないということらしい。この意見を筆者は自分に当てはめてみて、さっぱり自分が女性に持てず、男社会からの脱落者に思えたが、そんな筆者でもそれなりに女性との出会いはあったから、評論家の一般論など、無責任の放言と思えばいい。先の番組の漫才師は学生の頃にはさっぱり目立たなかったらしいが、その様子は今の姿を見ているとよくわかる。またそういう人間が得てして芸能界に入るし、学者も同じようなところがあるだろう。そう言えば山口もえの旦那が逮捕されたが、山口は賢くてぼーっとしたタイプで、あんな旦那をつかんだのだろう。男を見る目がなかったのだが、芸能界にはそういう女性は多いように思える。筆者がTVを見ていて、好感を持つ女性の代表は昔からNHKの「クローズアップ現代」の国谷裕子さんだが、いつか会えないかな。で、やはり今日は駅前シリーズでの投稿はやめておこう。
by uuuzen | 2011-06-10 16:07 | ●新・嵐山だより
●思い出の手紙 >> << ●女は男の奴隷か、アゲイン

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