稼ぐために都会まで出なければならない人たちがあることを昔小学校の社会の授業で習った時、東北地方の男は大変だなと思った。
筆者は母子家庭で、母が父親の役割も担当していたが、都会であるので毎日夕方になると仕事から帰って来るし、それがあたりまえのように思っていた。ところが田舎は農閑期になるとさして仕事もなく、それでいて現金収入は必要であるので、都会に出稼ぎに出ねばならない。今朝ネット・ニュースを見ると、青森の知事選で原発推進派が勝利したことを伝えていた。住民は、原発はどうせ誰が知事になっても出来るし、また原発が出来たお陰で出稼ぎに行かなくてよくなったので、原発を今後も建設することを認めないわけに行かないとの思いでいる。これと同じことが、福島原発が建った時にも地元住民にはあったはずで、仕事がないことに電力会社につけこまれた形だ。原発が100パーセント安全なら、なぜ遠く離れた過疎地に原発を造るか。誰が考えてもわかることであり、早い話が貧しい地域の人々に札束で面を叩いて原発を造ったし、今もこれからもそうだ。それでも背に腹は代えられない思いが地元住民の大勢を占め、青森ではプルトニウムを抽出して核爆弾製造の足がかりになるような施設が造られた。大丈夫だと言うのは推進派のお題目だ。それで自己暗示にもかけているおめでたい連中だ。言いかえれば無責任。事故があってもそれは予想外でしたのひとことで済む。学者はとにかく気楽な商売なのだ。昨夜福島原発の事故の特集をNHKでやっているのを見たが、地震直後、学者は、「全く安全で、まさかメルトダウンをしているとは思わなかった、あの時点では誰も水素爆発が予測出来なかった」と笑顔を語っていた。それを聞いて唖然とした人は少なくないだろう。そして、「11日以降のことを消せるのであればどれだけいいか」とも何度か語っていたが、これを聞いて、よくもまあ学者面しているなと正直思った。その学者に菅総理は、「水素爆発の怖れはないのか」と強くただしたところ、学者は「絶対にあり得ない」と返答したが、原発の素人の菅総理の方が日本を代表する原発学者より危険に対する認識が常識的かつ的確で、学者の無能力が晒された。ま、地震直後のこのブログに、地震学者が学者の中でも最ものんきで気楽で、無責任はなはだしいとはさんざん書いたので繰り返しはなるべく避けたいが、昨夜の番組を見ていると、地震大国の日本であるのに、原発学者にその認識がほとんどゼロであることを改めて思い知らされ、ああいった学者はどこの組織のちょうちん持ちをして、いい生活を支えるのに必要な収入を得ているのかと思う。それに、原発が出来ると地元の人々が出稼ぎに行かなくて済むといった、ほとんど自分を慈悲深い人間とも考えているはずで、全く東北の人々は都会人からつごうのいいように扱われている。江戸時代に冷害があった時、娘を身売りさせねばならなかったことが、現在もただ大規模かつもっと巧妙に仕組まれているだけのことだ。今回の福島原発の事故にしても、大勢の人々が収束のために日夜働いているが、大多数は地元で雇われた、つまり出稼ぎに行かずに済んでよかったと思った人々やその息子たちで、東京電力の本社社員で地位の高い者は東京で指示を出すか、あるいは原発に留まっても、「もう手に負えないからみんな逃げ出していいか」と菅総理に連絡したことを昨夜のNHKの番組で見て知った。太平洋戦争の時、沈む戦艦に船長は残って運命をともにした。そういう考えは今の会社の代表者には毛頭ない。それでいて自分たちをサムライと称しているのであるから笑える。いつでもすぐに命を投げ出す覚悟のある者がサムライだが、事があると自分だけぬくぬくとしたところにいたり、真っ先に逃げ出すことを考えるでは、サムライの精神もえらく落ちたものだ。サムライを言えば、福島原発に雇われた地元の人々だ。その人たちが、どうにかせねばと被爆を気にしながらも頑張っている。

