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●思い出の手紙
吉の手紙が人を動かしたというテーマのNHKの番組が昨日再放送された。以前はTVで見たが、今回は仕事しながら3階のラジカセで音だけ聴いた。



秀吉は生涯に1万通ほど手紙を書いたらしい。代筆が多かったが、ここぞという時には自筆にし、そのことで相手を感動させて味方につけたらしい。文章が巧みで、また憎めない性格であったから大勢の男が魅せられ、そして天下を取ることが出来たのだろう。人間的魅力と言えばいいか、そういうものがなければ、腕ずくだけではやがて造反組が増える。番組では秀吉の筆跡を批評していた。字が連綿とつながっていて、思いが次々と湧き、手がそれに追いつかない感じが伝わると言っていた。それは筆者も同じで、こうしてパソコンのキーを叩いていると、思考速度とのずれがあって、昔よく手紙を書いていた時と微妙に感じが違う。それで、先日は鳥博士さんに初めての手紙を書いたが、勘が戻らず、またいつも以上の悪筆となった。物事を長らく中断すると、こんな状態になるのかと実感した。何でも継続せねば、ひどい状態になるのは早い。原発事故で避難をよぎなくされている人たちが一時帰宅し、このまま長い間家に帰れないと、家が朽ち果てると語っていた。住みながら、家の中に風を通し、また悪くなる箇所は修理もするから、家は人が住まねば朽ちるのは早いとよく言われる。これと同じことは人間のあらゆる部分でも同じで、使わないものは不用となって、衰えるのは自然なことだ。だが、使わなくなることにもいろいろと理由がある。筆者が手紙を書かなくなったのは、書く相手がいないことに加えて、今はメールでさっさと用件だけで済ますことが出来るからだ。これなら手紙のような労力は不用、また切手代もかからず、ただちに相手に届く。であるから、秀吉が現在に生きていると、1万通も手紙を書かなかったに違いない。いつの時代でも人は便利さを手に入れるが、代わりに失うものもあって、それを天秤にかけながら、どっちを取るか判断する。ところが、時代の趨勢があるから、そう昔の形だけにこだわることが出来ない場合もある。これは筆者の知人の母親が昔TVのドキュメンタリー番組に出た時のことだが、その女性は昔を懐かしみ、涙しながら手回しの蓄音機を奏でる場面があった。それを見ながら、えらく古いものを使っているなと思い、今なら同じ音楽をLPで聴くことが出来るし、またカセットに録音してウォークマンで楽しむことも出来ると思った。だが、時代はどんどん進んで、もうLPやカセットを知らない若い世代がある。そこでまたその昔見た場面を思い出すと、その女性にとっては、手回しの蓄音機時代の思い出が鮮烈なのであって、いくら便利な時代になったからと言って、その蓄音機を笑えない。たとえばの話、筆者がLPを聴いて感動して涙するなどと書くと、今の若者はえらく老いた爺だなと思うに決まっている。実際そのとおりだが、そう言う若者も確実に老いるから、やがて若者から同じようにあしらわれる。それはいいとして、その蓄音機で音楽を聴きながら涙していた姿を筆者はよく覚えていて、どういうことを思い出して泣いていたかについては興味はなく、ただ音楽を聴いて過去の何かを思い出して感慨にふける姿には全く同感出来るし、またその過去の何かは、過去にそのまま結びついた道具が欠かせない現実を思う。
 今回の地震と津波で家ごと一切合財を持って行かれた人たちが、何か過去の懐かしい記憶のよすがとなるものを探し続け、泥で汚れた写真を見つける姿がTVでよく紹介される。先に書いた原発の避難者も同じで、1時間かそこらの許された滞在の中で、アルバムを持って出たという人が少なくない。幸福だった頃の記憶を思い出すには、写真が一番なのだ。その写真は他人には無価値だが、当人にとってはなくてはならないもので、たった一枚の写真でも、それがあるのとないのとでは大違いなのだ。先の秀吉の手紙についての番組では、ねねが秀吉の手紙をきれいな箱に入れて身近に置いて大切に保存していたというエピソードで締めくくられた。人を思い出すよすがとなる最たるものは、写真がまだなかった、あるいは珍しかった時代、手紙であった。その手紙の大切さは今でも同じで、写真があるに越したことはないが、手紙はまた別の味わいがある。その伝で言えば、今の電子メールもまたそれなりの価値があって、メールをくれた人が亡くなった時には、ケータイやパソコンに保存している過去のメールを見て涙するという人もきっとあるだろう。だが、そこには自筆の手紙ほどの豊富な情報はない。電子本がいくらもてはやされる時代になっても、紙に印刷された本はおそらく絶対になくならない。それは持ち運びが便利ということだけではなく、造本その他、本に書かれていること以外に時代を象徴する多くのものが詰め込まれているからだ。その多くのものを、たった1枚の写真からでも人は感じ取ろうとするからこそ、津波に襲われた家の跡からアルバムを探そうとする。それはいくらお金があっても買えないもので、自分が生きて来た証拠、そしてこれからまた生きて行くためになくてはならないお守りのようなものだ。だが、そういう写真はその関係者が亡くなると、他人にはほぼ無価値で、誰に愛されることもなく世間を漂う。それを思うと、大切にして来た写真は、自分が生きている間に処分した方がいいのかと思わないでもない。自分がなくなった後、誰かの目に触れ、何の感動も与えぬままゴミ同然に扱われることを思うと、まだ自ら処分した方が写真に写る人物にとっても幸福ではないだろうか。そう思うと写真ははかないものだ。そんな持ち主やありがたがられる存在を失った古い写真は、弘法さんや天神さんの縁日の露店ではいつも見つけることが出来る。そこに写る亡霊もいつかは筆者のように考え、また誰かを好きになり、また愛する人と別れるなりして涙したことがある。だが、見知らぬそんな人に注目する人はまずいない。写真はそう考えると、不思議なものだ。有名人でない限り、誰からも見向きもされない。昔、新潮社が『FOCUS』という写真週刊誌を出していた頃、そこにヴェトナムかどこか、東南アジアの上流社会の人々を撮った何枚もの写真が、戦禍の瓦礫に見出され、ぼろぼろの状態になったものが載った。人々の幸福な笑顔、美しい部屋に美しい衣服、それらが泥にまみれて遠い過去のものになっている。だが、かつてその華麗な生活は確かにあって、人々は喜んで写真に収まった。写真とは何と悲しく、残酷なものだろう。撮った瞬間からそれはどんどん現実から遠ざかる。
 筆者は息子のアルバムを小学校在学中までは1年で1冊の割合できれいに整理した。そのことに息子はほとんど関心がなく、また息子も自己主張が大きくなって来たところで、アルバムのページが増える楽しみを忘れるようにした。そこで思い出すのは、子どもの成長を楽しみにしてアルバムをせっせと増やすのは、全く親の勝手な楽しみで、子どもは迷惑とまでは言わずとも、そのことを案外冷淡に思っているのではないかということだ。そのことについて、友人Fから昔聞いたことがある。Fの父親はNHKの技術畑の人で、昭和30年代初期に長男のFを8ミリ・フィルムでよく撮影するなど、とにかくFの子どもの時代の映像記録は当時の平均的な同世代に比べて格段に多いそうだ。ところが、そのことをFはありがたがらないどころか、嫌悪している部分が大きかった。親は子どもがかわいいからそんな記録を溜め込む。そのことはわが子に対する愛情表現で、それは全く非難されるべきことではないはずなのに、Fにすれば親は子をだしにして楽しんでいただけという思いらしい。そこには、Fが長じてからの父親との葛藤がかなり強く横たわっているためと思わせられたが、それを割り引いても、Fの言うことは多少は理解出来る気がした。そしてまた、親というものは、子のことを思ってそんなアルバム整理をするのは当然でも、そこにはわが子を新しい玩具か何かのように思っているふしがないではないところがある気がする。その猫かわいがりは、子どもが成長するにしたがって、普通は減少するし、実際筆者は息子が中学に入った時点でもう写真をほとんど撮らなくなり、アルバム作りもやめた。そして、その変化を息子はどう思っているか、また今後父親になるとして、その時にどう思うことだろうか。どうやら親がわが子をかわいがり、その方法のひとつとして写真を撮ることはどんな親でも行なう本能のようだが、写真のまだ浅い歴史を考えると、せっせと写真を撮ってアルバム整理をすることは、さほど本能とは言えず、やはりFの言うように、親の勝手に過ぎないものかと思う。であるから、親は子どもに写真を撮ってあげたとか、アルバムをしっかり整理しておいてあげたなどと絶対に言わない方がいい。むしろ、撮らしてもらった、整理させてもらったという、感謝の念を抱くべきだ。それほどに子どもがごく小さな頃は、無条件に親の顔をほころばせる存在なのだ。そんな小さな子が今回の地震で大勢亡くなり、昨夜は1か月後に小学校に入学するという娘を亡くした若い母親がTVに出ていた。その母親の半分理性を失ったような現在の日常を見ていると、無条件に親の顔をほころばせる存在が、ある日急に消えた衝撃のあまりの大きさに、全く言葉が出ない。その母親は娘の遺体があった場所に連日赴き、瓦礫の下から娘が使っていた、半分黒焦げになったクレヨンや靴を見つけ、そのことでようやく気分を落ち着かせる思いにもなれたようだ。それほどに本人の思い出すためのよすがになるモノというのは大きな意味がある。そして、そういうモノの中では書かれたものが一番で、その母親は、幼稚園で習った字でノートに書かれた母親宛ての文章を最近見つけ、それがこれから生きて行くうえでの一番の宝物になるように感じているらしいことが画面からよく伝わった。