筆者は見ていないが、先日の朝のTVで、福島原発の初代の副社長が90何歳かで出ていて、福島原発がすべてアメリカが設計してそのまま建てたことを述懐していたそうだ。その時、津波の恐れがあるので、電源設備を海側ではなく、もっと高台に設置すべきと東京電力の関係者は思ったそうだが、何せ今以上にアメリカさまさまの時代であったから、文句を言えず、黙認した。だが、この話、少しおかしいのではないかと思うのは、それから半世紀近く経っているし、その間に権利を委ねられた東京電力が電力設備の位置を自分たちがいいと思える場所に移動出来なかったのかという疑問だ。それくらいはいくらアメリカに設計してもらったものとして、やろうと思えば出来る。それをしなかったのは、地震や津波を侮っていたからで、そこには地震学者が絡んでいる。それにそうした移設工事のよぶんな経費をかけたくなった思いが電力会社にきっとあった。使うべき金を使わず、そうした金が経営陣の懐に入って、愛人を囲うのに流れたというのがせいぜいのところだ。ま、それも金は天下の回りものと考えればいいのかもしれない。青森の原発推進に話を戻すと、福島がだめなら青森と、いくらでも東北には誘致する県や自治体があるということなのだが、今回の原発事故を見ていると、福島だけの問題ではなく、国の今後の命運を左右する大事故であるだけに、青森の人々が出稼ぎに行かずとも済むので、原発は本当はいいと思わないにしろ、当面は仕方なく、受け入れるほかないと考えることは、自分たちのことしか考えないエゴとみなされても仕方のないところがある。だが、その前にもちろん国や電力会社のエゴがある。エコな生活には原発が一番と謳い文句を掲げながら、実際は誘致させる側もする側もエゴの塊で、早い話が当面どのようにして銭を得るかだ。生きて行くのにどんな片田舎でも銭が必要なのだ。みんなそれを求めてあくせくにアクセスしてサクセスを時に夢見る。で、言いたいのは、原発はある特定地域の問題ではなく、今回の福島の例からわかるように、世界中に放射能を撒き散らし、地球規模で物事を考えねばならない、えらくはた迷惑な電力供給方法であって、それを世界でも最も地震が多発する日本が人口や面積で言えばアメリカ以上にたくさんあちこちよくもまあ建てて来たなという実感だ。そこに地震学者や原発学者の無責任ぶりがよく出ている。こんな話、どうせ彼らには届かないし、届いても何を素人が言うに決まっているが、裸の王様の例にあるように、地震、原発学者は猛反省をして、別のエネルギーを探すことにも精出すべきだろう。だが、それはまた別の学者がちゃんといるので、一旦得た地位にしがみつき、とにかく今回のようなどんな大災害があっても、また同じようにどこかに原発を造って、学者は相変わらず安泰だ。

福島原発が津波の後、早々にメルトダウンを起こしていたことが明らかになった。地震直後の2、3週間、仕事をほんとどせずにTVにしがみついていた筆者は、NHKで毎夜解説するふたりの言うことが全く的外れであったことを今さらにわかって、歯ぎしりする思いだ。「チェルノブイリとは違ってメルトダウンは起こしておらず、レベル6はちょっと過大過ぎる」などとさんざん語っていたのは、情報不足とはいえ、いかに無責任な脳天気ぶりであったかがわかる。チェルノブイリは1基だけであったのが、福島は3基もメルトダウンして、完全にチェルノブイリを凌駕し、世界で最もひどい原発事故となった。そして、アメリカが事故直後、半径80キロにいるアメリカ人を退避させたのは、メルトダウンのことを予想したからだろう。何も知らされなかったのは地元住民で、早い話が、これも地震後にこのブログに書いたが、今後フクシマがヒロシマとセットになって放射能問題で数十年を越えてさまざまな病気や問題が生ずるのは目に見えている。そして、ヒロシマの原爆はアメリカが落としたが、戦後の日本や東京の発展を考えてアメリカが設置してくれた福島原発が、津波を軽く思ったのか、あるいは知ってそうしたのか、ともかくアメリカが設計したものによって日本はヒロシマに次ぐ放射能汚染を経験することになった。ここには、日本がアメリに戦争に負けた事実がずっとつながっている事情がある。その図式は、出稼ぎに出ねばならない東北の人々が都会におもねるのと同じ構図だ。アメリカにペコペコしていなければ銭儲け出来ないという卑屈な態度と言ってよい。だが、アメリカはいつまでも日本を大事に思わないことは世界中の誰でも知っていることで、より魅力のある女がいればさっさと乗り返るのと同じように、銭儲けの度合いが大きければ別の国と親しくする。それを日本がよく知っていても、資源のない国であり、東北人的な立場に甘んじるほかないというところか。そこで昔からよく言われるように、アメリカと縁を切って半鎖国的なればいいのかもしれないが、食べ物を初め、言葉まで徹底してアメリカ式が格好よいと洗脳され尽くした現在、さて、どれほど戦前の生活に戻ることが出来るだろう。せいぜい、また青森やもっと離れたところに原発を建て、今まで以上に日本を夜でも輝く国にするのが、政治家の、そして田舎に住む人にとっても夢であり、巨大地震が来ればその場その場で対処、これまた銭で決着させようというのが実情だ。日本という国が一体であるからには、原発をほしがる地域もあるし、また東京のようにあっては大困りという自治体もある。そこは持ちつ持たれつで行きましょうやないかということで手が打たれる。

駅前の変化シリーズはどうやら原発関連のぼやきになりつつある。今日は去年9月9日撮影の4枚を掲げるので、段落数は最低四ついるから、もう少しぼやこう。先日から何度か書いているが、筆者にはいわき市の江名という小さな漁港に住む知り合いが古くからある。行ったことのない場所だが、最近写真や画像でその町の様子をいろいろと知るようになった。去年2月に隣家を買った時、そこにさまざま備品があって、それらも筆者のものになった。その中にあったパソコンやデジカメを使えるようにし、そしてパソコンは幸いウィンドウズXPが入っているので、ユーチューブやグーグル・アースが見られるようになった。地震があったから江名について調べる気になっただけのことで、それがなければ昔と同様、調べることはしなかったと思う。それはいいとして、江名に実家のある中学校のある先生がブログをやっていて、それを3週間ほど前に知った。そのブログは一昨日消去されたが、その直前に筆者は同ブログから画像を4枚取り込んだ。それをここに転載したい思いもあるが、著作権上それは出来ない。写真は地震前の江名の海辺を写したもので、なかなかいい写真だ。それを撮ったのと同じ場所に立って同じ角度で撮りたい気にさせる。その人のブログが半ば炎上となって閉鎖されたのは、生徒のスポーツ・クラブの顧問をしているのだが、夏の県大会が、放射能の濃度が高い福島県のある街で開催されることに異を唱え、県の教育委員会はもっと放射能の低い場所で開催出来ないのかと書いたことによる。これにかちんと来た人は、県大会が開かれる街はいわきよりましだと主張したり、また、同じ県民であるのに、放射能が強い街に生徒を連れて行くことをいやがるとは何事かといった思いを抱いたからだ。これを見ていると、原発問題が福島県の人々に一種仲間割れのような作用を及ぼしていることを思う。自分の街は安全だが、いちゃもんをつけるお前の街の海は放射能でもう死んでいるといった調子で、絆を深めるどころか、もとはあった絆が地震と津波でずたずたになっている。また、福島は会津、中通り、浜通りと三つに地域が分かれ、原発は浜通りにあるもので、微妙に会津や中通りの住民は今回の事故に対して思いが浜通りの人とは違うのではないかという、これは遠く離れた京都にいて、事情を知らない門外漢の思いだが、ともかく、そのブログをやっていた先生は、自分の教え子を少しでも放射能の少ない地域で県大会に臨ませたく、素直にその思いを吐露しただけであるのに、一斉に反論が沸いた。そこには自分の住む街の放射能濃度が高いと言われたことに対する過剰反応があり、もう少し言葉を慎めろという思いのだ。それほどに福島の人々は日夜放射能を心配しながら、また一方では大丈夫を思い、あるいは仕方なしに住んでいる。そのやり切れなさはほかに持って行きようがなく、それでブログに自分たちの住む街が放射能が高いと書かれると激怒してしまう。原発事故がもたらした悲しいこうした出来事はもっともっと今後は増えるはずだ。そこに筆者は何をどうすればいいという積極的な意見を述べることは出来ない。だが、日本が青森に原発をもっと建て、それがまた巨大地震でおかしくなった時、今回と同じように日本が一心同体的な立場から対処するのであれば、そしてそういう精神がまだあるのならば、それを地球的規模になぜ広げられないのかという思はする。絆は日本だけでいいのか。希釈されるとはいえ、世界中にばら撒いた福島の放射能を思うと、原発の問題、あるいはそれにかかわらず、大事故は地球的規模で考えるべきで、人はどの国のどんな人に対しても優しくあるのが常識ではないか。そして、そういう思いがあれば、原発の問題も根本から考え直すのではないか。筆者は原発を即廃止せよと主張するつもりはない。だが、金があれば電気の使い放題で、慎ましやかな生活を嘲笑するような下品な人間にはなりたくないし、また話をしたいとも思わない。江名に老夫婦で住む筆者の知り合いは、贅沢をどこか罪と考える慎ましやかな思いを持っている。それは昔の日本人ならたいてい持っていた感情で、それがいつの間にか忘れられるようになった。そして、地震や原発事故の無慈悲さは、そんな老夫婦をも巻き込んでしまうことだ。それに対して筆者は、遠くから思いを馳せるだけで何も出来ない。