 筆者は昔から文字を書くことがあまり苦にならず、20歳を越えてからは盛んに手紙を書くようになった。その一番大きなきっかけは、母の手紙だ。母は筆者が幼い頃から、遠くにいる父に頻繁に手紙を書いていた。その筆跡や切手、封筒の状態をよく覚えている。母は幼いよちよち歩きの筆者を連れてよく近くの郵便局に行った。その郵便局はとっくの昔になくなったが、筆者はその内部の空気、切手を売っていたおばさんやおじさんを覚えている。3、4歳頃の記憶だ。親から教えられたわけではなく、親の行動がそのまま子に大きな影響を与える例をそこに見る。母はまさか筆者が長じてたくさんの手紙を書くことは予想していなかったろうが、親の行動のいかに些細とも思える部分が、いかに子どもの生涯に決定的とも言える影響を与えることかと思う。子どもは意見を発することが出来ない分、なおさら親の行動、身の回りのちょっとした変化に全身で反応する。子どもに学習塾やお稽古事に通わせる親は今なお大勢いるが、そうした親はとても安易な考えである場合が多く、子どもも拷問にかけているのも同然と思うことがしばしばだ。親は自分がやらないことを、文句を言えない子に対して、お金を支払って他人から教えてもらおうとする。お金を使えば自動的に子どもに何か人並み以上の能力がつくと信じているとすれば、そんな無責任で愚かなことはない。重要なことは、親がまず子ども以上に楽しんで学ぶことで、そういう姿を見れば子どもは自然と関心を持つ。だが、たいていの親はそんな面倒なお勉強を進んでやるはずがない。そんな状態でどうして子どもが親の言うとおり、また望むとおりの才能を身につけるだろう。少なくとも筆者の周りには、そんな才能をわずかでも身につけた者は皆無だ。それどころか、逆に作用して、かつて学んだ英語やお絵描き、お習字その他もろもろすべてが当人の嫌悪の対象になっている。全く子どもは親の勝手な思い込みでえらく迷惑をする。それが当然で、大多数の子どもがそのように平凡な親の思い込みで平凡な大人に育てられる。それでいいのだ。非凡が幸福とは限らない。また非凡な人はだいたい非凡な人と付き合って行くものであるから、その中で自分をさほど非凡とも思わない。能力や境遇、性格に応じた人生が各人にあるだけの話で、子ども頃にたくさんのお稽古事をしたけれど、それがさっぱり身につかなかったという者はやはり同じような者と出会って、その中で幸福に生きて行く。何も問題はないわけだ。秀吉のように無類の手紙魔になる必要もなければ、筆者のように毎日このような長文を書く、あるいは読むこともない。それを知るだけに、なおさら筆者は自分の行為を全面的に理解してもらえる相手を欲しているところがあるのだろう。そんな人がある、あるいはかつてあったとして、筆者もまた古い手回しの蓄音機をかけながら涙する女性の年齢に近づいて来た昨今、昔書いた大量の手紙がどのように相手に保存され、あるいは処分されるのか、ふとそんなことを考え、筆者の手元にある封書の同じような大量の束をどうしたものかと思うことがある。生きている間は、ねねのように身近に置きたいが、さりとてそれが残って誰かが読むとなると、聖なるものが汚されるようでいやだ。母がかつて書いた手紙はもうどこにも残っておらず、母と筆者の記憶にしかないが、それもまたいずれ消えるから、昨日も書いたように、生きてこうして書いていることが人生の花で、まだ当分は、また書ける間はこうして書きたいと思う。ちょうど書き終わった今、鳥博士さんから返事が届いた。メールでやり取りしているのに、時にはこんな封書を交わすのも、親しみがなおさら感じることが出来ていいものだ。
●思い出の手紙_d0053294_12391190.jpg

by uuuzen | 2011-06-09 12:39 | ●新・嵐山だより
●嵐山駅前の変化、その110(... >> << ●女は男の奴隷か

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